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下関潰すか立て直すかが争点
下関市議選巡る記者座談会
                市民の政治論議が沸騰へ    2010年11月29日付

 1月30日投開票の下関市議選まで2カ月を切り、前哨戦が大詰めを迎えている。この間、市民のなかでは経済のひどい疲弊状況や雇用がないことなどが深刻な問題として語られてきた。そして「いまの市議会があと4年つづけば下関がつぶれてしまう」と語られ、産業の立て直し、雇用確保の要求が大きく高まってきた。市民のなかで、個別利害関係をこえて、大きく全市民のこと、さらにこの10年、20年を振り返り、この先5年、10年を展望して、このままでよいかと論議が発展している。このなかで政治家や山口銀行、大企業が連なった産業食いつぶしの略奪政治を許して下関をつぶしてしまうか、それを規制し、市民の力を束ねて産業を振興させ、市民生活を守るかが鋭い争点として広範な世論になっている。
 
 市民代表いない議会でよいか

  下関市議選をめぐるキャンペーンをやってきて、相当に市民の論議になってきた。広島、長崎など全国でも共通の問題として大きな関心を呼んでいる。「商店に客がいない」「仕事がなく雇用がないからだ」「競争力がないから仕方がないと、経営責任といって農業や林業、漁業をつぶしたら日本社会がつぶれる」「製造業も海外移転で空洞化する」「技術継承もとぎれていく」などが語られた。そのなかから「競争力とか市場原理というが、産業が社会の基盤であり、それをつぶす制度や政治の方が絶対に間違っている」「産業とそれを担う労働力が社会を支える根幹であり、産業振興、雇用確保を何が何でもやらなければならない」などが語られてきた。
 市民のなかで、いままでの選挙の地縁、血縁その他のしがらみなどの延長ではダメであり、下関がこうなってきた経過を振り返り、この先を見通して、また個別利害ではなく、全市民共通の根本的な利益を考えて、下関をどうするか、大きな争点をめぐる論議が発展してきた。そして婦人層や青年層などが積極的に動き始めた。まず争点のところから見てみたい。
  年の瀬が迫るなかで商店の客足が極端に落ち込んでいる。大型店や百貨店でも人は多いかもしれないが買い物袋を堤げた客が少ない。「見て回るだけで金を持っていない」と語られている。唐戸の商店でも「今日は客が二人だった」「朝から客が一人も来ない。盆明けは赤字の月しかない」とかの状況がある。
  産業がつぶれて雇用がなくなり、労働者が食っていけなくなっているから現金が循環しない。商店も自分の直接利害だけ考えていない。市内の仕事と雇用ができることに商店の命運がかかっていると語っている。
  ある商店で、産業が疲弊し雇用がない問題と、大型店が商店をつぶし、生産者を買いたたいて利益を持ち去って、ますます下関が寂れているといっていた。大型店は儲からなくなったら簡単に撤退して買い物難民をつくって平気。社会的責任とか信用商売ではなく略奪商法だ。

