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対米売込み破綻の小沢狂乱
民意との間で股裂き状態
               猛烈なアメリカの圧力     2007年11月9日付

 参議院選挙で、「政権選択」を叫んだ安倍前首相は、大惨敗すると居直りを決め込んで人人をあきれさせたが、その後すぐにパンクして政府を放り出し敵前逃亡の無様な姿をさらした。と思ったら今度は、反自民を唱えて勝ったはずの民主党小沢党首が、自民党との大連立という大裏切りに動いてパンクし辞意を表明、人人をあきれさせた。すると民主党内から「慰留」の大合唱が起きて、「辞めない」と表明して、これも「恥の上塗り」としてまたまた人人を驚かせた。外国から見たら、日本の国政を担う政党がなんと無様な姿かと笑いものにならざるをえない。いったいなにが起きているのか、どうしてこんなことが起きているのか、経過を追って考えてみた。

 参院選挙で縛られた民主党
 民主党の小沢代表は4日、「先の福田首相との党首会談で要請のあった連立政権樹立をめぐり政治的混乱が生じたことを理由に代表を辞する」と表明したが、2日後の6日、「皆さんの意向を受けてぜひもう1度頑張りたい」と代表続投を表明した。
 大連立構想は2日にもたれた2回目の党首会談で持ち出されたといわれる。それは福田首相が小沢代表の「国連決議を前提にしなければ自衛隊の海外派兵はできない」という主張を受け入れて恒久法制定で合意した後に連立政権論議となり、閣僚人事にまで話題は発展したという。小沢氏は「これで党内を説得する」と福田首相に約束し臨時役員会にかけた。だが民主党役員会は反対が続出。小沢氏は「プッツン状態」となって辞意表明をした。
 ところが、民主党執行部はその小沢氏に「戻って下さい」と続投を要請した。小沢氏は6日に辞意表明を翻し、7日の代表留任会見で「不器用なやり方でした」「気力が途切れたというか、プッツンした」などとのべ、代表の座に復帰した。民主党の鳩山幹事長は、「大連立の話は消えた。次の衆院選で政権取りに頑張る」とのべ菅代表代行は「大連立になると、国会が(チェック)機能をなくす。取るべき手段ではない」と主張した。
 反自民で「国民の生活が第1」などといって参議院選挙をやり、参議院は多数派になって、自民多数の衆議院との「ねじれ国会」となった。そして法案は1本も通らなくなった。そしたら、民主党の党首が自民党と合体するというのである。国民の信用大失墜であるが、その信用大失墜者を党首として再び復活を願うというのである。
 自民党の安倍前首相の放り投げにつづいて、民主党の小沢党首の放り投げと復活というようなことがなぜ起きているのか。それは参議院選挙の自民党大惨敗から始まっている。参議院選挙に示された民意の圧力と、それに対抗するアメリカと日本の財界の圧力という矛盾のなかで起きた現象といえる。参議院選挙は、自民党に鉄槌を加えたが、民主党をも縛り付けたのである。
 この「大連立」への小沢氏への働きかけは、直接には中曽根元首相、読売本社渡辺恒雄会長、森元首相らが動いたといわれている。「ねじれ国会」になって国会審議が進まず1本も法案が通せないなかで、2カ月以上も前から民主党に対し「大連立」構想にむけた猛烈な働きかけが動いていたのである。
 しかし最大の圧力をかけたのはアメリカであった。米国のシーファー駐日大使は参院選投開票の2日後に小沢氏との面会を打診。民主党本部に乗り込んで「党派をこえてテロ特措法延長に賛成せよ」と圧力をかけた。これに対し小沢代表は「民主党も自民党以上に、国際平和のために日本が積極的に協力すべきだと考えている」と力説し、「国連のPKOには積極的に参加する。これは米国にマイナスではない」とのべた。

