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衆院選で「日共」・社民凋落が示すもの
親米潮流の歴史的な破産
               反米愛国の世論が圧倒    2003年11月15日付

 今回の総選挙は「日共」修正主義集団と社民党が大幅に得票をへらし、議席も激減させたことが大きな特徴となった。これはなにを物語っているのか、どう評価すればよいのかは、戦争を阻止し平和で豊かな社会を実現する人民の力を大結集するうえで重要な内容をもっている。

  得票は激減 広島などで顕著
 比例区の得票数で見るとつぎのように激減している。
 「日共」集団は、前回672万票から458万票へ32%減。大都市部の東京・関東で減少が大きく40%弱の減となっている。社民党は、前回560万票から303万票へ半減に近い46%減。
 地域的な特徴として見ると、戦後口を開かずにきた多くの被爆市民が語りはじめた広島では、小選挙区で「日共」集団が50%減、比例区で社民党が66%減の無惨な結果。原発反対が強まった山口県では、「日共」集団が小選挙区で60%減、社民党が比例区で54%減のこれも無惨な結果となった。
 いわば自分たちの特定の利害がかかわった組織票だけとなり、期待を寄せてきた一般の浮動票といわれる部分があいそをつかしたのである。議席で見ると、「日共」集団が20議席から九議席へ、社民党が18議席から6議席へ激減と、歴史的に記録される大惨敗となった。
 「日共」修正主義集団は、委員長である東大出の志位が「民主党と自由党の合同という選挙前の政治変動が大きかったので、有権者が理解する時間が足りなかった」とか、メディアが「政権選択の選挙と一方的に宣伝したから」、といっている。相も変わらぬ「自分は正しく悪いのは他人」という唯我独尊で、人に文句をいうだけが好きという姿勢である。敵側の攻撃が強かったことと、大衆がおろかだったことが敗因だったというおきまりの評価である。
 社民党は、土井党首が小選挙区で落選し、かろうじて比例区でひろわれたが、党首辞任を発表、「民主党への合流・解散」が語られたりで、消滅の危機となった。
 「日共」集団は「野党らしい野党」を唱え、「消費税増税反対」「憲法改悪反対」などひととおり反対項目を並べた。社民党は憲法擁護を叫んだ。この「日共」、社民党が大凋落(ちょうらく)したことは、イラク派兵をのぞみ、憲法改悪をのぞみ、戦争政策をのぞむ有権者がふえたことを意味するわけではない。
 小泉自民党は選挙では、イラク派兵も憲法改定も正面から争点にするのを避けて逃げの姿をあらわした。いまでは年内の自衛隊イラク派兵について、特別国会前に閣議決定をしたら騒ぎになるといって動揺している。これはイラク情勢と絡んでいるが、おもには選挙結果によるというほかはない。小泉政府はメディアが「高支持率」と騒いだだけで、実際の支持は「大惨敗」と騒いだ森内閣の時の選挙とたいして違わなかったのである。
 今回の総選挙で、自民党支持者をはじめ大多数の有権者はイラク派兵、憲法改定を日程に乗せるまでに至った売国的戦争動員政治に強い反対の意志を示していた。それは消費税増税や年金切り捨て、倒産や失業などのグローバル化、自由化、規制緩和を唱えた生活破壊、さらに選ぶべき政党がないことに代表される民主主義の破壊への強い怒りが渦巻いていた。それが小泉自民党への批判となってあらわれた。
 自民党売国反動政治への人人の怒りが大きくなっているなかで、その批判が「日共」集団や社民党の支持にむくのでなく歴史的な大惨敗になった。いわば自民党以上に批判の対象になったのである。
 
