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  <狙撃兵> 政党や銀行あっての国民か            2010年7月5日付

 参議院選挙が宙に浮いている。国民あっての選挙ではなく、政党あっての選挙であり、国民あっての政治家ではなく、政治家あっての国民というわけである。まるきり転倒している。そしてこの転倒は社会全体に及んでいる。
 アメリカの住宅バブルがはじけたら、アメリカをはじめとする銀行がパンクした。この住宅ローンを証券にして世界中に売りつけていたイカサマ金融がばれた。この30年ほどまえからアメリカは情報通信技術とともに金融で世界を支配する道をすすんできた。銀行は信用が第一といわれてきたが、銀行は信用してはならないチャンピオンとしてあらわれている。カネを中心に動く資本主義全体がマヒするゆえんである。
 このイカサマ詐欺銀行の経営者は年間数十億円の報酬をふところに入れていた。銀行のもうけは金融取引から生まれているのではなく、その源泉は労働者が労働してつくり出す利潤であり、それを金融テクニックで奪いあっているにすぎない。現実の世界は、どこからどう見ても製造企業あり、労働者あっての銀行である。ところが金融資本あっての世界という転倒した関係が支配してきた。
 この金融資本は、世界がどうなろうとも自分がもうければよいというので、金融投機競争を突っ走ってきた。そして政府はこの手先になって、教育や医療、介護、福祉、学問や文化など社会的に保障すべきものを自己責任といって切り捨ててきた。社会があることによって個個人がいるのに、個個人あっての社会という自己中心の転倒が幅をきかせてきた。そして日本社会はつぶれてしまおうとしている。
 財界・企業経営者は国益には関心がない。自分がどうもうけるかしか関心がない。政治家も自分の地位と利権が第一で、万事はアメリカのいうとおりにしたら出世できるというものばかりで、日本をどうするか自分の頭で考えるものは見あたらない。
 国民あっての政治であり、社会があっての個人という、人間の歴史の常識を回復することが国をまともにする道である。その常識を持っているのは労働者である。労働者は自己中心で個人競争するのが本分ではなく、人の役に立ち社会に有用なものをみんなで協力しあって生産している。その考え方でいったら世の中がよくなるのは間違いない。
                                        那須三八郎

 
 

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