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地方潰しの典型、下関市政「改革」
凶悪な市場原理政治
                 政治は独裁、食えない市民      2005年9月3日付

 衆議院選挙が11日投票にむけてたけなわである。自民党小泉首相の側も民主党の側もどっちが改革をよくするかを競い、大新聞やテレビも「構造改革は時代の流れ」と大騒ぎしている。それに反対の声を上げるのは国賊のような扱いである。ところで小泉改革という国策は市町村で実行されてきた。下関市政は、小泉の弟分にあたる安倍晋三代議士の絶対的な影響力のもとにおかれ、公明党から連合まで安倍派を形成し、その丸抱えで江島潔氏が市長のポストを温め、全国まれに見るデタラメ市政が横行してきた。選挙から入札から片っ端に「改革」してきた。これはグローバル化、市場原理の構造改革を先行実施してきたものである。下関の現状は小泉改革で、全国の市町村がどうなるかを示唆している。安倍氏は前回は一四万票を集めたが、弱小候補を相手の今回はどのような審判を下されるか、小泉政府のすう勢とかかわって全国的な注目区である。

  小さな談合改革し大きな官制談合
 安倍晋三氏は新聞やテレビで「清潔な印象の人気者」といわれ、全国の自民党選挙に引っぱりだこだといわれている。最近訪米をしてアメリカ政府の高官が好待遇をしたということで、「次期総理確定」というものもいる。安倍代議士の代理人である下関江島市政はどうなってきたか多くの市民の声を集めてまとめてみた。

 選挙「改革」で強権型に
 下関市政をめぐる改革の第一は、選挙支配である。下関では市民に嫌われても、安倍事務所に飼われたなら、市長をつづけるという関係になってきた。今年の市町村合併にともなう市長選挙は、江島市長への市民の強烈な拒絶世論が噴き上がった。江島氏は自分の後援会すらないなかで、市民世論に対抗して江島選挙を丸抱えでとりくんだのは安倍事務所であった。この選挙でも、江島氏に対抗して中尾氏が出馬表明すると、連合安倍派の松原氏が立って江島批判票を割り、中尾、松原氏も自民党への推薦願いを出させて、三候補とも自民党のコントロール下において、市民の票の持って行き所がないようにしたりの選挙マジックが駆使された。
 九五年の江島氏初当選のときは、「沖合人工島を見直す」「国保料を県下最低にする」などと公約して、新進党から社民党までの推薦を得、反自民の票を集めた。だが実際は安倍派であった。反自民票に加えて自民票も集めるという、日本社会ではあまり見られなかったテクニックで当選した。いわば謀略であり、詐欺である。有権者への約束とか信頼とかは関係なく、だまされたものは自己責任であって、「勝ち組こそが正義」というのが「時代の先端をいくグローバル基準なのだ」という調子であった。いわば市場原理主義による選挙「改革」であった。
 九九年に再選されたときは、民主党の古賀敬章氏が対抗馬となった。しかし警察がマークしたり、怪文書をまかれたりの謀略などでつぶされた。そのあげく地場金融からしめつけられ母体の日東建設まで倒産に追いこまれ、抹殺された。03年には対抗馬は事実上ない状態であった。対抗馬は恐れて出ないようになり、市民の意向を反映する選挙ではないようにしてしまってきた。
 そして市議会が、江島市長の応援団と化して、民意を代表してチェックする機能はまるでなくなった。サンデン林派の番頭である小浜氏がコケが生えるほど議長に居座り、にらみをきかせて、江島市長のイエスマン集団にしてしまった。市議会政党も与党か野党か区別がつかない。合併で市議会は、旧郡部の安倍派、林派に従属する議員を加えた104人のマンモス議会となった。しかし、切り捨てられる旧郡部の市民を代表するどころか、挙手して江島市長を承認するだけの議員の層を厚くした結果となった。
 国は省庁再編であるが、江島市長の市行政機構もかわってきた。2003年6月までに江島市長は「新しい風をとり入れる」として、市長部局の12部長のうち、従来からの港湾局長と都市整備部長に加え、財政部長、総合政策部長の4ポストを、国から出向した若手官僚にかえた。これは法律ならやけに詳しいとか、高学歴で超エリートというが、市民生活とかの世間をあまり知らない20代、30代の兄ちゃんたちで、「痛みをともなう改革」を断行する選手になってきた。冷酷な役人主導への行政の「改革」である。
 トップダウン方式というのは小泉内閣の得意技であるが、江島市長10年の下関市政では早くから市民不在のトップダウン・強権型となってきた。選挙とか地方自治とか民主主義を、「時代の先端」である独裁型政治に「改革」したわけである。

