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峠三吉評論集   (1949〜1953年)  

広島で被爆した詩人・峠三吉は、『原爆詩集』とともに広く知られているが、その詩作品とともに、すぐれた詩論、評論を残していることについてはあまり知られていない。峠三吉の没50周年にあたって、かれの詩論や政治評論、ルポルタージュなどを一冊にまとめた。
    
第一部・詩論/第二部・政治評論、ルポルタージュ
   
     発行・長周新聞社  B6判 139頁  定価700円  


●共通の問題点――編集会議より
一九五三年一月

 私たちの詩のサークル運動の中から生れて来る作品に、言葉だけいせいのよい観念的なものと、生活のぐちをだらだらと訴えるような形象性のうすいものとの二つの欠陥が、大雑把に見ていわれ、その克服が要求されてからもう大分になる。
 これに対する批判は様々なかたちで今までに出された。もっと客観性をもって、具体的にうたえとか、もっと説明をはぶいて凝集性をもてとか。あるいは進んで、理性的認識の段階から感性的把握へとか、雑多な生活の中から典型を掘り出せとかいうように繰り返された。
 しかしそれらの批判をうけて個々の作者が模索しているうちにサークル運動は全国的にゆき詰りを見せて来た。この中で現在多くの討論がかわされ、今までの単なる創作方法の面からだけでなく、運動理論に裏付けられた意見が次第に出はじめ、それが実践によって深められつつあるが、私たちも分った範囲内から作品に現われた偏向を批判することによって運動の欠陥を克服してゆきたいと思う。
 「政男よ」という野川さんの詩は生活に密着し自分の感情をにじみ出させているが、素直に生活の中のよろこびや悲しみを書く、というところから一歩も脱け出ていない。これを読んでの感動は現実からの力であって作品としてのものではない。これを詩というかどうかは別としても散文とあまりかわらないという事が出来る。それは内部に抵抗を持たぬから、そのように子供に対して思う自分、そうしてそんな生き方の出来ぬ自分に対しての抵抗は棚上げされるこのような詩からは厳しい凝集も、圧縮された感動の爆発力も、本人のものの感じ方の変革も生れないのである。
 「無題」この詩もやはりこの問題について私たちを考えさせた。前の詩が原爆とその後の病気に襲われて破壊しつくされた家庭の悲しみ、母子の悲哀をうたっているのだが、その現実がおしよせた原因に対する洞察と、それから人間の愛情を守ろうとする生き方への意志や、それがなかなか出来ぬ自分に対する客観的な(いわゆる抽象的な自意識ではない)意識などを欠ぎ、自分の真情のみにもたれるためこうしたリズムや形式が出ているのであるが、この「無題」もそれに似ているのではないか。
 この作者は自分から愛を奪い詩を奪う病気や環境が何から来ているか、それにどう対処すべきかを知っていて、そのような認識が詩につながるところをやはり自分の真情でとびこえている。その反逆が素朴な人間主義へのもたれかかりとなっている。すべて言葉は意味のみで使われ、ここでは詩によって認識するというような機能は意識的に無視されている。作者の怒りが強く出てはいるが、このような詩が果して政治の危機の実体を読者に認めさせ得るか、同情のみに終らない能動性を与えうるか疑問に思う。
