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深刻さ増す下関の失業
              商業高校では内定が6割
      2011年1月14日付

 働きたいが、働こうにも仕事がないことほど、悲惨な状態はまたとない。それは生きてゆくことができなくなることであり、「仕方がない」ではすまされない切実な問題となっている。全国で完全失業率が5%を超し高止まりが続き、失業者があふれ、高校や大学を卒業しても働くところがない。下関市でも09年以降、有効求人倍率は1・0倍を割ったままの状態が続いている。水産業を基盤とした造船、鉄鋼、農漁業で成り立ってきた下関市の産業を振興し「雇用をつくれ」の要求が切実になっている。
 年始から下関の職安を訪れる市民の出入りが激しい。制服姿の女子高校生が2、3人で連れ立ったり、大学生、20代〜40代、50代、また定年を迎えた60代の人など訪れる年齢層は幅広い。アルバイトをしながら半年以上職安に通っている20代や下関、宇部や北九州の職安を回って仕事を探す40代など必死だ。
 47歳の男性は、これまで約30年間ずっと営業をしてきた。最近失業して職安に探しに来たが仕事がない。「下関は基本が水産で成り立ってきたが、この不景気で高級品は売れずに落ち込んでいる。それが下関全体に影響しているし、市を支えてきたベースが立て直らないと他の業界も活性化にはならないと思う。求人を見ても看護師とか介護士の求人はものすごい数あるが、特殊技術のない自分のような人間ができる仕事がない。営業の求人があっても何らかの資格が求められる。それにこの年齢では下関での仕事は望めない。今から門司の職安に探しに行きます」と向かっていった。
 42歳の男性は、昨年5月に福岡での仕事をやめて親の介護のために帰ってきた。久しぶりに地元に帰り、街に若者の姿が少なく疲弊が著しいことに驚いたという。「港湾・貿易関係の仕事につきたかったが年齢が壁になった。何件か面接を受けたがダメ。求人を見ても介護職が多いのに驚く。これでは若者が市外に流出するのも当然だ。悪循環がくり返される。何はともあれ職がなければ市はよくならない。自分は実家にいるので生活していけるが、もし養う家族がいたらやっていかれないだろう」と話していた。
 30代後半の男性は、「応募して何度も面接まで受けているが、採用してもらえないんですよ。なぜ採用してもらえないんですかね」と言葉少なに語っていった。
 20代の男性は、半年以上仕事を探しに通っている。失業保険が切れて焦っており、生活費のためにアルバイトをしながら仕事を探しているが、職探しを優先するとバイト先からは苦情が出てせっぱ詰まっている。友人たちの間では、「とにかく今仕事をやめるな。やめたら仕事はない」と話になっているという。
 高校生の就職状況もこれまでにない厳しさだ。下関市内の商業高校では12月末時点で内定率が60%、約40人の生徒の就職先が決まっていない。そのほとんどが女子生徒だ。厳しいといわれた昨年度でさえ同じ時期で8割の生徒が内定していた。地元就職を希望しているが、受け皿がない。卒業まであと2カ月となり、生徒たちにはハローワークに登録して足繁く通うように促している。しかし「個人の努力ではどうしようもない状況。高校生は地元中小企業が就職先となるが、事務職を希望しても企業の側も雇う余力がない。国なり県なり市が対策をとらないと、これは社会問題だ」と担当教師は深刻な表情で語った。
 市内の私立高校でも現時点で就職先が内定した生徒は64%。生徒たちをハローワークに通わせたり、工業高校から求人を回してもらうことも視野に入れ担当教師が動いている。卒業まで残された時間が少なくなり「最大限やれることをやるしかない」と厳しい実態が語られている。高校3年の娘を持つ父親は、昨年12月末にやっと介護事業所の就職先が決まって安堵していた。「年を越したら自分たちで探そうと思っていた。ギリギリで決まってよかったが他の高校もかなり厳しいと聞いている」と話した。

 雇う余力ない中小企業 製造業落込みが影響

 職安によると下関全体の製造業や土木建築業の落ち込みが雇用情勢に大きく影響しているという。「大企業が海外に流れ国内が空洞化することに歯止めをかけないと大変なことになる。厳しいのは日本全国だが下関市の雇用創出のためには市が対策をとって動かないとどうにもならない」と指摘した。08年9月のリーマン・ショック以降、下関市の落ち込みは著しく、09年の初めから有効求人倍率は1・0倍を切って求職者一人に対して一つの求人もない状態がずっと続いている。
 三菱造船の下請労働者は、「40代、50代がハローワークに行ってもできる仕事がない。造船・製造でも技術を持った一番働き盛りの40代、50代に職がなく、東京や大阪など全国にあふれている。そういう技術者が海外に出て中国が伸びているのも、日本人の技術のおかげだ。日本がここまで衰退したのも政府が人材や技術を大事にしなかった結果だ」と強く語った。
 また雇う側である中小企業の経営者の思いも切実だ。ある電機商経営者は、「今、下関の会社は雇用したくてもできない。高校なり、大学なり卒業後の何も分からない若者を育てる余力を持った会社が下関にいくつあるか。“職がない”というが、雇用したいのにできなくさせたのが大きな原因だ」と指摘する。下関では江島前市長時代から「企業の努力」が盛んにいわれ、一方で行政が量販店の乱出店を認め、影響を受けている地元の企業に対しては「努力が足りない」といい続けてきた。「昔は年間に500万ほど補助人件費として組んでやってきたが、今それができる企業はほとんどない。物が売れることで会社も利益が出て、人も雇える。企業が雇用できるように力をつけないことには何も変わらない」と語り、税金で飯を食っている政治家が自分の私腹ばかり肥やしていることに腹が立って仕方がないと語った。
 下関市に仕事がない深刻な状態について、一市民、一企業の努力では解決せず、農業や漁業、製造業を潰してきた市場原理の国の政治、その先端をいく下関市政を変えないとどうにもならないという政治意識が渦巻いている。下関の活性化の根本問題として産業を振興し雇用創出することが最も大きな課題だという論議が強まっている。


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