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鋭さ増す市民の反米・独立要求
岩国原爆展 750人参観
              被爆国として基地提供許さぬ    2012年5月28日付

 岩国市民会館で24日から27日までの4日間、第13回岩国「原爆と戦争展」(主催/岩国原爆展を成功させる会、藤本伸雄代表)が開催された。岩国市原爆被害者の会や各町の自治会長をはじめ商店主や病院経営者、主婦や労働者など600人以上の市民が賛同者として名を連ねており、回を重ねるごとに賛同者は増加している。再び戦争を繰り返させないための真の平和運動として、また直面する米軍岩国基地増強問題などアメリカの植民地状態である日本の姿を見直し独立と繁栄を求める強い思いは、岩国市民のなかでも渦巻いており、熱心に参観する姿が目立った。
 
 米軍再編や市民経済疲弊重ね

 会期中には親子連れや岩国空襲体験者や被爆者など、多くの岩国市民が参観したのをはじめ、近隣の柳井市や広島県大竹市からも「図書館でチラシを見てきた」「岩国の知人から開催を教えてもらった」などと参観に訪れ、4日間で約750人が参観した。これまでも数数の戦争当時の物品提供があり展示されているが、今回も広島県大竹市在住の男性から、自宅に保管されていた当時のヘルメット、軍服や軍帽、軍靴、教練用鉄砲、米軍が市民に向けてまいたチラシをぜひ多くの人に見てほしいと提供があった。60代で病死した父が残した物だという。「父は20代の頃に郵便局員として勤務し外地勤務だと労働賃金が多いといわれて中国に勤務した。当時1歳だった自分と兄と母も一緒に中国に渡ったが、戦争が激しくなってすぐに父も召集令状がきて工作員として軍属になった」「戦後家族が日本に引き揚げた約1年後父も引き揚げてきたが、最前線ですさまじい戦地の様子を見てきた父は軍隊に所属していたときに身に付けていた物や広島の原爆瓦などを大事に残して、この戦争についてなにか後世に知らせたいと思って大事にしていたのではないかと思う。私も戦争反対の気持ちは同じだが、今の日本社会はアメリカの属国でいつ戦争になるかもわからない状況下。政治的でも宗教的でもなく真の平和をつくるために日本人は立ち上がらなければいけない」と語っていた。
 会場には原爆と峠三吉の詩のパネル、戦前の岩国の歴史画、岩国空襲の記録、空襲後の航空写真などが掲示された。市内の高水学園の生徒たち十数人が集団で参加したり、広島商業高校の生徒と先生が「岩国空襲の実態を知りたい」と参加。「1日では見きれなかった」と二度三度と参観する市民もあり、第2次世界大戦全般を描いた展示に衝撃を受けた様子がさまざまに語られていた。
 「空襲の日の記憶は鮮明に残っている」と体験を話し出した男性は、現在の日本製紙工場がある場所にあった三好化学工場で、柳井中学校や柳井商業の生徒等と一緒に、学徒動員で働いていたという。「15歳だった私は工数係の任務として、毎月の休養日である1日と15日の前日に岩国駅に行き帰省時の汽車切符を準備したり勤務状況の把握などをする毎日だった。いつも岩国駅へ行くのは昼頃だったが、空襲を受けた14日はどういうわけか朝早くに出かけ、昼前には勤務地へ戻っていたので駅前の絨毯爆撃を免れた。しかしその工場地帯も爆撃を受け私は学友2人と一緒に3人で逃げた。機銃掃射で狙われ4〜5b先に爆弾が落ちたが、幸いにも不発弾で爆発しなかったために生き延びてきた。そのなかで一緒に逃げた2人も含め多くの学友が戦死した」と涙を浮かべ当時を振り返った。「こんな悲惨な戦争は二度とあってはいけないのに憲法九条改正などアジア諸国を敵視してまた戦争になるのではないかと危惧している。敵視しなければいけないのは核の最大保有国で戦争漬けのアメリカ政府。まず六七年前の原爆や都市空襲に対して謝罪させたい思いでいっぱいだ」と語っていた。
 40代の自営業者の男性は、「しばらく東京に働きに出ていた。地元に戻ってみると同世代の福田市長は米軍基地増強で市民の思いを踏みにじって突っ走っているが許せない」「ヤンキーゴーホームを今こそ日本人一体となって叫ばなければいけない。米軍基地撤去は子どもたちにもいつもいって聞かせている」と語っていた。
 朝鮮からの引き揚げ者の男性(80代)は、「朝鮮では日本で空襲を終えた米軍機が頭上を通過していたので直接空襲にはあわなかった。2学年上の先輩は多くが特攻隊として戦死したが私も特攻に行くつもりでいた」と当時の心境を話した。また終戦前日におこなわれた岩国大空襲によって母親を亡くした友人、家族や親戚が皆殺しにされた友人もたくさんおり、「アメリカは戦争終結を知っていたのに余った爆弾を捨てるかのように絨毯爆撃をおこない岩国市民を焼き殺した。岩国市民も日本人も虫けらのように思っているのか」と声を震わせ、「いつまでも日本に米軍基地を提供させるわけにはいかない。過去の戦争の惨禍を教訓にして、絶対に戦争をくり返さないためアメリカもそれに追随する日本の売国政府も追い出さなければいけない」と思いを語った。

