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市政変える市民の力に確信
本紙記者座談会・下関市議選
              市民運動が選挙を主導    2007年2月7日付

 4日に投開票された下関市議会議員選挙は、安倍総理代理の江島市政とその与党議会に風穴を開ける結果となった。市民に聞く耳のない圧政と下関の食い潰し、市民生活の破壊に奔走してきた江島市政にたいして、市民生活を守ろうとする市民世論は大きく燃え上がり、江島市長擁護派は軒並み凋落。市民運動の代表として「江島市政を打倒し、市民の生活を守る」と訴えてきた兵頭典将氏が高得票で当選したのをはじめ、あるかぽーと開発反対を表明するなど江島市長批判を唱えた候補が高得票をしめた。選挙は、市民の力が議会の構図を変えるものとなった。この選挙の特徴とどう評価できるか、どうしてこういう結果ができたか、今後の課題など記者座談会を持って語り合った。

 市民の中では大きな勝利感
  今回の選挙結果について、市民のなかでは大きな勝利感となっている。「人民の勝利だ」という意見も上がっている。市民のなかでの反響から出してみたい。
  市議選でもっとも中心に位置して市民世論全体を動かしてきたのは下関市民の会の兵頭陣営だった。当選後、後援会事務所には「よく3000票近く集まった」「よくやった」という喜びとともに、「これからが大変だ。がんばれよ!」という電話がひっきりなしにかかっている。兵頭氏が商店街に挨拶にいったら、「議会にいっても変わるなよ」「いろんな議員を見てきた。のまれるな」「これからもここに来て、みんなの話を 下関駅前で兵頭氏の応援演説を行う婦人の弁士
聞くんだぞ」など、辛辣だが、いまからの議会活動に期待と叱咤が寄せられていた。事務所には知らない人から電話がかかってきたり、激励のファックスが届いたりしている。長いあいだ市民運動をやってきたわけだが、今後はもっと前面に立ってやっていかないといけないのだと支持者のなかでは語られている。
  ある市場では、兵頭氏にたいして「お疲れさま」という声と同時に「いまからやね」「しっかり歩いてみんなの生活を知ってほしい」と、おばちゃんたちが語っていた。安岡の商売人の1人は、投票前日に「明日が怖い。みんなの意見はなかなか届かない」といっていたが、上位当選したことと、悪評だった現職の落選を知って「声が届いた」と喜んでいた。候補者の人気投票などではなく、みんなが自分の選挙戦としてたたかっていた。それだけに、とりくんでいる人の熱気がすごかった。
  市役所の職員のなかでも大喜びだった。市議会が変わったと受けとめている。
  江島市政と市民の対決という関係のなかで、兵頭氏に票を入れたかどうかにかかわりなく、市民が勝ったという雰囲気ができている。
  ある学校の教師は、「はじめて民意が反映されましたね」と選挙結果をしげしげとながめていた。江島派の凋落と議会構成に大きな変化をもたらした結末に驚きを隠せない様子だった。また定宗氏や中谷氏の落選にみんなが注目した。小浜ボス支配のレギュラーメンバーで、幅を利かせてきた面面だ。金田氏は名古屋で破廉恥事件を起こして議員辞職勧告を受けてやめずにすんだという経過があるが、選挙でやめるハメになった。「つぎは江島を落とさないといけない」という人もいる。
  ある商店のおじいさんは号外をいつも楽しみに読んでいたが、「江島派の議員がみんな下になった。これは何か変わるかもしれない」と喜んで話していた。その横からお嫁さんが、主人はJRだが、「定宗には入れなくていい」と会社内で大声でいったのだと話していた。

