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得票率19%の無惨な結末
下関市長選結果
                市民は江島不信任の審判     2005年3月29日付
 
 豊関合併にともなう下関市長選は27日に投票・開票がおこなわれ、江島氏がかろうじて当選したが、得票数は従来から半減し、有権者数から見た得票率は19・3%というぶざまな結果となった。江島市政の審判であった今回の選挙は、市民による見事な不信任となった。市民の力が、江島選挙を支えた下関の支配構造を揺るがしたのである。
  
 江島市長の得票数は半減 
 当日有権者数は23万8549人、投票率は49・3%で、江島潔氏は4万5938票、中尾友昭氏が4万3468票、松原守氏が2万6838票となった。
 めだつのは投票率が前回の59%をはるかに下回ったことである。江島氏は2年まえの磯部のぶ子氏と争った市長選では7万9000票であった。2期目の古賀、亀田氏と3氏で争った選挙でも、7万5296票であった。今回は旧郡部もふくめて実質、得票数が半減したことになる。これは、江島市長の支持基盤の崩壊であり、実質上の不信任である。2年まえに「江島潔」と書いた人も、4万人以上の人たちが、今回は書かなかったことになる。
  
 市民の世論と運動で選挙突き動かす
 今回の選挙を動かしていたのは、市民の世論と運動である。
 江島市長が2年まえに3選されて2カ月後からはじまったゴミ袋値下げ署名は、持って行き場のない市民の怒りが、署名運動となってあらわれたものだった。母親たちが街頭に立ち、署名簿が職場や地域に回されて、自治会もとりくんだ。数人から出発した運動は、またたく間に全市的に広がり、半年で10万数千人分の署名となった。ところが江島市長は、同年12月に母親たちが署名簿を提出したが、「10万、20万人であろうが、下げる気はない」と、検討の余地すら見せなかった。
 江島市長は「下関でとりくんでいることが、全国であたりまえになる」というもので、全国に先がけて迷惑をかけて悪かったというのでなく、自慢すべきだという態度であった。燃やせるゴミの大袋は1枚50円で、山口市の五倍のうえ、特許つきの“ミミ”をつけたため、大分県の1業者しかつくられないことにも、まともな回答すらなかった。下関では安倍代議士に飼われたなら、選挙が安泰であり、市民に嫌われても市長ができることが定説になっていた。しかし母親たちはあきらめずに、勉強会やパンフ作成でゴミ袋にとどまらず、市政全般に問題が多いことをあぶり出していった。
 総額170億円をかけた奥山工場ごみ焼却炉とリサイクルプラザも、建設から運営まで神戸製鋼所が随意契約して、下請は九州など県外から流れていることが明らかとなった。市民がツメに火をともすように生活して払っている税金が、ピンハネされ、県外へと流れていき、夫や子どもなど地元雇用のために使われていない。1万2500人いる建設労働者は、低賃金のため妻子すら養えなくなっており、食わせない市政になっている。あるかぽーとの大型店誘致をはじめ、地元の中小業者はなぎ倒されようとしている。母親たちのたたかいは、ゴミ袋値下げから「聞く耳を持った市長を」「食えるための市政をつくろう」という市政全般のたたかいに結びつき、力強い運動になっていった。

 選挙安泰の構造はマヒ
 無投票かと見られたなかで、2004年末ごろから対抗馬擁立の動きが顕在化してきた。中尾友昭県議が名のりを上げたが、つづいて松原守氏が出馬表明したことで三つどもえになった。安倍晋三代議士は当初から、「現職支持」をすすめてきた。しかし日がたつごとに現職・江島氏への批判は強まるばかりで、年末には「支部に任せる」と友田県議に代弁させる形をとった。「江島推薦でそのつぎは友田」という話も流れて、自民党内からも反発が大きくなった。公開討論会をやるといったものの騒ぎは収まらず、一転して党員投票となった。
 自民党の公開討論会と党員投票は、江島市政にたいする批判が強いという事実に突き動かされたものだった。しかし狙いとして、自民党安倍事務所の手のひらの中に選挙をおさめ、中尾、松原両氏への江島市政批判票の行き場をなくし、かれらを自爆に追いこむ作戦であった。選挙戦もたけなわとなる時期に、市民の方に目をむけるのでなく、自民党安倍事務所に運命をゆだねる方向を強めるというのでは安倍カイライ市長である江島現職と対抗することにならない。そうすれば市民はしらけてしまい、票の持って行き所はなくなって、超低調選挙とならざるをえない。自民党下関支部の推薦決定は、告示のギリギリ1カ月まえまで引っぱられ、市民の参画を排除するものであった。

 市政を揺り動かし確信 教育アンケート等で
 このなかで、ゴミ袋値下げの会の母親たちは、教育アンケートを今年1月中旬からはじめた。旧市内の親を対象にしたもので、2カ月のあいだに小・中学校の全五〇校一二〇〇人分が寄せられた。昭和30年代から変わらない、犬猫以下のアルマイト製の給食食器、具をつまむことができない竹製の弓なりハシ、“使用禁止”のトイレは1年以上が25カ所、1年以下をふくめると100カ所にのぼることが明らかとなった。台風で門が壊れてもなおされない、照明が切れた体育館や外壁が落ちたままの学校など県下一子どもを粗末にしている実態が明らかとなった。アンケートで使用禁止トイレが問題になると市教委があわててトイレの修繕をはじめたことに、母親たちは確信を深め、市政を突き動かす力になった。
   
 あきらめ覆し市政規制する市民の力示す
 同会は2月中旬から「市民の声を聞く市長を実現する市民討論会」を3回つづけて実施。熱心な討論のなかで集約されてきた@環境問題、A教育について、B商業活性化、C公共事業・雇用問題を、公開討論会で市長候補予定者に問いただすことを決めた。3月12日に開かれた下関市長選公開討論会は、ひじょうに緊張感があり、市民の力が市長選を動かしたことを実感させるとともに、3氏の実際の姿、その違いがハッキリとあらわれたものだった。
 とくに現職の江島氏の姿が、質問を聞いて答えるのでなく、人が批判していることを手柄とみなしていることをかくすこともなく、「聞く耳持たない江島市長」という強い印象を与えた。市長選では一部の政治家や大企業が決めていたものを、市民が選ぶ方向に動かして、「だれがなってもいっしょ」「どうせだめ」といったあきらめをひっくり返していった。投票日まで二週間足らずだったが、市民の声が響きあって、怪物のようなうねりとなって選挙陣営を恐怖させることとなった。
 また下関市民の会は3台の宣伝カーを市民のカンパと自主的参加で出し、各地で論議を広げていった。またゴミ袋値下げの会の母親たちは、市内各所で教育アンケートやゴミ袋値下げ署名についてのパネル展示をして、市民論議を広げていった。この行動のなかで、公開討論会の報告チラシが、地域や職場に3万枚ほど配布された。また本紙の切りぬきや号外も、市民のなかで無数にコピーされて、いまでは10万枚をはるかにこえて配られているとみられる。「現職が四選となれば下関はつぶれる」「市政を市民の手にとりもどそう」の声は巨大なうねりとなって、かつて経験したことのない選挙戦の様相をつくり出していった。
 当初、「自民党・安倍事務所が市長を決める」といわれ、難攻不落とみられた現職支配体制は、市民の力で揺り動かすものとなった。この流れはもはや後にもどるものではない。この選挙の最大の成果は、反市民の市政を規制する市民の力が強まったことを証明したことである。

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