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      狙撃兵  「不時着」と「墜落」と「堕落」           2016年12月16日付

 朝起きてテレビをつけると、NHKのアナウンサーが「オスプレイ不時着」を伝えていた。ところが次の瞬間目に飛び込んできた映像は、海岸の浅瀬に沈み込んで真っ二つに折れた機体で、どう見ても大破している。不時着? 墜落じゃないか…。忖度(そんたく)報道も酷いもんだ   と思いながら他にチャンネルを変えたがどこも同じ。新聞各紙もみな「不時着」で統一していた。
 現場をその目で見た記者たちは「墜落です」とあるがままを支局長に伝えたはずだ。ところが記事やニュースとして発表される段になると、過度な忖度や統制に自己検閲までが加わって「不時着」に衣替えする。支局長、デスク、編集長、整理記者など各紙で相当数が判断に関与しているはずなのに、すべてが「不時着」で統一しているというのは、どこからか統制する力が働き、示し合わせた以外には考えられないものとなった。
 後から「墜落じゃないか!」と批判されることはわかっていながら自爆報道に徹するメディア。米軍やアメリカの機嫌を損ねてはならないという意識が勝り、真実をねじ曲げていく力に平然と屈服していく姿だけを印象付けた。そうやって右向け右で伝聞するだけなら、高給とりの記者たちを各社が全国津津浦浦に抱えるまでもなく、大本営一本に絞った一紙で事足りる。
 その後、沖縄県の安慶田副知事が在沖米軍トップのニコルソン4軍調整官と会談したところ、「パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。むしろ感謝されるべきだ」とのべ、テーブルを叩いて不満を示したことも明らかになった。この傲慢な占領者意識を助長させるようなへっぴり腰ではどうにもならない。テーブル叩いて居直る者をぶっ叩くのが報道の使命であり、社会の木鐸としての責務なはずだ。白白しい嘘やずるい黙殺、問題のすり替えに汲汲として生命力を失っていくのと並行して、新聞紙面は今や広告だらけである。そして「墜落」すら書けない。権力に少し凄まれたくらいで引き下がるような腰砕けでは、真理真実など貫けない。堕落していたのではなおさらだ。                              武蔵坊五郎

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