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『高杉晋作と騎兵隊』を全面改作
動けば雷電の如く
                     高杉晋作と明治維新革命     2008年5月2日付

 劇団はぐるま座はこれまで『高杉晋作と奇兵隊』を全国上演してきたが、今日の情勢の発展と現在の人人の問題意識に応える舞台へ発展させる方向で全面改作にとりくんでいる。題名も新たに『動けば雷電の如(ごと)く――高杉晋作と明治維新革命』としている。その台本を今号から紹介する。劇団はこの台本を多くの人に見てもらって、その意見をもとにさらに練り上げ、現代のテーマに肉薄し、深い感動を起こす舞台を創造する準備をしている。

 登場人物
高杉晋作 奇兵隊総督
森田   長州藩士
弥市   長州藩小者
来島又兵衛 遊撃軍総監
山県小介 奇兵隊軍監
筑前   福岡藩浪士
坪井   長州藩士・選鋒隊
白石正一郎 廻船問屋小倉屋主人
竹蔵   小倉屋手代
真吉   農民
茂松   農民
甚平   農民
お常   農民
お芳   農民
老婆
解説者
小倉屋の手代・女中たち、農民たち、俗軍兵士など

 第一幕
 解説 これは今からおよそ140年前、徳川幕藩体制を打倒して明治維新を成し遂げ、民族の独立を守りぬいた英雄たちの物語です。
 舞台は、文久3年から翌元治元年、翌々年の慶応元年――つまり1863年から1865年にかけての長州藩のたたかい。この2年間に明治維新最大のドラマがあるのです。
 およそ260年続いた徳川の時代。「百姓とゴマの油は搾れば搾るほど出るものなり」――血の出るような搾取のうえに成り立つ幕藩体制は、すっかり行き詰まっていました。その上に、欧米の資本主義列強が、アジアを次々と植民地にしていく。その勢いが中国を襲い、ついに日本にも迫ってきました。
 嘉永6年、1853年、ペリー提督ひきいるアメリカの軍艦4隻が浦賀の港に侵入し、「開港するか、嫌なら一戦交えるか」と脅しつけました。「太平の眠りをさます上喜撰、たった四杯で夜も寝られず」――徳川幕府は飛び上がって、屈辱的な不平等条約を結びます。それによって、物価の高騰はとどまるところを知らぬ勢い。「徳川の下では生きてはいけぬ」。庶民の怒りは沸騰することとなります。
 文久3年、沸騰する攘夷熱に押されて、幕府は仕方なく「攘夷決行」、すなわち通商条約を破棄して、外国船を打ち払えと、諸藩に布告せざるを得なくなる。それを真っ先に行動に移したのが、攘夷決行の仕掛け人であった長州藩。海上交通要衝の地馬関、現在の下関で、海峡を通りかかったアメリカの商船ペンプローク号に大砲をぶっ放すのです。

 砲声

 解説 つづいて23日、フランスの軍艦キャンシャン号を。26日にはオランダの軍艦メジューサ号を。予期せぬ砲撃で、外国船は、みな、慌てふためいて逃げ去りました。

 砲声にかぶせ、どっと起こる人々の歓声。

 解説 ところがです!日ならずして、アメリカ、フランス両国の艦隊から、猛反撃をうけることになるのです。

 大砲の音。つづけて2、3発。解説はその間に、ライトと共に姿を消す。

 第一場
 文久3年6月。長州下関、前田砲台。アメリカ、フランス両艦隊に破壊された台場跡で、村の衆が忙しく立ち働いている。

 真吉 えい、くそっ。異人の野郎どもっ、派手にぶっ壊しやがって。
 甚平 何じゃ、あの化け物みたいな大砲は。こっちの大砲はまるで玩具じゃ。
 お常 お陰でこちゃ、田圃も畑も台無しじゃが。
 お芳 おらとこなんぞ、家まで焼かれてしもうてよぅ。
 真吉 それにしても、だらしねぇのが侍よ。総大将のお奉行様が、ええ?
 茂松 進め進めちゅうて、そっくり返って采配振っちょったが、馬の上からすってんコロリン。

 一同、声をあげて笑うが、慌てて周囲を見回す。

 真吉 お奉行様もだらしねえが、手下の侍どもがどうだ。デカイ面しちょったやつらが、異人の兵隊どもが上陸したとたん、さぁ、逃げるわ逃げるわ。蜘蛛ン子のよう、蟹ン子のよう。
 甚平 (真顔になって)わしら鉄砲撃ちにまかせて見ろっちゅうんじゃ。片っ端から仕留めてくれるわ。
 茂松 ……わしら百姓がこねぇに食えんようになったんは、徳川が開港してからぞ。村の若い者はみな、横浜に殴り込みをかけるかと真顔で話しとる。

