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推進が勝利といえぬ結果
上関町町長選挙
              山戸陣営自爆の選挙    2011年9月26日付

 福島第1原発の事故後、新規原発立地町における国内初の首長選として注目された上関原発計画を最大の争点とした9度目の上関町長選は、推進派の柏原重海氏が1868票、反対派・山戸貞夫氏が905票の結果になった。投票率は87・55%で過去最低。得票率は、推進派が67・4%(前回66・9%)、反対派が32・6%(同33・1%)で、0・5Q広がった形になった。これは町民の反対世論が後退したことをまったく意味しておらず、その内実を見ると推進勢力の瓦解をあらわすものとなっている。
 町内において福島事故を受けて、原発はやめてしまえの世論は圧倒するものであった。それはこの30年で破壊されてきた町の再建を願う声としてうっ積したものとなっていた。しかし、柏原、山戸の両候補の選挙構図では、それは曲折した反映をせざるを得なかった。
 得票率は柏原票と山戸票で0・5Q広がって、表面上は反対票がわずかに後退した数字となった。しかしここには、中電立地事務所の増員体制となった70人とその家族、さらに工事は止まっているのに選挙まで町内に滞在してきた作業員の相当数が加算されている。そういうよそ者の町乗っ取り、やらせ票が140票あったとすると五加算となり、票差は縮まったことを意味する。
 柏原陣営は開票後、勝利感の乏しい、厳しい雰囲気が漂っていた。柏原氏は当選後の挨拶で「国は上関の意志表示をしっかり受け止めてもらいたい。でなければ血の通った政治とはいえない」「原電はどうなるかわからないが、町の進む方向を決めるのは町民自身であって、外の人たちではない」など、厳しい表情でのべた。
 選挙では「原発のない場合の町作りの方向性も考える」を強調。原発推進をいっさい唱えなかったのが特徴であった。街頭演説で「今こそ原発絶対推進の揺るぎない意志を示そう」と叫ぶ推進派議員には「やめてくれ」と注意するなど徹底していた。それは原発は終結という町民の世論を認めた選挙であり、原発推進を訴えないことによる得票となった。それは原発を終わらせて町の復興をせよという町民世論に縛られていくこととなり、「推進派が勝った」とはいえない選挙になった。
 他方の山戸陣営の得票は、山戸氏個人は信用できない人物とみなすが、町民の反対の意志をあらわすという性質の票が圧倒的なものであった。候補の山戸氏を怪しげな人物とみなしても反対の票を投じるという町民の高い政治意識をあらわすものであった。
 この選挙戦において、だれも出ようという者がいないので仕方なく出るという形で、告示直前になって出馬表明。その主張は「国が中止というまで終わっていない」し、ソーラーエネルギーによる町作りというものであった。町の漁業、農業、商工業をはじめ、医療や介護、保育や教育など町民生活にとって、この間破壊されてきた切実な問題とはまったく関係ないものであった。そして自分の主張をいうだけで、全町民の要求を代表するという姿勢が全くないものであった。
 選挙戦に突入しても、事務所を祝島に置いて、全町で町民に支持を訴える姿勢がないのは今までと同様。しかもまるで覇気のない様子をまのあたりにして、「今度の選挙で勝つ気がなくて、いつ勝つのか」「山戸が亡霊のような顔をして、下を向いて練り歩いていた。やる気がない奴がどうして出てくるのか?」「なんの運動もせず、お願いしますの一言もない。選挙の体をなしていない」と語られ、日を追うごとにみなが腹を立てる状況となった。
 そして選挙で敗北が決まった時、今度は明るい表情になって「四年後はかならず勝つ」という白白しい発言が町民を怒らせていた。選挙は、柏原陣営が勝利したというより、山戸陣営が町民を排除して負けてくれたというものとなった。
 選挙は、推進派組織の瓦解状況を暴露するとともに、山戸氏をはじめ反対派議員などの「反対派」幹部層の破産を暴露するものとなった。全国的にも町内でも原発からの脱却が圧倒的な世論になっているときに、それを結集できない反対派というものは町民からはニセモノとみなされていることを示すものとなった。
 そしてもう一方の推進派組織もまともに機能せず、推進派勢力の瓦解状況を強く印象付けるものとなった。期間中は多くの町民が「異様なほどおとなしい選挙」「誰からも声がかからない」と従来選挙との違いを口にしていた。原発推進で動くものがいなくなり、下の方の推進組織が今までのように機能しないことを暴露した。
 震災後、福島原発の爆発事故という国内でも前代未聞の原発災害をまのあたりにするなかで、町内でも大きな世論転換が始まっていた。そのなかで国はメドのない新規立地点として上関原発計画について「困難」とみなし、後ろ盾を失った推進派が迷走。町民のなかでは「一部の上層部だけが原発利権でいいことをして、町民はひどい目にあった」と30年のうっ積した思いが語られ、町を売り飛ばしてきた中電支配の構図を一掃して、立て直しに乗り出すことが切望されてきた。
 原発は町内事情でいっても、祝島住民の補償金受け取り拒否の固い意志によって、漁業権変更が成立せずに、二井知事の埋め立て許可が無効であることを暴露し、工事着手ができなくさせてきた。そのうえに福島原発事故によって、新規立地が狭い立地町だけの承認ですすめることは不可能であり、少なくとも福島で影響が及んだ100`以遠までの自治体の合意を得ざるを得ない。上関原発はこのような力関係によって、自民党であれ民主党であれ推進することはできなくなっている。
 柏原町政は、事実上の原発終結、政府と中電による上関町を放置したままで原発利権だけ継続させる生殺し状態を続けるか、上手に逃げていくかの状態におかれようとしている。放置するほど、町は消滅の道をたどるほかはない。町民の側は原発を撤回させ、原発にぶら下がった売町利権勢力を一掃して、町の地域共同体を回復し、地に着いた町の立て直しに向けて全町民のパワーを発揮することが迫られている。
 できるめどのなくなった原発の利権を追いかけ、または賠償金利権を使い果たすことを夢見て、町を放置し、消滅に導く売町政治との対決は、選挙をへてひじょうに鋭いものとなっていくすう勢となった。


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