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大衆主人公で必ず勝利する確信
原水爆禁止全国実行委
              広島で最大の平和勢力に     2011年9月5日付

 原水爆禁止全国実行委員会は4日、下関市で全国会議を開き、今年の8・6広島集会を頂点にした原水禁運動の総括論議をおこなった。東日本大震災と原発事故が発生し、全国的な世論が大転換するなかで、1950年8・6斗争に始まる峠三吉の時期の私心のない原水爆禁止運動の再建をめざす運動は、全広島市民を代表し、全国的な平和と独立の世論を束ねる運動として大きな飛躍を遂げた。会議では、今年の運動の到達点を明らかにし、それをもたらした活動路線について活発な論議が交わされた。
 はじめに川村なおみ事務局長が、今年の運動の経過と概要を報告。今年の8・6斗争は、10年間の原爆展運動を描き出した劇団はぐるま座の『原爆展物語』公演を推進力にした全国各地でのとりくみをはじめ、広島、長崎での原爆と戦争展、小中高生平和の旅、平和公園での街頭原爆展、宣伝カーによる8・6アピール宣伝、8月四4日の『原爆展物語』公演など、広島、長崎の広範な市民を基盤にした重層的なとりくみがおこなわれ、八・六集会はその集大成として大きな感動を残すものとなった。
 被爆者の熱意の高揚とともに、子どもたちをはじめ学生や現役世代など若い世代が集団をなして活動に加わって全国的に大きな展望を与えており、「この到達に立って、それを推進した路線上の教訓を明確にして、実践を飛躍させるなら新しい平和勢力を急速に拡大していく」ことを明らかにしたうえで、全体への論議を呼びかけた。

 原爆展スタッフ模範に 行動始める若い世代

 広島の活動家は、「体験者の意気込みが高く、今年の原爆と戦争展ではのべ72人の被爆者や戦争体験者が会場で体験を語り、その思いを受け継いで大学生や高校生などのべ25人がスタッフとして会の運営にあたった」こと、全国から集まってきた若い世代を中心にして会期中に新たに203人が賛同協力者になったと明らかにした。
 別の活動家は、「集会に参加した広島市民からは“だれもが参加できる集会で、理屈をこねたり、小集団の自己主張を延延と聞かされる集会ではなく、市民みんなが理解できるものだった。この運動に出会えた人は幸せだ。自分も参加したことを誇りに思えるものだった”と高揚感をもって語られている。はじめて参加した婦人被爆者も“広島にはいろんな団体があるが、これほど市民とともに行動している運動は他にない”と感動を語り、知人の被爆者を誘って広島の会に入るなど非常に行動的になっている。デモコースの商店街でも“若い人たちが先頭に立っているのがいい”“政治がデタラメな状況だがこういう運動を全国で起こさないとダメだ”と大歓迎された」と報告。
 長崎からも、「集会に参加した被爆者は、“昨年以上の集会だった。長崎でも頑張らなければ”とはりきっている。スタッフとして広島行動に参加した長崎大の学生が成長していることに喜び、現役世代のなかでも“今は世のため人のために行動することが必要だ”といって近所のデパートで原爆と戦争展をやると提案されている。広島と共通の思いで市民は高揚している」と語られた。
 沖縄の活動家は、「台風の影響で八・六集会には参加できなかったが、今年の八・六に向けた期待は非常に大きかった」とのべ、その推進力となった劇団はぐるま座の『原爆展物語』の二次にわたる全県公演の様子を報告。
 6月には、具志川高校での全校鑑賞を皮切りに、県内5カ所での第二次公演で1800人が観劇したのをはじめ、第一次公演や劇の内容を紹介する紙芝居、さらに原爆と戦争展を含めると約1万人の県民がこの運動に参加したことを明らかにし、「広島、長崎、沖縄をつなげていくことの大切さや、“基地問題も沖縄だけでは解決しない。全国的な運動をやる組織がいるんだ”と強い期待を集めている。高校生たちも水をうったように真剣に舞台を見て、みんなが“感動した”と語っていることに教師たちが衝撃を受けていたり、流通関係で働く婦人も、ポスターを貼るのもためらいがあった職場の同僚や課長まで夫婦で観劇に訪れて、その後も原爆展運動にかかわってくるなど大衆観が大きく飛躍している」とのべ、「劇への感動が原爆展運動という行動につながり、学校からも原爆展開催の要望が来るようになっている」ことを明らかにした。
 劇団はぐるま座団員は、『原爆展物語』の公演を通じて「運動を広げていく組織が必要だ」という声が強まっていることを明かし、公演にかかわった長崎の中学校教師が原爆と戦争展に加わり、8・6集会にまで参加して「平和教育の新たな出発点に立つことができた」と語っていることや、高校生が「原爆展スタッフのような生き方を自分たちの模範にしたい」と語って集会に参加するなど行動意欲が増している様子を紹介。
 別の団員も、「広島市内の現役世代も“広島の者が発信していかなければいけない”といって全広島を代表する運動と受け止めてデモ行進にも生き生きと参加していた。集会宣言を読んだ女子大学生も、昨年は高校生として『原爆展物語』公演をとりくんで学んだことが宣言を読み上げることでより深まり、役割を果たせたことを喜んでいた。佐賀の戦争体験者など高齢で参加できなかった人たちも“戦後、隠されてきた真実がようやく表に出てきた。これは救国の運動だし、全国の隅隅に広げてほしい”と熱を込めて語っていた。そういう無数の人人の思いを凝縮した集会になったし、今後それに応えていく活動をやるかが問われている」と語った。

