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社会主義の展望を語る 
 
中国・天安門事件から三年・記者座談会

1989年6月に中国で天安門事件が起こった。つづいて東欧の政変が起こり、1991年には世界最初の社会主義国であるソ連邦が崩壊した。これは人人にとってひじょうに貴重な政治的経験だった。帝国主義の側は「社会主義は終焉した」といっているが、資本主義社会の現実は腐敗しきっており、人人のなかある社会主義の展望はどうなのかという問いかけがされている。今日の時代的な特徴を記者座談会をつうじて明らかにする。

 目次    
社会主義の展望を語る・記者座談会/1989年6月の長周新聞の天安門事件をめぐる社説/天安門事件に関する年表/資料ほか

 発行・長周新聞社   B6判 79頁   定価300円    


              中国の政権転覆狙った米日欧帝国主義の失敗
                                    1989年6月20日付の社説
 中国の天安門事件をどのようにみるかという問題は、日本の人民にとって、重要な意味をもっている。
 この問題で、日本のテレビや新聞などの商業マスコミがおこなってきたキャンペーンは、冷静にふりかえってみれば、客観的な報道とはいいがたく、極端に一方的で主観的な意図のもとに作意をもって組織されたものであることをいかんなく暴露している。
 「軍同士の本格的な交戦がはじまった」「内戦は必至」と報じられたが結果はそうではなかった。くりかえし報道された「ケ小平死亡」も「李鵬が銃撃された」というのも事実ではなかった。そして「民主化を要求する学生にたいする軍の無差別発砲によって3000人から5000人を大量虐殺し、天安門は血の海になった」というのも、あれほどの報道装置をもってして実証することができなかった。
 これらの報道の特徴は、いずれも記者が自分の目で確認したものではなかった。当時天安門広場には西側の記者が何百人もいたのに、死者が何十人も横たわっている写真はない。見出しは断定的だが、記事は「信頼できる消息筋によれば」とか「西側外交筋によれば」、「交戦があった模様」という書き方である。またアメリカの中国語放送であるVOAや香港の新聞、AP、AFPなど西側の通信社情報の転載であり、その出所はおもにアメリカであった。日本の進出している企業の社員が、一部はいったん引き揚げたが、多くのものは残っており引き揚げたものも現在ぞくぞくと現地へむかっている。このことも、あまり混乱していないことを物語っている。
 また戒厳軍の数百両の車両が焼かれ、兵士も相当数死亡し、なかには丸焼けの兵士の死体がつるされているというようなことは、正規軍が発砲をはじめた後におこるとは信じがたい。これらの事実は、軍の発砲の以前に、丸腰で何回も広場から解散することを勧告した軍が、相当の被害をうけているということである。それは、素手の学生にできることとはいえず、大多数の学生とは区別される挑発者の煽動があったとみるのが自然である。
 今回の事件の内容はなにがどのように対立した問題であろうか。今回の運動の要求は、民主主義のみせかけをしているが、中身は「政治体制の根本的な変革」つまり「西欧なみの二院制」「複数政党制」など完全な資本主義的政治体制への変更であった。それは、現在のプロレタリア階級の指導する人民の権力という機構から、ブルジョア階級の独裁するブルジョア権力への移行を要求するもので、社会主義的な政治形態の根本的変革を要求するものであった。それはケ小平をはじめとする中国革命の第一世代である長老を頭にいただく現在の指導部から政権を奪取し、西欧的ブルジョア権力をうちたてるという、国家権力をめぐるアレかコレかの死活の鋭いものであった。しかもその勢力はアメリカ帝国主義をはじめとする日本をふくむ世界の帝国主義陣営によって後押しされて、党や政府の中枢にまで広がっていた。したがって武力による衝突にならざるをえない必然性があった。こうして事態は内戦にもちこむ寸前にまですすんだ。