 現職温存作戦崩す 江島批判派が上位・郡部も縛る力発揮
  圧倒的多数の市民が選挙結果に大喜びだ。市民の勝利、人民の勝利という声が多く出されていたが、市政を変えることができるという確信が共通して語られる。「江島市政を打倒して市民の生活を守る」と正面から訴えた兵頭氏が、相当の切り崩しもあったなかで、あれだけの票を集めたということが1番象徴的だ。それと、議会の顔ぶれが変わり、構成が変わったことが喜ばれている。
  江島批判をやった顔ぶれが軒並み上位当選し、議会内で勢力が強いものとなった。兵頭氏が先頭に立ったわけだが、しだいに多くが江島市長批判をはじめた。亀田氏も反江島市長を叫んで個別訪問をやった。新人の香川氏、あるかぽーと反対を表明した新人の安岡氏、市長批判のボルテージを上げた松村氏などはみんな3000票台だった。
 田辺氏も「兵頭氏と同じ市民運動をやってきた」といっていたし、林真一郎氏もあるかぽーと反対で地元自治会の支持を得た。異儀田氏も市外発注、ダンピング入札などに反対する下関の中小業者の支持で当選した。
  郡部ががんばった。議員ゼロ町もでるといわれたが8人当選したことで、旧市側の市民が喜んでいる。それで現職の議席温存作戦を崩して、旧市現職を4人落とし、江島派議員を下位当選で恥かかせたわけだ。郡部では最初、候補者の我欲による乱立で「選挙など誰がいくか」と冷えきっていた。在任特例が適用された2年間、68人もいながら何もやっていないことがみんなの意識に上っていった。
 後半あたりから「我慢ならない」という声が盛り上がっていった。なかには地元の業者から候補が呼びつけられて「おまえは地元を捨てて下関の議員になるのか」と締め上げられてシュンとしていたという話もある。各候補は地元でそうとうに締め上げられた。結果を見ると下がるといわれていた投票率はほとんど下がっていなかった。候補者は我欲抗争でも、みんなが投票に行ったことの意味合いは、放棄するのではなくて「縛り付けよう」の意図が働いたことのあらわれだ。
 そして旧町の投票者数より得票数がどこも多かった。下関側が郡部をゼロ議員にしないという行動をしたわけだ。もちろんそこには、下関側の安倍派、林派、企業がとりこんだという面もあるが、それだけではない。
  地元では「下関ばかりに行って、頭の上がらない議員になっている」「こんな連中が何人当選してもいっしょだ」と批判があった。はじめは各候補が下関ばかりに行っていた。後半戦に入ると、一生懸命に町内を回り始めた。
  4町とも各町の投票者数より地元候補者の得票が上回った。豊浦町は投票総数が1万2419人だが、10人の候補が1万7814票を得た。5395票が町外から、下関から流れたわけだ。豊北は4533票、菊川は471票、豊田は424票を地元投票者数よりも上乗せした。下関の有権者のなかでは、市内の程度の悪い現職を落としたいというのと、郡部がゼロではいけないという世論があった。
 郡部からは予想以上に当選したが、下関に頭があがらない側面があるが、もう1面では地元から見放されたのではやっていけないという、矛盾のなかに置かれている。なんでもかんでも江島市長のいうとおりに地方切り捨てに加担するわけにはいかない関係だ。

