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町民の苦労に無関心の候補達
上関町議選・世論読めぬ推「反」談合組
                町民の推進離れが奔流に    2006年1月21日付

 上関町議選挙の立候補の顔ぶれ確定は、立候補説明会が終わっても、「まだ流動的だ」と見られている。町内推進派上層部の側からも、「反対派」幹部の側からも、そして選挙を管理してきた中電の側からも町民の世論が読めないのである。かれらは宙に舞い上がった調子で好き勝手をしてきたが、いざ選挙となると、投票するのは町民であり、だれがどういおうと町民が主役なのである。町民の多数は、表面上は沈黙だが、仲間内では活発な論議がすすんでいる。

 見解ものべない候補 町解散などもよそごと
 上関町の選挙は、中電が盤きょしたなかで、原発計画がすすむか止まるかが争点である。原発計画をめぐるこの4年間の出来事では、片山町長が中電から「刺客」を送られて首を切られ、推進派内部の二転三転の内輪げんかの末に、柏原町政が発足。加納一族支配ができあがるなかで、昨年末山戸氏が主導する祝島漁協が合併を決議、「祝島が漁業権を持っているかぎり原発はできない」といっていた漁業権を放棄し、さらに漁業補償裁判も放棄することを、決めた。それが原発計画推進の最大の出来事であった。
 選挙後の新議会における原発計画では、さらに残る共有地裁判、反対派が名義人をつらねた反対派土地、四代などの未売却個人用地のゆくえが具体的な問題となる。さらに新議会で大きな問題となるのは、財政破綻と合併・町の解散問題である。町民のなかでは、農協解散のうえに漁協は解散して農漁業の困難は増し、食料を買おうにも商店がなくなり、病院に行こうにもなくなるなど、町の共同体としての機能は崩壊し、徳川時代ほどの生活もできなくなってきた。そして人口は半減に近くなり、町がつぶれていく。
 こうした深刻な事態について、議員・候補者は、まじめに見解をのべるものすらいない。まるでよそごとのような顔をしている。町長や議員というのは、町に責任を持つようなものではなく個人の商売なのだ。このような選挙の様に、町民の憤激もうっ積したものとなっている。

 窮地に立った中電 踊らない町民
 今度の選挙の変動をもたらしている最大の要因は、「反対派」議員が公然と推進派に転向したり、漁業権や漁業裁判を放棄したり、柏原町政の与党になったりしていることである。漁業権を放棄したり、推進町長の与党になったりする「反対派」を支持するのは、反対派ではなく推進派である。
 これらの「反対派」議員候補たちが、漁協合併を撤回し、柏原与党と縁を切ったことを証明することなしには、町民から反対派とは認められない。山戸氏や岩木氏など、反対をやるというので町民から議員にも幹部にもさせてもらった。それがいまでは、「支持者は反対をやめてもオレのいうとおりになる」と見るのは勘違いである。漁業権や土地を売り飛ばす「反対派」議員を認めることは、いまからの土地売り飛ばしなどの裏切りも認めたとみなされることになる。今度は推進派から票をもらわなければならないのだ。
 「反対派」議員にしてもらって、議員年金をもらうところまできた外村勉氏は、ノー天気に「推進派になりました」とあいさつ回りをしてきた。これにたいして、「人の道を踏み外している」との怒りが表面化しはじめた。これまで支持してきた反対町民を、あきらめに誘い、そのまま外村票、推進支持票にとりこむという計画は狂ってしまうものとなった。町民を裏切り、食い物にした者が町民を愚弄してのさばりつづけることはできないという前例ができることは、町民にとって喜ばしいことだと語られている。
 こうしたなかで、反対の意志を持つ町民のなかからは、山戸、岩木氏らの会の枠にとらわれないところで、反対をかかげて出る動きもはじまっている。
 推進派の側は「反対派」候補総崩れの大チャンスであるのに、出るものがいない。「反対派」幹部も崩れたが、推進派の側こそ、町民の原発離れ・売町政治批判がすすみ、踊る者がいなくなっている。そして、中電・推進派の側からは、裏切り「反対派」候補を守ることを心配せざるをえなくなっている。上関や四代の推進派のなかでは、山戸氏を批判することに本気になって怒るものがあらわれている。
 この間のあるがままの事実は、推進してきた主役は、漁業権を放棄したり、土地を売り飛ばしてくれるニセ「反対派」幹部の側である。正面の推進派側は、口をあけて待っているだけであり、脅し役をやったり、飲んだり騒いだり、最後に金を配って引導を渡す程度のことしか役割がない。いわば補佐役でしかない。反対派の裏切り者がいなければ、上関の推進派はなにもできず、自動的につぶれる関係である。
 推進派の選挙は、中電の「ご指名」のもとで、相も変わらず親せきの数とプラスアルファーの利益誘導で勝負を決めるという伝統的・古典的なものである。300票しかない白井田では、篠川、吉崎氏の現職に加えて右田氏が怨念をはらす構えで「場外乱斗」の格斗技となっている。町民の苦労には見むきもせずに、逆らうなら脅しつけるといった、相も変わらぬバカ騒ぎに、町民の大多数がへきえきしている。
 以上のように選挙戦の様相は、表むきの推進派と「反対派」が何対何になるかといったところにおもな争点はない。漁業権につづいて、土地についても売却させるために「反対派」裏切り幹部を守ることが、それ以上に町民の反対をあきらめさせることが、中電・推進派にとって第一の重要性を持っている。

