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植民地的退廃と斗い民族の誇りを
福田正義の教育論
            安上がりの肉弾にするな   2007年2月28日付

 福田正義没5周年を記念した論議を発展させるため、今回は1955年から65年にかけて、福田正義が長周新聞紙上に書いた教育論と教育問題の社説を紹介する。現在安倍政府は、教育基本法の改定など教育の反動化を強権的に進めているが、それは教育の理念を喪失したもので現場では教育の破壊とならざるをえず、彼らの権威は失墜している。日本の将来の担い手である子どもたちを、勤労父母の後継者として立派に育てるための教育の理念が切望されている。読者のみなさんの論議を訴える。

 教育者の戦争責任−もう一度繰り返す良心の退廃  (1958年11月9日付)
 10月28日に勤評問題で下関の教師たちが市教委と交渉したときに、1人の教師が上田教育長に「あなたが下関商業の先生であったときに学徒動員をし、多くの学生を戦争におくったことをどう思うか? わたしはあなたの教えによって予科練に行ったが、ふたたびそのような悲惨な状態を教え子に強要する反動政策としての勤評を、どうして阻止しないのですか? 自分が教師としてやってきた軍国主義教育への反省はどうなのですか?」と問うたのにたいして、上田教育長は「あのときはそういう行政機構のなかにあったのだからしかたがない」と答えたと報じられている。
 いまの岸内閣を中心とする「戦争」へむけての急速度の反動政策については、わずか13年しかたたない今日、りつ然とするものを感じさせられる。岸信介は戦争指導官僚の尖兵であった。かれが東条内閣の商工大臣であり、A級戦争犯罪人として投獄されたことはだれでも知っている。その岸を獄から放っただけでなく、こともあろうに平和な国を建設すべきいまの日本の総理大臣に祭り上げているのである。だからかれが、「わたしは改憲論者だ」と公然といったり、教育の反動化、警職法の改悪、日中関係の断絶、日米安保条約の改定というふうに新たなる戦争政策へむけて強引にすすめてゆくことは当然のことでもあろう。かれは戦争犯罪者であり、出獄したかれがそれと同じ犯罪をくり返さないという保証ははじめからないのである。
 ところで、問題は、たとえば下関市教育長の上田強氏のような人たちが、あの戦争時代を教育者としてどのような責任を持って考えているかということである。上田強氏といえども、かれが直接に戦争にかりたて、あるいは戦争に反対することが幸せの道であることをまるきり知らされず、そのために死んでいったり傷ついたりした何百何千の青年の魂と関係を持っているはずである。戦争が終わったときに、上田強氏は、そのことについて良心の痛みを感じなかったであろうか。あるいは戦争が終わって13年の間に、あれこれの教え子の運命について考えるときに、まるきりそのことの「教育者としての第一義的な責任の重大さ」について反省がなかったであろうか。わたしはそういうふうに単純には考えたくない。ところが、かれは「あのときはそういう行政機構のなかにあったのだからしかたがない」ときっぱりといいきっているのである。
 いったい、そうなると教育というのはなんのことかわけがわからないではないか。とくに教育者というものの位置はどういうことになるのか。今日、教育長というような位置にある人は、大なり小なり上田強氏のような経験を経ている。文部省となると戦時中の特高をはじめ内務省畑の悪質戦犯分子がうようよしている。そのうえに岸A級戦犯が号令をかけている。そうなると「あのとき」ではない、いまや「このとき」が「そういう行政機構」なのである。したがって上田強氏のような教育長はふたたび「しかたがない」ということになっていると思わざるをえない。