 竹蔵と弥市が登場する。

 竹蔵 みなさん、ご苦労様でございます。小倉屋の旦那から、湯茶の振る舞いじゃ。さぁさぁ、一息ついてくだされ。

 竹蔵の声と共に小倉屋の手代や女中たちが登場する。百姓たち「さすが小倉屋さんじゃ」「有難い」などと言いながら、湯茶をうけとる。

 竹蔵 うちの白石の旦那が言うておりますが、きょうび、こねぇなにもかも物が高うなるのは、横浜の港を開いた徳川が、異国との貿易を独り占めしちょるからじゃと。
 茂松 ああ。
 竹蔵 (百姓衆に)絹やら生糸やら異人どもが買うていってどんどん外国に流れていきよる。そうなりゃ、品薄になるのは道理だわな?
 真吉 なるほど。
 竹蔵 お陰で、絹100反を15両で買えよったのが、165両にも跳ね上がってしまいよる。京都じゃ、西陣の織物屋がばたばた倒れて……町衆は徳川を恨んで、尊王攘夷びいき、長州びいきで沸いとるそうな。

 旅姿の僧(高杉晋作)登場。立ち止まって海からくる風を懐にいれながら、あたりを見まわす。村人たちは話に夢中で気づかない。

 弥市 輸入品にかかる関税も、自分たちで決めることが出来んという約束じゃ。横浜にできた居留地にはアメリカ人やエゲレス人がようけおるが、やつらが日本の娘を襲うたとしても……幕府の役人には、捕まえることも出来んそうじゃ。
 茂松 それが、不平等条約っちゅうやつか?
 弥市 横浜にはイギリスの軍隊が2000人あまり駐留するちゅうんで、5000坪もある兵舎や弾薬庫を、幕府がカネを出してつくってやるというんじゃ。
 お常 な、なんじゃと! 百姓から搾り取った年貢でか。
 竹蔵 うちの旦那らも、異国との貿易どころか、長崎や大坂との交易さえ自由に出来んのじゃけ、商人にとっても……(声をひそめて)徳川なんぞ迷惑そのもの。
 弥市 江戸の将軍は、征夷大将軍じゃろう。それァつまり、異国が攻めてきたらこれを成敗するっちゅう意味じゃ。
 お常 (耳をそばだてて聞いていた)へぇ、そうじゃったんか?(と、ポンと膝を打って甚平に)じゃったらお前、役立たずちゅうことじゃなぁか。
 甚平 ただのコメ食い虫じゃないか。何が将軍さまじゃ。

 一同、声をあげて笑い出す。

 お芳 でもよ、こねぇ百姓が食えんようになったんじゃ、どうにもならんぞ。
 茂松 わしらァ、米をつくりよるのに、米の飯を食えるんは盆正月と、あとははぁいよいよ、死ぬっちゅう時ぐらいよのぅ。
 甚平 侍の子はどねぇ意気地なしでも侍。わしら百姓に生まれついたばっかりに、死ぬまで田圃にしばりつけられ、年貢しぼり取られて牛馬同然……。
 お芳 百姓は生かさず殺さず……1年入用の食いぶちだけ残して、あとはぜぇんぶ年貢でとりあげられるっ。
 真吉 不作にでもなったら、たちまち食えんようになって、村ぐるみで夜逃げしたり、年寄りァ姥捨て山、赤子が出来たら間引きをしよる。どこの村でも、田圃も畑も荒れて、わやになる。
 お芳 じゃけぇ、大名のお台所も火の車になって行きよるんじゃ。
 真吉 それでまた年貢をようけ取り立てるけぇ、ますます百姓がやれんようになっての。
 弥市 (竹蔵に)わしら武家の奉公人も藩財政窮乏というて、俸給はまともにもらえんのじゃ。傘張りの内職やら畑をつくらにゃ食うていけん。まあ長州じゃ、天保の一揆からこっち、門閥や家柄にかかわらず人材を登用するようになってきてはおるがのぅ。わしも、お国のために役立ちとうて、うずうずしとる。同じ人の子に生まれながら、身分が違うというだけで終生うだつがあがらんようなことで、どねぇなろうかっ。
 真吉 わしらハゼの実でも綿でも、自由につくれん。おまけに、お役人が無理やり安値で買い上げてよう……自分でつくったものを高い値段で買わされよるんど。アホらしゅうて、やれんわい!
 茂松 (素朴に、ふと)のぅのぅ、わしゃ、前から不思議に思うちょったんじゃが。お大名の領地じゃというてもだぞ……百姓が田畑たがやさんなら、ただの荒地じゃろ?
 たがやして田圃にしよるのは、わしらじゃろ? なんでそれが、お殿さまのものなんじゃ?
 お常 わしらァ侍なんぞおらん方が、よっぽどいいんじゃがのぅ……。
 真吉 ここまでくりゃ、百姓一揆ぐらいじゃだめぞ。わしらを苦しめよる大もとは、徳川じゃ。徳川を倒して世直しするんじゃったら、命をかけるがのぅ。