  口先とやることは別
 かれらは「憲法擁護」といい、「消費税増税反対」と口先で人が喜ぶようなことをいうが、やることが別であることを数限りなく見てきた。親切ごかしなことをいって近寄るが、自分たちの議席を得たり、自分たちの小さい利権のために人人を利用するばかりで、その実支配勢力にとり入っていく、という姿をイヤになるほど見てきた。
 戦後の原爆反対の巨大な運動を切り開いた原点である広島では、被爆市民のほとんどが「原水協、原水禁、日教組はけしからん」という強烈な怒りが渦巻いている。それは、かれら特定の集団の主張のため、かれら個人の生活と地位のために、原爆を利用し、被爆者を利用してきたというものである。
 また「広島の教育をデタラメにしてしまった」という批判が市民のなかで圧倒的であり、「広島は軍都として悪いことをしてきたから原爆を落とされたのだ」というような原爆投下者を擁護する加害責任論を子どもに教えて、被爆市民が悪者であるかのように描くこと、「人権、人権といって戦争体験者の歴史を学ばず、自由放任で好き勝手をする子どもを育てる」ことなどに心底からの怒りが渦巻いている。
 朝鮮戦争がはじまり、占領軍による戒厳令のような弾圧下で原爆反対の斗争の口火を切った1950年の平和斗争、その斗争の先頭に立った峠三吉の原爆詩をベースにした原爆展パネルは広島全市民が深く共感し、戦後最大規模というほど多くの被爆者が語りはじめるところとなった。平和のために語る市民の側から見ると、この「革新」勢力は平和にとっての障害物とみなされているのである。広島で得票が激減していることはそのような中身を持っている。
 上関原発を阻止する山口県民のたたかいは20年をこえるが、「日共」系、社民党系、新左翼系などさまざまな系列が町議のイスを温めてきた。町民の一致した評価は「町民の反対の票の上に乗って、自分はなんの努力もせずに年収300万円の自分のためばかりをはかり、町民のために働く意志はない」ということである。
 そして親類が出馬したとなれば臆面もなく推進派の選挙に走り回る姿であり、それになんの批判力もない姿である。そのような行動は「日共」系がめだつものとなった。反対派を裏切ったものが推進派に走り、町民の名簿を売り飛ばして中電側からの脅迫、買収の攻撃にさらさせる。自分の利害が第一で、町民の利益を売り飛ばし、中電側にとり入っていくのである。これも広島と同様にダカツのごとく嫌われており、この批判が強まることと比例して町民の反対の力が強まっているのである。
 口ばかりで行動は別という姿は下関を見ても露骨である。教育現場では、自分勝手な子どもでなく他人を思いやる子どもを育てたいという願いは父母、祖父母のなかでじゅうまんしているが、学校現場で「自由放任」主義をやり、文科省の「興味と関心」、指導性を放棄した「子ども天国」の無責任教育の旗振り役をしているのがかれらである。これら「民主派」教師の自分自身の子どもの教育の失敗が多いことも人人が知っていることである。
 労組幹部をやるかれらが、経営困難につけこんで会社乗っ取りを繰り返して自分が経営者になったり、弁護士が法律と裁判所の権力をバックにして、ヤクザ的なゴネをやって人人を苦しめ利得を得たり、貧困者に生活保護をとってやるが、行政予算にぶら下がって票を集め議員の席を温めたりなど、その腐敗ぶりは人人が日常的に目にしているところである。
 
  米国の戦争も賛美  「自由・民主・人権」掲げ
 旧社会党は自民党に抱きこまれて連立を組み、村山を首相にしてもらった。「安保」を容認し、自衛隊も認め、消費税も導入して、首相にしてもらうことを引き替えに、人民を裏切った。こうして社会党を崩壊させた。「憲法擁護」というが「安保」を容認し、いうことは人だましであって、やることは別であることが暴露された。
 「日共」修正主義集団は、綱領の改定をやり、「安保」も自衛隊も天皇も容認し、資本主義の体制内で改良をめざすことを公然と明記した。やることが「体制内」というのは共産党ではないということになるが、見せかけだけが「共産党」というわけである。
 「日共」修正主義集団の基本的な特徴は、アメリカの支配の擁護であり、アメリカが持ちこんだインチキな民主主義を崇拝してきたことである。かれらはアメリカが仕組んだ社会主義転覆策動である天安門事件について、「自由、民主、人権」を叫んだ中国学生を熱烈に支持した。湾岸戦争に際しても、フセイン攻撃の側に立って、アメリカの戦争を擁護した。
 「自由、民主、人権」というスローガンは、一見もっともらしいが、自分の自由勝手な、自分の人権だけを主張して他人の人権を犠牲にするもので、教育の世界でデタラメにするものであり、経済も自由競争でデタラメにし、そして戦争の最大のスローガンになるものである。人人の生活の近くでそのスローガンを信奉しふれ回る一番の勢力が、これら「革新勢力」という点は多くの人人が知っていることである。