 上田強氏のような教育長や校長さらには教師がまたもあらわれ、岸内閣やいまの文部省のようなものに不当に支配されて「しかたがない」などといって国民にたいする教育に直接責任を持たないようなことが2度とあってはいけないというので、法律で「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである」(教育基本法前文)という根本原則を示したうえで、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」(教育基本法第10条)と、規定されているのである。すなわち、上田強氏のような教育長や校長も、戦争のあのたとえようもない全国民的な深い犠牲の反省から、2度とそれをくり返さないように、つまり「そういう行政機構にあったのだからしかたがない」といわなくてもよいように、厳密には、2度とそういうことをいってはならぬために、法律が制定され保障されているのである。
 それにもかかわらず、上田強氏のような教育長や校長は、ふたたび岸内閣の「不当な支配に服」して「国民全体に対し直接に責任を負」おうとせず、勤務評定や新学習指導要領や道徳教育の名を詐称する修身科の復活などに浮き身をやつすというのは、どのような寛容さをもっても許すことのできないことである。ことの本質は「しかたがない」ですむようなことでないことは、常識のあるものならだれでもわかることである。しかも、上田強氏らが目下展開しつつある軍国主義教育の第2回戦は、アメリカの原子戦略に日本を組みこんで、アメリカの下請として「安上がりで命知らずの日本軍隊」をつくるということであって、その反民族的な犯罪性はたとえようもないほどのものである。
 わたしは、たまたま上田強氏の言行をとりあげたが、上田強氏のような傾向は、今日、教育の部面だけでなくあらゆるところで「戦争協力への恥しらずな無責任」としてあらわれているのである。わずか13年で、ある日心のうちにはあったであろう反省もなにもかなぐり捨てて、軍国主義復活のラッパ卒となるという道行きは、良心の退廃として、今日の1個の典型をなしているといえるだろう。

 民族の子として育てよう  (1955年7月17日付)
 子供をどのように育てるかということは、すべての父兄にとって、1番大きな問題である。それは、自分の子供たちが、立派な、心の美しいものになり、幸福であってほしいという、切実な願いからである。同時にまた、国の将来の担い手たちへの期待からである。
 敗戦とそれにつづく10年のはげしい時代のうつりゆきは、いやおうなしに、子供の生活態度の上にもはげしい変化をもたらした。「このころの子供は……」という親たちの感じ方は、いつの時代にもある時代の変化からくるものであろうが、しかし今日ではそれは特別に大きいひびきをもっている。
 問題の中心はどこにあるか? 好戦的な、露骨な軍国主義教育を捨て去ったことはよい。事実、子供たちの間で、自由な発言や人間尊重、自治精神は高まってきているし、いったいに民主主義と平和へのあこがれは強まってきている。
 しかし、日本がアメリカの従属下にあるという事実の影響は、おおうことができない。
 子供たちは、日本がアメリカの従属下にあることを感じとっている。少なくとも、対等平等の関係にあるとは考えていない。アメリカは優れたものであって、日本は劣ったものであるという民族的劣等感が子供の心を根底で支配している。問題は、それが大人の側からつぎこまれるところにある。民族の背骨を折るような、このような劣等意識の育成は、何にもまして決定的な弱点となってあらわれる。
 新聞、ラジオを通じてまき散らされるアメリカ的生活様式の賛美は、子供たちの心に、何が真に貴いものかということを見失わせ、おしゃれ、享楽、金銭万能の考え方をつぎこむ。子供たちの希望の中に夢がなくなって現実的になってきているといわれるのは、実は個人的、享楽的、刹那(せつな)的、金銭万能の考え方のあらわれである。
 さらに大きい影響を与えているのは、子供たちの周囲、とくにその家庭とその周辺に浸透してきている、アメリカ的生活様式、それによる秩序の崩壊と享楽主義である。しかも実際には、経済生活の低下によって、願望と現実がともなわず、悲劇の原因となっている。それは犯罪をも誘発している。
 今日とくに重要なことは、軍国主義の復活が、「民主主義のゆきすぎ」の批判という形で、前記の状態と結びついてあらわれてきていることだ。
 これらの事態に対して、これを是正しなければならない学校教育が、これを助長する傾向にあることは、深く反省する必要がある。
 以上のような事態の中に、今日の子供の教育の問題の中心点があると思う。
