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     狙撃兵  取り締まられるべきは誰か          2017年6月9日付

  最近のテレビは昼も夜も警察モノのドラマで溢れ、公安や捜査一課、所轄などの関係も絡めながら、事件を解決していくヒーローたちの作り話を垂れ流している。月9に代表されるような若い男女の恋愛を描いたドラマや子役を配置した家族ドラマに比べて、こうした警察モノの割合は全体でも群を抜いている。正義のヒーローたる警察が社会の安寧のために犯罪者をとり締まっているのだというイメージを刷り込みたいのだろう。そしてドラマの終わりに必ず「このドラマはフィクション(作り話)です。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません」のテロップが流れる。仮にノンフィクション(事実に基づいた創作)をやったらどうなるのかといつも思う。
 福岡県小郡市で子ども2人と母親の1家3人が殺害された事件は、父親である現職警官が逮捕されて世間を驚かせた。ところが、「警官が家族を殺す」という事実が特殊に思えない。日頃から一般人を取り締まってばかりいる側が、最近は痴漢や盗撮、窃盗、落とし物の横領など見境なく犯罪行為を引き起こして世間をアッといわせ、終いには家族殺しまで手を染める者があらわれた。平然と犯罪行為の境界線を乗り越えていく彼らの精神世界とはいったいどうなっているのだろうかと思うほど、普遍的に規範が崩壊し荒廃しきっている。広島中央署の金庫から8500万円が盗まれた問題も、内部の犯行がわかりきっているのに早くも迷宮入りの雰囲気が漂っている始末で、腐敗を正すつもりなどないことを自己暴露している。首相に近いジャーナリストの準強姦事件の隠滅疑惑もしかり。しかし、これらがノンフィクション仕立てのドラマにされることはない。現実を歪め欺瞞するのも大概にしなければならないと思う。
 警察組織の腐敗・堕落・荒廃は、その雇い主である統治機構からして腐りきっていることと切り離して考えることはできない。上が上なら下も下で、国家の私物化やお友達への便宜供与がまかり通る社会において、建前上も規範など吹っ飛び、黒が白へとどうにでも塗り替えられていく。逆に権力機構は共謀罪によって、白を黒に塗り替えることもできるという主客転倒した法整備を進めている。取り締まられるべきは誰か、共謀罪の前に問うべき問題がある。
                                             吉田充春
 

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