  入札「改革」し官製談合
 江島市長の独裁型政治でなにをやったか。きわめて代表的なことは入札制度である。2002年の8月からは、小泉首相の地元・横須賀市につづいて、全国2番目に電子入札および条件付き一般競争入札が導入された。「競争原理改革」の先行実施である。印刷物など物品契約にもとり入れられ、契約額は500万円以上の小規模工事まで拡大。2004年6月にはボーダーラインとしてきた最低制限価格がとり払われた。
 米国が2001年10月に提出した、規制改革要望書のなかでは、「政府とのやりとりをオンライン上でおこない、政府調達に電子商取引の利用を拡大する」ことを、具体的に指示している。アメリカ通の江島市長は、さっそくそれを実行したのである。海外ゼネコンからの参加も想定した電子入札導入で、国際競争力や透明性をはかるなどとされたが、その結果は二重基準であった。
 地元業者が参加する入札には、多いときで一件に30社、40社も殺到して、落札率が50%台のものも続出することになった。市内の過去五年間の企業倒産で建設業は約80社にのぼり、正社員だけでも600人近くが職を失った。一方でゼネコンや大企業がおこなう数億〜百数十億円の規模の入札は、全国的に見ても度はずれた官製談合がおこなわれてきた。
 その一方で、安倍晋三氏の出身企業である神戸製鋼所などは、2000年度から4年間余りで、奥山工場ゴミ焼却炉、リサイクルプラザなど二百数十億円もの受注を実現した。これは不当に豪華で高価なもので、しかも橋梁談合を上回る95〜96%の落札率。神戸製鋼などは、自分で建設する技術はなく下請に丸投げし、ピンハネをするばかりで、孫請などに入った業者はさんざんに買いたたかれて、仕事をする分丸損するという怒りが噴き上がった。
 江島市長はPFI事業が安くなるといって採用。特定業者だけを相手にして競争を排除し、博物館を101億円もかけて計画しとん挫している。し尿処理場建設では、はじめ60億円といっていたのが、同規模の施設は10数億円でできているのに、20数億円で契約した。要するに、不必要な豪華なものにしたり、法外な高い価格を市長側が誘導するというものである。
 談合はいけないから改革するというが、地元業者の談合をやめさせて、官製談合の自由に「改革」してしまった。「市場原理」「競争原理」というが、自由競争は地元業者だけで、特定企業は利権独占という二重基準(ダブルスタンダード)であった。そのばく大なピンハネ分はどこに吸いとられているのか、警察も検察もまったく動かない。下関にはカポネ親分がいて、市長も警察も子分が配置されているのだという意見がある。アメリカンスタンダードで、アメリカの歴史上の大親分であるカポネ政治の導入へと「改革」されているわけである。

  大型店優遇し商店潰す
 下関では1980年代はじめに約4500店あった小売業商店は、半減近くまでへった。2000年の大規模小売店舗立地法の施行後、大型店の店舗占有率は70%にのぼっている。かつて31あった商店街は、消滅した地区だけで10カ所にのぼった。さらに江島市長は、血税を何十億円とつぎこんだ埋め立て地「あるかぽーと」に、三万平方b規模の複合型商業施設を誘致する計画をすすめてきた。市内にある小売業の全売場面積約30万平方bのうち、一割を占める大きさである。市民のなかに反発が強いが、江島市長は「あたらしい活力は、民間を導入すること」だと主張して、自助努力が足りないとの論法で押し切ろうとしている。
 市民の運動となって全国的にも有名になったのはゴミ袋の法外な値上げ問題である。「10万人が署名しても20万になっても聞かない」といって強行した。いずれこれが全国の基準になるといった。小泉ゴミ袋政治の先取りであったわけだが、これは婦人たちの力でとん挫した。
 そして教育政策はきわめて粗末なものであった。市立大学は、市財政からの持ち出しはしないばかりか、国からの補助金を市財政の方にとりこむありさま。大学の施設は田舎の中学校より粗末な状態で、それが全国の国公立大学の独立法人化への「改革」などはるかにこえた「改革」をしていた。
 小中学校は、母親たちの運動で暴露されたが、トイレは壊れて放置されたまま、校舎は老朽化して壁崩落の危険があっても放置、給食食器はアルマイト食器で犬やネコ以下のあつかい。そして川中中の教科教室導入は、文科省推薦ということで熱心。教育も市長の興味と関心が第一という調子で、日本社会の将来のことなど心配しない方向を実施した。
 下関は明治維新の拠点であるが、東行庵の史料を萩に泥棒されるのに同調。アメリカの軍艦が入港したら花束を持って歓迎に出むいたが、高杉晋作や明治維新は毛嫌いして、ペリーの来航の方を歓迎するという歴史認識を実行してきた。

