トップページへ戻る

衝撃受け行動求める現役世代
広島・佐伯区原爆と戦争展
              被爆者の気迫に深く共鳴    2011年1月21日付

 広島市の佐伯区民文化センター・ギャラリーで原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)主催による原爆と戦争展が18日から22日までの会期でおこなわれている。同展に向けて周辺の学校や地域、同地区在住の賛同者の協力のもとで宣伝が広げられ、会場には交代で広島市内各地から被爆者たちが運営のために集まり、若い世代に体験を語るなど参観者と交流を深めている。戦争体験世代に加えて、会社員や医療従事者、母親など現役世代が真剣に参観する姿が目立ち、被爆者たちと交流を深めるなかで、荒廃した戦後社会の実情や、それをもたらした第二次大戦、原爆投下の真実への強い問題意識を語りながら、行動への強い意欲を示している。
 今年はじめの原爆と戦争展とあって、常に10人から8人の被爆者が会場に詰めて受付や体験証言をおこなうなど、広島の会の被爆者たちの気迫のこもったとりくみとなっている。被爆者たちの熱心な働きかけに仕事帰りの会社員や図書館を利用する親たちなど現役世代が足を止め、時間をかけてパネルを参観し、交流を深めていく姿が目立っている。
 真剣なまなざしでパネルを見ていた保険会社勤務の婦人(40代)は、「原爆が悲惨だとか、恐ろしいということを伝えるだけの展示や資料は多いが、戦地では餓死者が多かった事実や、原爆が第二次大戦終結のためには必要なかったことを明確に伝えている展示はめずらしいと思う。広島の平和教育にはそれがないから子どものなかに“悲惨だから見たくない”というアレルギーをつくっている。表面だけの知識だけ知って終わりではなく、ここから行動を起こしていくことが大事だと思う。この原水爆禁止運動の歴史を知りたい」と申し出て、福田正義著『原水禁・平和運動論』を買い求めた。
 また、「国泰寺高校(旧第一中学校)出身だが、在学中にも学内の慰霊碑に原爆で子どもが亡くなった遺族の母親たちが毎月花を手向けに来ていた姿が忘れられない。だが、社会に出て生活に追われて関心が薄れていたことを痛感した。この歴史の上にいまの日本があり、マスコミも含めて“原爆は悲惨だった”というけれど、現実に起きているアメリカの戦争には賛成するというバカげた実際がある。こうした歴史を受け継ぐことは、目の前の現実を変えていくことにつなげないと意味がないと思う」と語り、会場にいた被爆者からも体験を聞き、「知人にも協力を呼びかけたい」と今後の協力を名乗り出た。
 50代の男性会社員は、「広島に生まれ育ち、父親から被爆直後の本川小学校で遺体の処理をやった話を聞いてきたが、被爆前の戦争の状況や原爆投下について知らないことが多すぎると思った。広島の学校で原爆について学ぶことは当たり前だが、県外に出るとまるで知られていない。民主党は周辺事態法の改正をやろうとしているが、今度は米軍との完全な一体化になる。アメリカの核の傘というが、日本が傘にされているのが実際の姿ではないか。この国全体の問題として原爆の事実を知らせていかないといけない」と語気を強め、後日再び訪れることを約束して帰った。
 市内在住の70代の男性は、「実際は、もっともっと悲惨だった」と記憶を蘇らせるように語り、実家のあった大野町から父親が建物疎開の作業にかり出され、被爆後に原爆症で亡くなったことを涙をこらえながら明かした。
 「市内からは人間とは思えないほどのズル剥けに焼けただれた人人がトラックで運ばれていくのを見てただ事ではないとなり、母と兄が市内に捜しに行った。父が運び込まれた小学校の体育館には、皮膚が焼け焦げて識別さえつかない人、瀕死の状態で助けを求める人などが並べられて、目の前で次次に死んでいった。父も一週間後になにもいわずに死んでいった。戦後は、口でいえないほどの苦労をしてきたが、アメリカは絶対に許さないという気持ちはいまでも変わらない。オバマが口先でなにをいおうが、死んでいった人間は帰ってこない」と唇をふるわせた。
 江田島出身の建設業男性(70代)は、「母に連れられて広島市内に親戚を捜しにいったが、それは地獄よりも悲惨で、アメリカは鬼よりもむごいと心に刻みこんだ。呉空襲でも、呉鎮守府では何隻もの巡洋艦が身動きがとれずに座礁しているという状況だったのに、すり鉢状の市内を取り囲むように焼夷弾を投下して市民を焼き殺した。戦後教育を受けた子どもに当時のことを話しても波長があわず黙ってきたが、このままでは日本は人が住めない国になってしまうのではないかと思えてならない」と激しく語った。
 「戦後は広島市民球場や広島銀行、広電ビルなどの建設に携わり、地下からは無数の骨が掘り出された。戦中を知っている自分たちには生かされているという感覚がある。この日本も犠牲者の上にあるにもかかわらず、いまは自分の金儲けしか考えていない政治家ばかりになった。自民党も民主党も国民の頭上に立って好き勝手にしているが、下からは足の裏まですべて見える。こんな奴らは全員落とさなければいけない。これからの時代は口先だけではなく、行動を起こすことが一番大切だ。この平和運動も政治を縛り付けるぐらいの運動にしてほしい」と語り、協力を申し出た。
 また、「戦争体験者が少なくなるにつれて、政治からも戦争の教訓が薄れつつあることを心配している。教育からアメリカに崩されてきたことが最大の問題だ。ぜひがんばって欲しい」と話してカンパを寄せていく引き揚げ経験者や、「これまでは黙ってきたが、自分にもできることがあれば協力したい」と広島の会会員に申し出る男性被爆者、戦地体験者も見られ、賛同協力者は3日で20人を超えた。
 連日、会場で体験を語っている男性被爆者は、「パネルを時間をかけてじっくり見る人、真剣に体験を聞く若い人が多いことが励みになる。親子連れからも“今日の事を家族で話し合いたい”とか“自分も手伝いたい”と語られるなど昨年以上に手応えが大きいと感じている。今夏に向けてさらに広島での原爆展を盛り上げていきたい」と意気込みを強めている。原爆と戦争展は22日(午後5時)までおこなわれる。

