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体験に根ざす平和運動全国へ
広島・全国交流
           戦争を食い止める強い力   2015年8月10日付

 第14回広島「原爆と戦争展」開催中の広島県民文化センターで5日、広島、長崎、下関の被爆者、学生をはじめ、沖縄や愛知、大阪など全国で原爆と戦争展を開催してきた人人による交流会がおこなわれた。この間、各地で展開してきた実践経験を交流しあうとともに、安倍政府が戦争の反省を覆し、憲法を無視して戦争国家づくりを強行するという局面のなかで、戦争と被爆の民族的経験に根ざし広範な人人と結束した、力強い平和運動を展開していく決意を固めあった。
 はじめに原爆展を成功させる広島の会の高橋匡会長代行が挨拶。「戦後70年の今、国会の動きに対する抗議行動が全国的に盛んになっているが、安倍政府による無謀な安保関連法案を廃案にさせなければいけない。各地で現在までの活動を交流しあってこれからの活動の糧にしたい」と呼びかけた。
 原爆展を成功させる長崎の会の山村知史氏は、「原爆が投下されたときもこんな炎天下だった。小学校3年生のときに被爆し、あまりにも悲惨で悲しい体験だったため、原爆のことは思い出したくないと思っていたが、長周新聞の原爆展ポスター貼りをきっかけにしてつながりができ、みなさんの仲間入りをさせていただいた。戦争を起こさないために力を合わせたい」と連帯の言葉をのべた。
 下関原爆被害者の会の河野睦氏は、下関からはじまった原爆展運動が全国的に広がるなかで活動に力がこもっていることをのべ、「今年は九校の小学校に行って証言をしてきたが、子どもの反応が昨年以上にはっきりと変化している。“戦争はいけない”と直にいってくる子どもに元気をもらっている。安倍首相の地元だが地域の衰退もすさまじく、道路ばかり整備されて街はシャッター通りで市民はいいことは一つもない。私たちは老骨にむち打って、今年も市役所で原爆展を開催する予定だ」と語った。
 沖縄原爆展を成功させる会の野原郁美氏は、昨年から全県一丸となった辺野古新基地建設反対のたたかいが盛り上がるなかで、先日、菅官房長官が1カ月の工事停止を打ち出したことに触れ、「戦後70年のアメリカの支配の下でも民族の魂を売らなかった沖縄の県民世論の力であり、現在の安倍戦争政治と対決する全国の人人と呼応しながら強行政治を追い詰めている。腰砕けの政治家頼みではなく、かつての戦争はなんだったのかというところから戦争体験を継承し、アメリカの戦争観をひっくり返していくことに力をいれてきた。今年初めて原爆と戦争展を開いた八重山は、尖閣諸島を目の前にして自衛隊基地が整備されるという緊迫する状況だったが、島民の戦争体験に根ざした平和への論議が広がり大反響を得た」ことを強調。「戦争前夜の情勢下でどうやって阻止していくのか深めていきたい」とのべた。
 大阪府守口市からきた退職者の男性は、4年前の劇団はぐるま座の『原爆展物語』をきっかけに、退職教員を中心に原爆と戦争展を開催していることを明かし、「今年の安保法制反対からは関西でも学生が自発的に集まるようになってケタが違っている。ようやく若い世代が動き出していることに喜んでいる。まだまだ長いたたかいになる」とのべ、原爆展を基礎に粘り強い運動を継続していく意欲をのべた。
 各地の参加者からは、安保法制強行のなかで様変わりしてきた反響とともに、親兄弟を奪われた戦争の責任を投げ捨ててアメリカに国土と国民を差し出そうとする安倍政府への激しい怒りが語りあわれ、その歴史を受け継ぎ平和を守る使命を若い世代に託していく決意が熱を帯びて交わされた。
 広島の会の男性被爆者は、「今年は被爆70年の節目であることを意識してとりくんできた。新たに4つの小学校から申し出があり、子どもは昨年以上に真剣に話を聞き、戦争反対、原爆が2度と使われてはいけないと数数の言葉を返してくる。強行採決の日には、生徒や教員からも安保法制について話を聞かせてくれと依頼されるほどだった」とのべた。
 また、開催中の広島「原爆と戦争展」では、「多くの若い人が共通して戦争法案への危惧を語っており、なかには“国を守っていくのだから必要”という人もいたが、戦争や原爆の真実を語ることを基本にし、体験からくる思いや現代に繋がる事実も伝えていくことで理解を広げてきた。今政府がしきりにいう“国民の生命や財産を守る”の理屈も、この法案ができれば全く逆のことになる。70年も戦争をしないことで世界から信頼を得ていた日本が、“アメリカと一緒に戦う国”として世界中から敵視され、攻撃の対象になる。政府が持ち出す砂川判決も単なるこじつけでしかないことを誰もが感じている。高校生とも認識が一致でき、力強い絆が生まれていることがうれしい。一人でも二人でも言葉を受け止めて考えてくれる人が増えていくことに手応えを感じている」と確信を込めて語った。
 広島の会の婦人被爆者は、女学生時代に被爆によって3歳の弟と母親を亡くし、30年田舎で辛苦して広島へ帰ってきた経験を語り、「私が生き残された意味を改めて思い直して広島の会への参加を決め、今では毎年各学校に証言に行っている。青春がなかった私にとって、今こうして話すことが仕事であり青春だ。親をはじめ多くの犠牲者の供養であり、今も元気で社会や人の役に立てることがうれしい。安倍さんは戦争に自衛隊を出そうとしているが、自衛隊員のなかにはイラクなど他国で頭を冒され自殺する人もいる。アメリカ兵の不足を補うためであって国民のためではない。70周年の盛り上がりに応えて、これまで以上に頑張っていきたい」とのべた。
 名古屋から参加した特攻隊体験者の男性(87歳)は、「安倍首相の話を聞いていると、“一人も死なない。徴兵制はない”などと欺瞞を並べている。そんな綺麗な戦争はない。鉄砲を撃たれてから、どうしようかと話しあうような暇はない。撃たれたら即座に撃ち返すのが戦争だ。家族も恋人もみんな殺される。あの当時は、戦争はやめようといえば監獄行きだった。42歳の人まで戦場に行かされたのをこの目でみている。私たちは欺されて戦争に連れて行かれ、敗戦後はさんざんなことをいわれた。今になって戦争を美化して安倍は同じことをやろうとしている。徴兵制も自衛隊が不足すれば絶対にやる。アメリカの力も弱っているのにろくに反対もできない自民党はなにか」と激しく語った。
 「憲法学者も弁護士も反対しているが、私たちももっとしっかりやろう。アメリカは核も基地も持って帰れ! だ。広島ではそれがいえる。もっと大きな声でやろう!」と呼びかけると、参加者から拍手が送られた。