 農林漁業の再生が公益 競争主義の方が問題

  農林漁業でも70〜80歳の昭和一桁世代が主力になっており、農業を受け継ぐ者がいない。若い者が生活できないからだ。このなかで「農業、漁業がつぶれたら国がつぶれる」という世論が噴き出ている。
 F 林業も崩壊だ。早くから無関税にして外国産の材木が流入した。間伐など手入れができず山は荒れ放題だ。山が荒廃したことで、雨が降ったら洪水になり、鹿や猪、猿もエサを求めて民家に出てくる。山が荒れると農漁業に打撃になるし、飲料水が困る。個別経営体の責任にして放置するなら国がつぶれる問題としてある。これこそ公益であり、仕事のない若者を国が雇って森林整備に当たらせるのは当然のことだという世論が大きくなった。
  農業も「競争力がないからつぶれるのだ」ではなくて、つぶれさせている競争主義の方が間違っている。なにがなんでも保護育成しないといけない。アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、自国農業は補助金漬けにして保護している。「次の世代まで歯を食いしばって」という思いで生産者が踏ん張ってきたが「国なり行政がテコ入れするのが当たり前だ」というと、そうだとなる。都市部で失業している若者がたくさんいるが、行政が雇って人手の足りない分野に回し、山の間伐や農業生産など、後継者育成のために働かせたら良い。生活保護で遊ばせるよりも働かせる方が世の中の為にはよほど良い。
  地産地消で商店や市場と連携して食品流通システムをつくろうじゃないか、という世論も強まっている。大型店との哲学の違いがある。大型店は安いか高いか、儲かるかだけの略奪で生産者をたたくが、地域の商店が集団的に協力しあって、信用商売で新鮮で安心で安価なものを消費者に届ける信用商法をやると、そっちの方が大型店流通より強い。スーパーも食料品が目玉だ。食品流通で信用商法の方が勝ったらその他の地元密着型商店にも有利になる。買い物難民の問題も解決する。農村部と都市部、生産者と消費者、各商店や市場などを結びつけて行政が役割を果たすべきなのだ。

 水産や製造業でも切実 技術断絶の危機

 E 下関は水産都市だ。明治から日本漁業のトップランナーとして牽引してきた。歴史的な蓄積がよそとは比較にならない。下関全体の衰退は水産業の衰退が根幹だ。水産を原動力にしてさまざまな水産関連業、造船、鉄工などが相互に依存して発展してきた。以西底曳きのあとに漁港市場を支えてきたのは以東底曳きが主だ。しかしかつて30カ統(船団)ちかくあったのがいま八カ統まで減っている。船が老朽化して、使えなくなったら終わりといわれている。水産業の火が消える。関連業に対するこの影響は非常に大きい。売り出しの「あんこう」もとれなくなる。下関の重大事に行政の動きはない。
  マルハが運営している「やまぐち丸」が唯一新しいが単純に新船だけでは魚はとれない。やはり漁労長の経験や技術、感性が拠り所になる。これを育成するのは長期の経験がいる。しかし底曳きにもインドネシア船員が乗っている。造船でも、鉄板を曲げる技術を大手造船所が持っていないことや、一人親方の左官が消えている問題とか、技術が途絶えようとしている。
  いま製造業が海外移転ラッシュで国内空洞化が急速だ。いまは大企業が若者を育成しなくなった。新卒の就職難も、海外移転で空洞化していることと、企業が即戦力要求で新卒を育成しないことが影響している。コストが合わないといって海外に出ていく。目先は良いかもしれないが、10〜20年先を見通したらとんでもないことだ。
  商船高専は外航船の船長、機関長など船員を養成する。ところが商船大手の採用枠が縮小され、毎年100人くらいしか全国で採用していない。全国の海技学校の卒業生で今年10月段階で就職先が決まっていないのが七割もいる。四方を海に囲まれながら、船を動かす人間のいない国になりつつある。商船大手の三井などはフィリピンに海員学校を設置して、現地の若者を養成して自分たちの船に乗せている。税金や規制回避のために船籍はパナマなど。日本人船員を雇わなくてもよい。内航船は日本人船員だが、これも沖縄の特区を皮切りに、内航船でも外国人を導入しはじめた。複雑に入り組んだ瀬戸内など、外国人が走りはじめたら事故だらけになる。
  建設業にしてもゼネコンが奪っていくし市外発注をへっちゃらでやってきた。ここまで経済が衰退したなかで地域の中小企業に発注しないこと自体がとんでもないことだと話題になる。大手が1日でつくる物が、地元では10日ほどかかるかもしれない。金も多く費やされるかもしれない。しかしそのことで地元のみなが職を得て食っていくことには代え難いじゃないかと。
  競争力だ、海外移転だというが、一番の問題は円高だし、この間の規制緩和だ。円の値段は貿易を基準に決まっているのではない。マネーゲームで決まっている。そもそも1985年のプラザ合意で低金利とともにアメリカから押しつけられたことだ。円は倍ほど上げられた。それから25年ずっと円高だ。大企業が海外に出て、農家がつぶれるのは競争力がないから仕方がないのではなくて、競争力がなくなるように仕向けられて、日本の財界や政府がアメリカに何の文句も言えないからだ。TPPで小泉改革、規制緩和の総仕上げだ。アメリカによる日本民族絶滅作戦だ。
  日本の独占企業の力の源泉は何だったか考えてみたらよい。それは世界的に優秀な労働力だ。資本主義勃興期に数多くの手工業をなぎ倒したのは、機械制大工業とそれを担う労働者の力だった。国内の労働者を捨てて海外に行ったら、その企業はつぶれるほかはない。国内の労働力をつぶすというのだから、資本としては自滅行為だ。目先の儲けを狙ってその先につぶれる。核の傘に頼って外国で商売をするわけだが、いつ政変があって没収、国有化になるかしれない。自ら資本難民になるということだ。そういう制度、政治というものは破たんするほかなく、産業と働く者だけが結局は生き延びることは歴史的に見て常識だ。