 企業動員もきかず 自民・企業代表は後退
  自民党公認は4人落ちたが、無所属看板を掲げた候補をふくめて、旧市で悪評高かった現職がかなり票を落としている。地元でひじょうに嫌われていた。議長候補ともいわれていた中谷氏が1698票で落選、自民党古手の植田氏も下から6番目の2378票、福田氏も下から4番目の2339票しかなかった。
  あるかぽーと開発の強硬推進派である平岡氏や、門出建設委員長は、それぞれ2600票、2700票だった。地元ではかれらの当選に「なぜだ?」と怒っている人が多い。この2人は自民党林派・サンデン企業が小浜議長の代わりとして抱え、それでも危ないというので江島市長も動いたといわれている。それでこの程度の票数であり、本人の実力としては、落選議員の田中、金田氏と同等かそれ以下だったと評価される結果となった。これはとても威張れる数字ではない。それは市民に嫌われる者をむりやり議員にする林芳正派や江島市長のあるかぽーとに対する執念を示すとともに、かれらの恥となった。
  旧同盟系のダラ幹、企業利権代表の議員も凋落だった。砂田氏は三菱だけではなく今度は三井の企業応援を受けて2600票台しかなかった。神戸製鋼利権代表の菅原氏も企業と労組がフル動員をかけたが票を減らした。企業が号令かけたら、余計にでもみんなはいうことを聞かなかったわけだ。
  下関の市議会は、旧同盟系・企業代表が幅をきかせてきた。サンデンの組合分裂の立て役者で議員になり議長になった小浜氏が代表格で、かつては三井の末藤氏などもいて勢力をなしていたが、今回で神鋼と三菱の2人だけとなった。
  ひどいのがJR組だ。江島市長は200億〜300億円をかけてJR駅をいくつもつくる計画だが、その役目を持った定宗氏が1614票で無惨な惨敗。JR西日本本社が直接に号令をかけたといわれたが、現場は逆に相手にしなかった。JR議員は旧郡部をふくめてたくさんいた。3人が落ちて、社民党と「日共」集団の2人だけとなった。革新系の体裁があるから定宗氏のようにあからさまにはJR利権で動き回ることはできない。全逓ダラ幹出身の田中眞治氏などは1390票とさんざんな結果だった。
  安倍事務所の神通力が効かなかったのも特徴だ。郡部では、菊川の佐伯氏を安倍派が支えて当選させたが、同じく支えた豊浦の戸澤氏は落ちた。林事務所にしても安倍事務所にしても地元で嫌われた者を使い勝手がよいとして取り立てるのだ。
  「日共」修正主義集団は旧市内で大幅に得票を減らし、郡部で票を増やした。旧市では、ゴミ袋の値下げは自分がやったようなことをいうなど、他人の運動の便乗商法は、いつものことだ。市民の会の兵頭氏が出たことで、こっちの方がもっと市民的であり、江島市政に批判的であるわけだから、その影響が大きい。郡部では逆に、こっち側の郡部切り捨ての江島市政批判のキャンペーンが、地元をゼロ議員町にしてはならないという世論を発揚したが、それはかれらの票をのばす方に作用した。
  期間中、本紙は選挙模様について「自分宣伝ばかり」とやったが、いろんな候補がゴソゴソと演説をはじめた。下から4番目の当選だった福田氏などは、街頭演説をはじめたのだが、「いったことはやる男です!」「下関ナンバーをつくったのは私です!」「梶栗駅も、私がやりました!」と叫んだので逆に怒りを買っていた。ちょうどそのころ、安岡で事業者は1口1万円、遺族会には「30万円出せ」と梶栗駅建設の寄付金集めがされており、みんながカチンときていた。演説したのはいいことだったが、人が何に怒るかの感覚がずれていたわけだ。市長選の時に、江島市長の背後で万歳している映像を安岡の人はよく見ていて、それも響いたと地元ではいわれていた。
  吉田地区では「兼田のイッちゃんがはじめて車から降りて握手し、お願いしますとやった」と語られていた。威張っていた議員が、そういう態度に出たことをすごく喜こんでいた。

 議会の構図は一変 市民代表の兵頭氏当選・江島批判が増
  今度の選挙で議会の構図が変わったことを市民は喜んでいる。小浜議長がいなくなり、かわりのサンデン林派がおし立てた門出、平岡議員では議会を仕切ることはできない。象徴的なことは「江島市長を打倒して市民の生活を守る」と真正面から訴えた兵頭氏が堂堂と当選したことだ。それだけではなく、全体として江島派が減るか元気をなくし、江島批判派がふえた。あるかぽーと問題は1つの焦点だが、世界に誇る海峡を守る会がやった議員アンケートで、反対を表明した議員が18人当選で、賛成はゼロ、後は沈黙の実質賛成。104人のうち大多数が賛成だった状況からは一変だ。選挙の時だけ方便で反対といったのがいるにしても、市民の側から縛られたことは疑いない。市民が議会の構成を変えるまでの力を発揮した選挙になったわけだ。
  この結果はどうしてできたかということだ。先の市長選で、反江島市長が圧倒的ということは証明された。安倍代理の利権政治で、下関が食い物にされ、つぶされてしまうという世論が広がった。それがこの市議選でもっと強烈に発展したということだ。
  事は市議選だが、市民の側は、人気投票などとは見なしていなかった。ポスターだけ見ても「いい男」気取りの汚い顔と大きな名前がいっぱい貼ってあったし、議員になって何をしたいのかまるでない。選挙カーからも「お願いします」の自分宣伝だけ。市民の意識の大きな変化が起きているのに、各陣営の選挙は時代遅れそのものだった。ノー天気に選挙戦に入ったが、市民の反応が余りにも冷ややかだった。「歌を忘れたカナリア」で「裏のお山に捨てられ」ちゃかなわないという感じになっていった。「票がよめない」と疲れ切った陣営は多かった。そして、江島市長批判の演説をやる者がふえていった。
  選挙戦全般をつうじて、市民の側は江島市政との対決という世論が圧倒していた。江島市政の飼い犬議会になるのか市民の側で働くのか、と迫るものだった。市民は倒産や失業にさらされ、自殺者は10年で600人近くいる。若者には職がなく働く者がまともに食っていけない。年寄りは年金は削られた上に税金も介護保険も高く、医者にも介護にもかかれない。江島市長は大型利権事業ばかりをやって、下関を食いつぶし、市民が生活できないようにしている。おまけに市民に嫌われることをやることが、安倍総理やアメリカによく見られることだと見なしているような有様だ。この怒りが波を打って大きくなり圧倒するものとなっていた。
 江島市長は「争点はなかった」ようなことをいっていたが、江島市政と飼い犬議会を支持するか反対するか、市民の生活を破壊させるか市民の生活を守るかという世論が、ひじょうに鮮明だった。はじめ濃厚だった各陣営のさめたというかなめた姿勢と違って、市民の方は全体として選挙に熱気があった。何かが変わるという期待があった。そして選挙は、江島市政と市民の対立が鮮明になると同時に、市民自身の世論と運動が大規模に起きていったということだ。その上で選挙がたたかわれた関係だ。