  町村合併で郡部切捨て
 2月13日に豊関合併して半年が過ぎたが、旧豊浦郡4町の住民から「こんなはずではなかった」「だまされた」と憤りが、強くなっている。旧郡部には小学校が21校、中学校が10校あるが、クラブ費は下関市内なみの10万円と、10分の1近く減額される。水道料金も、介護保険料も上がる。
 農漁業の補助金、助成金は、廃止かいずれ整理されることになるものが少なくない。公共事業は、電子入札で地元には落ちずにダンピングがはじまっている。旧役場の職員は、それぞれ10人から20人まで削減されようとしている。
 旧郡部4町の一般会計で総額250億円にのぼる予算はすべて下関市役所に集められ、合併特例債の450億円、合併算定替による財政措置とあわせて、新市づくりの箱物に注ぎこまれようとしている。農山村、漁村は、農協も漁協もなくなり、役場もなくなり、郵便局もなくなるで、人が住めないようにしている。

  労働現場は死亡事故増
 市民の多くが食えなくなった。労働現場は悪化の一途である。7月下旬に豊浦高校の体育館改築工事で、重機を運転していた73歳の高齢労働者が、崩れてきた積み荷の強化プラスチックに押しつぶされ、搬送された病院で亡くなった。8月下旬には豊田の県道で、一人で側溝の作業をしていた55歳の労働者が、乗用車にはねられて死亡した。昨年7月には道路工事の植生をしていた労働者が、体調不良を訴えてトラック内で休息したまま熱中症で車内で死亡した。下関市内の建設業の労災死亡事故は、2003年に過去20年で最多の5人となり、2004年は3人となった。
 10年まえ建設作業員の日給1万5000円近くが、この間のダンピング競争で9000〜6000円まで下げられた。いまは日雇い労働者で、社会保険はおろか失業保険さえない。ケガをすれば自己責任で、使い捨てがあたりまえ。豊浦高校の体育館改築工事も、予定価格を15%近くも削りこむたたきあいで、地元中堅が落札したものだった。現場の労働者は、「はじめから単価が安いから、長時間労働と時間短縮で手ぬきでもしないと採算があわない工事がふえている」と声をあらげる。
 深夜に代行タクシーや製造ラインでかけもちをして生活をしのぐ状態。それも仕事があるうちはいい方で、なくなれば家族もろとも奈落の底に突き落とされる。就業人口の13%を占める建設関係者の落ちこみは、トラックやタクシー運転手、派遣労働、水産加工など、市内全体の労働者に影響を与えている。
 構造改革とは働くものを奴隷にし、食えなくさせるものとなってあらわれた。
 旧市内の自殺者数は2000年が67人、01年が60人、02年が63人で、03年が56人。10年間で1.5倍となった。2003年には50〜64歳までの男性が24人で、全体の4割強にのぼる。経営者がみずから命を絶ち生命保険を資金繰りにするケースや、借金苦からのがれるため首をつった商店主、「リストラ」合理化で解雇されたサラリーマンなど、家族を支える大黒柱が命を絶っている。
 江島市長の「市場原理」・グローバルの市政「改革」は、下関の主人公である市民のために、下関の発展のためにというものはなく、自分たちの損得第一というもので、さんざんに疲弊させ、食いつぶすというものであった。これはまぎれもなく小泉構造改革であり、アメリカン・スタンダードの先取りである。
 下関江島市政のやってきたことは、小泉改革が働く市民に食えなくさせること、ものをいおうにもいっていく場もないようにすること、そして官製談合をほしいままにすることなどの結果となっている。すべての国民は地方の市町村に住んでおり、地方自治体のもとにいない国民はいない。地方市民の声を上げることは、国政を左右する重大問題である。

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