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イラク派遣撤回署名運動へ

さらに全国民的運動へ
首相に1万5000人分発送
         全市民の圧倒的な総意  2004年1月17日付

 吉本幸子(下関原爆被害者の会会長)、宮崎宗夫(元海軍戦争体験者)、古川薫(作家)、太田和子(ゴミ袋値下げ署名賛同者)、小田藤吉(戦争体験者・漁民)、権藤博志(近松を語る会事務局長)、藤井日正(本行寺住職)、岡村三吉(傷痍軍人会)の八氏が呼びかけ人となって山口県下関市ではじまった自衛隊のイラク派遣撤回を求める署名(代表・今田一恵/小中高生平和教室代表・元小学校教師)は、一月一四日までに市内を中心に総数一万四六二三人分(市内一万一九五九人、豊北町一〇一〇人、市外・全国一六五四人)の署名が集められた。戦争のない平和で豊かな社会を願う下関市民の圧倒的な総意として、一四日付で内閣総理大臣・小泉純一郎首相にあてて、首相官邸に送られた。実行委員会は今後、さらに本格的に市内全域へ署名運動を広げていこうとしている。

 全国から寄せられた署名も共に発送
 一四日には、首相官邸に送るまえに今田一恵代表と呼びかけ人のうち五氏が参加して市政記者クラブで記者会見をおこなった。
 代表者の今田一恵氏は、一万四六二三人分の署名が下関市民の平和を求める声としてそれぞれに思いのこもったものであることをのべた。一一月下旬からはじまった署名運動が、市民のなかに渦巻く平和擁護の世論とともに急速な広がりを見せており、自治会や各種サークルをはじめ、学校官庁の職場、病院、民間企業や商店、街頭などさまざまな場所で現在も署名が回っていること、子どもたちは学校でとりくみ、母親たちも集めて回ったことをのべた。
 また、下関ではじまった署名運動の訴えに賛同した市外や全国の人人からも、集められた署名が郵送されてきており、県内では米軍基地のある岩国市や山口市、豊北町に飛び火して運動がはじまっていること、全国でも沖縄、宮崎、岡山、大阪、広島県で共通の訴えによる運動が広がっていることなどを話した。
 そして「戦後五八年にしてまたもや日本の若者に武器を持たせてイラクの戦場にかり出す小泉政府にたいして、日本国中で自衛隊派遣に反対する声が圧倒している。下関実行委員会の署名は、賛同者、協力者をふやしながら、政党政派、思想信条、職業をこえた全市民の総意として広がっている。わたし自身も戦争遺児であり、二度と戦争のないように再び子どもたちを戦場に送らないという思いで教員として子どもの教育にたずさわってきた。自衛隊のイラク派遣がそれだけにとどまらず、日本が戦争にすすんでいくことにたいして、平和を願う圧倒的な市民の力を束ねていくために、今後さらに運動を広げていきたい」とのべた。

 呼びかけ人5氏が溢れる思いを語る
 その後、呼びかけ人の五氏がそれぞれ思いを語った。
 元海軍で戦争体験者の宮崎宗夫氏は、昭和一二年に召集を受け、一カ月後にシナ事変が起きて中国大陸へ送り出されたこと、大東亜戦争勃発後にふたたび召集されてミッドウェー海戦などでいくども死にそうな目にあった経験を語った。そして、現在が日中戦争に突入していったかつての二・二六事件(一九三六年)前夜に酷似していることを話した。「時の権力に国民が負けて、戦争でひどい目にあう。日本の歴史はそのくり返しではないか。もっと大きく全国民的な運動として広げることが重要だ。全国の人人のバラバラになった力を束ねることがたいせつだ。かつての戦争で多くの戦友が命を失って、生き残ったわたしは戦後は平和のために運動してきた。戦争に正義はない。戦争ほどむだなものはない。なぜ人類が殺し合わないといけないのか。なんとしてもやめさせなければと思い発起人になった」とのべた。
 下関原爆被害者の会の吉本幸子会長は、自衛隊のイラク派兵をめぐる連日の動きについて、戦前になったと感じていることを話した。「原爆でたくさんの方が亡くなられて、戦争でみなさんたいへんな目にあわれて、それから営営として平和な社会を願って暮らしてまいりました。わたしたちは戦後五八年間、憲法九条に守られてきました。イラク復興とか国益とかいろいろいわれていますが、原爆や戦争の地獄を体験したものは、どんなことがあろうと若い方方を戦場には行かせたくありません。平和の運動に右も左もありません。理屈ぬきで反対です」とのべた。
 本行寺の藤井日正住職は、父親が硫黄島で玉砕したことを話した。「一般の兵隊はみんな自分から戦争をしたいと思って行ったわけじゃない。そして戦死し、あるいは生きて帰ってこられた人もいた。みなさんが家族のため、日本のために亡くなられた。かつての戦争で宗教家も多くの人が同じように命を失った。イラクに派兵してふたたび日本がそういう状態になってはいけない」とのべた。また、「原爆を投げつけてむごたらしく日本人を殺したアメリカが戦勝国だからと五八年間謝罪するでもなく、平気な顔をしていることは許されないことだ」と敗戦から現在にいたる対米従属の関係について強い憤りをこめて語った。「“ペンは剣よりも強し”といいます。かつて軍部の圧力によって真実が覆い隠されて負けました。みなさんの仕事はたいへんなものだと思いますが、わたしは若い記者のみなさんに期待しています」と記者たちに語った。
 近松を語る会の権藤博志氏は、昭和一六年に生まれて、九州筑豊の炭坑の街で育ったこと、幼いながらに経験した空襲警報のサイレンの音や、防空壕に入ったときの感じはいまでも鮮明に覚えていることなど話した。「戦後、進駐軍がわたしの町にもやってきて、わたしははじめて真黒い兵隊さんを見た。投げられたチョコレートやチーズを拾って食べて、世界にはこんなにおいしいものをつくる国があるんだと驚いた。アメリカ文化にふれ、アメリカのライフワークに憧れてすばらしいと思ってきたのが、青年期、壮年期をへたいま、考えが変わってきた。同じように感じている人は多いと思う。戦後から五八年たった世界はアメリカの一極支配であるし、今度のイラク戦争もアメリカから仕かけていった戦争だ。そのような戦争にどうして自衛隊が加わらないといけないのかと思う」とのべた。
 一〇万三〇〇〇人分集ったゴミ袋値下げ署名賛同者の太田和子氏は、「女性が社会的に目を開かないといけないと思った。平和の問題も同じです。わたしたちは未来に生きる子どもたちをどう教育し、どうのばしていくのか、責任を負っていると思います」とのべた。
 記者会見のあと、署名は首相官邸にむけて発送された。署名に賛同している人人のなかでは、今後さらに本格的に市内全域で署名を広げようと、夕方スーパー前で署名をとりくんだり、一七、一八日には彦島地域の民家に一軒一軒訪ねてチラシを配布し、署名を訴えて回ることが計画されている。

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