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東行庵で高杉抹殺が進行
維新観転覆の長期の策動
              90年代、史学会が転向    2010年6月11日付

 下関市が管理するようになった東行記念館が今月1日にオープンしたが、地元吉田地区の住民はその展示内容を見て驚いている。東行記念館というのに、高杉史料は2点しかなく、展示していた年表と高杉の漢詩のパネルもとりはずされてどこへ行ったかわからず、全国から来る客もがっかりして帰っている。そして市の担当者の側は「高杉晋作の見直しをする」といって意気込んでいる。この間東行庵をめぐっては、高杉史料の泥棒問題からさまざまな事件が起こってきたが、今回とうとう市が乗り出して高杉晋作を顕彰する東行記念館に乗り込み、高杉評価の内容に踏み込んでその改ざんをするという、かなり大それたことを始めている。これはどういうことなのか、だれがなんのためにやっているのか。本紙では記者座談会をもち、この間の経過をふり返って論議してみた。
  東行記念館から突如として高杉史料が泥棒され、一坂太郎学芸員(当時)と一緒に萩市に持って行かれるという事件が起こったのが、7年前の2003年2月。東行庵を140年にわたって守ってきた地元吉田の人たちは、この間高杉晋作子孫の高杉勝氏や萩市を相手に何度も交渉を進めてきた。そのうち158点は昨年、東行庵に返ってきたが、69点は萩市が返さないということで今裁判になっている。この過程で一昨年末頃から江島元市長が親切な顔をして乗り出し、下関市教育委員会が「高杉勝氏が“管理状態が悪い”といっているので展示室を整備しよう」といい出して、2階を市が借り受けて市立東行記念館にする方向で動き始めた。
 しかし記念館が開館してみると、地元の人たちは高杉が消えてしまったことに驚いている。地元が長年にわたって高杉と奇兵隊を顕彰してきた歴史が覆されたようだと語られていた。高杉を顕彰しない東行記念館になっているのだ。
 東行記念館館長を兼務している三井正憲・長府博物館館長は「今までは素人がやっていた展示で、パネルの内容を見ても学術的に確定していないことが書いてある。市立の博物館としてオープンしたからには、専門家の目で見て学術的に裏づけられるものとして展示をおこなう」と高飛車の姿勢だ。
 展示の特徴だが、まず高杉の史料そのものがない。158点は裁判が終わるまでは展示できないという。158点以外にも高杉の直接の遺品はあるのに、それも展示しない。高杉の顕彰をしないということだ。
 それと内容の抜本見直しだ。溝口学芸員は、「これまで四国連合艦隊との講和談判で、高杉がイギリスの彦島租借要求を蹴ったとされてきたが、それを裏づける史料はなく史実とはいえない。それは今の歴史学会の主流(学術界)の評価だ」とのべている。また、「奇兵隊や諸隊は倒幕のためにたたかったのではなく、報奨金がしっかりしていたから農民たちが志願した」という点を強調している。さらに、「高杉はあくまでも毛利の家臣として、主君のためにたたかった。倒幕と日本の独立を守ったということを業績の中心にするのはまちがい」とのべていた。このへんが改ざんの中心だ。
 B 他の市の文化関係者も「これまでは宗教法人や郷土史家がやってきたもので、学術的とはいえない」「高杉評価を見直すというのは、公立になってからの当然の使命」といって相当に意気込んでいる。今回市が介入するに当たって、相当構えてきているということだ。「学術的」と称して歴史を改ざんしているが、この改ざんに最大の眼目があったのだ。
 一坂太郎が東行庵に潜り込んで歴史の改ざんをはじめた。彼は高杉や明治維新について誇りをもって語り伝えられてきたものを「勝者の栄光の物語」「ニセ物の歴史」といって侮蔑し、「本物の歴史は敗者のなかにある」と唱えた。そして、幕府や俗論派との妥協を主張して高杉の決起に反対して逃亡し、その後新選組の手で送り込まれて処刑された赤根武人の墓をつくったりした。それがとうとう高杉史料を萩に泥棒していく事件になる。すると萩市などともめているあいだに市が整備に乗り出した。展示室の改修で終わるかと思ったら内容の改ざんに乗り出した。
 