 民主主義の精神による教育は、徹底させられねばならない。民主主義は、享楽主義でもなければ、退廃でもない。アメリカ的生活様式と民主主義を混同してはならない。したがって「民主主義のゆきすぎ」に名を借る、後側からの攻撃からは子供を守らねばならない。
 子供の中から民族的背骨を抜くのでなく、民族の子供として、徹底した民族教育をすることが大切である。民族が独立していないという事実の上に立って、独立を目指す意識を高めねばならない。国を愛することは、他国による従属に甘んずるのではなく、反対に、自由・平等・互恵の原則に立って、民族の誇りを高く堅持することである。

 新教育課程の目指すもの  (1959年9月23日付)
 親は誰でも、自分の子供が、自分よりももっと才能も資質もすぐれ、自分よりも、もっと幸福になってくれることを、心から願っている。そのことは、広くいえば子供たちの新しい時代が、その子供たちによって、親たちが生きてきたその時代よりももっと発展し進歩したものであってくれることを望んでいることでもある。
 そのために、親たちは、骨身をけずることを惜しまない。それは、自分の子供の教育のために、できるだけの努力を払うということだけではない。子供たちの新しい時代を切り開くことと結びつけて自分の生涯を生きるということでもある。そのためには、さまざまな犠牲すら惜しまないのである。今日のこのままの社会の状態が、子供たちが成長したあかつきにもそのままであってくれればよい、と考えているものはいないだろう。
 ここに、教育の問題がある。教育の問題の重大さがある。
 戦後の教育の基本点は、戦前の天皇制絶対主義=軍国主義一辺倒の自己批判の上に立っている。それは封建制を一掃して、平和と民主主義を基調とし、人間の魂を解放し、自由でのびのびとした創造的な人間、権威や権力に対して盲従する奴隷的な人間でなく、自主性と批判力をもつ生き生きとした人間を育てることを目指している。そういう基調に立って教育内容を充実させることによって、真に平和と民主主義と社会進歩の時代を背負う新しい世代を育てることができるのである。そのことを保障するために、憲法にもとづく教育基本法は「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とし、教育行政において「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と決めているのである。
 ところが、このような方向を目指して、戦後、多くの教師たちが努力を重ねてきているのに対して、歴代の政府は、しだいにこれに圧迫を加え、教育委員会を任命制にし、校長を管理職としてこれに勤評を握らせて上から下までの官僚的支配機構をつくり上げ、その上で平和と民主主義を圧殺した新教育課程を有無をいわせずおしつけてきているのである。
 8月28、29の両日、県下では小学校の「教育課程伝達講習会」が武装警官に守られてやられたし、きたる9月22日から3日間、中四国中学教育課程の指導者講習会が県下で、ものものしい構えでやられようとしている。
 教育は国法に反して、正に「不当な支配」に服させられつつあるのだ。新教育課程は、直接、軍国主義の鼓吹の表現はとらないが、全体としてそれが行われる場合、最も明らかなことは、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配下の日本、アメリカのアジア原子戦略基地の日本。そういう現存の貧困と不正義と屈従と戦争への道を肯定した上での“便利な子供”を育てようということである。
 “便利な子供”という見せかけにまどわされて“貧困と不正義と屈従と戦争への道”へ子供をしばりつけることは、断じて許すことのできないことである。新教育課程は、粉砕されねばならない。

 教師の立ち上がりを望む  (1958年3月16日付)
 今日の社会の腐敗的傾向は、いやおうなしに新しい世代に反映せざるを得ない。青少年の犯罪が年年ふえてゆき、中学生や高校生の中にまで広がってゆきつつあることは何にもまして、社会の腐敗を主要な原因としている。文部省はそれを、学校教育の根本的欠陥として、それに藉口(しゃこう)して、修身科の復活というコースをとり、実は民主主義教育を圧殺しようとしているのである。