 梶野氏の「帰り路」これも無条件ではのせられないという意見の多かった詩である。
 「小さな駅で」も共に観念的な浮き上った詩に対する批判から詩を出来るだけ身についた自分の場所から生もうとし、抵抗のテーマを客観的な方法の中でとらえようとしているものだが、今度は逆の欠陥が出ていると思う。
 「帰り路」は今のサラリーマンの共通の悲哀に方向を求めながら、無為の自分に対する自意識に埋没して無為たらざるを得ぬ自分に対する客観的な批判が、モチーフになっていない。この作品が書かれた要因には、だから多分に詩的興味や自意識の肯定が感じられる。
 もっと有意義な生活をしたいという燃えるようなねがいの上にこの現実がやり切れなさを与え、そのやりきれなさが客観的に形象されたのではなく、客観的な形象化が、燃えるようなねがいをひっこめることで行われている。これではもとの自我中心の近代詩、いわゆる詩壇的な詩へ逆もどりだといわねばならない。
 スローガン的な、詩になっていない詩への反発から主体の放棄が行われていることは、「小さな駅」についてもいえる。叫ばず押しつけず、積極的なテーマをリアルに表現しようとしながら、この現実に生活の場で闘っている主体がない。感動がない。客観化とはこの烈しい現実に対する怒りの客観化ではないか、言葉を組み合せてその怒りを読者の心に再現するのが詩の方法ではないか。抵抗らしくて概念的な言葉、形式らしくて切り結ぶリズムの根源を失った技巧は何にもならないのである。
 ゆき詰った近代詩の打開が抽象的自我から社会への脱出に求められ、生活からの歌声がサークル運動として勤労階級の中に起り、小市民的自我より新しい文学主体への転移が始められ、現実はもっと先へと進んでいるのに私たちの詩の中にはまだ新しい人間や新しい情緒が現れて来ない。主題は積極的な方向へ求められながら概念化してしまい、感情は身についたところにさぐられながら闘いは声だけの呪詛に終って現実克服の契機を生まない。この原因を私たちは冷静に探り、それを全身で克服しなければならないと思う。
 詩における社会的な機能、一つの事が訴えられひろめられるという機能は、勤労者階級の主体性を回復する作用及び、政治との相互作用において重要に評価されるべきだが、政治的な面からのみその機能が要請され、サークル運動が評価されるのは誤りである。私たちがサークルの書き手を広げることのみに急で詩との対決が軽視される欠陥を持ち、それが前記のような詩の欠陥を来しているのではないか。私たちは今後は詩の選択に当っても、職場の人だからといって優先的に考えること、活動家だからといって考慮すること、運動からはなしたくないためにのせようとすること、掲載することで興味をひこうとすることなどのやり方を厳に警戒するつもりである。
 なお、十七号に寄せられた詩は三十三篇であり、編集会議で推せんした詩が九篇、書き直してもらってのせることにしたものが二篇、批評をそえてのせることにしたものがこの四篇と、そのほかに畠中氏の「もだえて」であり、同氏のもほとんど同じ批判なので、あらためてはふれなかった。


