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      狙撃兵   4年後待ちきれずフライング      2016年8月24日付

  リオ五輪のクライマックスで、アベマリアならぬ安倍マリオが土管から出てきて、世界に向かって「僕を見て!」をやったのには絶句した。都市開催の五輪において、開催国や次期開催国の政治指導者が主人公気取りで登場するような場面など見たことがなかったからだ。前回ロンドン五輪で次期開催都市の顔として出てきたのは、ブラジルを代表するサッカー選手のペレだった。さらに思い出してみて、北京五輪やソチ五輪などで胡錦濤やプーチンが出しゃばったか? 否、みなそのような下品な行為には及ばなかった。アスリートを差し置いて政治家が目立つ場面ではないし、主人公が誰なのかをわきまえていれば当然だ。むしろおこがましいし、恥ずべき振る舞いと見なすのが常識だろう。
 ところが世界基準からかけ離れて「僕を見て」の出たがりが堪えきれなかった。演出を担当した電通はじめ周囲のおべんちゃらも大概だ。おそらく気分が満たされているのは本人だけで、オバマ、プーチン、習近平、メルケル等等、各国の政治指導者も含めて世界は失笑しているのである。あの得意満面に赤いボールを抱えて出てきた顔を見て、心の中で「バカ丸出しじゃないか…」と思った人が大半なのではないだろうか。
 舛添要一がどうしてもやりたかった旗振りを小池百合子がやり、それ以上に目立つ格好で安倍マリオがしゃしゃり出て五輪は幕を閉じた。アスリートでもない者が何か勘違いして、四年後の脚光を待ちきれずにフライングをやった。こうした目立ちたい一心で、およそ遠慮とか恥を知らない振る舞いを見て、彼らにとっての日本民族の美徳とはいったい何なのだろうか? と思うのだった。
 例え金メダルでなくとも、努力した選手たちは脚光を浴びて賞賛されればいい。そこに横から割り込んできて、何だか自分まで人気者と思っているところが浅ましく図図しい。世界は裸の王様をどう見なしただろうか。                         吉田充春

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