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  <狙撃兵>   マイナス割自治からの転換   2009年1月30日付

 下関市長選の告示まであとひと月になった。いち早く安倍派から友田、香川の2氏が名乗りを上げ、自民党は自主投票を発表、江島市長はためらう振りをする。「自主投票」といっても、安倍代議士本人の命運がかかった選挙が迫るなかの市長選で、安倍派が「よきにはからえ」で終わるわけがない。市長は1人なのだから、必ず1人が本命で2人は当て馬と見るのが常識である。
 安倍氏の1の子分の友田氏が出たということで、江島市長から乗り換えたという空気が流れた。そして江島批判が影を潜め、選挙戦は盛り上がらない。これこそ現職江島市長のペースであり、本命だという証しである。
 下関は江島市政の14年で寂れに寂れた。小泉改革でだいぶ相場は変わったが、日本は「3割自治」といわれてきた。税金は国税で7割ほどとり、地方税は3割ほどで、国が地方に予算を配分していうことを聞かせる仕かけだからである。ところが江島市政は率先して地方切り捨てに邁進してきた。地方自治体の利益代表という気はまるでなく、小泉、安倍政府と続く国政の担い手のような気になって、自分の好き放題をしてきた。「ゼロ割自治」どころか、「マイナス割自治」である。侵略者の略奪政治である。
 地元業者には全国先端の電子入札を導入してダンピング入札をやらせ、大型箱物事業は無競争で市外業者に流す。大型店の出店は野放しで地元商店をなぎ倒すにまかせる。産業は寂れ、雇用は縮小するなかで、下関の資金は地元に環流させるのではなく、市外に流して、雇用も市の税収も貧相なものにしてきた。そういう暴走政治の根拠は「安倍事務所から市長にしてもらっているのであって、市民から市長にしてもらっているのではない」というところにある。
 マイナス割自治のところをせめて世間並みの3割自治にするだけで、下関が様変わりとなるのは明らかである。下関市政の自治回復は、市民の自治回復が前提となる。市長選は市民の自治の力を発揮する機会である。市民が主人公だという事実を思い知らせる選挙にするのが、下関を良くするための最大の課題となる。
                                   那須三八郎

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