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東北地方に大きな影響
原爆展キャラバン隊座談会
           はじめて伝わる広島の心  2004年6月3日付
 
 原爆展全国キャラバン隊(長周新聞社後援)が結成され、今年2月以後に活動を開始して4カ月が経過した。劇団はぐるま座団員によって構成された第1班は、山口県から勢いをもって北上しつづけ、5月は東北地方を巡回してひとまず山口県に帰ってきた。6月は北海道と1部北陸地方をめざす予定で、近日中にさらに日本列島の最北へと出発する。第2班は沖縄県を除く九州地方、中国地方の都市部をひとまず網羅した。1班、2班の全行動で『原爆と峠三吉の詩―原子雲の下よりすべての声は訴える』パネル冊子がのべ2044冊、峠三吉原爆詩集516冊が普及され、全国の人人の手に渡ったことは平和擁護の国民世論を喚起する大きな力になっていることを示している。キャラバン行動へのカンパは総額109万4555円が寄せられ期待の高さをものがたっている。山口県をはじめ全国のさまざまな人人の支援と協力によって活動を展開してきた。第1班の5月行動は、これまで原爆の実態を知らされてこなかった東北地方で大きな衝撃を与えるものになった。今回、隊員の4人に集まってもらい反応の特徴や経験、今後の決意を出しあってもらった。(司会・本紙編集部)
   
 アメリカへの謝罪要求署名に共鳴
 司会 まず概況報告からお願いします。
 富田 今回は東京都、茨城県、栃木県から東北地方にルートをすすめていった。北に行けば行くほど、原爆の実態が知られていないということを感じた。正直にいうと“これほど知られていないのか!”と驚くほどだった。教科書にも原子雲の切れっ端のような写真が1枚載るくらいで教えられないし、原子雲の下で人人がこのような目にあっていたということに衝撃を受けていた。そして、アメリカに謝罪を求めるという訴えがすごく新鮮に響いていた。郡山でやっていたとき、「アメリカに謝罪を求める署名」というはり紙を目にした老婦人がまっすぐに歩いてきて、「こういうことをやっている人がいることをはじめて知った」と目に涙を溜めて隊員全員に握手を求めたのが印象的だった。
 岡本 東北では仙台でも岩手でも自衛隊やその家族が結構原爆展を見ていった。そして熱烈な支持を寄せていった。仙台、福島、宇都宮、水戸などでは空襲の体験が溢れるように語られたが、大都市を除くほとんどの地域があまり空襲の経験はなかった。東京や全国では空襲の体験と重ねて思いを語っていく光景が多くあったが、東北地方では「B29を見て驚いた」とか、飛んできたことそのものへの驚きが語られていた。戦争体験といったら食べ物がなかったとか、満蒙開拓団で大陸に行った話が多かった。現地の被爆者たちにいわせると、「自分たちは原爆を投げつけたアメリカは絶対に許せないというのがあるけれど、そういうのが少し弱い」といわれた。
 福原 しかし原爆を知らないだけに、パネルを見ると「これほどだったのか……」と衝撃を受けていた。原子爆弾という人類史上もっとも残虐な兵器を日本人に投げつけたアメリカへの怒りが戦後の農業破壊などの経験と響くようだった。東北の北側に行くと、まだ遠巻きに様子を見てとおりすぎる人も少なくなかった。しかし見た人たちの衝撃はすごかった。戦後60年にしてはじめて、東北地方の人たちのところにキャラバン隊が持っていった意義は大きい。
 篠田 仙台駅は熱烈な反響だった。東京でやるのと同じくらいの人が見ていって、支持を寄せていった。ほかの場所もそれと同じような土壌があるし、人の見る数が少ない場所でも同じような質が脈打っていると感じた。はじめて見た、ビックリしたという衝撃、若い人はものがいえない。それほど知られていない。若い世代も年寄り世代も同じ反応を見せていた。ほんとうに全国には知られていないんだなと感じた。
 編集局 占領下の1950年、峠三吉や日本共産党中国地方委員会が中心になって、アメリカの原爆投下の犯罪性を暴露して斗争したわけだが、その当時東日本までは行けなかった。50年8・6斗争をやって翌51年には中国地方委員会は解散させられた。東北行動は50年ぶりの壮挙だ。

