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     狙撃兵  漢字が読めない…          201729日付

 社会人にとって、一般常識として知っておかなければならない漢字が読めない、書けない、あるいは意味を知らない、字が汚いというのは決して威張れるものではない。場合によっては育ちを疑われることすらある。成長過程やそれまでの人生において、本人が如何に努力を怠ってきたかを映し出しているからだ。ところが世の中の一部には、漢字が読めないことについて恥ずかしいという自覚がないばかりか、「この漢字が読めない!」と他人に向かって怒る人種もいるから驚く。そんなものは他人がどうこうできるものではない。本人が学習を重ねるなり、積極的に書物に触れて理解する以外に解決の道などない。恥を忍んでコッソリと辞書を調べ、一歩ずつ賢くなれば良いだけなのに、どうしてわからない自分を棚に上げて怒るのだろうか? そうやって人間としての向上を放棄するから、いつまでたっても漢字が読めないのではないか? と思うのだった。というより、私たちの周囲でも漢字すら読めない者が「世の中を変える」などと勇ましいことを口にする分については、ちょっと世間に対しておこがましいので、「まずあなたは漢字ドリルをした方がいいのではないか」と指摘しなければならないと思う。
 ところで、国会でも漢字が読めない大臣がいて世間が呆れている。「便宜を図る」が読めずに何度も「びんせんを図る」と文科副大臣が答弁し、総理大臣は「腹心の友」を「ばくしんの友」といい、「云々」を「でんでん」と読む。読み間違いを嘲笑するつもりはない。しかし、ここからわかるのは、それらの言葉に触れていない育ちや周囲の環境だ。また、そんな者が「美しい国」「日本の伝統」を口にしていることへの驚きでもある。「日本を取り戻す前に日本語を取り戻せ」という指摘は正鵠を得ていると思う。仮に文章を書いた官僚に「云々が読めないじゃないか!」「なぜ便宜にふりがなをふらなかったのか!」「恥をかかせやがって!」等等と叱っていたなら本末転倒で、恨むべきは己自身の育ちや努力不足であろう。
 日本の識字率は99%といわれている。殆どの人口が文字を読み書きできる。世界でもっとも識字率の低い南スーダンの27%と比べても、いかに文字を通じて学べる贅沢な環境であるかがわかる。その恵まれた環境のなかで、学ぶことを放棄してしまってはもったいない。知識は読書量に裏付けされるともいう。わからないことをわかるように努力する過程を省いて知を育むことなどできないし、サボっていては成長などない。豊かさに胡座をかいて脳味噌の貧困化が進行していないか? 先人たちが貪欲に吸収していったのと比較して、現代の方が意欲性を失って退化していないか? と「読めない漢字」から思うのだった。人間にとって恵まれすぎる環境は怠け者を作り出して良くないのかも知れない。            武蔵坊五郎

 

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