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<論壇> 下関市民の脅威は「外国勢力」ではなく江島市長  2006年2月28日付

 下関・江島市長は、市場原理主義改革のトップを切って市民を困らせる政治をやってきたが、今度は「国民保護法」の市町村への具体化で、全国トップを切って「その筋」に名を売ろうとしている。元自衛隊幹部の講師が、「テロ攻撃は東京か米軍、原発のようなところが狙われ、地方都市は後回しだ」と遠慮していっているのに、江島市長は「関門橋があり、関門トンネルがあるから攻撃される」「警報のサイレンの音も周知徹底させなければならない」などと意気ごみを示した。
 下関市民の安全は先の話ではなくいま現在、まことに侵されている。多くの市民が失業し、就業者もいつ失業するかわからないし、中小業者は倒産と首つりに追いこまれ、農業も漁業も困難、年寄りも若者も生活がしにくい。市民の生活はまるで戦争状態である。こんな街にしながら、はてしもなく箱物利権を追いかけているのが江島市長である。市民はだれも、どこかのアジアの外国勢力の脅威など感じておらず、怪しげなとり巻きをひきつれた江島市政の反市民政治が現実の脅威になっているのである。江島市長が市民の安全が心配だというのなら、自治会から企業から下関中を総動員して大騒ぎする必要はなく、自分で自分を退治すれば簡単に解決する話である。
 下関は、「外国武装勢力」がわざわざ破壊しなくても、江島市長がさんざんに破壊しており、「外国武装勢力」が武力攻撃する値打ちもないような貧弱な街になっているのがあるがままの現実である。かりに大きな都市から順番に攻撃されることがあったとしても、下関は数百番目のランクである。第2次大戦でアメリカは、日本を侵略・占領するという特別の目的を持って、物量にまかせてそれをやったが、アジアの国でそんなことをできる国はない。江島市長がよその市町を押しのけて騒ぐ必要などまったくないのである。このような騒ぎは、悪いことをしている自分への市民の批判を自分が脅威に感じて、人のせいにしてそらすというたぐいである。
 郷土愛などまるきり無縁で、市民の安全など少しも心配したことのない江島市長が、軍事の問題になったら色めきだって「安全」を叫ぶところがうさん臭いのである。「外国武力勢力の脅威」などといって、アジア各国との関係を話しあいによる友好的な関係から、武力による問題解決の方に転じるとなると、そのことが近隣諸国との緊張を強め、下関、日本を危険にさらすことになる。
 「外国武力勢力の脅威」というなら、戦後60年にわたって外国軍隊が四国の広さほどの土地を占領して軍事基地をおいている日本の現実を問題にしなければならない。岩国や沖縄は米軍のやりたい放題の治外法権で、9・11テロのあとは市民の方に銃口をむけ、日本の国ではないかのようになっている。その外国武力勢力のもとで、日本社会全体がアメリカには逆らえない植民地のようになってきた。そのことが日本の国民にもアジア各国にも脅威を与えている関係である。
 下関でも米掃海艦などが入ると花束をもって歓迎しているが、これこそ「外国武力勢力の脅威」を誘致するものである。だれでも知っているように、「国民保護法」などといった国家総動員の戦時体制づくりは、アメリカにいわれるままに小泉政府が決めて全国の地方自治体にやらせるものであって、日本国民が必要と思ったからやるものではない。
 江島市長は、下関市民には侵略者・略奪者のようにふるまってきたが、それはアメリカ崇拝者であることが根拠である。下関は朝鮮人と仲良く暮らしてきた町であり、アメリカに逆らった日中漁業などで友好関係を結ぶときに発展してきた町である。「遊び人」といわれる市長だが、戦争の火遊びをやるとなると、市民の安全はまことに深刻な問題となる。

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