 産業も教育も潰す政治 山銀が略奪し食潰す

 D 下関を立て直すには、産業の振興と教育からといえるだろう。これをぶっつぶす政治がやられてきた。大型箱物、大型店誘致など略奪政治が横行してきた。教育にしても、九九や分数ができず、逆上がりもできないまま義務教育を卒業させていく。勉強についていけずに暴れて高校進学の道が閉ざされると、中卒者には職安も仕事を斡旋しない。市立大学でも独法化で市役所退職役人が1600万円もの報酬をとって、私物化し、教育研究機関を崩壊させている。
 E 産業振興や教育、社会福祉に金を使うのではなく、中央から箱物利権を引っ張ってきて特定の市外利権業者に斡旋して利益を得る。大型店を誘致して現金が市外に流れ出すのとセットで街全体が寂れた。人工島に750億円、駅前開発に150億円、新庁舎関連に200億円、最近でも生涯学習プラザに60億円を投じたが、博物館も建設するという。長府浄水場の施設更新にも必要以上の250億円がいるといって水道料の値上げになった。人工島をやめて、街の振興の為に使っていたらどれだけ下関の様相は変わっていたかだ。しかしまだ駅前開発や新庁舎など同じつっ走りをやる。
 A 略奪方式の要因の一つに山口銀行の存在がある。この間力を入れてきたのが不動産バブルだ。川中、伊倉の新下関駅前の開発。椋野の区画整理、旧下関駅前も開発。行政に箱物をやらせるだけでも市債、県債受け入れにたいする利息収入はすごい。需要があろうがなかろうがとにかく行政につくらせて銀行だけが儲かる。不動産投資信託を売りつけて大損させたのも銀行だ。山口県は全国稀に見る経済の衰退で、貸出先、つまり儲けの源泉を食いつぶしてしまって、北九州に遠征して喧嘩する羽目になっている。
  働く者をつぶして困っているのは山銀そのものだ。山口県では行政と癒着しているから強いわけで、他県に出ていって相手にされるわけがない。目先の損得だけでガツガツ自分だけもうけて、自分がつぶれる羽目になっている。
  市立大学の理事長や事務局長が、教育のことなんか何もわからないものが教授たちを目下に従えて采配を振るう。文科省天下りの嶋倉教育長は教員免許を持っていない。教育のわからない奴が好き放題して、もうけや「効率」第一で現場をガチャガチャにしている。
  下関をつぶすか、立て直すか、略奪政治を許すか、産業振興・雇用確保と市民生活擁護かどうかが最大争点だ。これは全国的、世界的な普遍性をもって下関で典型的にあらわれている。市長が安倍・林代理だし、山口銀行の代理人になっている。そして市議会が飼い猫状態で市民を代表するものがいない。11月臨時議会で、満珠荘10万人署名を屁とも思わないで、みなが執行部の民間委託案に賛成した。10万人は人口の3分の1にあたるものだ。
 C 安くて気軽に楽しめた老人休養ホームだった。あそこで同窓会をしたとか思い出が多い。唯一市民が安心して使っていた施設をなくしてしまった。下関では最高の景観で、安く利用できた。それを一泊したら5000円もとるような民間経営施設に変えてしまう。
 B 江島市長時代には満珠荘存続を求めるような素振りを見せていたのが田辺、山下、松村議員たちだったが、みな寝返っていった。「日共」市議団も本会議では一言も反論しなかった。当初は「満珠荘を守れ」などといっていた田辺は真っ先に手を挙げて執行部案に賛成した。
  満珠荘運動の過程で「日共」市議の正体が暴露された。老人休養ホームの存続という署名の趣旨をねじ曲げ、利用者の会の乗っ取りをはかり、民間利権に持っていこうと暗躍した。満珠荘運動をつぶしたら褒美をもらえたかもしれなかったが、運動の方は彼らを追い出して、6万人でダメなら10万人を集めようと逆にもっと発展した。彼らの手柄にはならなかったわけだ。