 米国は給油継続に固執
 アメリカがとくにこだわったのは、インド洋での給油活動の継続であった。安倍首相が政府を放り出したのは、9月にシドニーでブッシュに叱責されて「職を賭してテロ特措法延長をやる」といったが、安倍では見込みがないというので、シーファー駐日大使が与謝野官房長官を訪ね給油活動継続を要求したのが直接のきっかけであった。
 この給油活動は、油を補給することなどはアメリカ側でどうにでもできることだが、日本の自衛隊まで撤退することは、アメリカ国内はもちろん世界的に広がるイラク撤退の流れを加速させ、ブッシュ政府を政治的に孤立させ命取りにもなりかねないからである。
 福田内閣が発足すると、ケーシー米国務省副報道官が「日本はアジアだけでなく世界において米国の主要な同盟国の一つ」と強調。ブッシュ大統領も福田首相に電話し「日本の貢献はテロとのたたかいにおいて重要なカギをなす。日本の活動が継続することを期待する」とハッパをかけた。べーカー前駐日米大使も「日経」紙上で「日米両国にとって、外交・安保政策の要石は日米同盟」「インド洋での海上自衛隊による給油任務は米国にとって重要な問題」といった。
 この時期、ケント・カルダー米ライシャワー東アジア研究所長は「テロ特措法への反対は戦略的な現実を反映していない」「野党・民主党とは政治的な安定のため妥協も必要になる。早期の衆院解散、総選挙も取りざたされるが、日米関係が争点になるのは好ましくない。日米関係の強化にむけて野党も責任を持つ必要がある」とのべた。米ワシントンポストも福田総裁の課題を「日米の強力な関係を注意深くはぐくむこと」とした。
 また民主党小沢氏に対しても、9九月27日にモンデール元駐日米大使(カーター時の米副大統領)が民主党本部に乗り込んで会談。小沢氏は「日本は米国にすべて依存してやっていくのではなく、米国の頼りになる同盟国にならなければならない」と忠誠を誓い、モンデールは「私も賛同する。それは日米関係の成熟化であり、両国が真のパートナーになることだ」といった。
 10月31日には東京のカナダ大使館で給油を受けてきた米国など12カ国の大使が、国会議員全員に呼びかけて給油継続の必要性を訴える説明会を開催した。11月1日にテロ特措法の期限が切れ給油活動が中断すると、ゲーツ米国防長官が「早く再開してほしい。数カ月もかかることは望まない。数週間(の中断期間)で再開されることを期待する」と脅しをかけた。日本の給油活動で米閣僚が具体的な時期を示して再開を求めるのは異例であり、アメリカ側の焦燥感をあらわにした。
 この時期に中曽根元首相が講演で「国家全体を考えると大連立をして、なにが国益かを話し合う。その中から強力な政治に移行する段階が必要だ」とのべ、与党と民主党が連立を組むべきだと主張した。そして福田・小沢会談となっていった。

 日米軍事同盟が焦点に
 こうして参議院選後の政治的な焦点は、インド洋での給油活動、自衛隊の海外派遣問題であり、日米同盟でいくかどうかという問題となってきた。アメリカが猛烈な圧力をかけたことが、安倍、小沢の迷走の背景である。それは参議院選挙で示された民意との間で股裂き状態をつくり出した。小沢氏にしてみれば、アメリカの圧力の前に国民を代表する格好すらできなくなったのである。
 民主党は大連立はやめたので自民との対決姿勢に戻ったかのように格好をつけている。しかしテロ特措法問題では修正協議に応じる柔軟姿勢に転じた。発表した独自の対テロ方針骨子案は、国連決議を前提に民生部門でアフガニスタン復興支援をおこなう法案をつくるとした。自衛隊の現地派遣を、停戦合意後か、それに準ずる状態に限って容認することが要点。「治安維持活動には参加しない」「活動期間は原則1年間」とも条件をつけたが、要するに死者続出の国際治安支援部隊(ISAF)への陸上自衛隊派遣が中身である。それは自民党すらできなかったアフガンへの陸上自衛隊派遣である。
 小沢氏はさらに突っ込んだ構想を示しており、10月初旬発行の月刊誌「世界」11月号で「日本は国連決議が承認する平和活動に積極参加する必要がある。武力行使を含んでも憲法にはなんら抵触しない」「民主党が政権を取ったらアフガニスタン本土に展開する国際治安支援部隊(ISAF)参加を実現したい」とのべていた。
 参議院選挙は、小泉、安倍とつづく自民党政府が、アメリカのいいなりになって構造改革を進め、日本社会をさんざんに破壊してきたこと、とくにアメリカの身代わりとなって日本人を肉弾にさらすことなど、対米従属の植民地政治への怒りであった。日本人民のなかで、戦後のアメリカ支配の欺瞞が崩壊し始めたことであった。
 自民党の福田政府も、表面上で「低姿勢」を装っているが、やろうとしていることは小泉・安倍政府と同じアメリカ一辺倒である。そして反自民を唱えて政権交代を目指すという民主党小沢党首も、この間やってきたことはアメリカへの売り込みであった。民主党も、政権政党になるにはアメリカと財界に認められなければならないというものであったわけである。どっちがアメリカと財界のために国民をよくだますことができるかという違いにほかならない。
 参議院選挙は、暴走する自民党に鉄槌を加えようという民意の表れであったが、民主党を信用したというものではなかった。いずれもアメリカと日本の財界の代理人を競っている政党である。
 これらを突き動かす力は、全国的な人民世論であり、その運動である。その対立の中心点は日米軍事同盟のもとでの植民地的な隷属を認めるのかどうかである。

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