 内容改ざんが狙い 意気込む文化人的役人

  「市がやる以上は学術的でないといけない」「役所こそ公正だ」という。昔は役所が文化とか教育とか歴史評価とかに口を出すのは恥ずかしいことだという基準があった。「官製文化」「官僚統制・国家統制」といっていた。役人がやる歴史評価、文化というものがいい加減なことはすべての市の職員が知っていることだ。職をかけて真理、真実を守るというのはない、立身出世のため、身の安泰のため、それ以外の役人がいるわけがないという評価がほとんどだ。今度の高杉改ざん問題では文化人的役人がかなり意気込んでいる。かなりのバックがいるし、かなりの手柄になるということだろう。
  「裁判になっているから展示ができないんだ」と主張する者が多いが、これも関係のないことだ。この展示をめぐっては、議会では文教厚生委員会で関谷議員と末永議員がものすごくこだわって、一五八点を展示するなとしつこくやっていた。それも背後の力が働いていると見ることができる。
 A 「これまでは素人がやっていた」というが、役人やよそから来た学芸員の方がよっぽど素人だ。溝口学芸員も鎌倉・戦国期の古文書研究が専門で明治維新の研究は初めてだそうだ。下関や山口県の人間こそ実体験を持って維新の歴史を継承してきており、一番の玄人だ。そうした人民のなかで語り継がれて来た歴史というものを、ものすごく蔑視していることに特徴がある。
  「奇兵隊に志願したのは金ほしさのためだった」といいふらすことが、どれほど子孫、また市民・県民を怒らせることになるか。そういうものに対する恐れを知らない。明治維新革命の一番のハイライトである高杉の功山寺決起は、諸隊解散命令の後で藩財政からの援助はない。そのなかで諸隊全体が決起して藩政府軍とたたかった。また軍隊に報奨金があるのは当たり前だ。生活があるんだから。金の面でもきちんとしていたということだ。それは奇兵隊・諸隊の諭示に「農事の妨げをしてはいけない。牛や馬がきたら道縁によけてすみやかに通すこと」などとあることと統一したものだ。それは百姓、町人の支持を得て世直しと独立をやるという目的と一致する。
  下関でも県内でも、自分たちの父祖が徳川を倒すために身を挺してたたかったんだという誇りが語り継がれている。その実体験がウソだという。世のため人のために命をかける者がいたことが信じられない。奇兵隊がそう見えるということは、自分たちが金のためしか基準がないことの裏返しではないか。
  「高杉は主君のためにたたかった」というのも笑いぐさだ。日本の独立のため、近代統一国家をつくるためにたたかったし、歴史はそのようになったことをなぜ否定するのか。高杉は功山寺決起の直前「自ら不忠不孝の人となり/国政をして維新たらしめんと欲す」と詠んでいる。「忠・孝」を捨てて国のためという決意だし、そのように行動した。封建領主としての毛利はいなくなった。

 彦島の割譲問題も抹殺 史実でないと主張

 C 「彦島割譲問題」をかなりこだわっている。伊藤博文が回顧録で書いているだけで、史実でないという。回顧録は伊藤が殺される直前の明治42年の話で、そこからこの話が広まったというのは通用しない。それよりもはるか以前、講話談判の体験からみんなのなかで語られている話だ。アーネスト・サトウが書いてないから伊藤のは史料にならないという。彦島割譲はイギリスがあとの三国に出し抜いてやったことだし、失敗したことを書くわけがない。史料しか信用しない、書類不備というのこそ役所発想だ。大衆の経験、その伝承のなかにある真実を、認めない。それで歴史がわかるわけがない。
 インドも中国も植民地になるなかでなぜ日本は植民地にならなかったのか。徳川幕府は不平等条約の日米修好通商条約を結び、外国隷属のもとでの開国をやろうとした。長州藩は馬関攘夷戦争をやった。独立のもとでの開国だ。この戦争は直接には敗北だった。しかし歴史全体から見たら、外国の侵略とたたかう意志と力を示したし、植民地の道を断ち切った。彦島割譲を否定するのは、それだけではなく外国の侵略とたたかったという事実を否定したいのだ。
