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勝利の展望開いた8・6斗争
座談会・今年の原水禁運動の教訓
             全国的政治動かした確信   2007年8月20日付

 今年の8・6原水爆禁止広島行動は、袋町の市民交流プラザでの「原爆と戦争展」、平和公園でのキャラバン隊街頭展示、小中高生平和の旅そしてアステールプラザでの8・6広島集会と、広島をはじめ全国、世界の人人の広範な支持を基盤にしたものとなり、ひじょうに力を持ち確信を与えるものとなった。昨年来の北朝鮮ミサイル問題と制裁騒動防衛庁の防衛省への格上げ、自衛隊の海外派遣の本来任務化、岩国、沖縄などでの米軍再編策動、そして伊藤前長崎市長の銃殺事件とつづくファシズムと戦争の策動のなかで、それを打ち破る展望を与えるものとなった。本紙では、これを取り組んだ原水禁全国実行委員会、全国キャラバン隊メンバーに集まってもらって、運動の到達点、原水爆をめぐる情勢の発展、原水禁運動の路線問題、さらに今後の展望などについて語り合ってもらった。

 行動始める現役世代 感動与えた8・6集会
 司会 まずは、今年の8・6行動についての感想、反響はどうなっているだろうか。
  8・6集会に参加した広島の被爆者や青年たちは、労働者、教師、青年の登場を喜んでいる。戦争に反対するというところから歴史の真実を子どもたちに教えていくという教師の発言への期待も大きかった。とくに戦争展の会場で話をした被爆者たちが、原爆投下容認に対する批判などがストレートに受け止められていることに手応えを感じている。学生もだが、20〜30代の青年労働者、職員たちが、なにかしないといけないという思いを持って子ども連れや単独で来て、パネルを見て話を聞いて住所、連絡先を書いていき、運動を担っていく世代があらわれていることへの喜びは大きい。全市的にも秋葉市長が「平和宣言」でアメリカを名指しで批判したことも含めて、市民の中には勝利感がある。
  長崎からも被爆者、戦争体験者が広島集会に参加したが、初めて参加した戦争体験者は、あれだけのスケールで全国的に運動をやっていくということがもっと必要だ、長崎も下関、広島と一緒になってやっていかないといけないと気持ちが高ぶっていた。「長崎の会」を結成して今から市民の運動という形で継続させていこうとなっている。8、9日の長崎行動でも、長崎はこれまで“祈り”といわれてきたが、このまま泣き寝入りするわけにはいかない、私もなにかやりたいという声がどんどん出てくるし、事務局にも電話がかかってくる。行動機運が強くなっていることが大きな特徴だと思う。
  集会参加者のところでは帰りのバスのなかなどで非常に高揚していた。集会が力があったし、展望があるというのが共通した反響だ。被爆者が確固とした態度であったこと、現役の労働者が登場して平和運動が労働組合の任務だと発言していたこと、学生が登場して堂堂と発言したこと、デモが小中高生をはじめとしてみんな元気いっぱいで市民の圧倒的な支持を得ていたことなど、感動的に語られていた。
 初めて参加した広島の被爆2世の人が、今まで原水禁運動が「原水禁」や「原水協」などに分裂して政党に引き回されることが嫌だったが、この集会にはイデオロギー的なものを一切感じなかった、政党、政派を乗り越えてやられていたと非常に感動していた。PTAの役員でもあるが、広島県の学校は人権路線などでめちゃめちゃになっているがそれを乗り越えるものがあったといっていた。集会には平和公園でキャラバンを見た市民や学生、戦争展の参観者も参加し、広島市民をはじめ、全国19県から若い人などの初参加が多かった。

