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祖父母の願いにこたえる
人民教育全国集会
               教師の指導性が要    2005年8月23日付

 「戦争のない平和な社会をめざして、子ども、父母、教師の力を大結集しよう」のスローガンのもと「平和の担い手を育てる子ども、父母、教師のつどい」が同実行委員会によって21日、下関市民会館中ホールで開催された。小中高生平和の会の子どもたち、父母、教師、被爆者や戦争体験者、また広島の被爆者をはじめ大牟田や佐賀県、鳥取県などから、のべ400人が参加しておこなわれた。

 民族の子として育てる
 はじめに実行委員長の黒川謙治氏がつぎのようにあいさつした。
 今年のつどいは全国的に組織された実行委員会の主催で開催され、60年をへて日本を戦場にした原水爆戦争の危険がただようなかで、なぜ日本社会はこんな荒れはてた社会になったのか、なぜ子どもが荒れるのか、どう打開するのかの問題について、諸悪の根源は原爆投下からはじまる戦後一貫したアメリカ支配にあるという論議が発展した。にせ民主主義を持ちこみ日本民族の背骨をおり、誇りを失わせ自分の思い第一、金さえあればなんでもできるという考え方、アメリカ式生活様式がふりまかれて、教育でも戦後のアメリカ型教育で個性重視、興味関心第一の自由放任の教育として、子どもたちに低学力を押しつけ、自己中心で他人を殺傷しても痛みがない子どもたちを生み出し、凶悪な青少年犯罪を生み出すなど破産している。
 それにたいして、戦争体験者や被爆者が子どもたちをふたたび戦争の肉弾にしてはならないと、凄惨な体験と戦後平和で豊かな日本をつくるための努力、そのなかでつちかわれたモラルを子どもたちに伝え、日本人民の後継者を育てる運動が発展し、子どもたちはこのような社会から解放を求め、被爆者や戦争体験者のなかに発展的なものを感じ、これを受けついでたくましく成長している。
 このような教育運動を発展させるために教育改革は日米支配階級の戦争政治の一環であること、教育運動を戦争反対のたたかいの一環としてたたかうこと、統一戦線を強化することが重要な課題となっていることをのべ「日本人民の後継者として育てる教育運動を全県、全国へと広げていきましょう」としめくくった。
 つぎに事務局長の今田一恵氏より基調報告が提案された。
 「T、なぜ子どもたちは荒れるのか」の柱で、子どもたちが生まれ育っている社会はアメリカのグローバル化によって弱肉強食の社会にされ、テレビや雑誌、ネットなど植民地的退廃文化がふりまかれ、子どもたちの価値観や感性に深刻な影響を与えていること、同時に政府・文部科学省による「教育改革」が教育に競争原理を導入し能力主義教育へと転換するものであり、「個性重視」「興味・関心第一」の新学力観、「子どもの人権、自主性尊重」といって教師の指導性を否定し、子どもの自分勝手をあおり、学校の教育機能を崩壊させ、学校が教育の場ではなくなってきていることを明らかにした。
 「U、腐敗に打ち勝つたくましい子どもをどう育てるか」の柱で、教師の役割について。教師への抑圧が強まるなかで、「しかたがない」とあきらめたり、学校の枠内にとじこもるのでなく、「教え子をふたたび戦場に送るな」を第一義にかかげ、父母、地域のなかに入り、働く親たち、戦争を経験し平和な社会のためにがんばってきた祖父母世代のなかにある発展的なものに学び、学校を魂にふれる教育の場にするために、教師の使命感をふるいたたせること、教師が団結して、子どもを戦争の肉弾にする攻撃とたたかい、平和の担い手を育てる教育を全校でおしすすめることを呼びかけた。
   