 市民が主人公の力示す
  選挙は旧市現職の温存構図で、安倍・林事務所やぶら下がり議員連中からすると低レベル選挙になる計算だった。投票率も下がって、当選ラインは2200票とか、最低ラインは1900票という声まであった。候補者はみんな嫌われているし、低調になるに違いないと見ていた。しかし盛り上がって番狂わせを起こした。みんなが楽しみにする選挙になった。
  この選挙戦では、兵頭陣営が全体を動かす主導的な役割を果たしたことは明らかだ。市役所でも「兵頭が今度の選挙のバロメーターだ」という声もあった。兵頭の宣伝カーが、どこへ行っても相当数の人たちが手を振っていた。だから選挙カーも最後に近づくほど勢いがあった。兵頭票は3000票弱だが、兵頭の主張への支持者はそんな数ではなかった。兵頭の当選を喜んでいる人は3000人というものではない。ほかの江島市長を批判する候補に入れた人も、兵頭支持は圧倒的だった。選挙の票というのは、江島批判の議員が多い方がいいという力が作用したし、各陣営からは「兵頭はトップ当選だから自分に票を」というのもあって、単純な現れではない。この辺は兵頭氏は議員活動をやる上で自信を持ってやっていいということだ。
  江島市長を打倒して市民の生活を守る市民の運動になっていったというのが、この選挙を動かしていった力だったと思う。この間市民運動はそうとうに力を持って市政を動かすようになってきている。ゴミ袋値下げ運動は10万人の署名を集め、「絶対に値下げしない」といっていた江島市長に値下げさせる力になった。教育アンケート署名をやって、学校の給食食器を変えさせる力になった。新博物館計画を阻止し、文化会館問題のおかしな入札を撤回させたし、あるかぽーと計画も廃案に力を発揮した。そのように発展してきた市民の運動が選挙でさらに強いものとしてあらわれたわけだ。選挙は候補者が主人公ではなく、まさに有権者である市民自身が主人公として市政を変える運動となった。それに逆らったものは落選か、下位に甘んじる結果となり、そのような市民の世論にこたえようとするものが優勢となる結果になった。

