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力発揮する下関の市民運動
小泉政治に先行する安倍・江島市政
             国民運動の発展を示唆   2005年9月17日付

 下関市の江島市政がすすめてきた100億円ものPFI事業である新博物館計画が、白紙撤回を求める2万1200人の署名など市民の世論と運動で、廃案へと追いこまれている。郵政解散にともなう衆院選で、自民党・与党が3分の2の議席を占領したが、下関では市民の力で市政を動かしているのである。これは市民が確信を持ち大喜びするところとなっている。婦人たちを中心とするゴミ袋値下げ運動は10万人をこえる署名となり、半年まえの市長選では、市民の大運動となり、安倍晋三代議士丸抱えの江島市長の得票率を19%にまで激減させた。市民の運動によって、江島市政はあわてふためいて、学校の壊れたトイレを修理したり、犬猫なみのアルマイト給食食器改善の予算を組んだ。江島市長は人のいうことを聞かぬ小泉首相的なモデル市長であり、下関市議会は国会に先行したモデル的なイエスマン議会で名高いが、市民が運動をすれば、重い腰も上げたのである。市民のなかでは、公正取引委員会が入ったし尿処理場建設や、あるかぽーとへの大型店誘致なども運動を強めて撤回させようという意気ごみが強まっている。

 議会も警察も飼い犬状態
 1995年に初当選した江島潔市長は、「沖合人工島を見直す」「国保料を県下最低にする」「公用車をやめバス通勤にする」などと公約をかかげた。市民党を標榜して連合と組み、新進党や社会党(当時)の推薦を得るなどして、反自民の票をかき集めた。もともとが自民党清和会の故安倍晋太郎幹事長・奥田秘書の使い走りとして、政治の道へとすすんだ江島氏であった。それをかくしたうえで自民票と反自民票をプラスさせれば、化け物のような票がとれるという、普通の人間の常識では詐欺、最近の公的な用語ではそろばん勘定一本やりの市場原理主義選挙で市長ポストを得た。
 当選するなり自民党・安倍事務所と林事務所に直行して、反自民勢力にはお礼のかわりに、縁切り通告の弁護士を送るという、だまし討ちはまだ序の口だった。市民への公約は、「若気のいたりでした」「人工島は国の事業だった」などと、あっさりとホゴにした。政治信条とか市民との約束や信頼というものはなく、はじめから「ウソも方便」のテクニックで、いかに票を多くとるかが正義というものだった。アメリカの小学校を出た江島市長は、なんと10年もまえにアメリカ型市場原理主義選挙をやってのけたのである。ホリエモンなどをかつぎ、「自民党をぶっつぶす」という格好で自民党を当選させた小泉首相の今度の選挙など10年も遅れているといえるほどであった。
 10年にわたり市民に聞く耳を持たずに市長をつづけてきたのは、安倍事務所が丸抱えをしてきたからである。選挙になれば、古くからの自民党勢力だけではなく、公明党も安倍派、連合も安倍派で、対抗勢力はみなつぶされるシカケができてきた。抵抗勢力を切って捨てた小泉の「非情の政治」とマスコミはおだてるが、下関では早くから反安倍・反江島勢力を応援した業者は、公共事業からは徹底的に排除され、倒産に追いこまれてきた。警察も対抗者ばかりとりしまり、安倍事務所の飼い犬だというのは市民の評価になっている。
そして市議会は、サンデン交通の1960年時期に分裂組合の指揮を執って会社に見こまれた小浜俊昭氏が、10年以上議長にいすわり、議会はすっかり去勢されたネコのような状態で、イエスマン議会となってきた。ぜんぜん市民の役に立たないのである。
 このようにして、下関は安倍事務所独裁であるという評価はだれも否定できない状態となってきた。まるでシカゴのカポネ親分がいるようだと見られてきた。