●青年と文化

 青年と文化という題をきくと又文化か、とお思いになられるでしょう。文化文化と何が文化なのだ、それよりもいまの自分たちにとってはめしの方が大事なんだ、とお思いになるでしょう。然しわたしはそうは思いません。文化というのは決して日常の生活と別にあるものではないのです。
 東京に行ってみますと駅の前の丸ビルのそとがわに大きな図面が描いてあります。それは毎月の石炭の出来高をグラフで表したものです。通る人は時々それを眺めて通ります。石炭があらゆる産業の基盤になっていることを皆よく知っていますので、元気の欠乏など、生活の不便を痛感しながらぢっと我慢してその出来高の増加するのを待って居ります。
 然し皆さんの方では、又毎日のお米が足らないので仕事ができない、資材不足で能率があがらない、という風でなかなか思う様に出来高を増すことが出来ぬでしょう。ではどうしてこういうことになったのかというと結局文化ということをみんなが全く自分とは無関係のもののように誤って考えているからです。
 もし、私達全部が自分の食べることに対すると同じような真剣さでたえず一国の政治や文化のことなどを知っていたとしたら、よりよい社会をつくるためでも何でもない戦争などをすることはずがなく、又戦争を起こそうというものがあったとしてもそれをみんなで止めることが出来た筈です。
 こういう風に毎日自分が食べることと文化とは実に密接な関係があるのです。つまり、文化とはどういう風にしてめしをたべるかという食べ方の問題、即ち人間としてどういう風に生活するかという生活の仕方そのものをいうのです。
 たとえば人が空腹を満たし、生きてゆこうとする時、自然のものをわれがちにとってたべてゆくよりも土地を耕し植物をつくってそれを適当に蓄えたり、わけあったりしてゆこうとするようになりました。
 一体人間の文化がどうして発展してきたかと考えてみますと、そのもとになったものは要するに、人間の生き方に従って環境を改善してゆかうとする気持であったようです。
 そこですこしでも少い労力で多くの収穫をあげようと、いかにたやすく気持のいい衣食住の生活をするか、と考えることによって生活面での文化は進歩発展し、いかにみんなの社会をよりよくし、平和な、各人の心の満足を得るようなものにするかと考えることによって精神文化は向上したのです。
 重ねていいますが、こういう様に文化というものは決して食べることとは遠い別のことではなくて日常の生活の歴史そのものが即ち人類文化の歴史であったのです。
 これまで文化というと特に何か本を読んだり、音楽をきいたり、芝居をやったりすることのように思われがちでした。然し文化というものは何も特別に生活の余暇をさがさねばならなかったり、一部の人しかたのしめなかったりするようなものではなかったのです。働く者の文化ということは戦時中でも叫ばれましたが、そうした誤りは文化の名で盛んに勤労者の殺風景な生活を慰めるための慰安娯楽が与えられたことにも端を発し、終戦後情熱のはけ口を間違った自由に走らせた青年達によってそうした傾向は拍車づけられました。一応峠をこして反省期に入ったようですが都市と農村とを限らず至る所に乱立した何々文化国体と称するものが皆一様に自分達の生活と遊離した芝居や音楽に走ったのもそうした誤りの結果でした。
 然し、そうした生活に無関係な文化は次第に消えてゆき、あとには本当に生活に根ざしたものだけ残りつつあります。封建的な政治制度や一部の者にだけ利益が集中されるような旧来の経済機構の中で育てられた文化が崩れ、それに代わる新しい文化の芽生えはその中に頭をもたげるでしょう。
 生活と文化ということをくり返し申上ましたが私は何も個人生活を小ぎれいにしたり便利にしたりすることを言っているのではありません。文化的な生活だの、生活の中に文化をだのとよく言われますが、私が申上るのはそのように小さなことではなく、文化とは要するに、どう生きるかという生き方の問題であり、それを私達青年の良心によって更に言いかえると、自分を役立たせて皆のためによりよい社会を作ろう、とする情熱にほかならないのです。
 社会が誤った方向に向うとどのように私達が不幸になるか、ということは今度の戦争でいやという程感じさせられたことです。
 私達が仕合わせになるためには先ず社会全体がよくならねばなりません。
 青年がもっと知らねばならぬことは私達の個人の生活というものは歴史の流れによって変動するあらゆる社会関係の中に構成され、それに左右されているということです。 文化が手段として用いられたことはまことに日本の不幸でした。文化は手段として用いられるようなものではなくて、目的そのものだといえるのです。これからはかつての間違いを正し、今度は国民全部の文化を高めるために国家という機能を利用する位の気持でゆきたいものです。今頃しきりにいわれます文化国家という言葉もそうした意味で本当に生きるのでしょう。
 私はこの間或る新聞社が「生活の詩」という名目で募集した詩を見せてもらったことがあります。その中に炭坑で働いている方々の生活からにじみ出た詩が多く寄せられているのをみて非常に感銘をうけたのであります。
 詩の中には今の時代の生活の苦しみや嘆きが生々しく歌ってありましたが、いづれも変動していく社会の現実を強く、又歪められず正直に反映したものでした。即ちそうした詩が作られた、ということはその人々の中に社会の現実の姿というものに対する確実な認識力が養われつつあるということの証明にほかなりませんし、そこにはやがて社会に対する進歩的な逞しい情熱が生まれると思われるからです。
 働く者のそうした正しい社会認識の中からのみ新しい文化は芽生えるのです。もう決してつまらぬ戦争など起こさせないような力をもつ新しい文化が育つでしょう。
(年月不詳)