 体験者の願い学び行動 学生や留学生

 沖縄から参加したサイパン引き揚げ体験者の婦人は、「サイパンは、広島、長崎に原爆を落としたB29が飛び立ったテニアンが目の前にある。昭和19年7月5日にサイパンが陥落し、それからアメリカはテニアンに侵攻して飛行場を作った。その先が沖縄だ。今辺野古基地反対を盛んにやっているのも、私たちは基地のないところに弾は飛んでこないことを経験を通じて知っているからだ」と強調した。
 また、「政府側の人たちは中国や韓国を敵視しているが、戦前のサイパンでは中国も韓国の人たちも仲良く暮らしており、私たちからすれば友だちだ。それを米軍基地をつくるために勝手に敵視し始めた。広島、長崎では一発で多くの人人が殺されたが、サイパンは艦砲射撃、飛行機による機銃掃射で弾の破片が雨のように落ちてくるなかを逃げなければならなかった。歩きながら首が飛んで倒れる人、破裂して肉体が飛び散った人、それを目の前にしながら生き延びてきた。サイパンは戦後、16年以上居住している人は残留が許され、私は戦争で亡くした両親や兄など六人の遺骨を拾って帰るために残ることを申告した。だが、あまりにも残留希望者が多すぎて、アメリカによって裸同然で昭和21年2月の寒い沖縄に強制送還された。それ以来、アメリカに対して敵愾心を感じ、嘉手納飛行場建設などでも絶対に労働しなかった」と涙をにじませながら語った。
 「これからの子や孫たちを私たちと同じ苦しく辛い目にあわせてはいけないと燃えている。一人でも多くの人に戦争の愚かさを伝え、中国も韓国の人たちも決して敵ではなく、仲良くしていくことによって若い世代が本当に美しい、平和な社会を作っていけることを伝えていきたい」と熱を込めて語った。
 これを受けて、スタッフとして参加している広島の女子大学生は、「大学での展示を見てこの活動に参加したいと思った。被爆者の方の話を聞いたり、いろんな資料を見て、はじめて学ぶことも多かった。被爆者の生の声は何回聞いてもその辛さを改めて感じる。この活動を通じていろんなことを学んでいきたい」と抱負をのべた。
 同じく広島の女子学生は、「平和公園の街頭展示で外国人のアンケートを集めて翻訳するボランティアをしてきた。戦争はダメだと力強く書かれており、人種や国籍は関係なく、平和のために実現していかなければいけないとみんなが思っていることがうれしく心強い。被爆者の方の言葉が毎回心に刺さる。この思いを世界の人たちにも伝えていきたい」と語った。
 また、中国人の女子留学生たちが、「戦争は私の母国の人人にも深い傷を負わせた。それを痛感し、この活動に参加している。この恐ろしい戦争が起こらないように日本の人たちにも努力してもらえるよう自分も橋渡しの力になりたい」「このような展示会や交流会に参加するのははじめてだ。ここで戦争を二度とくり返さないようにしようと心から感じる。これからも力を尽くしたい」と、国籍を超えて平和のために活動する意欲をのべると、参加者から大きな拍手が送られた。
 沖縄在住の被爆者、広島、長崎の被爆者、被爆二世からも熱のこもった発言があいつぎ、「アメリカは三発目の原爆を朝鮮戦争で使おうとしたが国際世論で使えなかった。アメリカや大企業の腰巾着になっている政治家にはなんの力もない。国民が意見を発して世界に向けて発信していく時だ」「被爆した父はたくさんいいたいことを抱えたまま亡くなった。私たちが子や孫のために訴えなければいけない」と語り合われ、若い世代を巻き込んだ旺盛な運動を各地で広げていく意欲が語り合われた。
 最後に広島の会の高橋会長代行が「私たち被爆者、戦争体験者はあの戦争の悲惨さ、実態をつぶさに次世代に伝えていく使命がある。そのなかに戦争を食い止める力が必ず生まれてくるものと信じている。この歩みは寸分たりとも止めるわけにはいかない。これからも全力で進んでいきたい」とのべ、全員の拍手で会を閉じた。

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