  4年前の選挙では自称「市民派」が何人もいた。松村や田辺、安倍派の香川までが市民派装いだった。それが今回はいない。みな暴露された。満珠荘問題の紹介議員をしたのは山下、松村、「日共」江原満寿男だったが、市民運動に圧力を加え、失敗して落ちぶれている。公明党も当初は末永昇が満珠荘再開を支持するような素振りだったが、早早に裏切った。
  満珠荘の運動は大きな力を発揮したということだ。市民をだまして大きな略奪政治をすすめていくインチキ「市民派」を無力にしたら、略奪政治もやりにくくなったということだ。全体としては、商売人も「個別利害ではなくて、みんながよくならなければ自分のところもダメだ」となっている。農家も儲からずに勤労奉仕状態で、お国のためにタダ働きしている。こういう世相のなかで、もっぱら自分の為ばかり追い求めている政治思想潮流を代表しているのが「日共」集団だし、この間の「市民派」だ。生活保護の世話や市営住宅の斡旋など小さな親切をして、下関の略奪政治は推進するという大きな迷惑をする。貧乏人が増えたら議席が守れ、年収1000万円の議席が温められる。貧困ビジネスが本質だ。
 B 「日共」集団の思想潮流としての問題が重要だ。目先の小さい利害関係を優先する。そして下関をつぶしていく大きな政治の枠組みを容認する。市民はここを突破してすすんでいる。「この議会があと四年つづけば下関はつぶれる」「下関をつぶす大きな政治を問題にしなければ何事も解決しない」「産業の振興・雇用確保だ」と、個別経済利害ではなく全市民共通の政治問題として論議を発展させている。
 E 民商をやめた若者が話していたが、「どうして下関がこんなに寂れたのか」と話した時に「市民が悪いのだ」と言われてビックリしていた。そんな観点なのだ。市政を動かすのは大衆運動しかないのに、それはつぶして、「少数派だから何をやってもダメなのだ」「ワシらを多数にしない有権者が悪いのだ」という。みな「人が悪い」という。アメリカ仕込みなのだ。みんなのため世のため人のためにみんなが一緒によい社会をつくろう、略奪政治にたいしてみんなで団結していこうという市民の意識とは別世界だ。これが満珠荘運動を通じて暴露されたのは大変重要なことだ。安倍派と林派だけでは市民はだませない。
  市議選では、保守系の安倍、林派の所属議員が蛇蝎(だかつ)の如く嫌われているのも特徴だ。現職の落選候補が相当数挙がっている。
  安倍派が単独過半数狙いで鼻息が荒い。「中国を攻めろ!」「俺の出番だ!」の調子の延長だろう。しかし安倍事務所に票があるのではない。票を持っているのは有権者だ。安倍事務所に頼んで票を分けてもらおうと新人もまぶりついている。組織票、銀行票や三菱など大企業票、さまざまな中小企業票など、権力の及ぶところには大号令がかかるだろう。社長は協力しても社員がどれだけ協力するか、見物だ。みんな世話した覚えはあっても世話された覚えがない。あれだけ多数の安倍派候補を立てるのは、衆議院選挙の票の掘り起こしが第一目的だろうともいわれている。
 E 候補者は「議員になって何をするのか」と周囲に聞かれている。ある安倍派新人は後援会の発会式で、あるかぽーとや人工島など市政が進めていることを説明するだけで、みなが驚いていた。何のために立つのかがないし、市政をどうしたいというのがないからだ。わたしが立候補するために応援してくれというものでしかない。だからしらけた。考えてみたら他の候補者もそうだ。市民を代表するものがない。自分を代表するだけ。