 抑圧突き破り行動へ 1年の経過・原爆と戦争展軸に
 司会 今年1年の運動の経過を振り返ってみてどうだろうか。
  昨年の8・6行動では、北朝鮮のミサイル問題があり「制裁せよ」の論調が激しい時期だった。そのなかで長周新聞の「暴支膺懲の失敗を繰返すな」の号外、宣伝カーでは「アメリカは核を持って帰れ」とやって、広島市民、広島に集まった全国、世界の人人に訴えた。その後11月に「第2次大戦の真実」パネルが完成して下関「原爆と戦争展」が開かれた。このなかで、人人の体験を元にして第2次大戦の性質が大きな共感を得た。とくにどうして負けると分かった戦争をつづけたのか、そこにアメリカの日本侵略、占領計画があり、自分の地位を守るためにアメリカの単独占領を歓迎した日本の支配階級の目的があったこと、などが衝撃的な反響を呼び起こした。そしてこの戦争の構造が、現在までつづいていること、いまの生活の破壊と戦争政策が対米従属を深め、民族的な利益を根こそぎ売り飛ばしていることにつながっているという日本社会の現状認識となって受け止められていった。
 全国実行委員会としては4月に全国会議をやった。ここでは安倍政府のもとでの暴走政治があるなかで、一方では活気に満ちた運動があるのと、他方ではかなり重い空気があり、足が前に出ていない状況もあった。ここでは、広範な大衆の力に確信を持ち、1950年8・6斗争路線に基づく「原爆と戦争展」と「アメリカに謝罪を求めるアピール署名」を大胆にやっていくことで一致した。
 その直後には、伊藤市長の銃殺事件があった。長崎市内はうかつにものがいえない抑圧感が漂っていたが、「殺し屋を雇った背後勢力は誰か」など2回の長周新聞号外の長崎市内配布をやり、5月から長崎「原爆と戦争展」の市内宣伝を始め、「このまま黙ってはおれない。なにか行動したい」「長崎市民の意志を見せつけないといけない」という反応が返ってきた。主催者会議も迫力から違ったし、宣伝も市民が積極的に協力して広がった。会場では、長崎の会の被爆者たちも毎日出てきて自分たちの取り組みとして担っていくなど、市民の能動性は去年とは様変わりだった。
 広島では6月末からのべ15日間の宣伝活動をおこない、ポスターは1300枚、チラシが3万2000枚、そして長周新聞号外「日本を米国本土防衛の核戦争の盾にさせるな」を2万枚配布した。「原爆投下はしょうがない」の久間発言への歴史的な怒りとともに、戦争体験者からも対米従属で戦争をやろうとしている安倍政府への怒りが語られ、若い人など、約140人の市民がアピール署名を預かるなどのこれまでになく行動的だった。

 現在重ねて大論議 原爆展キャラバン隊・若者が協力者に
  原爆展キャラバン隊は、去年の10月から首都圏の東京都内で行動し、今年4月からは第2次大戦の真実のパネルを加えて、大阪を中心に関西でやった。パネルで大論議が起こり、なにかしないといけないという若い人たちが協力者になっていった。
 4月末に長崎の伊藤市長が銃殺されて、3日後の市長選投票日から号外を持って、街頭の「原爆と戦争展」を開始した。最初は重たい雰囲気があったが、空気が変わっていった。「本当のことをいうとズドンとやられるぞ」といいながら握手を求めてきたり、多くの人から「よくやってくれた」と声をかけられた。原爆と戦争展が始まってからは、「こういうときだからこそ、市民が物申さないといけない」「本当の声を上げていかないといけない」という雰囲気が初日からみなぎっていた。チラシの兵隊の写真を握りしめて会場に来た戦争体験者が、1枚目のパネルから釘付けになって、若い人に思いのたけを語り始めるなど、市民が願っている方向を代表していることがしっかり示された。3年前最初に長崎に入った時期からすると様変わりしたと思う。
  広島「原爆と戦争展」は、メルパルクのときよりも広島市民が多かったという印象だが、その市民が堂堂とアメリカに対する批判をする。まわりがみんな同じように思っているから、被爆者の人たちも堂堂と語っていた。現役労働者、勤め人などが目立った。ひところ現役世代の反応がにぶいというのがあったが、それがまったく変わってきている。パネルの「貧乏になって戦争になった」「大学は出たけれど」などが生活実感と重なり、若い人が「いまが戦前そのものだ」といって協力者になる人も多かった。
  大学教授が涙を流して、アメリカはけしからんといって長周の購読を申し出ていた。知識人も社民勢力などの運動に関わってきて、これまでモヤモヤしていたものが、市民が元気よくやっている原爆展に出会って発揚されている。
  学生の集団的な参観が増えた。教師が連れてきたりするケースも含め、全国20大学からきた。これまでにない集団的な動きになっている。アンケートでも、かつての戦争が昔話ではなくいまの問題に通じるという意見が多く、皇居、軍、三菱などが爆撃されなかったということと合わせて、「単純な日米間の戦争ではなく、富めるものが貧しいものに対してやった侵略であり戦争だった」「戦後いろんなものを見ても“いまは平和になってよかった”で終わるものが多いが、この展示は違うし、そこが自分たちの実感と重なる」というものが多かった。
 軍人や兵士といえばあの戦争に協力したといわれこれまで素直に受け止められなかったが、話を聞いて無理矢理引っ張っていかれたのだとわかったとか、戦争を起こしたものと戦争によって被害にあったものは違うというのがわかったと大学生から出ている。第2次大戦と原爆投下の目的と、つづく今日の社会のデタラメ状態が結びついていった。
  7月の平和公園でのキャラバン展示には、全国、世界中から、高い問題意識を持って集まってきていた。特に久間発言にたいしてはそのときだけで終わりというのではなく怒りがずっと増していった印象だ。上品な格好をした奥さんに声をかけると「おばあちゃんが被爆して、帰ってから内臓から腐り出し、口から血を噴いて八畳間をのたうち回って死んでいった。しょうがなかったなんて、どうしていえるんですか、私はぶん殴って殺してやりたい」と尋常でない怒りだった。8月6日の平和公園は警備や警察の数がものすごかったが、安倍首相は恐れおののいていたのではないか。秋葉市長もとても和解などといえる雰囲気ではなかった。
  2年前に山梨でキャラバン隊を見た婦人が、展示内容が豊富になっているのを見て、「あれからずっとこういう運動が全国で広げられてきた。その力が今押し上げているんですね。地道な活動が日本を変えていっている」とうれしそうに声をかけてきて協力者になった。それだけの世論を動かす力を持って、この間の運動が前進してきたと思った。