●われらの詩はどのようにすすむべきか

 近代思想の特質をなす自我中心主義は詩の上で様々の花を咲かせつつ遂に象徴主義の完璧な方法を生み出して、その頂点に至った。それは、自我中心主義が智的に感覚的に極端にまで追求された結果、詩法の上に現れざるを得ずして現れたのである。
 ユーゴー、ボードレール、マラルメの系列はヴァレリーに至って自我内面の意識を把握する方法としての象徴主義のゆるぎない完成を見、その後シュールリアリズムによる意識下の自我への転換、コクトーの分裂した自我における普遍的なものの追求などの努力も、すべてシンボリズムの栄光の前には夕空の宵星にすぎなかった。
 このようにして詩というものは言葉の技術によってどのようにうまく意識を情緒的に再現するかという方法だということが近代主義の基盤の上で徹底的に追求された結果、詩はいつか抽象された自我の内側で出口のないさまよいを続けることになり、現実からはなれた世界で言葉のレトリック(修辞)と意匠化にうきみをやつすことが進歩だとするようなあやまった方向に向い、多くの人々には分らなくなり、皮を剥けばはぐほどラッキョウは無くなってゆくような状態に陥って近代詩は衰亡しかけたのである。
 然しその中から現代詩は全く新しい輝きをもって昇りはじめた。その最もいい例は第二次大戦のフランスにおいて、人間性の尊厳をファシズムより守るために詩が使われた事により、詩の中に失われかけた人間内容が復活したことにある。
 そこで歌われるものはもう社会を無視した詩人の心ではなく、戦争に苦しむ民衆の思いであり、抽象された自我の内部ではなく、自我と現実との血の出るような関連であった。
 此の事は日本においても例外ではない。第二次大戦の結果として小市民階級が急速に没落すると共に近代の自我中心主義を基盤とする芸術は変貌せざるを得なかった。詩を純粋なものとして社会的な現実の動きと切りはなし、現実から離れた世界で詩的思考や言葉の操作にふけるものは既に詩壇の主流から没落してゆき、いやおうなしに詩は我々が現在置かれている社会的現実との深いかかわりあいの中でうたわれねばならなくなって来た。創元社の現代詩一九五一年版を見てもその殆んどが現在の日本の危機とその批判に根ざしていることでも証明されるのである。
 このようにして近代詩より全く異なった次元に立って太陽群のように昇りはじめた現代詩の流れの中で明らかに未来をになうべき積極的な力を示しているものに、社会的現実からくるところの不安と絶望の精神的危機を凝視し、それを言葉の中に映し出してゆくことにより救いを見出そうというものと、もっとちがった生活実感の中から現実変革の精神をもって詩をうたい出さずにおれるものたちとの二つの流れに大別することが出来る。
 後者は啄木を先駆者として近代社会の矛盾への闘いとして出発し、プロレタリア詩の伝統をうけついだ中野、壺井、小熊、金子、岡本らの流れであり、前者はフランスの前衛芸術をうけてシュールリアリズムの理論を展開した春山、西脇、北川らの流れである。
 そして片方は今やほうはいとして全国の職場、農村、町に起こりつつある勤労者たちの詩の歌声に、片方は高度な詩論と作品をもって未開の分野を開拓しようとしている「芸前」「IOM」「荒地」らのグループにその尾をひいている。
 戦前から現在にかけて全国に起った勤労者たちの歌声は烈しい力をもちながらリアリズムの道を進んで来たが、それらはともすれば傍観的であり経験主義的であり、方法的に未熟な面をまぬがれなかったし、また主としてインテリゲンチャによって導れる一群は現実との対決が現実変革という精神への方向をとらずに、そのまま不安や懐疑という態度につながっているという点で、逆に現実の危機の克服に対し障害をもたらすという傾向を免れなかった。
 この二つの流れは然し次第に接近しつつあり次第に欠陥を克服しつつあるように見える。近い将来におけるこの結合点に日本現代詩の輝かしい未来は開けるであろうが、それは果たしてどのようにしてなされるのであろうか。
 それは思想と生活と創作方法との統一によって得られるところの、詩をつくりそれをひろめることが現実社会の危機を打開する作用をもたらし、その力をもたらす歴史的な流れの中でこそ新しい詩法が形成されるという位置を確立することである。
 われわれはこれまで感覚によって詩を書いてまた、そしてその詩を守るために社会に対する抵抗活動を様々に実践して来た。今やその実践の流れの中で我々の詩の方法を理論づけその方法を運動の先頭に新しい旗として掲げるべき時に来たのではなかろうか。われわれの中にはその力があることを知っていいと思う。
(年月不詳)

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