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  <狙撃兵>   政治不信、メディア不信の圧勝     2005年9月17日付

 衆議院選挙で自民党・与党が3分の2の絶対多数議席を獲得した。得票率は全有権者の25%しかないのに、国会を乗っとるほどの議席を得たというのは小選挙区制の大インチキである。なるほどこれは、小泉自民党の独裁体制であり、専制政治への傾斜をものがたっている。しかし小泉の顔色はさえない。なにかを脅えたふうなのはなぜなのか。
 国会をひとりじめにしたら国政は好き勝手に動かせるというものではない。自民党選挙は外資や大企業、メディアなどの背後勢力にかかえられて、当の自民党の側はわけがわからないうちに「圧勝」した。だが国政をめぐるほんとうの政治は、自民党を操っている背後勢力と大多数の国民大衆との関係で動いているのであって、国会のなかだけで動いているのではない。
 翼賛議会と強権政治というものは、今回はじめてあらわれたというものではなく、元からそうであった。この小泉の4年間を見ても、イラク特措法や自衛隊のイラク派遣とか、一連の有事法とか、市町村合併とか、戦後の常識を覆すことが、国会ではほとんど無抵抗でパスしてきた。今回「ほとんど無抵抗」では満足できず、「もっと無抵抗」状態にしたかったわけである。
 今回の選挙は人人をたいへん教育した。選挙というものは主権者である国民からとりあげられてしまったことを痛感した。また国会議員というものは、国民の代表という実感は消え、上の方から任命されたイエスマンぞろいになった。とりわけ、まるで競馬中継のように世論調査発表を連続するなど選挙全体を操作し、露骨かつ巧妙に小泉応援をやった大新聞やテレビというものが、公正中立などというものではなく、一党一派に偏したものであり、うかつに信用するのは危険であること、などを強く印象づけるところとなった。選挙は「自民党圧勝」だが、国民大衆のなかでは選挙不信、国会不信、政治不信、メディア不信が圧勝した結果となった。これは悪いことではない。
 選挙は国会やメディアに頼って社会がよくなると信じてきた人人には気持ちが落ちこむ結果となった。しかし下下の方はこれに黙っておく必要はない。下から国民大衆がおおいに発言し、行動するのにはいいチャンスとなった。
 下関の婦人たちは「小泉は江島市長とそっくりだね」とか、「国会も下関市議会と同じレベルだね」と語っている。「清潔で人気者の次期総理候補」とメディアに持ち上げられる安倍代議士が丸抱えしてきた江島市政は、イエスマン議会に乗っかって、小さな談合を排除して大きな官製談合に構造改革するなど、好き放題の市政をやってきた。しかし市民の運動の力で、ゴミ袋の値下げに応じ、給食食器のやりかえに応じ、今度は新博物館も否決した。いくら翼賛議会をそろえても、大衆の運動が市政を動かすのである。権力者が国会をひとりじめにしようとどうしようと、国民大衆がものをいい行動することが国政を動かす最大の力である。
                                            那須三八郎

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