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「平和教室」、「平和の旅」運動へ

小中高生平和の会「平和教室」開催
熱帯びる戦争体験者の話
映画「きけわだつみの声」鑑賞 実感強め平和を誓う
                         2002年5月30日付


 5月最後の土曜日となった25日、小中高生平和の会(代表/今田一恵・中高生代表/本田多恵)は第5回平和教室を開いた。今回は1950年制作の映画『きけ、わだつみの声』を映画の舞台であるインパール作戦を実際に体験した久芳木陽子氏(88歳)といっしょに見、午後からは班に分かれて久芳氏をふくむ3人の戦争体験者に話を聞いた。有事法制の問題もあるなかで、戦争体験者からこれまで以上に小中高生にたいする期待が語られ、深い内容の平和教室になった。昨年8月の広島に学ぶ小・中・高生平和の旅以後、平和の会の活動に参加した小・中・高生はのべ120人、下関の戦争体験者、被爆者40人に体験を学んだことになる。今回は北九州からも参加し、新しいメンバー13人が加わった。
 はじめに代表の本田多恵さんが「テストや修学旅行で今回はこれなかった人もいるけど、きょうは貴重な体験を聞くのでこれなかった人のぶんも一生懸命聞きましょう」とあいさつした。そのあとひとりひとり自己紹介をし、久芳さんが紹介され、『きけ、わだつみの声』上映に移った。
 映画は小学生にとっては少し理解しにくいところがあったようだが、病気でジャングルのなかにとり残された兵隊たちが、手榴弾でつぎつぎに死んでいく場面、戦斗で兵隊たちが大砲に撃たれて全滅していくリアルな映像は、戦争とはこういうものなのかとひじょうに衝撃を受けていた。
 このビデオを見て、「だれが戦争をはじめたのか、と思った」(小学6年女子)「負傷兵に手紙が届いたときに、その兵隊はもう死んでいるのに、戦友が遺体にむかって涙を流しながら手紙を読んであげているところが印象に残りました。死んでしまった人の無念さをともに苦労してきた戦友が、いちばん知っていると思いました」(中学3年男子)と感想を残している。
 ビデオを見終わり、久芳さんがみんなの前に座って「わたしは来月88歳になります。みなさんにほんとうのことを聞いてもらいたいと思ってやって来ました」「いまの映画はよくできているし、わたしも経験しているので目頭が熱くなった。実際はもっとひどかった」と語った。当時手榴弾が1人1個なんかぜいたくなほうで死にたいものが4、5人集まって1個の手榴弾で死んでいったこと、ジャングルのなかでマラリア、アメーバ赤痢などで何百人も死んでいきその兵隊のはらわたが獣に食べられている場面、そして人を助ける衛生兵が力つきて動けなくなった兵隊に「楽にしてやろう」といってピンクの注射液の入った注射を打って4、5秒もせぬうちにその兵隊が死んだこと、そういう場面を見てきて自分は絶対死なない、ジャングルのなかで死んだら日本男子としての名誉もなにもないと、気力で生と死の境をさまよいながら、生きぬいてきたことをたんたんと語った。