 外国人が鋭い反応 国際連帯呼び起こす
  毎年多いが、今年はとくに外国人の反応が大きかった。わかるだけでも世界40カ国以上の人が来ていた。若いアメリカ人女性が、峠三吉の序文を読んでボロボロ泣いている。それを見た参観者が、「こんなにアメリカ人が泣いているのに、久間はいったいどこの国の人間か」といっていた。アメリカ海軍の女性兵士が「わが国では民間人が標的だったということを教えられていなかった」と目に涙をためて語っていた。
  「戦前の経済的な背景から入っているのがいい」「少数のものが経済を支配するから、大多数のものは権利を不断に奪われるのだ。この構造を根本的に変えないといけない」というフランス人もいた。
  韓国、中国、東南アジアなどアジア圏の人も、「アジアのなかで日本が反米になれば、アジア全体が友好的になれる」ということをはっきりいっていた。
  韓国の被爆者団体の役員の人が、「アメリカが原爆を落として、韓国が解放されたという論もあるが、私は、広島で被爆して韓国に帰ったら“それで解放されたのだからいうな”といわれ、そんなバカなことはないと思ってきた。日本政府が信用できないのは、またアメリカについてイラクに兵隊まで出していることだ」といって、アメリカに謝罪を求める署名をしていった。
 編集部 この展示の内容が圧倒的な国際連帯を呼び起こした。本島元長崎市長や広島平和文化センターのアメリカ人新理事長は、「海外の視点から」を強調して、「アメリカばかり責めてはいけない。日本軍国主義の侵略をちゃんと自覚しないと、外国では通用しない」といってきた。しかし人民の側は全然違う。アメリカの犯罪を真向から暴露したら、アメリカ人からイギリス人からみな賛成だった。平和を破壊する共通の敵を暴露すれば、あらゆる国境を越えて国際連帯が広がるということを非常にはっきりと証明した。
  宣伝活動でも、「日本をアメリカ本土の核戦争の盾にするな」という宣伝カーで広島駅前などに流しながらいくと、文句をいう人は1人もいない。タクシーやバスは道をよけてくれた。駐車違反取締りの人も「あんたらはいいからやれ」といっていた。この運動が広島市民を代表してきたからだし、それをこちらの側が確信して大胆にやることが望まれていると思う。

 戦争体験者が合流 空襲・戦地体験者も語る
  広島でも、今年2月の宇品、皆実町での原爆と戦争展が大きかった。戦争体験者との交流が始まり、これまで被爆者と戦争体験者のあいだに溝があって、被爆者だけ手帳をもらっていい思いをしているなどの意見が出ていたが、それを越えて戦争反対の共通の基盤にたてたことが大きい。5月の呉の原爆と戦争展でも、戦争体験者が発言し、会場では遺族会や空襲体験者が受付を担って、そこに若い大学生なども参加した。軍港・呉の雰囲気が変わっていったと喜ばれた。6月、7月の広島大学、修道大学でも、若い人が行動を求めているということに確信を持ち広島「原爆と戦争展」は集大成として、それを全国に発信する意気込みで取り組んだ。
  今年の「小中高生平和の旅」は、カンパはこれまで50数万円だったが、今年は84万円という額が寄せられた。山口、防府、宇部、萩、北九州など、どこでも子どもたちが平和のために行動していくことへの絶大な期待が集まった。親が「行ってきなさい」と旅に飛び入り参加するという状況や、中高生が自分から行きたいと申し込んできたのが増えたのも特徴だ。
 平和公園での平和集会では、キャラバン隊の原爆展を見た被爆者の方が、「あのパネルで子どもを教育しないといけない」と声をかけてきた。「1年間、あのパネルで学習して、被爆者の体験を聞いてきた」というと喜ばれ、「こういう子どもたちを見て日本の将来は大丈夫だと思った」といわれた。また第1回目の旅のときに体験を語った被爆者の方が、子どもたちの発表を見て、5分でいいから話をさせてくれと語られるなど、被爆者たちの意気込みや期待はすごいものがあったし、子どもたちの顔つきも違った。指導する側が、今の人民運動の発展と結びついていくことが要だ。被爆者や学んだ子どもたちの成長に確信をもって、学校でどういう教育をしていくのかが大きな課題だ。

