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     狙撃兵   文科省は不当な支配に服すな    2017年5月26日付

 加計学園をめぐる問題はついに文科省の前次官が名乗りを上げ、「首相のご意向」と記した文書の存在を暴露する事態に発展した。官邸は「怪文書のようなもの」と切り捨て、文科省は文書の存在について「確認できなかった…」と曖昧な表現にとどめていたが、当事者である文科省の前トップが実名と顔をさらしたうえで、官邸からの圧力に屈したことへの懺悔とともに「元公僕として、この文書をなかったことにはできない」「行政が歪められた」と証言し、あわよくば逃げ切ろうとしていた権力の首根っこをつかんで引きずり戻した。それは、霞ヶ関は財務省の佐川理財局長のような忖度官僚ばかりなのかと幻滅していた世間に対して、公僕としての矜持を持っている者もいることを教えた。この文科省官僚の有志たちが発信するブログ『奇兵隊 前へ!』の奇兵隊が何を意味するのかはわからないが、この際、官僚たちはつまらない忖度などやめて、草莽崛起(そうもうくっき)して後に続け! と思う。
 当事者が腹をくくって暴露するという行為は重い意味を持つ。これが顔の見えないずるい内部告発やタレコミの類いであれば、信憑性に欠ける「怪文書」で片付けることもできるが、相手が次官では逃げ場はない。問題になってきた森友学園にしても加計学園にしても、みな“教育”を騙るものの周囲で政治とカネをめぐる薄汚い疑惑が浮上している以上、文科省としてもどのような振る舞いをしてきたのか、その懺悔の内容はもっと豊かで具体性をともなったものとして検証されなければならない。また、首相及び官邸がどのような圧力をかけたのか白日の下にさらさなければならない。
 旧教育基本法では「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と明記していた。その文言を第一次安倍政府が取り除いて10年以上が経過した今日、教育行政を司る文科省自身が不当な支配に服し、国民全体に責任を負うのではなく、森友とか加計のようなアベ友に責任を負わされるというデタラメな関係を暴露している。
 あまりにもまともでない腐敗権力に対してそれを律する力が問われている。モリ、カケときて2ストライクに追い込まれながら、なおも安倍政府の粘り腰は続いている。彼らはバッターアウトを宣告されても総辞職することなく、解釈変更で「4ストライクまで良し」とかいい出しそうである。潔く非を認めるような相手でない以上、国民的な力で引きずり降ろさなければ腐敗権力の暴走は続く。
                                     吉田充春

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