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「平和教室」、「平和の旅」運動へ

小中高生平和教室・27校から116人が参加
峠パネル見ながら体験学ぶ
                                          2003年5月22日付

 小中高生平和の会(代表/今田一恵 中高生代表/南香世・小林さつき)は18日、第14回平和教室を下関市のからと会館でおこなった。この間、小・中・高生の異年齢集団で被爆者、戦争体験者に学び成長し、さらには下関や長門の「金子みすゞ祭」の絵の展示をつうじて小中高生平和の会の活動は広がった。下関市では全小・中学校で平和教室のビラが配られ、親や教師のなかで話題となり歓迎されている。今回は、教師がクラスの子どもを連れて参加。下関、美祢、長門、萩、油谷、宇部、防府、山口、長門、福栄、北九州の27校から84人の小・中・高生が参加し、教師や親をふくめ116人が参加した。

  地域で強い期待広がる
 午前中は、体育館で小・中・高生の縦割りチームを4チームつくり、自己紹介をして恒例のドッジボールで汗を流した。そのなかで大きい子が小さい子には手加減をしたり、ボールを譲る気配りも見られ、あてられた低学年の子も泣くのをぐっとがまんして、みんながドッジボールを楽しんでいた。
 参加者の半分がはじめての子どもたちだったが、ドッジボールをつうじてあたたかい雰囲気の異年齢の集団が形成されていった。
 午後一時からは下関市在住の婦人被爆者6人を招き、6班に分かれて『原爆と峠三吉の詩』パネル集を見ながら、被爆体験を学んだ。体験談を聞くまえに峠三吉の詩「八月六日」を全員で気持ちをこめて朗読した。会場全体には原爆展パネルも展示され、ひと班約20人の子どもと教師と親が被爆者を囲んで、聞きとりがはじまった。
 5班は内野エツ子さんから体験を聞いた。内野さんは、20歳のとき長崎で被爆。三菱の工場で魚雷頭部の検査をしていて、昼の弁当をもらいに行こうとしたときピカッと光り、その瞬間机の下にもぐりこんだが工場はガラガラといって崩れ、生き埋めになった。のがれていく人人が自分の上を踏んでいくのを感じながら、必死になって足でけって出ようとし「もう一回、もう一回」と神に祈るような思いで自分にいい聞かせながらその動作をくり返した。しかししだいに足音も少なくなり「このまま死んでしまうのだろうか」とあきらめていたとき、もう一度と思って足でけると足の親指がやっと地面に出て、必死で動かしていたら「生きている」という声が聞こえて助け出された体験を語った。
 6班の八木コユキさんは、14歳のとき被爆し、「助けて」「水がほしい」という人の手を振りはらって逃げるしかなかったことが深い心の傷になっていることを語り、子どもたちには強い印象を与えていた。
 小・中・高生は、パネル集を開いて「おばちゃんたちは、こんな焼け野原のなかを歩いていたんよ」と写真を見て説明を受けたり、高校生の班長を中心に班全員でパネル集に載っている子どもが書いた詩を何編か朗読するなど、被爆した当時の子どもの気持ちや思いを深くつかんでいった。
 戦後夫が病気で貧乏しても、胸をはって生きてきた升本勝子さん、原爆によって2人の子どもを殺された経験を涙ながらに語る佐野喜久江さん、原爆でやけどもなにもしていなかった1人の妹が口から血のかたまりを出して死に、2人の妹を亡くしたつらい思いを伝えた大松妙子さん、戦時中夜も寝ないで働き勉強もできなかったという小田フジ子さん。「戦争ほどばからしいものはない」「平和な日本をつくってほしい」という被爆者の訴えを子どもたちは真剣に受けとめていた。
 6人の被爆婦人のなかには、いままで家族にも体験を語ったことのない人や、前日は緊張して眠れなかったという人もいた。

  深く共鳴する子ども達 大きな声で感想発表
 被爆者との交流を終えて、中・高生の女子と男子の代表がそれぞれ峠三吉の詩「墓標」と「よびかけ」を朗読。そのあと全体の感想交流に移り、子どもも大人も一言ずつ一日の感想を出しあった。
 「戦争はずっとつづいていた。そのせいでみんな苦しかったことがわかった。いまは好きな物も食べて、ゲームを持って好きで遊んでいるだけでも幸せで、幸せと思ってなかった。この会は、その苦しみをみんなに知らせるための会だと思います」(小学3年男子)
 「わたしは、子どもが水、水と叫んでいるというところが心に残りました。いまでも戦争で苦しんでいる子どもだっています。こういうことが起きないためにも原爆の恐ろしさをたくさんの人に話せばいいと思います。自分だけでも戦争は反対しないといけない。二度と戦争が起こらないようにと教えてくれました」(小学5年女子)
 「ドッジボールをしていろいろな人とふれあえたからよかった。佐野さんから話を聞いて戦争のこわさを実感した。戦争で被害にあった佐野さんはよく生きていたなあと思った。戦争は人をきずつけたり、人を殺したりしている。だから戦争なんかしなかったら人がきずついたり、人が死んだりもしなかったのに、どうして人をきずつけたりするんだろうと思った。きょう平和の会に来てよかった」(小学6年男子)
 「原爆が落ちたとき、みんな普通の精神じゃなかった。やけどで人間の姿じゃなかったというのを聞き、原爆を落として人の心も体も何もかもこわしてしまったアメリカに腹が立った。もう二度とあんな悲惨な戦争は起こしてはいけないと思った」(中学3年女子)
 「八木さんは、もう話をしたくないといってらっしゃいました。それほどの悲しさや苦しさがあるのだと思います。昔の人はぜいたくができない生活でいまの生活に比べたら、苦しかったと思います。なので昔の人のことも考えてあまりぜいたくをしないようにしていきたいです」(中学1年男子)
 日ごろはみんなの前で発表などしない子が、平和教室で大きな声で発表したことに連れてきた教師が驚きを表し、クラスの元気のいい男子を連れてきた教師は、「子どもたちが平和のために学びたいという気持ちをもっているというのを知り、それに答えられる教員になっていかないといけない」と語っていた。
 体験を語った被爆者の婦人たちは、最後に「みなさん、お話を聞いてくれてありがとう。これからも勉強してまたみなさんと会いましょう」と感動の面もちで感想を語った。
 これから平和の会は、第14回平和教室で学んだことを文集にまとめる予定。
また「第4回広島に学ぶ小中高生平和の旅」にむけて、これから準備をすすめていくことになっている。

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