  戦前にある消滅の根
 日本は平和な国といってきたが、いまや武力参戦をし日本を原水爆の戦場にすることが現実となった。経済大国になり海外に権益を持つ帝国主義として復活したが、同時に貧困と失業があふれ、政治も経済も文化や教育も、軍事も外交もアメリカ従属で植民地状況にある。ブッシュが登場し、小泉があらわれるところまできて、戦後アメリカが投げ与えた「独立や平和、民主主義や繁栄」というもののインチキについて多くの人人がさめざめとした思いで気づくところとなった。日本の平和、民主、繁栄、民族文化の発展のためには、個人の利益からではなく愛国の立場からアメリカとたたかわなければならないという世論が力強いものになった。
 「反米愛国」の世論が全国で強まっているが、それを時代遅れの軍国主義だなどと騒ぐのもこの潮流である。人民のなかで反米愛国の世論が強まっていることが、骨の髄から親米勢力であるこれら修正主義裏切り者潮流の化けの皮をはぎ、見放した要因である。
 「共産党」とか社民党の看板をかけたこれらの潮流が瓦解し消滅していくのは不思議なことではない。その根は戦前にある。戦前、ロシア革命が勝利し労働者国家が誕生したことは全世界を揺り動かした。日本でも米騒動が起き、日本共産党が結成された。しかし戦争が苛烈になるなかで、満州事変が起きる時期になると、共産党はつぶれ、消滅していった。自由主義者も黙りこみ、社会党の前身は翼賛政党になっていった。戦争になり人民がもっとも困っているときにそれを助け導く勢力はいなかった。
 弾圧が強かったからつぶれるのは仕方がなかったでは、敵にうち勝って新しい社会をつくる前衛党とはいえない。強い弾圧をうち負かすそれ以上の力がなかったことを反省し、人民に責任を果たせなかったことを反省することから、勝利の方向を見出すことができるのは明らかである。
 戦後獄中から出てきた宮本顕治らが、戦争でひどい目にあった人民への責任を果たせなかったことを反省するのではなく、「共産党だけが唯一戦争に協力しなかった、大衆はみな戦争に協力した」といって、大いばりをするのははじめから話にならないのである。そして監獄から出してくれたアメリカ占領軍を解放軍とみなして歓迎した。
 このアメリカ賛美、人民への敵視が戦後もずっと尾を引き、しだいに拡大して現在に至っているのである。共産党のなかのもう一つの流れは、敗戦後五年にして日本を出撃基地にして朝鮮戦争をはじめるなかで、占領軍の弾圧を破って、はじめて原爆に反対する斗争の口火を切り、またたくまに全国的、世界的な平和運動をつくった。当時の共産党中央部は原爆に反対することに反対した。
 60年「安保」改定阻止の大政治斗争で、宮本顕治を中心とする共産党中央部が、武力弾圧を恐れて裏切りをやり、「挫折ムード」と称される運動の停滞をつくったのは不思議なことではなかった。そして60年代の「高度成長」「所得倍増」に浮かれ、全人民的な利益を代表してたたかうことを否定し、企業の成長に貢献して賃金を上げる経済主義をはびこらせ、資本主義を謳歌していった。
 共産党の看板をかけて、実際にはアメリカの支配の枠のなかで自分の安泰を求めた潮流が、アメリカとそれに従属する日本の売国独占資本集団の危機が深まると、その方の危機を心配して人民に敵対するのは不思議なことではない。世のため人のために自分を犠牲にして奮斗努力するというのでなく、人を欺きながら人の犠牲の上に自分だけ生き残ろうという潮流は、戦争の危機が迫り、自分の身の危険が迫ると、極端な排外主義となり戦争協力者となっていくのである。
  かつての戦争で日本の共産党はつぶれたが、中国ではあの広い全中国を解放した。その教訓は、中国が今日変質していることは別問題である。中国では、人民に奉仕する思想で自力で刻苦奮斗する精神に徹して、大衆のいるところではどこでも、大衆の生活と斗争を学び、大衆を団結させて、中国を侵略支配していた日本帝国主義だけでなくすべての帝国主義をたたき出して、またたくまに全中国を解放した。
 宮本顕治を代表とする、「日共」修正主義裏切り者の潮流は、アメリカと対立するイデオロギーの基盤にいたのではなく、アメリカのイデオロギーがその存立の基盤であった。そしてできあいの運動の上に乗り、できあいの組織の上に乗っかって号令だけをかけ、ねじ曲げ破壊してきたものである。自分たちが、なにもないところから斬新な運動を組織したというものではない。
 社民党も「風が吹いた」「山が動いた」といって選挙の票が集まったことに浮かれてきたが、自分たちが吹かせたり動かしたりする意志も力もなく、あなたまかせ、風まかせであったわけである。既存の組織に乗って、ダラ幹の地位から議員になり、会社重役にもなるといった出世の道具にしてきた。そのような者が危機の情勢になって見放され、つぶれるのは必然性がある。
 「日共」修正主義集団の大凋落、社民党の壊滅的打撃は、人民大衆の独立、民主、平和、繁栄を願う力が弱まったのではなく、逆に強まっていることをあらわしている。運動の内部にあって運動をねじ曲げ破壊して、支配階級の人民支配の社会的支柱となってきたかれらのインチキをうち破るところまできたことをあらわしている。それは長年の人民運動の停滞を突き破り、新鮮で巨大な運動が巻き起こる様相をあらわしているということができる。
 重要な課題は、自分のためでなくみんなのため、多くの人人のため、真の国の利益のために、奮斗努力し、大衆を団結させて、アメリカとそれに従属する売国反動派と非妥協的にたたかい、平和で繁栄した日本を実現するためにたたかいぬく新鮮な政治勢力を大結集することである。

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