 旅の僧が、とつぜん振り返って笑い出す。

 お芳 あっ!(と、声をあげて真吉を制する)
 晋作 ああ、すまんが、わしにも茶をくれんか?(と、座り込む)
 お芳 は、はい……。
 晋作 それにしても面白いのぅ。いやぁ、実に面白い。
 お常 (ぶっきらぼうに)いったい、何がでございますか、お坊さま?
 晋作 (笑って)そう、怒るな。いやァ、気合が入っとるのぅ!
 茂松 そういう坊ンさんの方が、よっぽど面白いわ。
 晋作 そうか? それァ良かった!(痛快に笑う)
 真吉 よぅし、仕事にかかるかッ。日暮れまでには、やりあげるぞ!

 一同「おーッ」と気勢をあげて、大砲を綱で引っ張る。音楽とともに溶暗。その暗くなった舞台の一隅、スポットの輪に照らされ解説者が立つ。

 解説 外国軍艦に手ひどく破壊されたとはいえ、長州藩内の攘夷、世直しの意気はますます上がっていきます。ところが今度は、アメリカ、フランスに、イギリス、オランダを加えた4ヶ国連合の艦隊が、ふたたび仕返しに来るという長崎からの情報が、白石正一郎のもとに入ってくるのです。なぜそのような情報が白石のもとに入るのかというと、この白石正一郎という人は、下関の商人で、手広く海運業を営んでいました。また全国の志士たちが、ほとんどこの白石家のやっかいになっているのです。
 (地図を指して)山口県。かつての長州藩です。毛利の居城があった萩。藩庁のおかれた山口。小郡。長府。そして下関。当時馬関と呼ばれた下関は北前船航路の要衝。北海道、東北、北陸、山陰の物産が日本海をとおって下関に入り、天下の台所である大坂に運ばれておりました。九州や四国との交易ルートでもあり、日本最大級の商業地、いわば資本主義の先進地です。これが高杉晋作の活動拠点となった根拠でもあります。

 第二場

 文久3年6月。長州下関、海峡の見える白石正一郎邸。海に面した浜門の木戸を開け、森田某、旅姿の僧(高杉晋作)とともに入ってくる。

 晋作 いやァ、面白い。
 森田 アメリカやフランスに二度と長州の土を踏ますなと、百姓・町人が沸き立っておる。
 晋作 それに比べて、世禄の武士は話にならん。海の上の戦いで敗れたのは武器の差で仕方がないとしてもだっ。陸の上での戦いで、あのだらしなさはなんだ!
 森田 上陸した異人どもの陸戦隊には、砲台を占領され、火薬庫を爆破され、民家まで焼き払われる醜態だ。だがの、わが光明寺の浪士隊は最後まで、よく戦うたぞ。クソの役にもたたんのは、家柄を鼻にかける総奉行配下の連中だ。

 白石正一郎、奥より出て、森田に声をかける。

 森田 (振り返り「おっ」と軽く顎でうなづいて、高杉に)主(あるじ)どのだ。
 正一郎 (左右を見回し)高杉さまは――?
 晋作 あたしだ。

 坊主笠をとる。正一郎、晋作のザンギリ頭を見て、一瞬、怪訝な表情。

 森田 当家、小倉屋の主、白石正一郎。
 晋作 高杉です。東行高杉晋作、主どのに御意を得たく。
 森田 (正一郎が居住まいを正すのを見て)ああ、堅苦しい挨拶は抜きにせよ抜きに。さあさあ。……この男、昨日、お殿さまから突然、お召し出しがあってな。
 晋作 実はこのたび……(正一郎と対座して)馬関の再建と防衛の任を仰せつけられました。