  この間坂本龍馬を称え、新選組を称え、篤姫を称えて高杉を抹殺してきた流れの中心がその点だ。一昨年、明治維新史学会が全国大会を萩で開き、その基調講演を北海道大学の井上勝生名誉教授がやった。その中心点は「日本植民地化の危機はなかった」「日米修好通商条約は不平等条約ではなかった」という点で、だから、「馬関戦争で大砲を撃った長州藩が悪い。それを止めた毛利の家来を再評価しないといけない」というものだった。
 
 相当の背後の動き 下関や山口県の外側から

 C
 市の博物館の役人のようなものが、鼻息荒く高杉改ざんという大それたことをやっているわけだが、これには相当の背景があるということだ。これをやったら大手柄になるという関係だろう。教育委員会管轄だから文科省課長から天下りした嶋倉教育長など意気込んでいるんだろう。
  嶋倉教育長が下関に来るなり、在日朝鮮人の前で「朝鮮侵略の歴史はなかった」といって大反発を食った。「明治維新の歴史はなかった」といいかねないと語られている。朝鮮人や明治維新は下関の特色だ。そこに攻撃をかけている。ある市職員が「嶋倉教育長は新潟出身だから、長岡藩の恨みではないか」といっていた。一坂も徳島藩出身だ。高杉改ざんは、下関や山口県の外側から持ち込まれている。
  一坂は東行庵に来る前から田中彰の弟子だ。学生の時期から歴史研究会の機関誌の編集部にいた。明治維新改ざんの歴史学会中枢から東行庵に送り込まれたのだ。はじめから高杉に敵意を抱いていたということだ。あげくは高杉史料の泥棒だ。そして下関市が世話をするといってはじめたのが高杉改ざんだ。全部一連の計画としてやられている。とうとう東行庵をつぶすということではないか。
  ここまできていえるのは、今度の高杉の改ざんは根が深いということだ。相当なバックを持って大がかりに仕組まれて来た到達点だ。山口県の明治維新評価をひっくり返すというのが長期に系統的にやられてきている。
 山口県では1992年に20年がかりの山口県史編さん事業が開始されている。その副会長に北海道大学の田中彰名誉教授がついた。田中は就任にあたって、「『防長回天史』は長州藩中心の明治維新史であって、真の県史ではない」「世界のなかの県史をつくらなければならない」と書いている。
 県はまた96年に「維新史回廊構想」をうち出し、県内の史跡を集めて萩に明治維新館をつくろうとした。明治維新館の構想ができ上がるのが高杉史料が持ち出された03年だ。そしてその基本計画策定委員長が田中彰、副委員長が広大大学院の三宅紹宣であり、委員のなかにはハーバード大卒のウイリアム・スティール国際基督教大学教授も入れている。
 このへんの学者が、歴史学会で「明治維新史の見直し」をやってきた中心メンバーだ。その中枢が山口県に乗り込み、県の行政権力を使って山口県の明治維新評価を改ざんすることを計画的にやってきた。県史編さん・明治維新部会に入っていた大阪経済大学の家近良樹教授は、その著書で「ソ連・東欧の社会主義崩壊と冷戦構造終結は、歴史学をとりまく状況も大きく変えた。従来のような薩長(とくに長州)中心の幕末維新史は存在そのものが許されなくなっている。これまで黙殺されてきた俗論党や幕府側諸藩の側から歴史を検討し直すべきだ」とはっきり書いている。アメリカににらまれたら存在できないということだ。
  そしてうち立てた方向はアメリカの都合のいい史観だ。戦後、明治維新見直しを中心になってやったのが1961年に駐日大使として就任したライシャワーで、弟子のジャンセンが龍馬を持ち出し、それからすぐに司馬遼太郎が産経新聞に『竜馬が行く』を62年から連載し66年に出版する。そしてNHKの大河ドラマになる。
  倒幕戦争に出陣した長崎振遠隊の招魂社をつぶしたのがちょうど62年だ。
  ライシャワーやロックフェラー財団などは、東大や京大にセミナーなどをつくっていった。京都にかなり力を入れて、京都セミナーとか、同志社大学のアメリカセンターのようなものをつくって、「とにかく歴史学と経済学を崩せ」とかなり強力にやって買収していく。とくに京大人文研に狙いを定めた。アメリカは「通史はダメだ」といい、伝記など部分的なことをやっている学者をアメリカに連れて行ってはハーバードで焼き直して、その方向で歴史研究をやれという方向を60年代を通じて貫いていった。
