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      狙撃兵  尊敬できない博士や大臣  2016年2月17日付

 「末は博士か大臣か」と大人たちが子どもの未来に夢を思い描いたのは遠い昔の話で、最近は素直に使えないというか、疑問符がつくようになった。STAP細胞をはじめとして博士とか学者の世界では捏造論文が取り沙汰されたり、原発事故が起きれば御用学者が平然と嘘を垂れ流す姿を見せつけ、大臣は「歯舞」が読めない者が北方領土の担当大臣をやり、ヤクザの口利きをして国家財政にたかっている者までいる。その度に「あんな人間にはならないように!」といい聞かせなければならない有り様だ。現代版「末は○○か○○か」の空欄に当てはまる立派な人間像は、何が妥当なのだろうか…。
 「新聞に載るような(立派な)人間になりなさい」の教えも、いつの間にか「新聞に載るような人間(犯罪者)にだけはならないように!」へと変化して久しい。不倫議員の宮崎某など最たるもので、連日テレビに取り上げられ、新聞にもデカデカと掲載され、街で見かけたら「あっ、不倫議員だ」と思ってしまいそうだ。ニュースで辞職会見を見て不思議だったのは、恥ずかしくていたたまれないという雰囲気がなく、むしろ自己陶酔しているように見えたことだ。世間は最低の男として蔑視しているのに、「議員辞職する潔いオレ」に酔っているのだとすれば、もうつける薬などない。不倫の最中に生まれた子どもにとって、拭い去りがたい出生の記憶、父の記憶になることだけが不憫に感じる。
 あと、「あんな大人になってはいけません!」で忘れてはならないのが甘利明。不倫議員の陰に隠れてジッと息を潜め、すっかり表舞台から姿をくらました。記憶を呼び覚ますのに1週間かかったと思ったら、今度は睡眠障害のため1カ月の自宅療養が必要と診断されたとかで国会もさぼって仮病で逃げ回っている。陸山会事件(小沢一郎)であれほどはしゃいでいた東京地検特捜部も甘利については追及が甘く、薄汚れた「大人の事情」ばかりが跋扈する。不倫で議員辞職するのと比較しても、ヤクザの口利きで国家財政にたかった罪はより重罪だろう。好きなだけ育休の時間を得た宮崎某とは訳が違う。「議員辞職してから好きなだけ睡眠障害を治せばよい」ではなく、豚箱のなかで睡眠させるのが筋だと思う。
 末は博士でなくても大臣でなくてもよい。人を欺いたり、迷惑をかける生き方だけはするな、他人を思いやれる人間になれ、くらいが現代版にはちょうど良いのかも知れない。職種ではない。                                         吉田充春

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