 基地も原発も国民犠牲 今の日本社会も同じ

 柳井市の公務員男性(30代)は、岩国の知人から「原爆と戦争展」開催の知らせを受けてはじめて参観したことを打ち明け、「岩国空襲がおこなわれたことは恥ずかしながらはじめて知った」と衝撃を受けパネルに見入った。「一部の者の利益のために多くの国民が犠牲になったが、それは今日の日本社会にも通じると思う。原子力政策や米軍再編など圧倒的国民世論と反対の政策が横行し国民に負担と貧困を強いている。だれがなんの目的でおこなおうとしているのか、はっきりさせなければ根本的な解決にはならない。例えば米軍基地も“国内で負担を分かちあう”必要はない。アメリカから独立できるかできないかで日本が向かう方向は変わるといってもいいのではないか」と話した。
 昭和19年生まれの男性は、「当時のことはなにも覚えていない。戦後母に何度も当時の様子を尋ねたが頑なに話そうとしなかったので空襲や戦争について自分で資料を読んで調べた。一番腹が立つのは、天皇はじめ日本政府も敗戦したとたんに平和主義者のような顔をして国民を犯罪者扱いし、アメリカは日本人を核実験のモルモットにして非戦斗員を焼き殺したことへなんの責任もとっていないことだ。そのことが今もアメリカがわが物顔で日本の土地を占領し政治経済を支配することにつながってきた。唯一の被爆国である日本人としてアメリカを許してはならない。日本人の誇りを忘れず、独立した社会をつくるために、アメリカや一部の者優先の社会でなく国民主体の国づくりをしていくべきだ」と熱く語った。
 3歳のときに被爆したという女性は、パネルを見て「これからは一人の被爆者として後世へ伝えていき、むだな戦争を繰り返させないために少しでも私たちができることをやっていきたい」と賛同者に名を連ねた。
 会場では会期中に飛び入りで体験を語った人も含め6人の被爆者・戦争体験者が、延べ60人近い参観者に体験を語った。「はじめて体験を聞いた」という若い世代も多く、子どもたちを核戦争の戦場に送らせないと原爆展運動に共感を寄せ40人を超す人人が新たに賛同者になった。市民生活が厳しくなる一方で米軍基地が莫大な予算を使って増強されることに怒り、基地撤去を求める強い思いなどが熱く論議されるなかで、八・六広島集会へ参加し日本を立て直す運動を国民の力でつくっていきたいと、全国的な原水爆反対・基地撤去の運動が切望されている。


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