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      狙撃兵  屈服する必要などない判決   2016年9月19日付

 辺野古への米軍基地建設を巡って、埋立承認を取り消した翁長知事が処分を撤回しないのは違法だとして国が沖縄県を訴えた裁判で福岡高裁那覇支部が全面的に国の主張におもねる判決を下した。「海兵隊を県外に移転させることはできない。従って県内に代替施設が必要で、それは辺野古以外にはない」「普天間飛行場の被害を除去するには埋め立てを行うしかない」等等、裁判官が勝手に海兵隊の運用場所を決め、さらに政治判断まで下して沖縄県の主張をことごとく退けた。この裁判官はいったい何者だろうかと思わせるものとなった。仮に那覇支部で第2、第3の裁判があるなら、のっけから裁判官忌避を申し立てて適格性を問うところから始めるべきだ。裁判官1人の判断によって沖縄全島の命運が決定づけられ、それで米軍基地がいざミサイル攻撃の標的にされたらいったい誰が責任を負うのか? 裁判官が将来的な結末まで責任を負わないことは明らかで、「○○裁判官が決めたから仕方がない…」と受け入れなければならないような代物ではない。
 「国の判断に地方は従え」といい、統治機構に逆らうのはけしからん! といって裁判所がめくら判を押すだけなら、三権分立など誰も信用しない。最近でこそ福井地裁の再稼働差し止め判決のようなものが出てきて少しは期待する向きもあったが、国策に対して不利な判決を下すことはきわめて異例だ。こうした構造にあって、沖縄にしても、原発その他の問題にしても、裁判斗争のみに過剰な期待を抱いて、裏切られる度に「何をやってもダメなんだ…」とうちひしがれ、運命を委ねていった先には敗北しかない。必ずしも正義が勝つわけではない世の中である以上、徹底的に大衆的世論を喚起し、下から運動をより強力なものにして対抗すること、司法判断も含めて揺り動かすような力を示すことによってしか打開の道筋はない。
 「法治国家」といいながら、いまや権力者が法律の根幹とされる憲法解釈まで勝手にねじ曲げていく世の中になった。支配の側がみずから法治を歪めているのに、国民や地方政治にはそれに従えという。支配の道具としての「法治」の二重基準を暴露している。  武蔵坊五郎

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