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得票数勝負に最大の意義
上関町議選挙
            原発終結が現実の課題に    2010年2月5日付

 中国電力の上関原発計画を最大争点とする上関町議選挙が、来週9日に告示、14日投開票となっている。中電は原子炉設置許可申請を出し、町内各地でその説明会をやり、町議選で正面から原発を争点としてかかげている。この中で、祝島が補償金受けとり拒否を決議し、二井知事の埋め立て許可も中電の原子炉設置許可申請も宙に浮かせ、中電の原発建設のメドを立たないものにした。28年つづいた原発騒動を、町民自身の手で終わらせることが、夢ではなくて現実になるところへきているのである。町議選挙は全町民の原発撤回の意志を示すなら、それが実現しうるところへきている。
 祝島が補償金の受けとり拒否を総会で正規に議決したことは、中電の原発計画を根底から覆すものとなっている。町議選では町民の力で原発を断念させうるところへきているという現状評価について鮮明にさせることが求められている。
 1昨年10月の二井知事の埋め立て許可は、最高裁の「祝島は管理委員会の契約に拘束される」という判決を、「祝島の漁業権はなくなったのだ」といいはって出したものだった。ところが祝島の漁業権はなくなっておらず、二井知事の埋め立て許可が条件を満たさずに先走ったものだったことが暴露されてしまった。
 祝島の漁業権がなくなっていないことは、二井県政・農林水産部がもっともよく知っていることであった。昨年2月の祝島の漁業補償受けとりの総会をやらせたが、否決されて大あわてとなり、そして昨年11月の「補償金を受けとっても受けとらなくても税金がかかる」という説明会、さらに1月の同じ内容の説明会と29日の漁協総会での議決を働きかけ、必死になってウソと脅しで補償金受けとり、つまり漁業権の放棄のために動いた。二井県政は、最高裁を持ち出して漁業権がなくなったとだましてあきらめさせ、カネを見せて補償金を受けとらせ、そのあと漁協総会で3分の2の議決をとらせて漁業権変更の手続きを済ませるという、逆の手順のペテンをやって失敗したのである。
 漁業権の変更はその漁協の総会でしかやることができないのは常識である。7漁協だろうと最高裁だろうと、法治国家であるならば他人の財産を勝手に処分することはできない。「7漁協の契約が有効だと祝島も認めろ」という最高裁判決も、7漁協が総会をやって3分の2の議決をとったからである。したがって、旧107共同漁業権は7漁協は放棄したが、祝島だけ権利が生きている。埋め立て海域は四代、上関の単独漁業権だが、埋め立てによる影響を受ける祝島の合意と補償がなければ埋め立て工事は違法となる。
 二井知事の埋め立て許可によって、それを支払い条件にしていた中電は七漁協に残りの漁業補償金の半金を支払う羽目になり、各漁協はさっさと配分を済ませてしまった。補償金を支払ってしまって、七漁協の漁民との関係では解決済みとなり、鼻先ニンジンで推進に駆り立てる武器を失うことになってしまった。
 中電は原子炉設置許可申請を出したが、これも漁業補償問題が未解決で、二井知事の埋め立て許可も無効ということが暴露され、条件が満たされていないことが暴露されてしまった。
 そして供託金の国による没収期限は5月15日であり、供託金の没収となれば、中電と祝島の漁業交渉は最後的に決裂という結論になる。もちろん中電は一度も祝島に行ったことはなく、交渉のテーブルにもついたことはない。スタートラインにもつかずに漁業権問題は解決したと騒いだのが愚かなのである。
 こうして28年かけた上関原発計画は断念するかどうかを迫られる局面になってしまった。追いつめられているのは中電と二井知事である。二井知事が原子炉設置許可申請にともなう県の安全審査の委員会を設置したりしているが、ブレーキを踏む気力もなく惰性走行状態といえる。
 祝島が漁業権を放棄しなければ原発はできない。しかしこれは国策とのたたかいであり、祝島漁民が漁業権放棄を拒否する力は、祝島の漁民だけの力では不可能である。二井知事、中電側は、今まで以上に目の色を変えて巻き返しをはかることは疑いない。これは国策を振りかざしたウソや脅しをともなった、金力、権力による攻撃である。民主党政府も推進の姿勢を明らかにし、裁判所も、国税も、新聞も総動員の攻撃であり、それを打ち負かすたたかいである。
 この金力、権力による国策を打ち負かす力は、祝島だけの個別経済利害ではなく全国民の根本的な利益に立った真の国益だという信念で団結を広げることであり、同じ要求に立つ全県、全国の人人の共通の敵に対する共同の斗争を強め、連帯の力を強めることである。何よりも全町民の祝島と同じ思いを形にすることであり、町議選こそその絶好のチャンスとなっている。
 上関原発を建てさせないことは、瀬戸内海漁業を守ることである。それは内海全域の漁民の生活の問題だけではなく、魚食を不可欠とする日本人全体の根本利益である。日本人を食料危機にさらしてはならないという真の国益である。さらに岩国基地の増強と関わって、ミサイルの標的をつくり国土を廃虚にさせないというのが本当の国益である。
 上関町議選において、中電は町内各地区でも全県でも熱心に原子炉設置許可申請の説明会をし、この選挙の争点は原発だと正面から訴えている。対する反対派候補の陣営側からは、原発に反対するという声がないか乏しい。反対派陣営の宣伝活動は外来候補陣営が担っている形だが、県職労元書記陣営の自治労勢力は「カンムリウミスズメを守れ」が主な主張であり、「日共」集団の主な主張は「国保税を値下げする」である。上関町民の切実な原発問題という争点をそらしている。