 弥市が舞台奥から庭先に現われ、森田の名を呼ぶ。

 森田 (弥市の方に頷いて)では、わしは。
 晋作 うん。
 森田 (編笠を深くかぶると半ば独白のように)馬から落ちるような隊長に、馬関の防衛はまかせておけん。(喋りながら、弥市とともに舞台奥へ去る)
 正一郎 わたくしも多分、そうなることと思うとりました。高杉さまをおいてこの急場を収拾できるお方は、ほかにございますまい。
 晋作 いやいや、できることならいましばらく、萩でのんびりしていたかった。
 正一郎 京都でご活躍されていたのに、突然萩の松本村に引きこもってしまわれたとか。
 晋作 諸国から京都に集まった浪士たちのなかには、大言壮語して朝廷に出入りし、その実何かの餌にありつこうと、名を売っている輩が多い。――功名勤王です。諸大名に頼って倒幕をするとか、今度は天皇に頼って倒幕をするという、何の意味もない騒ぎをしています。幕府を倒すには、防長2州に割拠して、真の力を蓄えること。周布の親父にそういうたんですが、おまえのいうことは10年早いと。
 正一郎 10年ですか。
 晋作 じゃったら10年いとまごいをします、と。引き止められたら面倒なので、さっさと頭を丸めて、こういう姿になったのです。
 正一郎 なるほど。
 晋作 ……なんですか。小倉屋さんのほうへ入った情報では、4ヶ国が長州に報復を考えているとか?
 正一郎 もうお耳に入りましたか。
 晋作 やつらにしてみれば今度の戦いは、この馬関の港を開かせる、これは格好の口実ですからな。
 正一郎 清国でアヘン戦争をやって、今度は日本。……大変な、大戦争ではないですか。

 竹蔵が茶を運んでくる。晋作と目が合う。

 晋作 (笑顔で、低く)おう……。
 竹蔵 先ほどは、失礼いたしました。高杉さまとは存じませんで。
 正一郎 (怪訝)……。
 晋作 いやいや。
 竹蔵 高杉さまが清国を訪れた時にお書きになった『遊清五録』、読ませていただきました。
 晋作 (口元に微笑をうかべ、小さく頷く)
 竹蔵 高杉さまは、いかに武器の上で外国に遅れているとしても、命をかけてたたかう精神を外国は一番恐れていると書いておられましたが、わたくしも!
 正一郎 竹蔵。(下がるように目線で促す)
 竹蔵 はい。