 C ライシャワーは第二次大戦で「天皇をかいらいにした日本支配」を唱えていた人物だが、明治維新評価をめぐって日本に持ち込もうとしたのが、一つは「外圧で開国した」ということだ。その弟子のマリアス・ジャンセン(ハーバード大出身の日本研究者)がいっているのは、「当時の欧米列強は日本には侵略を意図していなかった。温和な形で日本に迫ったのだ」というのが一点。それと「革命で近代化したのではない。当時諸侯も民衆も傍観者だった。それを上手に改良を積み重ねて革命をへずに近代化したのが日本のいいところだ」というのがライシャワーの基本線だ。それに対立する戦前からの日本の歴史学会の、人民の経験に依拠した科学的な明治維新評価をとにかく崩せということで、向こうは総がかりできた。それと今の内容がぴったりあっている。
  アメリカの一貫した戦略だ。ペリーの黒船は武力威嚇であり、日本占領の意図を持っていた。あのとき沖縄にも寄って「沖縄を占領しないといけない」といっていた。第二次大戦で無条件降伏の文章に調印させたミズーリ号艦の国旗はペリー艦隊のもので、その場所は浦賀沖だった。トルーマンは「原爆を落としたのはペリーの恩を忘れた報いだ」といい、マッカーサー自身も自称「第二のペリー」といっている。
 アメリカの側からは高杉と明治維新革命をずっとにがにがしく思ってきたし、戦後日本を支配するうえで明治維新の精神は抹殺しなければならないのだ。
 C 天安門事件後の91、92年に京大人文研の研究室に行くと、社会科学を否定して、「歴史は興味と関心でやるべきだ」といっていた。「学術」と称するもののインチキを示している。学術をメシの種にしてしまった。つまりアメリカによく見てもらわないとメシは食えない、明治維新を革命だなどといったら飯が食えない。雪崩をうって権力のチンドン屋になってしまったのだ。その連中が「奈良本辰也は古い、井上清は古い」と平気でいっている。金もうけ原理主義で学者の立場を捨てていった。それで歴史学会が崩され、とうとう東行庵の覆しまできたということだ。
 D 山口県史編さんの中心にいる田中彰は、90年代末に『幕末学のみかた。』という本を朝日新聞社から出している。「未発の可能性に満ちた時代」というテーマだが、それは「幕府が勝ったかもしれない可能性の時代」という意味だ。そのなかで開国に対する外圧論から「勝者・敗者の見方」などを展開している。井上勝生や家近良樹など12人が書いているが、統率者は田中だ。好き勝手に興味と関心でやれといって、わけがわからなくしてしまった。
 C 「興味と関心」というが、意図性が貫かれている。好き勝手ではなく、アメリカの日本支配の意図性で改ざんしている。だから彦島割譲問題、独立・革命という点を否定する。彼らは現在の問題として考えている。だから明治維新革命の歴史を継承させてはいけない、ぶっつぶせという観点でやっている。
 人民の側にとっても歴史を学ぶという場合、現代を理解し、未来を展望するエネルギーをくみとっていくためだ。現代を理解するのに、現代の資本主義社会が始まった明治維新という出発点を見ないで理解できるわけがない。明治維新は何だったか、第二次大戦は何だったかを理解せずに、現代日本を理解することはできない。そうした歴史的で社会的な見方を破壊し、好き勝手、目前バラバラに分断して、なにがなにかわからなくしてしまう。目先の利益だけを追い求めるアメリカ流プラグマティズムを押しつける。つまり歴史学の否定だ。アメリカが日本侵略支配を続けるためだ。
  マスコミが坂本龍馬を持ち上げているが、龍馬は幕府でも薩長でも自分がもうければいいという路線だ。ジャンセンは「龍馬の流儀は自分たちと同時代的な共通の価値観だから、龍馬はものすごく大事だったんだ」という。今の市場原理主義の先駆者で、アメリカにぴったりなんだ。
 B 「明治維新は革命ではない」というが、実際は内戦だ。戊辰戦争で新潟から函館まで行って戦っている。そうして徳川の武力を解体したことによって、徳川をはじめ諸侯の領地を没収できたし、士農工商の身分制度の廃止、商業の自由の保障などをやって、資本主義へと進んだ。近代化というのは開国して工業をやることみたいにいうが、そういう社会制度を改革しないで近代化するわけがない。徳川の方がよかった、敗者の方がよかったというのは、近代化反対の思想だ。