 現代社会憂う 気持ち渦巻く
 富田 1950年当時に朝鮮戦争に反対しアメリカは日本から出て行けという斗争からはじまったのがピッタリいまの空気にあっていた。拉致問題どころか、「どうしてアメリカのような国と仲よくしないといけないのか」という意見があったし、「北朝鮮うんぬんよりもまずアメリカから核をなくせ」という意見が出された。自衛隊の家族も、問題は北朝鮮じゃないんだといっていた。意識としては「日本がやった侵略戦争はまちがいだったが、アメリカがやった戦争が、正義だったか」という思いをみんな持っているのだけど、「いままで口に出せなかった」という意見がどこでも出されていた。
 福原 戦後からつながる現代社会のデタラメを憂う気持ちは全国と共通していた。東北地方というと農業が地域経済の中心になって人人の暮らしがあるようだったが、驚いたのはいまの東北地方で見られる農業の衰退ぶりだった。
 岡本 またまた疲弊して貧乏になっていっているという感じで、後継者がいなくなるということが町にとって一番の打撃といわれていた。農業をやっていけないから若者は出ていく。いままでも東京などに冬は出稼ぎで出ていたようだが、今度は畑そのものを売って出ていくんだといわれていた。農業を捨てる国策にたいする憤りが渦巻いていた。
 篠田 中心街の寂れ方にも驚いた。駅近くの一番の繁華街といわれていた場所がのきなみシャッター街になっていた。昔からの老舗の百貨店が駐車場に車が1台も止まっていないという調子で、ジャスコとかイオンなど郊外の大型店にとられてしまっていた。政府の対米従属にたいする思いがそういうところから語られていた。

 50年8チ6斗争勢力に強い支持
 福原 東北ではこういった運動をやる勢力はいない。既存の政治勢力がときどき街頭宣伝をやっていた。「原爆展はどういう団体がやっているのか」と聞いてくる人たちが多くいたが、「政党政派をこえてやっているんだ」というと、「それなら見よう」といって安心して見ていく。
 篠田 一般の人人は「日共」修正主義や社民勢力を忌み嫌っていた。かつて運動にかかわって、票とり運動でこき使われて嫌気がさしたという人が、「地道に平和運動をやっている勢力がいたのか」と驚いていたし、感動して帰っていった。広島ではなぜ運動が分裂しているのかとか、さまざまな質問があったが、「禁」「協」が運動の阻害物になっていることを、あらためて感じた。
 富田 「日共」修正主義集団が、駅前や商店街で原爆展をやっていると通報して妨害するということが数回あった。商店街の人が申しわけなさそうに事情を話してくれたのでわかった。かれらが警察に通報して原爆展をやれなくするというのが、撤去させられるときのパターン。
 編集局 「日共」修正主義勢力だけが妨害するということは、かれらが世の中で一番反動的で排外的な位置にいるということだ。根のところがアメリカ民主主義賛美だからだ。政党政派をこえて大衆のためにというのが分かれ目だ。パネルそのものがかもし出す雰囲気とともに、それをやっている集団が何者かという関心はすごく強い。それは50年8・6斗争勢力への関心と支持でもある。
 岡本 今回、東北地方に重要な宣伝に行ったと思う。にぎわいとしては大都会と比べれば劣るけれども、それにしても新鮮さと衝撃は大きいものがあった。今後相当な話題になって広がっていく基盤はある。広がったパネル冊子もよそ以上に威力を発揮するだろう。だいたい西日本の人たちは原爆写真といったら大概のイメージを持っているものだが、あっちはそういう概念もないのがほとんどの人の実際だ。
 編集局 小泉がガタガタになっているが、原爆展の威力は相当影響しているだろう。平和の敵は憎たらしくてやれないだろうが、これだけ大衆がみんな賛同しているから手が出ない。そしてみんなが本音を語っていける場になっている。
 富田 世論も2月からはじめて相当に発展していると思う。急激だ。
 編集局 ちょうどイラク戦争、自衛隊参戦、人質事件などが時期的にも重なってきたが、世論はイラク人民がアメリカとたたかって勝利していくことに励まされてきたし、日本がアメリカに従属してデタラメになっていくのと比較して、イラクの人たちは立派だという意見が多く出された。日本では占領軍に銃の一発撃ちきらなかったということが重なって語られたりする。そこを突破したのが50年斗争なわけだ。
 つぎは北海道まで行って8・6に合流していくことになる。世論は高揚しているし、まだまだ大胆にやることが期待されている。現実に戦争情勢が苛烈になっていく時代に、コソコソ鼠のような真似をしていてもどうにもなるものではない。各種政治勢力がみんなタコ壺に入って静かにしておかないといけないという空気があるなかで、大衆の支持を得て有益な行動を大胆にやっていくことが重要だ。戦争が近づいたら弾圧されることばかり見て、大衆のたたかう力が見えないものは多いが、それではどうにもならない。キャラバンの勢いを広島市民原爆展に大結集して、日本中の様相を変えていく出発点になる。

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