トップページへ戻る

記事の一覧へ戻る

             狙撃兵 加害者論の不思議         2002年8月3日付

 広島では「軍都だから原爆を落とされた」「真珠湾攻撃や中国侵略など悪いことをしたから落とされた」ということが、山口県などからみたら不思議なほど浸透している。平和資料館も軍都だったところから展示がはじまり、秋葉市長は原爆で広島をメチャメチャに破壊したアメリカを、戦後復興の世話になったといってニューヨークに「希望のメッセージ」を届けるとかいい、アメリカとの「和解」をとなえている。この二〇〜三〇年ほど、新聞もヤンヤと加害責任への反省をとなえ、「共産党」、社会党をはじめ民主陣営といわれる部分も加害責任を反省することが、学があって進歩的な人間であり、原爆を投下したアメリカの犯罪に怒ることが、なにか下等な人間であるかのような風潮がふりまかれてきた。
 だれもが知っているようにアメリカはいま、核兵器の先制使用を公然と準備し、そのミサイル構想に日本を下請で動員して、アジアと日本を原水爆戦争の火の海に投げこむたくらみをしている。かつての加害責任を反省せよという人人が、かつて侵略をして悪いことをした朝鮮、中国が名指しをされて原水爆戦争の標的になっているのに、アメリカとその尻馬に乗っている日本政府になんの文句もいわずに、「わたしたちは過ちはくり返しません」などといっているのは不思議な光景である。それは反省の気はなく、もういっぺんアジアへの恥ずべき加害者になろうとしているとしかいいようがない。
アメリカは広島、長崎に原爆を投げつけたことを謝罪しないが、そのことが、もういっぺん原爆を使うなどと平気でいうことにつながっている。かつて日本軍国主義がアジア各国を侵略したことは大きな犯罪である。だからその日本に原爆を投下したアメリカはいいことをしたというわけにはいかない。アメリカは、戦後処理におけるソ連の影響をたって、日本を単独で占領し、また連合国を脅しつけ、戦後の世界を支配するという利己的な動機のためにあのような残虐行為を眉根一つ動かさずに実行したのである。それが証拠に、ただちに中国革命に干渉し、朝鮮戦争をひき起こし、ベトナム戦争、中東・湾岸戦争、いまではアフガン戦争と戦争につぐ戦争をくり返して、一〇〇〇万人近い人人を殺してきた。要するに自分が戦争をつづけるために原爆を落としたわけである。
 さらに「かつての侵略への反省」をとなえるものが、現在のアメリカの日本への侵略に反省を求めないのも不思議なことである。原爆を投げつけられた日本が、見るも無惨な植民地従属国になり、またアメリカがアジア、世界を傍若無人に侵略支配していることに反省を求めない。すべての侵略に反省を求めるのでなく、アメリカがやることは侵略であれ人殺しであれ、なにをやっても「正義」というのが、この上品な格好をした加害責任反省論の核心である。このような半端な論は、要するにアメリカにゴマをすることでいいことがあるというのが本音であろう。
 この戦争放火者、殺人狂のアメリカを容認する加害責任論を、平和の看板をかけたところがいうのが今日の悲劇である。「原水爆禁止」をとなえて、アメリカの原水爆戦争を容認する「平和勢力」は戦争協力者といわなければならない。
         那須三八郎

トップページへ戻る

記事の一覧へ戻る