 強まった市民運動 婦人中心のゴミ袋値下げ署名
 だが勝手に独裁したいのなら、市民の方もものをいい、運動をするのは勝手である。そして、市民の運動が急速に強まった。
 市民の運動をつくり市政を動かしたとだれもが認めているのは、婦人たちを中心とするゴミ袋値下げ運動である。
 2003年7月、江島市長は全国的にも突出して高い有料指定ゴミ袋を導入した。可燃ゴミの大袋が1枚50円で、山口市の5倍、北九州市の3倍という異常な高さであった。子育ての家庭や一人暮らしの大学生、年金生活者などにも問答無用で強行した。それだけでなく指定ゴミ袋は意味不明の"ミミ"をつけたもので、県外の一業者しかつくられない利権をうかがわせる袋だった。市民の怒りはうっ積しているが、市長の応援団と化した市議会をはじめ、既存政党や団体のなかに、追及しようという動きはほとんどなかった。
 導入まで数日をひかえた6月中旬、「なにかしなければいけない、立ち上がらなければ」と母親たちが有志で集まって、有料指定ゴミ袋を値下げさせる会を発足させた。政党政派や宗教など既存の勢力に頼らない、全市民を対象にした運動が動きはじめた。代表となった西岡文子氏は、「市民に訴える署名運動しかない。とにかく勝手連でいけば、かならず多くの市民から支持が得られると確信した。強い決心を持つなら、みなさんの力でかならず値下げは達成できる」と参加した母親たちに呼びかけた。
 ゴミ袋値下げ要求は、それだけが問題とはだれも思っていなかった。その背景には、夫や息子が建設労働者で、入札排除やダンピング入札による理不尽な生活破壊への激しい怒りがあったり、家族に失業者をかかえていたり、とくに少ない年金で介護が必要な老人を痛めつけるなどへの怒りがあった。
 多くの婦人がはじめて戸別訪問や街頭署名に参加。「ゴミ袋からでも、目を開いてくれたらという思いで参加したが、いろんな方の意見を聞いて、世の中が政治にたいして不信だらけで、それをどこに持っていけばいいのかわからないという状況が、思った以上に大きかった」と、実感を語っていた。
 ごく一部には「日共」にも協力を得ようという意見もあったが、人が嫌って寄りつかなくなることと、25万市民を対象にした運動の性格上、連携しないこととなった。また政治家や団体の協力は拒まないが、あくまでも市民が主役であり、政治に利用させないことを確認した。2カ月後、「日共」は形だけは7000人分強の署名簿を、江島市長に独自に提出した。
 
 急速に署名広がる 10万3000人を突破
 台所を守る婦人たちの署名は、職場や自治会にも手から手へと回され、1カ月後には回覧された自治会は100前後にのぼり、半年で300近くまで広がった。独自でチラシをつくって添付した自治会や、「値下げになるように、がんばってください」など書きこまれたもの、のり付けされた別紙にビッシリ名前が書きこまれていた。
 これにたいして江島市長は、婦人のサークルやスポーツクラブを回り、「みなさんの払ったゴミ袋代で、吉母最終処分場を100億円かけてつくる、積み立てになるから」などと弁明して回ったが、運動は広がる一方だった。ゴミ減量推進協議会の坂本紘二会長(下関市大教授)は、「ゴミを出さない生活にしていく」と生活したことのないような説教をしたが、ゴミ袋値下げの会との勉強会では問いつめられた。
 公明党市議団はもっと露骨で、各地域で集まりが持たれ「ゴミ袋料はもう決まったこと。値下げの運動に協力してはいけないと上から指示がおりてきた」と学会員をしめつけた。自治会長に回覧させないようクレームをつけたり、ゴミ袋値下げ署名の関係者自宅に市議が行って、抑えつけようとした。山の田地区では自民クラブの市議が、自治会長の集まりで「もう決まったことだから」と圧力をかけたが、同地区でひんしゅくを買った。署名運動がつぶされるどころか、だれが市民の妨害者であるかをハッキリさせ、ますます発展するところとなった。
 8月中旬には1回目の署名簿提出で、6万6000人分を市当局に渡した。つづけて9月には下関市議会(小浜俊昭議長・議員36人)に公開質問をおこなった。市議会に動揺が起こり、小浜議長がいる労組中心の会派や公明党市議団など18人が無視したが、全議員の半数がゴミ袋値下げに原則同意すると、表明せざるをえなかった。
 つづけて2003年12月、江島市長にたいして10万3000人分の署名を提出した。だが江島市長は「10万でも20万人でも、下げる気はない」と検討の余地すらなくはねつけた。これは「市民のいうことに聞く耳を持たない」「ボクの下関」という江島市長を象徴することとして市民に深い印象を与えた。ゴミ袋を値下げさせる会は、運動継続を確認した。2004年春には、ゴミ行政の問題点をまとめたリーフを4万枚配布した。市長選を3カ月後にひかえた同年12月、たまりかねた江島市長は資源ゴミ袋の値下げを表明。しかしあらゆる市政にたいする要求を吸いあげた運動は、引き下がらなかった。小・中学校の給食食器が、犬猫以下のアルマイトであることや、トイレの使用禁止が100カ所以上にのぼることなど、各界各層の要求を束ねていった。