 竹蔵、一礼を残し舞台奥へ。

 正一郎 (晋作に向き直り)はい。高杉さまがおっしゃるとおり、ここはなんとしても外国の侵略から下関を、いえ日本を守らなければなりません。
 晋作 そこで一策。まず天下に有志をつのって、ここに奇兵隊なる一隊を新たに創立しようと思うのです。
 正一郎 (怪訝)奇兵隊?
 晋作 ハハ、殿様も、その顔をなさいました。この男、なにをいいだすやらと。奇兵隊とは藩の正兵に対する奇兵です。――強力な西洋諸国の武力から国土を守るには、肉食の武士は役に立ちません。身分、地位、財産。そねぇなものはこのさい、どうでもよろしい。
 正一郎 と――町人であろうと、百姓であろうとですか?
 晋作 そうです。もっぱら実力を尊び、隊士は上下身分の差別なく、みな同格の付き合いをする。
 正一郎 士農工商、身分を問わず……。
 晋作 領内いたるところにつくるのです。志のあるものなら、百姓であろうと町人であろうと自由な武装を許すのです。
 正一郎 下万民、すべてが自由に武器を持つ? しかし、よくそのようなことをお殿さまが……。
 晋作 外国の攻撃から国土を守るには、領民の総力を上げる他ないでしょう。だからお殿さまは、そうせいと……。(微笑)
 正一郎 ほう……。
 晋作 庄屋や商人など、財のあるものは財を出し、鍛冶屋には鉄砲だろうが刀だろうが、武器をつくる自由を認める。領内50万の人民が武装すれば、どねぇな相手でもうち負かす力になるでしょう。
 正一郎 なるほど……なかなか面白い。それなら、「人民安堵」を旗印に号令をかけなされば、百姓、町人が馳せ参じることでしょう。……ところで、高杉さまの攘夷の意味とは……?
 晋作 攘夷には2種類があります。徳川は、もともとが外国嫌いの鎖国主義――外国の力に勝てぬとなれば、いともたやすく開港し、やすやすと屈従する。それは清国と同じで、自分の地位を守ることが第1だからです。異人は立ち寄るなというだけの攘夷は結局、世界の流れに踏みつぶされる。そうではなくて、外国への屈従は命をかけて断固拒否する、そして平等な立場で開国するということです。それが真の攘夷であり、時代の流れでしょう。
 正一郎 ほう……。
 晋作 ぼくはこの目で上海を見てきたが、上海ではエゲレスやフランス人が街を歩くとシナ人はみな、こそこそと道をよけてゆきよる。シナ人は使用人のようだ。まるで植民地だっ。……しかもシナ人にとっては神聖この上ない孔子廟にですよ、エゲレスの兵隊どもが泥靴であがりこんで、鉄砲を枕にごろごろ寝転んでいた。清国の政府は、外国にたよって、自分の国の、太平天国の農民の鎮圧をはかりよる。これでは早晩、清国は滅亡する。日本をあねぇな道にいかせるわけにはいきません。
 正一郎 そのためには?
 晋作 清国があのような有様になっているのは、外国の進んだ学問や文明を取り入れようとしないからです。徳川の時代遅れになった制度を改めて、欧米諸国にひけをとらない近代的な制度を取り入れることです。それで民族が独立できるということです。
 正一郎 なるほど。(噛みしめるように)御一新!(しばし瞑想)よろしゅうございます。――高杉さまのお考えは、まさに手前ども商人みなが願うこと。小倉屋正一郎、いかなることでも致す所存。
 晋作 協力してくれますか?
 正一郎 はい。その奇兵隊、わたくしがまず入隊させていただきます!……なに、わたくし1人でも身内や出入りの者に声をかければ、100や200の頭数は。とりあえず陣所には、この小倉屋をお使いください。(腕組みをして)それから、戦には資金がいりましょう。兵士を集めても食わさねばならず、武器も持たさねばなりますまい。藩の金ばかりあてにはできぬ……(考えて)はい、おまかせください。すぐに馬関の商人たちに呼びかけます。なぁに、1両日中にもこの庭が、1000両箱の山となるでしょう。
 晋作 (ハハハと笑って)高杉心から礼をいいます。それではご承知いただいたところで――(立つ)
 正一郎 ああ、いまお食事の……そんなにお急ぎにならずとも。
 晋作 いや、急ぐのです。急ぎませんと。

 竹蔵が奥から駆け出してくる。

 竹蔵 高杉さま、わたくしも……わたくしも、ぜひ!
 正一郎 (晋作と顔を見合わせ頼もしそうに)竹蔵。
 晋作 では、明日にでも、また。
 正一郎 お待ちしております。

 竹蔵が戸を開けた浜門から晋作は退場する。

 正一郎 さぁて、忙しくなりますぞ。(座敷奥へ去る)

 竹蔵、晋作が乗った小船を見送る。やがて懐から出した『遊清五録』を灯篭にかざして見つめる。音楽たかまり、転換。解説者がスポットに浮かぶ。

 解説 文久3年6月、士農工商の身分を超えた奇兵隊が結成されるとそれにつづいて農民の隊、漁民の隊、商人の隊、あるいは狩人の隊や女性だけの隊、また医者や神主、僧侶などで編成された隊――さまざまな人民諸隊が領内各地に生まれていくのです。その数はざっと150を超えていた。
 7月には薩英戦争が起こります。生麦村で大名行列を横切ったイギリス人を斬り殺した報復です。鹿児島の町は大半が焼き払われますが、薩摩側もよくたたかい、イギリス側も大きな被害を受けました。攘夷熱はいよいよ全国でわき上がり、京都の志士たちの中では、天皇を担いで倒幕戦争へすすめという動きまで出てきます。
 ところがここで情勢が急展開します。長州藩をはじめとする尊皇攘夷派が、彼らがあてにしていた天皇自身によって、「国賊」の汚名を着せられ、七人の尊攘急進派の公卿たちとともに、京都から追放されることになるのです。……世にいう堺町門の変7卿落ちがこれであります。――公武合体派、つまり天皇を頭に担いで徳川幕藩体制を維持しようという勢力が、孝明天皇と示し合わせて起こしたクーデターです。徳川幕府と薩摩、土佐などの公武合体派、そして天皇が、封建体制護持で一致して、尊攘派つぶしに乗り出したのです。京都の町では、新撰組などが尊攘の志士たちを見つけてはテロを加える。京都にいた諸国の浪士たちも、長州藩にのがれてくる。
 ここにいたって尊皇攘夷運動は2つに割れていきます。京都に兵をすすめて天皇を取り戻し、元の地位を取り戻そうという流れ。そして、それに反対する高杉晋作!

(次号4面につづく)

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