 全国注目する結果 安倍総理地元の選挙で・反撃ののろし
  それと安倍総理が誕生し半年もたたない地元の選挙で、安倍総理の威光がまるで感じない結果になったというのも、全国的に注目される結果ではないか。安倍総理になびいたものが選挙で勝つのではなく、なびかない方が勝ったわけだ。総理誕生後、勘違い派が暴走をはじめた。それが江島市長の文化会館建て替え事業で、安倍総理の実兄企業への落札強行となったが、それが市民の反撃ののろしとなった。
  その先頭に立ったのが本紙だし、本紙の方向を体現して身を張って街頭での演説を開始し、市民の世論と運動を喚起して、たちまち落札取り下げに追い込んだのが、市民の会の兵頭氏の行動だった。本紙としては号外を五種類、何10万枚を3〜4カ月の期間で配った。市内では大話題になっていった。兵頭氏は街頭で200回を超える演説をくり返した。そこから市民世論が高揚していったのはあきらかだ。他の候補は誰もそんなことはしていない。江島市長打倒は口先ではなく、身体を張った行動としての信頼だった。あるかぽーと問題も、江島市長は「契約をしないから市民が騒ぐ」といって土地売却議案を強行しようとしたが、商店主だけではなく市財政を食いつぶすとして全市民的な世論と運動が強まってこれも廃案。その先頭に立ったのも兵頭氏だった。そういう市民の運動をやり、実際に江島市長をして撤回させていった、口先だけではなく実際の行動に対する支持だった。
  市民運動をやっていけば市政を変えることができるというのは、市民の確信になっていった。議会に市民運動の代表を送りこめば密室政治に風穴が開いて、江島市長や飼い犬議会も悪いことがやりにくくなる。議員を送り込むことで市民が市政の内幕を知るようになれば、市民の運動を強めて市政を変えるもっと大きな力になるというのが確信になっていった。
  江島市長打倒の世論が形成されていった。なめていた議員も告示が近づくと多くの候補が江島批判をはじめるようになった。そうしないと票が集まらない状況になっていった。そこまで押し上げたのは市民の運動と世論だ。
  兵頭氏の主張と行動を支持し共感する市民が、兵頭自身を議会に送り込むために投票したし、兵頭氏以外の江島市長批判派に投票した人の多くも、兵頭の主張を支持している。選挙戦になると、江島市長批判をする陣営のなかで、多くが「兵頭はトップ当選だから自分の方に票を回してくれ」とか、「兵頭は五位で当選だ」とかいって回って、票を奪う動きが顕著にあらわれた。それでも兵頭氏が3000票近い得票をしたことは、すごいことだといえる。
 各陣営のなかでは「オレの支持者を奪った奴め」とか「ゴミの会に協力したのに選挙では協力しなかった」とかの恨みつらみもあった。しかしよく見ると、そういう人人は前回より多くの票を集めている。「兵頭のおかげで危機だ」といっていた松村氏は3000票を超えた。「ゴミ運動に協力した」という異儀田氏も、市外発注反対の業者の支持を得て当選した。林氏もあるかぽーと反対の地元自治会の力によって大幅に得票増となった。江島市長批判を唱えた候補は軒並み票をのばした。
 なぜそうなったかをよく考えるのが政治家だ。「オレががんばった」だけでは説明できない。その意識を越えたところで、市民の江島市長批判の世論と運動が大きな力になっていたからだ。その運動を早くから進めてきた本紙や市民の会・兵頭氏に感謝すべき関係なのだ。それをせまい「自己中」精神から逆恨みするというのでは、失敗の元になるというほかはない。

 市政を変える力発揮へ
  市民は兵頭氏に「わしらのところに常に来い」「議会にのみこまれないようにしろ」といっている。議会というのは買収する仕かけなのだ。「自分からものを見るのではなく、公僕精神をつらぬけ」ともいっている。
  兵頭氏は、小倉哲郎氏の後継だ。小倉さんというのは、風格のある議員と見なされていた。迎合せず、市民とともにという立場に誇りを持っていたし、権威があった。
  みんなは市政を変える確信を持つとともに「いまからだ」といっている。あるかぽーと問題があるが、市庁舎建設、第2関門橋や、そして関門特別市計画も出した。財政破たんをわざとでもさせて、下関を北九州に身売りするというプランまで動いている。江島市長は安倍総理と一緒で戦争好きだから、人工島あたりに米軍でも誘致しかねない勢いだ。市民生活にとって託された仕事はたくさんある。ここで実際に市政を変えていかないといけない。
  ここで、市民運動をもっと強力なものにしていくことが、第1だ。市民運動の代表が議会に入ったことで、市政の内幕を市民が知るようにすることは市政の様相を変えることになる。兵頭氏が、これまでのように市民運動に献身すること、市民各層のなかにどんどん入って、市民の実情と要求を学び、市民の目と耳になり、手や足になって、市政の内実を調べ、研究し解決方向を示していく、ということをやりはじめたなら、相当力を発揮することができる。一般にはない議員の権利があるのだ。「夕張はどうなっているか」など議員の権利で調査に出かけ下関にいかす活動も有利になる。そのような市民運動に根をもった議員活動をすれば、ただの新人ではない力を発揮することになる。

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