 真実こそ最大の説得力 アンケートより

 以下、初日のアンケートの一部を紹介する。
 ▼原爆の悲惨さを後世に伝え、風化させてはなりません。歴史を繰り返させぬために。戦争従軍者として五年間の従軍中、私は中国戦線でしたので命長らえましたが、戦友は若き命を失っていきました。こうした事を戦後生まれの人に伝えていかなければ、単なる物語にしか若者の心に映らなくなってはなりませぬ。(90歳・男性)
 ▼真実こそ最大の説得力!! 世界主要都市での開催を望む!(76歳・男性)
 ▼私も満州にいて酷い目にあい、いろいろと見てきた。現実に今見て原爆はむごいと思う。仇を取りたい。(73歳・男性)
 ▼峠三吉の詩集をはじめて拝読した。最初の詩は聞いたことがあるが、それ以降のすさまじい詩文は初めてであった。いまさらながら峠三吉への圧力があることを知り、驚いている。一国民としては、この詩集全文を製本して全国の図書館に送り、平和国家の実現に励んで欲しい。(72歳・男性)
 ▼下関空襲において三菱関係がなぜ攻撃されなかったのかが疑問に思いました。政治家が肝に銘じて戦争を起こさないで欲しい。(76歳・女性)
 ▼戦争に至るまでの経緯や、実際に米国側でどのように思っていたのか等、背景となる展示もありよりわかりやすかった。国全体、私たち一人一人が考えるべきことだと思います。(49歳・女性会社員)
 ▼なぜこんな目にあわなければならぬのか。戦後支配の野望のために虫けらのように焼き殺した。戦後生まれの私にとってあまりにもむごい真実です。親類も多くこの戦争で死に、原爆で命を落としています。二度とあってはならないことです。(無記名)
 ▼自分も今、3人の子の母として同じ立場だったお母様たちの姿を展示や詩などで感じることができ、今の生活への感謝などいろいろな思いがこみ上げてきます。このようなことにならぬよう今の我々が声を上げて行かなくてはいけないと本当に思います。(母親)
 ▼戦争がはじまってすぐの貧困状況ですでに目が曇ってしまいました。原爆資料館に子どもを連れて行ったときもショックを受けていましたが、これを子どもにも見せたいと思いました。病院船の話、沖縄ひめゆり隊の話をもっと知りたいと思いました。涙無しでは見ることができない写真やパネルをこれからも多くの人に見せていって欲しいと思いました。(30代・看護学校)

トップページへ戻る