 さらに原発に反対することは抽象的なことではなく、原発を推進する中電や二井知事とたたかうというのでなければウソとなる。そしてそれは上関町民を代表して町民のためにたたかうというのでなければウソである。上関の町民を知らないよそ者で、しかも原発反対の鮮明な主張もなく原発を争点からはずす宣伝をやっていることになる。町民からは「厚かましいし迷惑だ」と受けとられているゆえんである。
 自治労・県職は、多数の人員を投入して町内を駆け回っている。県職労は県の職員であり、二井知事が商工労働部や水産行政の権力などを使って、祝島・上関町にどんな仕かけを施して、どんなウソをいい、脅しをかけ、原発を推進しているかを県庁の内部から直接に知っている組合である。二井知事のインチキを暴露し、それとたたかうのが、自治労が原発に反対することである。それは恩着せがましい応援団のような顔をして祝島や上関町を走り回る以上に、それぞれの職場、地域で自分たちの課題として二井知事の県民生活を踏みにじる原発に反対する運動をやることである。豊北原発ではストライキをやって貢献した。それが祝島をもっとも励ますことになる。
 上関町に動員されて走り回っている組合員は善意ではあっても、その宣伝内容と行動の客観的な意味は、原発争点隠しであり、よそ者の町民蔑視とともに原発を推進する中電や二井知事とたたかうことをそらすことである。これは自治労を指図している中枢が二井知事を応援する意図を持ってやらせていると判断する以外にない。
 二井知事は上関原発や岩国基地、市町村合併や漁協合併、そのほかに教育予算の削減や社会福祉予算の切り捨てなど、日本有数の住みにくい県にしながら、きらら博や国体の箱物利権に突っ走ってきた。県民生活を困難にすることによって、県の職員の待遇も困難なものにしてきた。そのようなことに対して、「自治体職場で自治労がたたかう姿を見たことがない」「二井知事のいいなりの御用組合だ」というのは自治体職場の共通した評価になっている。上関町に入るのなら、二井知事が激怒するような原発反対をやってみせなければならない。
 「日共」集団も、自分たちの党派の売り込みの印象ばかりで、原発に反対する町民の運動を強めるという姿勢はない。とくに祝島の漁業補償金受けとり拒否を断固支持・援助し、二井知事の推進策動を暴露してたたかうという訴えはない。「日共」集団も原発という争点隠しで活躍中である。町民を知らないよそ者で、争点隠しで町議選というのでは町民が迷惑と見るのは当然である。
 下関市議会でも、市政批判派の振りをするが、全市民的な大きな市政の課題では市民の運動を分裂させつぶす役割を果たす。それによって裏の与党ポストを確保して、生活保護や市営住宅、就学援助などのあっせんに当局の便宜を図ってもらって、票を集め議席を温めるというのが生態となっている。よそ者の参入で原発争点隠しをやって、反対派が町民に嫌われるように振る舞っているのは町民が目にしているとおりである。それは山口県の利権の親分である二井知事が喜ぶことである。
 「日共」集団は、豊北原発計画のころから「原子力の平和利用に賛成」の立場をとってきた。つまり軍事利用は反対だが平和利用の原発には賛成の立場である。「日共」集団がいま熱心なのは、政権与党への参画である。オバマ大統領支持で、原発の本場であるアメリカに認められることに熱心である。最近チラシで「長周新聞は祝島で相手にされないお粗末さです」と書いていたが、相手にされない粗末なものならわざわざチラシに載せる必要はない。そうでないと思っているから書いているのだ。こういうウソと本音を使い分けるのは二枚舌である。
 町議選は、このような外来の勢力が騒いでいる的はずれなピンぼけ状態とは別のところで、町民と中電・二井知事とのあいだで、原発が争点として鋭い対立となっている。それは祝島が補償金受けとりを拒否したことで、一段と鋭いものとなって町民の世論を動かしている。
 今度の町議選挙は、立候補者は付録のような存在であり、立候補者が立派かどうかは二の次の問題である。町民のなかでは現在の候補者を尊敬しているものはほとんどいない。それでいいのだ。選挙の主人公は候補者ではなく町民である。今度の町議選は実質的に原発の賛否を問う住民投票として意義がある。候補者は町民の原発撤回の意志を表現する「反対札」として意義がある。選挙は中電・二井知事と町民の直接対決であり、得票数の勝負として意義がある。推進派票を反対派票が上回るなら来年の町長選では逆転することを証明することになる。それこそが大勝利である。
 28年、町民は推進派と反対派に分断され、疑心暗鬼が広がり、町民の人情は破壊された。町は中電に乗っ取られ、その代理人が幅をきかせる一方で、町民は陰に隠れて暮らすような羽目になってきた。地区の共有地や神社地の数億円の売却金は、地区民には説明もなく自分が抱きしめている人物が、中電の代理人として議長になる。一握りの町を売り飛ばすボスだけがボロもうけをし、町民を利用し食いものにするばかりで、町は寂れる一方となった。
 いまや、全町民が祝島と連帯して頑張れば、この原発を断念に追い込むことができるところへ来ている。町議選挙は町民のそのような意志を表す絶好の機会となっている。

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