 皆の力で戦争なくそう

 昼食をはさんで午後からは約12人ずつの3班に分かれて、体験を学んだ。班のなかの高校生は下の子に気を配りながら、朝の自己紹介では初参加で恥ずかしがっていた子もすっかりとけこんでいった。
 1班はひきつづき久芳さんに体験を聞いた。久芳さんは自分の体験をぜひ子どもたちに伝えておきたいという強い気持ちから、はじめて体験を語った。「自分の戦友はもうみんな死んでしまっていない」というように貴重な体験である。小・中・高生それに教師が久芳さんを囲むように座り、身ぶり手ぶりで一生懸命語る6年4カ月間の戦場での経験を真剣に聞き入った。食糧がまったくなかったこと、自分も左足をけがしていたから1度手榴弾で死のうとしたことなど1つ1つ思い出しながらていねいに語ってくれた。
 また、「きょうわたしの話を聞いて、平和をどう守るかを若い人が考えていってほしい。そのために来た。有事法をとおすとかとおさない以上に、国民が日本の平和を守るために努力してほしい。平和平和ばっかりいっていてはだめで民衆が戦争反対を叫ばないとだめだ。わたしたちの時代は、それをいうと非国民といわれていたが、いまからは声高高にいわないと」と戦争体験者が共通して語る思い、若い人にたいする期待を強く訴えたことが、聞く側の心に響いてきた。
 自分のクラスの生徒を連れてきた教師は「久芳さんのような生と死の境を気力で生きてきた、そういう強い子どもを育てていきたい」、もう1人の教師は「教師という仕事だからきょう聞いたことを子どもたちや親に話したい」と語っている。子どもたちも「戦争にただ反対するというのではなくてそれをなくすための努力を友だちとかみんなでやっていこうと思いました」(中学1年男子)と戦争体験者が自分たちに語ってくれたその思いを、受けとめていた。

 子供が目的を持ち変化
 2班は博多大空襲で、唯一の肉親の弟と祖父母を殺され、自分自身も顔と両手に大火傷をおった桜井国子さんの体験を聞いた。
 「いまの若いかたが、こんなにたくさんこられて、関心が高いのにびっくりしました。戦争は2度としてはいけません。わたしたちは生証人です。わたしの手は、握ったまま包帯をまいたためか、人差し指が曲がったままになりました。戦後、電電公社の試験を受け、20人に1人の割合で試験にはとおったのですが、けがのために落とされました。アメリカの焼夷弾で、こんな手にされたのに、なぜ、またアメリカに落とされなければならないのか」と戦争をやったアメリカにたいする怒りを語った。
 また、いまの有事法制にたいして「昔に似てきました。気をつけないといけません。政府は、これだけたくさんの人に苦労させたことを忘れたのか。わたしは、小泉さんのところへこの手を下げていきたいぐらいの気持ちです」
 「いまの子どもたちは平和ボケだと思う。桜井さんにくらべてわたしたちは甘えていると思う」(高校1年女子)「戦争でたくさんの人が死んだそうです。もしもいま、爆弾が落とされたらまたたくさんの人が死ぬと思います。だから戦争は絶対してはいけないと思いました」(小学5年女子)など感想を書いた。
 3班が聞いた迫田さんは、昭和19年に海軍に入り、軍事訓練のきびしかったこと、しかし、卒業を控えたボート競争で一番になった自分たちにむかって教官が、「戦争に行っても犬死にするな。かならず生きて帰れ」といった。その当時、いつも立派に死ねといわれていたなか、その言葉が、すごく心に残っていること、戦場ではいつも死と隣りあわせ、何度死にそうな目にあったかわからない、友だちもたくさん死んだ。自分が生きて帰れたのが不思議だ、と語った。
 体験を学び、からと会館に集まったメンバーは、それぞれの聞いた体験と感想を出しあった。この日、子どもたちは午前中に『きけ、わだつみの声』を見て、戦争にたいして「怖い」という強烈な印象から、午後からの体験者からつらい経験を乗りこえて強く生きてきた思いを学ぶことによって「戦争は絶対にやったらいけないだけでなく、みんなで団結して起こさないようにしないといけない」(高校2年女子)と自分たちが平和の担い手になるために平和の会でがんばるという気持ちにかわっていった。いまの有事法制など、戦争が近づいている情勢のなかで、体験者が熱く語る「戦争は2度とやってはいけない、あんたたち若い人が平和を守っていかないといけない」という思いを強く感じたのではないだろうか。またこの平和の会の集団のなかで学校とは違う温かい雰囲気を感じ、いつもは掃除をまったくしないという小学5年男子がみんなのためにお茶運びに動いたりする場面も見られ連れてきた教師も驚いている。これから平和の会をもっと発展させることによって、戦争を起こさせない力をつくっていくといういままで以上に重みのある意義深い充実した平和教室となった。

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