 大衆の反撃始まる 全国各地で転換促す
 編集部 今年の8・6行動は、みんなが勝利感を持ったというのが重要な特徴だ。全国を動かし、政治を動かしたという実感が確信になっているのではないか。去年は、北朝鮮のミサイル問題で大騒ぎをやっている最中だった。9月には安倍が首相に就任し、これが経済制裁で突っ走った。アメリカでは直後の中間選挙で、ブッシュ共和党は惨敗し安倍の支えが崩れたわけだが、国内では、米軍再編に抵抗する岩国に対してそれ以上の制裁をやり、防衛庁の省への移行、憲法改定の国民投票法、自衛隊の海外派遣本来任務化、下関では国民保護計画の実動訓練など、さえぎるものがないかのごとく突っ走っていた。そして、伊藤長崎市長の暗殺までいくが、久間発言、参議院選挙まできてそれを全国の人民がひっくり返してしまった。そこの全国的な大衆の思いを形にし表面にあらわす作用を及ぼしたというところにわれわれの原爆展運動があると思う。
 長崎での伊藤市長銃殺事件は1つの分かれ目だった。ものをいうなという脅しだ。このなかでわれわれは間髪を入れずに「背後勢力の仕業だ」「アメリカを利するものだ」と号外をだし、長崎で配布して非常に大きな歓迎を受けた。直後の市長選では、自民党がかつぎ出した首相官邸記者の娘婿候補が落選し、「市政は市民のもの」といった課長の田上氏が当選して、全国を明るくさせた。そして原爆についてアメリカの犯罪について、もっとみんなが発言するようにさせなければならないと訴えて長崎「原爆と戦争展」に力を入れた。そしてものをいわせぬというもくろみはひっくり返した。
 久間発言では、田上市長が真先に東京に飛んで久間に文句をいう。田上市長は堂堂としているのに、久間が終始頭を下げて聞いている姿が全国のテレビで流れたが、久間がもっともこたえたのは長崎の怒りが噴き上がったことだ。その流れは、参議院選挙で惨敗するところにもなった。暴走政治が伊藤市長を暗殺するところまでやったが、その思惑は打ち負かされた。
  長崎は、長年「祈りの長崎」といわれてきた。「原爆はしょうがない」が支配的な世論とされ、被爆市民の本音は沈黙のなかにあった。それがいまや通用しなくなった。これは非常に歴史的な転換だ。「沈黙を破る長崎の怒り」の発動となったわけだが、ここにはこの間の峠三吉の原爆展が大きな役割を果たしていることは明らかだ。
  第2次大戦パネルをやってそこがもっと暴露された。学生や若い人が、自分たちも学校で「しょうがない」と教わって腑に落ちなかったが、パネルを見て、体験者の話を聞き、やっぱり必要なかったのだと納得していた。教科書でも定説にされてきたものが、自分たちの実生活の体験と結びついて、覆される状況になっている。
 編集部 8月14日付の長崎新聞で、本島元長崎市長にインタビューしている。「あなたはもともと“仕方がない”といっているが、久間さんとは違うのではないか」と聞いているが、本島氏は「久間意見に賛成だ。アメリカを恨む気はない」としゃべっている。本島氏はいまでも長崎の平和勢力と称する部分のカリスマ的な存在となってきているが、本島氏は久間氏と同じ種類の人物だったわけだ。「しょうがない」論は、「加害責任があるから原爆投下はしょうがない」といってきたいわゆる革新系勢力の専売特許のようになってきたものだ。本島氏が代表するインチキな革新勢力の欺瞞が剥がれ落ちたのは、この夏の大きな出来事だ。
  全国に800通の「アメリカに謝罪を求める」署名用紙を発送し、8・6への参加工作をしたが、署名が返ってきた数が去年とは段違いに多かった。職場で回したり、近所を回って集めたり、「なにかしないといけないという気持ちはあるが、行動を呼びかけるところがないのでやりたい」と応えてくる人たちがたくさんいた。沖縄でも8・6のあと、「原爆と戦争展」を沖縄市役所でやると、沖縄戦関係者のおばあちゃんが見て、「私はだまされていた。日本兵が悪いと思っていたが全然違っていた。全国でこれだけのことをアメリカがやってきたということを初めて知った」と衝撃を語っている。そういう転換が各地で起きている。
 編集部 大きな情勢の発展とかかわって、大衆の反撃が始まっている。50年8・6斗争の路線が、それを先頭を切って促進していく役割を果たしている。たたかって動かしているのは大衆自身だが、大衆がたたかう上で決定的な役割をこちら側が果たしており、全国的な政治を動かしているということができる。われわれの運動はそんな小さな運動ではないことを自覚する必要がある。

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