 小中高生平和の会 元気よく構成詩
 つづいてこの間、被爆者や戦争体験者に学んでたくましく成長してきた小中高生平和の会の小中高生による構成詩の発表に移った。はじめに日本の歌「もみじ」「みかんの花咲く丘」「荒城の月」を心をこめてうたった。そして高校生リーダーが、今年の第6回広島に学ぶ小中高生平和の旅は、小中高生、大学生91人、父母、教師など大人44人、合計135人の参加で大成功したこと、8月5日には17人の被爆者の方から体験を学び、「今年は例年にも増して被爆者の方が自分たちの使命として体験を少しでも多くの人に伝えていこうという決意と、体験を受けつぎ戦争のない平和な世の中にしてほしいという思いをこめ、優しくわかりやすく語ってくださり」、小中高生は一生懸命学んだとのべた。峠三吉の詩「序」を群読し、被爆体験を聞いた感想文を3人の小学生が発表した。
 「西さんの話を聞きました。原爆の話を聞いて、原爆で死んだ人はとてもかわいそうだと思います。西さんは三菱の造船所で働いていたそうです。8月6日は舟をつくる材料がないので休んでいたそうです。そしていきなり、ピカッというものすごい光が見えたそうです。家にもどるとお母さんに“よく帰ってきたね”とほめられるようにいわれたそうです。16歳で被爆したのでむりもないと思いました。また会えたら話を聞きたいと思います」(小5男子)。
 また8月6日はデモ行進で峠三吉の詩「8月6日」を群読しながら、みんなで最後までがんばりぬき達成感があったことをのべ、その後旅の感想や、平和の旅をとりくむために署名カンパ活動をおこなった感想を発表した。「ぼくたちは小倉駅でカンパ活動をしました。多くの人がカンパをしてくれました。入れてくれた人は“きついけど最後までがんばって広島で勉強しておいで”といってくれました。いっぱいお金が集まって広島に行けてうれしかったです」(小5男子)。
 最後に毎月の平和教室の活動を紹介した。今回で三四回目の平和教室となること、これまで原爆展全国キャラバン隊の人から「沖縄戦の真実」を学んだり、下関のゴミ袋を値下げさせる会でがんばっている母親に話を聞いたり、角島に行き漁師の生活などを学ぶ活動をして、「もっととりくみを広げていきたい」と、それぞれの平和教室での感想文を、6人の子どもたちが発表した。最後に「青い空は」を元気に合唱。はつらつとした小中高生の発表に会場から大きな拍手が送られた。
 つづいて劇団はぐるま座による詩人・礒永秀雄の童話劇『天狗の火あぶり』が上演された。村人を襲うといわれ、いつも苦しみをもたらす悪者とされてきた天狗が、いよいよ火あぶりとなるとき、高笑いをしながら、村人たちを苦しめているほんとうの悪者、庄屋をあばいていく痛快な物語である。子どもたちをはじめ参加者は、熱のこもった演技に引きこまれ、ときには歓声が上がり、会場全体が盛り上がっていった。
   
 戦争体験者や現役父母 教育運動に期待
 つどいの後半は意見発表に移った。下関原爆被害者の会の佐野喜久江氏は、広島で被爆し生まれて53日目の子ども、3歳の男の子、5歳の娘がいたが、原爆で5歳の娘と父親、姑を亡くしたことを語り、これまで小学校などで体験を語ってきたが一生懸命聞いてくれ、「子どもたちから送られてきた感想文はわたしの宝物です」と語った。また戦後60年目の今年、はじめておこなわれた長崎原爆展についてふれ、やっとのことで長崎で原爆展が開催できたと喜びを語り「広島、長崎と手をとりあって、平和な日本にしていくために、これからも語りついでがんばっていきたい」とのべた。
 つぎに広島からかけつけた原爆展を成功させる会の山本正子氏が発言。爆心地に近い十日市町で生まれ育ち、被爆当時は疎開していたが、自宅で被爆した母親は焼け死に、父親も疎開先まで来たが2間生きて体に赤い斑点ができ、19日に亡くなり自分の手で父親を焼いたという。父や母への恩返しと思って広島の会に入って活動していること、「今年は戦後60年、なにか残ることをしたい」と広島で積極的に小学校にアタックして井口台小や五日市小学校の子どもたちや、修学旅行に来た子どもたちにも体験を語ってきて、手紙がきたり学んだことを下級生に伝える活動をしていることを知りとてもうれしいと語った。そして「このような活動をする教育者がたくさんいてほしい」と期待をこめた。
 戦時中は満州や朝鮮で兵隊として働き、戦後はウズベキスタンで3年間捕虜生活を送ってきたという下関在住の三輪貞夫氏は、「平和の会の子どもたちを見て頼もしいと思った。このような結びの会を催すことはありがたい」とのべ、戦争のない平和な社会を築くために若い人とがんばっていきたいと語った。
 つぎに現役世代から母親と教師の発言がつづいた。山口市の母親の藤井夏子氏は、低年齢化する子どもの犯罪、いじめ、戦争、テロ、そんな社会のなかにわが子の背中を押すような親の気持ちは不安いっぱいであり、親としてなにをすべきか手探りのなか「第33回平和教室」「平和の旅」に参加し、感じたことをのべた。
 子どもたちが班をつくり自主的に役割を決め大きな声で「平和の旅」にむけての署名カンパを訴えていたこと、「平和の会」のめあてにある「大きい子は小さい子の世話をよくみよう」「小さい子は大きい子の言うことをよく聞こう」という言葉どおり、大きい子が面倒を見て、小さい子もちゃんと聞く姿を見、おとなしく人見知りをする娘が自分からみんなの輪の中に入っていったことなどが驚きだったと語った。
 また「広島に学ぶ平和の旅」では、集団生活のなかで被爆者の体験を聞き、人の痛みを知ることのできる子に、命をたいせつにできる子になってほしいと願い娘を参加させたこと、「2日目にわたしは広島につき、大勢の人たちの前で子どもたちの構成詩、歌声、被爆者の方のお話を聞いた感想を発表する姿を見て、母親だけでは与えることのできない心の成長、よろこび、悲しみ、憤りをそれぞれがしっかりとつかんでいると思った」と子どもたちの成長へ喜びを語った。またデモ行進も峠三吉の詩を群読しながら、「娘のことを励ますようになにもいわず最後までうちわであおぎつづけてくれた班の男の子」のこと、旅の別れでは仲間と握手して「また会おうね」と約束をし、「目から勝手に涙が出る」と娘がいっていたことを語り、「人と助けあうこと、仲よくすること、努力することを全身で学び、平和の担い手として力強く成長してほしい。わたしもみなさんといっしょに、そのような子どもたちを育てる運動に参加して、先生や子どもたちにたいせつなことを教えてもらいながらがんばりたい」と決意をのべた。
   