  馬関攘夷戦の前田砲台を世界遺産に登録しようという運動がある。〇七年から江島市長が取り組み始め、県や国も動いている。推進しているのはハーバード大ケネディスクール卒の加藤康子だが、「四国連合艦隊に長州藩が負け、攘夷を反省して、開国と近代化の方向をとった」「大砲を撃たれたおかげで目覚めた」といい、その記念碑をつくるという。これは日本人の発想ではなくアメリカのいい分だ。屈辱的だ。
  長崎ではぐるま座が『動けば雷電の如く』公演をやると、町衆が振遠隊を組織して戊辰戦争に参加した話や、海援隊がならず者と見られていた話、薩長同盟の前に五代友厚と高杉が花月で会談して銃取引の約束をしたなど、記録には残っていないが証拠がある事実がさまざま出てきた。薩摩と長州が平戸で密会していたというのも語り継がれていた。彼らは非合法で動いており、記録を残すはずがない。それは全部が本当というわけではなく、針小棒大な面もあるが、そうであったに違いないということはわかる。
  そういう人民の経験を否定して歴史になるはずがない。「実証的」と称するプラグマティズム学問が、歴史をバラバラにして、非常に恣意的であり、しかしそこにちゃんと歴史の真実を否定するという政治目的が貫かれている。明治維新の独立と革命の歴史を現代に継承されたらアメリカが困るということだ。
  人民のなかにその歴史は生きているから、絶対に抹殺することはできない。だから『雷電』公演を見ると沸き上がる。自分たちの持っている実感を基礎に理性化される。その状況を見ていても歴史というのがどれだけ大事なものかがわかる。
  この間、明治維新をとりくんできて、人民のなかにものすごく史実、史料が埋もれていることを実感した。今の歴史学はそういうのと一切関係ないところで、ひからびた、頭をこねくり回してやっている学問だというのが暴露された。
 C 今、明治維新の正面の教訓を顕彰することが非常に重要だ。『雷電』公演であれほど沸き立っているが、それは現代にものすごく響いているということだ。今の日本がそっくりな状況になっているからだ。六五年間アメリカの軍事基地をおかれたうえに全土に拡張されようとし、政治も経済も文化も教育もぶっつぶされ再び原水爆戦争の戦場にされかねない植民地状態だ。アメリカから独立し、売国反動派をうち倒して次の新しい社会をつくっていくことが直接の課題になっている。だから敵はますます改ざんしようとしている。明治維新の真実を大論議するチャンスだ。
  今、世の中にはウソがはびこっている。アメリカのサブプライムローン証券も大ウソ、大詐欺だし、9・11事件も自作自演、鳩山も大ウソなら菅首相も出てきたと思ったら「奇兵隊内閣」という。下関市の中尾市長すら大ウソ、炭酸ガスによる地球温暖化も大ウソ。良心的な学者は「日本の学会はウソばかり。データ改ざんも医学・理学関係で多い」という。ウソがはびこっているなかで、正しい歴史観を積極的にうち立てていく大運動を起こして、民衆の怒りを思い知らさなければならない。
 B 高杉改ざんという大問題が起きているのに、下関の文化人はどこに行っているのかという問題がある。文化人的役人が自分の安泰、立身出世が第一で、歴史の真実なんてどうでもいいというのは珍しいことではない。文化人的役人がポストを与えられていうことが変わる事例も最近よく目にすることだ。しかし役人ではない文化人も小泉元首相や安倍元首相の顔色をうかがう気配が強くなっている。古城春樹学芸員の『龍馬とお龍の下関』の出版記念会だが、あれほど派手に文化人が役所と一緒におおっぴらにやるというのもこれまでにない。「志士の杜」も90年代から動いているが、あるかぽーとに建てた妙な石碑も高杉と龍馬だ。高杉と白石正一郎をやればよいではないか。
  大きな力が背後で働いて、市が乗り出して高杉の改ざん、東行庵の転覆がやられているが、それは吉田も新地も奇兵隊子孫も、山口県民全体がみな怒っている。みんな尋常でない怒りだ。こういう維新の誇りを守るのは日本全体の問題であり、下関市民、山口県民の使命だ。これは日本人としての継承すべき精神を守る課題として、猛烈な市民運動にしないといけない。

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