 市民主導の市長選 江島市長の得票19%   
 豊関合併にともなう市長選は、ゴミ袋値下げを求める運動が10万人の署名を集めたことが、一番の注目となった。江島市長の対抗馬として中尾友昭氏が手を挙げたのもゴミ袋値下げ運動の力と無関係ではなかった。選挙は簡単に勝負できるものではなく、中尾氏が出ると、連合安倍派の県議・松原守氏が手を挙げ、江島市長打倒は困難という構図をつくった。そのうえで3人ともに自民党推薦願に誘い、江島・安倍批判の市民世論の持って行き場がない状況がつくられた。だが市民の方はひるまなかった。
 そこに、ゴミ袋値下げの会が公開討論会を提起、「市民の声を聞く市長を実現する市民討論会」を連続3回おこない市民要求を集約。@環境問題、A教育について、B商業活性化、C公共事業・雇用問題を、公開討論会で市長候補予定者に問いただすことを決めた。3月12日には、下関がはじまって以来という市民が主催する公開討論会に立候補者3人が参加して、一生懸命に支持を訴えるという光景が現出した。それは緊迫感があり、3氏の実際の姿、その違いをハッキリとあらわすものとなった。
 安倍事務所の選挙マジックは、10年もやってきたことから、すっかり使いはたした状態となってしまった。全市民のなかで、江島市長打倒の熱気に満ちた運動になっていった。江島市長はかろうじて当選したが、有権者数から見た得票率は19%で、事実上の不信任となった。2年まえの3選された市長選で、江島市長は7万9000票をとったが、今回は旧市内で3万票以下という大激減となった。

 衆院選でも 安倍代議士も得票をへらす
 選挙後には可燃ゴミ袋の値下げを表明したり、トイレの改修やアルマイト食器の廃止の予算をつけた。市民のあいだでは、「市民から嫌われた江島市長を安倍代議士が丸抱えでむりやりとおした。下関を食い物にするものが、どうして全国の世話ができ、外国のことを心配し仲よくできるはずがない」と怒りを強めていた。
 9月11日に投開票の衆院選では、山口4区には自民党・安倍幹事長代理は、落下傘候補の民主党候補者と「日共」の泡沫候補が相手だったが、前回票より二千数百票へらす結果となった。15万票を目標にしたといわれ、公明票はもちろん、大企業依存で連合票も以前以上にかき集めたが、いかんせん批判が強く、「次期総理の人気者」の格好をつけるにはいたらなかった。
 新博物館計画の白紙撤回を求める署名は、ゴミ袋値下げ運動、市長選の運動をつうじて強まった市民の力を基礎にして急速に広がった。ゴミ袋値下げ運動をつづけてきた婦人たちや市民が、リコールも覚悟した全市を対象に一歩も引き下がらない運動をして、地元長府とも連携し2万1200人分の署名が集約された。こうして、運動開始から3カ月足らずで市議会で否決されるにいたった。
 下関の安倍・江島市政のありようと市民の運動の到達は、今回の衆議院選挙の小泉・自民党圧勝による構造改革・市場原理と称する詐欺的な国政のありようと、そのもとで全国的に国民的な運動が発展し、小泉ヒステリー政府を立ち往生させるであろうことを予測させるのにじゅうぶんである。

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