  政治でなくなっている。市場原理改革で、「公益、公共性、社会性などは社会主義であって悪であり、自己中心自由競争こそが時代の先端」となって、市民のこととか下関の将来のこととか全然考えないのが議員となってきた。有権者が主権者ではなく、自分が主権者になってしまっている。百姓をする議員は多いが農業を代表する議会活動をする議員は一人もいない。ただの兼業農家だ。中小企業の経営者もいるが同じ。教育、医療、介護、福祉などを代表する議員はいない。労働者を代表するのはなおさらいない。組合代表は企業代表だ。議員が議員でない時代なのだ。
 B そういうなかで、ゴミ袋10万人署名や給食食器改善、満珠荘10万人署名など、市民の会の裏方事務局をつとめてきた本池選挙が注目されている。市民を代表する議員を一人でも議会に送り込むことが大きな転機になる。
  例えば市立大学では市役所退職者が報酬を1600万円もとって、もうけ第一でムチャをして問題になっているが、任命権を持っている「中尾市長の責任ではないか」と議会で追及するものがいたら、教員や職員、学生は助かる。学校現場の臨採の教師の問題で、「教育にとって大損害ではないか」と議会でとり上げれば違ってくる。「農林漁業をつぶしたら社会がつぶれるではないか」と市長を追及する。水産都市というが以東底曳きが八カ統しかない事を「どう考えているのか」とか。これだけ失業者がいて職がない、人手不足の農村部で働かせたら良いではないか、とか議会でとり上げれば変わってくる。市民の目となり耳となり、口となってとり上げていけば良いのだ。
 C 教師のところでは、議員を使うという発想がなかったといわれた。臨採でなく正規採用しなければ教育に責任が持てないというのを、議会で市長や教育長を問いただす、つまり社会の問題として全市民の問題として扱う、と話になると展望を感じていた。
 B 本池選挙では選挙のタイプが違う、候補のタイプが違うといわれる。常識でいう上に立つ人物ではなく裏方だ。大きな政治的争点を鮮明にして大衆の運動に奉仕していく。だから知り合いのところを広げていくというのでなく、どこでも全市民のところに入っていく。政策を出すのがいままでないことだともいわれる。政策を出さないのが常識になっているのだ。このタイプの違いを貫くことが必要だ。自分しか代表しない既存議員のまねごとをしてはいけないのだ。
  選挙は候補者個人のためのもので、当選したら万万歳という選挙ではない。市民のための選挙だ。市民が主人公となって下関の政治を変える政治斗争を強め、それを組織した力にすることが最も重要なことだ。その結果候補者が議員になり、その市民の組織された力が議員になって市民代表を貫かせ、市政を変えていく基盤となる。やはり選挙になると市民の政治的な関心はひじょうに大きなものになる。「下関をどうするか」を真剣に考えている。

 動き出す婦人や青年層 汚れ選挙にはへき易

  産業振興、雇用確保を中心に紙面展開してきたが、婦人層と青年層の反応が鋭くあらわれている。婦人と青年が政治参加、政治行動をはじめている。ある青年だが、「選挙はイヤだ」という。しかし「この政策は当たり前のことを書いてある」と歓迎する。上から目線でいったら「政治的無関心層」といわれる。しかし、汚れ選挙にへき易しているのだ。大衆の要求をそのまま整理して政策化したものを歓迎する。本当の政治を切望している。政治的無関心層は実は政治がなくなった議員の方なのだ。
 A 選挙は下関を変える政治的な激動が引き起こされる空気が漂っている。下関で突破することは、全国に影響が広がる。

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