 現代日本の悲劇は、日本が国として民族の独立を失っていることである。日本を民族的に従属させているアメリカの圧力のもとで、従属した国に特有の享楽主義的な腐敗がくり広げられている。弱肉強食で、どういう手段にしろ金をもうけたのがよいのであり、それができるものだけが豪華でぜいたくな消費と享楽ができるのであり、それができないものには、惨めな敗残しか待ってはいない。まじめな石を積むような勤労は、口先だけのほめ言葉はいただいても実際には侮辱されている。早い話が、家が貧乏であれば上級学校にも行かれないし、学校の中でもそうでない生徒たちがもっているいろいろな持ちものも手に入れることができないのである。国や県や市というようなものからしてそうである。宝くじ、競艇、競輪というような公然たる賭博(とばく)行為を堂堂と宣伝して奨励しているし、それで一獲千金の、長い苦しい勤労によらない射幸心をあおっている。これで1発当てた方が、何日も、あるいは何カ月も、規則正しく働くよりも金がもうかるというわけで、もっぱら大穴の宣伝をしている。それだけではない。博覧会、ロープウエー、遊園地、観光コースといった具合に、全体としての生活の安定のない中で、もっぱら金を使うことに血道があげられる。これは今日の全国的現象である。さらには、新聞・ラジオ・テレビなどが果てしもなく消費をそそる。それは人間の弱い面につけこんでくるのである。
 このような条件を書けばきりがないが、問題は、このような条件が、青少年を犯罪へ引きずっている事実である。犯罪の内容が、圧倒的に盗み、窃盗の類であることがそのことを証明している。
 しかし、だからといって、腐敗した社会は青少年を退廃にしか導かないということはできない。問題は、これらの腐敗とたたかうことであり、目前の刹那(せつな)的な欲望よりもいっそう高い目標を目指してすすむことである。文部省の修身科はそのようなたたかいに水をかける方向にあることで、腐敗をいっそう助長するだけである。
 われわれは、教組が高い目標をとってたたかっていることに敬意をおしまないが、全教師が、もっと勇気をもってたたかいに立ち上がること、そのことのみが青少年のまじめな意識を呼びさましひきつけることを強調してやまないのである。

 教育の投機主義は許せぬ−下関学園問題  (1965年10月3日付)
 地方労働委員会の勧告を無視した2教師の首切り、さらに、県教組下関支部長・松宮孝治郎氏(向洋中学校教諭)へ対する告訴事件によって、下関学園の問題が大きく市民の前にクローズアップされることになった。ここでわれわれは、この問題の本質を考えてみたい。
 下関学園に子供をやっている多くの父母、下関学園の生徒と卒業生ならびに教師が、一致していっていることは、下関学園が学校として、われわれの常識では考えられないほど授業、運営がデタラメであることである。
 教師も施設もまるで足りなくて3つの組を一緒にしてマイクで授業するとか、教師がいないために「自習時間」ばかりが多かったり、運動場整地の作業ばかりやらせたり、早く帰らせたり、というふうで、したがって教科課程は正しく行われず、また必要な実習も行われず、学校の生命である「学び学力をつける」ということが、ほとんどといってよいほど無視されている。
 電波学校を高校として認可させるために、父母を動員してさまざまな工作をしたり、買収行為のようなことをやったり、父母に莫大な資金援助をさせたり、また、電波学校がすでに高校としての資格をもっているようにいったり、また卒業までには必ず認可が得られると信じさせたり、というふうな、ほとんど詐欺にひとしい行為が一貫してやられている。その結果、中学卒業後3年間の教課を経たにもかかわらず、生徒たちは中卒者として取り扱われ、あるものはもう1度4年制の夜間学校をはじめからやりかえるということが起っている。高校は新たに認可をうけた場合は、認可をうけて3年後、つまり1年に入学したものが3年の全課程を終ってはじめて資格ができるものであることは、はじめからはっきりしているのである。学校当事者がそれを知らぬことはない。父母の、子供がよりよい状態で教育がうけられること、高校資格を望むこと、これらの崇高な感情につけいって、育友会をほとんど自由自在にあやつって、勝手気ままにふるまっている。