 皆の為で平和の旅統率 教育集会成功へ発展

 平和の旅をとりくんだ山口県の男性教師は、「8・6集会の成功が、その後の教育集会の成功につながった。教育における文科省による教育破壊も、教師が団結して実践的にやることで突破していける教訓をつかんだ」と確信をもって報告。
 「これまでのように“活動家が主人公”の自慢大会ではないし、人民大衆が社会の主人公であるという基準に立って活動することで、参加した大衆自身が“自分たちの運動だし、集会だ”と感じて、成功を心から喜ぶものになった。さらに、3・11震災後の全国的な意識の変化のなかで、勤労人民に学んで平和の担い手を育てていくんだという教師集団、親、子どもの情熱が人人の思いとつながった。自分の利益でなく、みんなのために、みんなの力を合わせるということの重要性をだれもがつかんだ」とのべた。
 また一方で、「子どもたちの成長が喜びにならず、いつまでも“文科省が悪い”と文句だけいっている被害者同盟という流れや、高見から評論だけして現場に責任を持たない組合主義との斗争が不可欠だった。子どもに責任を持って新しい運動を切り開く建設同盟としての厳しい斗争のなかに成功が生まれた」ことを明かした。
 愛知の活動家は、「路線問題は、理屈の上ではなく実際行動にあらわれている。社会の片隅にいて“自分は一生懸命やっている”というのではなく、再び戦争を起こさせぬという情熱と行動が人を動かしている。8・6に特攻隊経験者の男性が参加したが、愛知での原爆展で小学生がアンケートに“原爆によって日本は平和になったと思っていた”と書いているのに衝撃を受け、“この原爆展をやる意義は大きいし、数の問題ではない。一人でも真実を知ってもらえるのならやるべきだ”と熱を込めて語っていた。こちらの側がただ原爆が悲惨だから戦争反対というものではなく、戦後のアメリカ支配のなかで覆われてきた欺瞞を覆していく目的意識をもたなければ大衆の願いには応えられない」と教訓をのべた。

 無私の活動家集団結集 全国席巻へ

 さらに、論議は路線上の教訓に進み、8・6に至る過程で、被爆者や原爆展パネルに学んで活動を始めた学生を官製運動に追いやり、その方向で被爆者や原爆展運動を利用していく流れや、実務に責任を持たずに自己の思いを基準にして活動を攪乱する無責任思想などが顕在化したことが提起され、この教訓を明らかにすることが新しい政治勢力を結集していくうえで不可欠の問題として論議された。
 そのなかで「こちらの運動が広島における最大勢力になっている。原爆と戦争展に2000人、ポスター掲示に数千人、キャラバン隊では数万という人が見ている。さらに、広島、長崎市民の声をまとめて“福島は復興できないはずがない”という長周新聞号外を東北に配りに行くと大歓迎された。大衆がいるところでは必ず勝利するというのがこの運動の最大の力だ」「『原爆展物語』の公演でもっとも反響が大きいのは活動家が10年間を振り返って教訓を語るエピローグへの共感だ。つまり、第二次大戦の真実を大衆的に明らかにしていった路線だし、そのような私心のない活動家集団への期待だ。大衆の要求は、目先の経済利害だけだと思っていたら大間違いで、全国の共通利益に立った政治斗争だからみんなが支持する。活動家の中では“エピローグはいらない”という評価があったが大衆のためか自分のためかの違いだ」と論議された。
 山口県の退職教師の男性は、「8・6集会も教育集会も参加者全体の一体感があり、日本の平和と独立のために一つの方向に向かって力を合わせ、信頼しあえる共通の気分感情が通い合っていた。必要なのは自分の願望や評論ではなく、大衆の願いに立った実践だ。『原爆展物語』を見た母親が猛烈に動いて、地域の原爆展に教頭やPTA会長まで賛同者にして、学校の同僚教師たちもみんなが呼びかけ人になった。教育実践と原爆展運動がつながって大きな力になったし、実践することでなにもないところから運動がつくれる」と確信をもってのべた。
 北九州の教師からは、平和の旅の実務を軽視していたことへの反省に触れ、「旅のなかで子どもたちの熱中症対策に必要な水一つとっても、自分はどこからか勝手に湧き出てくるものだと思っていた。自分の知らないところで旅のスタッフが懸命に運んできていることを考えない自分が恥ずかしかった。八・六集会や子どもたちに責任を持つということは理屈ではなく実務や行動にあらわれる。働いて社会を支えている勤労人民の側に立っていけば展望がある」と語った。
 活発な論議が続き、「運動に責任を持つことは、組織の上に自分を置いてあれこれ命令するのではなく、大衆と気分感情を通わせて、みんなのために団結する集団主義でなければ実現できない」(男性教師)、「組合主義は子どものためといいながら自分のために人を攻撃するもっとも凶暴なものになっている。この日教組路線と決別することを大衆がすごく支持する」(男性教師)、「学生や現役世代は行動を求めて参加しているし、炎天下のビラまきなどの実践を通じてこの運動に対する大衆的な反響に確信を深めている。それは『原爆展物語』に示されている路線だし、いかなる権威も恐れることなく、大衆とともにやれば日本を変えることができるという確信だ。こちらの側にその確信がなく、権力に認められることが“大衆的”と見たり、禁・協のように片隅で自己満足をしているのでは、新しい勢力は結集できるはずがない」と語り合われた。
 最後に、「『原爆展物語』で描かれた第二次大戦の真実は、原爆展運動を10年実践したことで明らかになった。頭のなかでひねり出したものではなく、大衆のなかに入って無条件で実践することで路線が打ち立てられてきた。この路線に立って実践していけば全国を席巻できる」と確認され、来年に向けて各地で奮斗することを誓い合って散会した。

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