 校区で運動起こす 教師から決意
 北九州の小学校教師の肥後容子氏は、子どもたちが平和の旅に自分たちの意志を固めて意欲を持って参加し、小倉駅でも街頭宣伝をやり、その姿に教師が感動し母親たちも広島で被爆体験を学ぶことをとても喜び、「旅のなかでしっかりしてきた」とのべ、また「子どもたちの成長を親も教師も願っているのに、学校、家庭でなかなか思うようにいかない実際がある」とのべた。
 現在文科省による「教育改革」がおしすすめられ、子どもたちは毎日競争させられ、総合学習では英語やパソコンが押しつけられ、教育内容が3割削減され、じっくり考えたり、豊かに感じとらせたりする活動ができなくさせられている現状、また「教員評価制度」が押しつけられ、教師自身が競争させられ、子どもの変化や成長に目がむかないようにさせられて、「教師の怒りは強くうずまいている」なかで、上から押しつけてきた研修を職場の教師が団結してはね返した経験をのべた。
 強引に研修が押しつけられたとき、「なにもいわないままではいけない」と思いきって声を上げ、「子どもたちの成長にとってどうなのか」「子どものほんとうの力を引き出すために、子ども、家庭との信頼関係を築き、子どもたちは仲間づくりをするなかで、学力をつけていくはずだ」という意見がつぎつぎと出された。「教育改革」は教師、父母が願っている心豊かな子どもを育てるものではないこと、「学校が魂にふれる教育の場、真実を貫くことのできる場にするために教師集団の団結が不可欠だ」とのべた。
 防府市の小学校教師、谷村芳宏氏は、この間地域ですすめてきた懇談会で地域の被爆者、戦争体験者のいまのデタラメな社会、教育への切実な思いから、「アメリカナイズの骨ぬきの根なし草は自分のことではないか。自分を問われた気がした。頭ではわかっていたつもりだが、ほんとうに魂にしみこんでいたのかどうか。学校にとじこもっているのではなく、地域へ出かけ、もっとお話を聞かせてもらいつねに自分自身をきたえつづけていきたいと思った」「教師はだれでも子どものためになると確信したら大きな力を発揮する。“自分のため”を脱却し、人人がなにを解決しようとしているのか、なにをうち破りたいと考えているのかつかみ“人人のため”に徹底的に奉仕する教師集団をつくることは、子どもたちをアメリカの起こす戦争に送らないために、なにをおいても成し遂げなければならない課題だと思う」と語り、自分の学校・校区から強固な教師集団をつくり発展させていく決意をのべた。
 会場からの発言では、広島の被爆者真木淳治氏が広島市民原爆展の成功をのべ、「広島の会会員が多くの人に体験を語り、昨年以上に若い方も多く、内容の濃い原爆展となった」こと、長崎も広島も被爆者の思いは同じであり今後も活動をつづけていく決意をのべた。大牟田市から参加した退職教師は、八月六日に集会に参加したこと、「戦後60年たってまた新しい力が生まれてきているのではないか」と語った。佐賀県唐津市で読み聞かせ活動をしている婦人は、「天狗の火あぶり」の演劇へ感動をのべ地元でも11月に予定していることを紹介した。
 最後に平和の旅に参加した宇部の小学校の教師が感想をのべ「平和は待っていてもこない。一教師として6年生の子どもたちに広島で学んだことを伝えたい」と語った。

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