 これにたいして、VOA放送や米日欧のマスコミは、あの騒動の全期間をつうじて、直接天安門を中心に動員されている学生と挑発分子だけでなく、中国全土にわたって宣伝、煽動をし、事実上世論を組織し行動を指図した。「軍を動員した」とか、「軍内に対立が決定的になった」とか「内戦本格化」とか「ケ小平死亡」などの無責任報道は、中国国内と世界各国で、中国の政権転覆のための世論をあおり、内戦をあおりその方向へ指導するためのものにほかならなかった。転覆に失敗するや、かれらの手先・方励之をアメリカ大使館が保護したのをはじめ、指導的な部分をアメリカが保護しているのは、今回の事件の指導部が直接にアメリカにあることを示している。アメリカは、事件がおこるとすぐに武器輸出禁止の制裁措置を発表して直接おどし、またこれにつづいてフランスのミッテランや西ドイツ、カナダなどの政府も、すぐに中国の権力転覆要求の側にたって呼応した。それはアメリカを中心とする日本をふくむ帝国主義諸国が統一して、今回の事件をつくりだし共同して動いたことを示している。
 ケ小平らをはじめとする中国指導部は、基本的には社会主義的な政治機構を保とうとしているが、経済建設の面では、西側資本主義を無批判に導入し、その結果国内の各分野で資本主義が発生し、それがブルジョア思想とブルジョア階級を不断に再生産し、それはブルジョア民主化の要求から政治のブルジョア化という要求へと発展していく。このことは中国指導部が、社会主義の看板をかかげて資本主義を再生産するという修正主義の道を歩んできたことのツケである。その結果、官僚機構に腐敗がおこり、経済のインフレや失業などの困難が発生している。
 中国指導部が今後帝国主義ブルジョアジーと斗争していくためには、マルクス・レーニン主義を堅持し、全戦線でブルジョア路線と斗争しなければならず、かならず修正主義と決別しなければならない。
 アメリカの今回の謀略事件は、開放政策をとって資本主義に道をひらいているものであろうとも、帝国主義はこれを容認せず、機会があればとびかかっていくという凶暴性を暴露している。それは、中国という巨大な市場を完全にかれらの支配下に取りこもうとする貪欲な帝国主義的欲望からきている。
 同時に、かれらはアメリカだけでなく日本をふくむ全世界で、きわめて低級なしかもすぐに暴露する「天安門における学生の大虐殺」なるデマ宣伝をやることで、「反共」「反社会主義」の大宣伝をやり、かれら自身の腐敗しきった政治と社会にたいする人民の批判をはぐらかそうとすることが主な目的である。
 今回の中国における事件は、1917年ロシア社会主義革命が勝利しロシアのプロレタリアートが権力を握ったとき、アメリカをはじめ、日本、イギリス、フランスなど全世界の帝国主義国、ブルジョア諸国が一致してロシア革命を圧殺するために襲いかかったことを思いおこさせる。日本帝国主義も長期にわたってシベリアに出兵した。
 今回はロシア革命ではなく、中国革命勝利後である。中国革命の勝利の後、修正主義の道をすすみつつあるが、基本的には社会主義的政治機構をもち、軍隊をもっている。その修正主義路線のためにブルジョアジーの政治的、経済的、思想的浸透を不断にうけけ困難に直面している。資本主義の導入による経済建設の途上で、小生産者、ブルジョア知識人、腐敗官僚、ブルジョア社会にあこがれる腐敗学生などを大量に再生産し、これらのものが権力中枢のブルジョア分子と結びついて権力奪取をめざして動きはじめた。これに、アメリカをはじめ日本、イギリス、フランスなどの帝国主義が、耳ざわりのよい「民主主義」「人道主義」などというスローガンで、実際には中国の現権力を打倒するために襲いかかったものである。
 いまや、一連の反革命の奪権斗争は失敗したが、われわれは、この間、日本の支配階級とマスコミが歩調をそろえて日本人民をあざむき扇動し、日中両国人民の友好とその基礎になる階級的団結を根本的に破壊しようとしたことに深い注意を払わねばならない。

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