 卒業生の就職あっせんにしても無責任きわまるもので、就職先がよいか悪いかというより、その扱いがデタラメであり、いうことと実際がまるで違うことに、一様にはげしい怒りをもっている。
 これらを一貫しているものは、学校当事者が、中学を卒業して社会へ出るか大学へ進学するかというとりわけ重要な時期の子供を預りながら、子供の教育という問題について誠意も熱意もなく、ただ企業としての学校経営にだけきゅうきゅうとしていること、そのことのために生徒の青春と父母の熱意が利用され、あやつられているという事実に突きあたらざるを得ないのである。今度の教師の首切り問題が起ったとき、大阪にいる卒業生たちが集まり「後輩のために」といって学校当局の不誠実を事実にもとづいて語りあい、それをテープに吹きこんで送ってきたことは、すでにその内容とともに本紙に掲載したが、これらのことは、学校を卒業して「懐かしかるべき母校」がどんなに無残な思い出として焼きついているか、それを「懐かしい母校」にするために、同時にあとから卒業してくるもののために、これら卒業生たちがどんなに思いを砕いているかを物語っている。それはまた、すでに自分の子供たちが卒業している父母たちが、学校運営を改めさせるために熱意をもって労を惜しまないという事実にもあらわれている。
 下関学園の教師たちが、それを改善したいと願うことは当然である。また、小中学校を経てそこに子供が行って、そのような無残な状態におかれることを、小中学校の教師たちがだまって見ていることができないのも当然である。下関学園の教師たちの学園改善の努力は、反対に学校当事者によって2教師の首切りとなり、教員組合の学園改善のための努力は、松宮支部長への挑発による告訴事件というワナによって迎えられたのである。
 こういうことが教育の世界で堂堂と行われ、改善に対して熱意をもつものは、学園の教師であれば生活権を奪い、中学校の教師であればワナを仕掛けて警察に告訴して陥れ、悪事だけがはびこって、いつまでも幾百幾千の子供たちが「学校企業主義者」の犠牲になってゆくことを、社会は黙って見ておくだけでよいだろうか?
 下関学園は、もともと労働会館3階の1室で、2、3の教師による高校受験準備のための塾として出発したものである。高校入学が困難という状況のもとで、その規模をしだいに大きくして予備校と称するようになり、ここで現在の同学園の理事の大半を占めている下関医師会の1部幹部と結びつき、高校への入学準備学校から、それらの生徒を収容するための下関電波学校となった。そして、政治的な裏工作を経て下関電子高校の認可をとったが、それは前記のように、現在2年生までで、3年生は依然として高校資格のないままである。
 これらの成り立ちの経過が示すように、それは1つの教育理念にもとづく学校建設とはまるで裏腹で、高校入学が困難という状況につけいって「学校教育」という名による「投機事業」としてやられていることである。私立学校の場合、経営を成り立たせることに苦心が払われることは当然である。しかし、重要なことは、正当な教育理念にもとづき青少年を教育するという信念を貫くことが大原則であって、それを可能にしてゆくものとして従属させて経営が考えられねばならない。下関学園の現当事者たちは、学校という手段によって金もうけすることが基本的な原則になっていて、そのために「学校事業」という手段が選ばれており、教育のさまざまな問題はそれに従属させられている。投機主義というゆえんである。このような考えをもつものは、他の手段を選べばよいのであって、かりそめにも教育を手段としてもてあそんではならない。それは幾百幾千の青少年の青春と未来に汚点を残すという、許しがたい社会的害毒を流すからである。
 下関学園の問題は、校長を先頭とする理事会に最も大きい責任がある。同時に、これを監督する立場にある県・市の教育委員会、私学審議会にも大きな責任がある。われわれは、幾百幾千の青少年のためと、教育というもののあるべき純粋さのために、社会の責任において、下関学園当事者の反省を促し、非を改めさせ、抜本的改革を求めねばならない。

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