 「肉を切らせて骨を切る」局面に
 こうして、町を売り飛ばすための「反対派」にたいして、町民が認めないとの行動が強まるにつれて、選挙の構造全体が揺れ動き、さっぱり読めなくなっていく関係である。こういう様相は、中電がさまざまに選挙を操作しているが、投票するのは町民であり、選挙は町民の側が主導権を発揮しはじめていることを示している。
 推「反」談合による中電コントロールの上関町売町政治は末期症状をていするところとなっている。「反対派」幹部の公然たる裏切りは、中電支配が行きづまっているなかの、「最後のカード」である。この裏切りによって、漁業権の放棄や、土地の売却など一定の犠牲を払うことになっても、それで土地問題などすべての手続きが完了するわけではない。それ以上に、町民を欺く化け物政治の仕かけが崩壊するなら、中電が県とともにつくり上げてきた推進のシカケはつぶれることになる。町民にとっては、いわば「肉を切らせて骨を切る」局面にある。
   
 戦争しない前提崩壊 金がきても町衰退
 上関原発計画が浮上したのは1982年。1978年に豊北原発がうち負かされて、中電はやむをえず瀬戸内海の上関に計画を移した。
 当時中電のシナリオで推進派が叫んだことは、「若い者は都会に出て、田舎は廃村になる」「原発を持ってくれば地域が栄える」というものであった。この大前提は、日本は戦争などはしないし、いわんや本土が戦場になるようなことはないというものであった。しかし24年ですっかり事情は変わった。24年まえの行きがかりだけで、なおも推進の旗を振るものはいよいよいなくなっている。
 第1は、日本は戦争をしないという前提が崩れたことである。いかに原発が安全だといったところで、ミサイルの標的になったのではそれどころではない。そして一番原発が爆破されることを心配しているのは、「平和利用」と叫んでいた政府である。各地の原発には、攻撃を想定して海上保安庁の巡視船が沖合に待機するようになった。有事には自衛隊が出動する態勢をとり、原発が爆破されたことを想定した住民訓練までやりはじめている。そのうえに米軍が隣接する岩国基地に厚木基地を移転し、空母まで接岸できる軍港をつくって、アジアへの有数の核攻撃基地にしようとしている。この基地をマヒさせるのに、上関の原発の爆破が狙われる関係になるのは明らかである。国土を廃虚にするわけである。政府が戦争をやる国にするというのでは話は別である。
 第2に、この24年で、選挙は中電コントロール下に入り、町はすっかり中電占領の町となって、ものがいえない町になってしまった。町民の主権が奪われた中電の町はそのまま、もっとものがいえない軍隊監視の町になる。中電ははじめ、海と土地を売ってくれといってあらわれた。だが、町長も議員も、漁協も商工会も、区や婦人会、さらにお宮までもみな中電のものにしてしまった。しかも、町をみな買い占めるような金を払ったわけではなく、いまはやりの詐欺商法である。そして現在なお熱心な推進派の中心は、町の売り飛ばし屋である。
 第3に、原発をやれば地域がたいへんに繁栄するといっていた。80年代は「原発がこないとなにもできない」といっていたが、90年代には国、県の采配で予算の大盤ぶるまいとなった。環境調査にともなう交付金もたくさんおりた。しかし町はすっかり寂れてしまった。金がないから寂れたといっていたが、金があっても寂れたのである。金は、買収のために使われただけで、町民の生活をよくするためではなかった。

 抑えられてきた上関の良識を形に
 町の振興は、金があればできるのではなく、人の要素が第一であり、生産の力が基本なのである。町民はこの間も、中電がばらまくあぶく銭で生活してきたわけではない。役場や協同組合は原発のために動くという、よそより困難ななかで、よそよりもっと働くことで生活をしてきた。町の振興は、漁業や農業という生産を地道に発展させることであり、生産を基礎にして町の人情、協力、団結を尊ぶ共同体を大事にすることであった。
 原発の初期、戦後の高度成長の流れがあり、田舎の若者も、きつい漁業労働などより、工業を基本とする都市で働く方がよいという空気もあった。しかしいまや、都会に出ていったものは職がなくなっている。田舎へ帰ろうにも田舎は生活できない、上関から出たものは難民か浮浪者になれという結果になりかねない。こうして「原発による繁栄」という約束は、まったく違った結果となった。
 24年たって、以上のような結果は、原発推進とは町の売り飛ばしであり、町民のためなどではなく、全町民がだまされた決着をつけなければならない時にきたことを示している。
 選挙をつうじて、推「反」談合で町を売り飛ばす政治に打撃を与えること、押し込められてきた上関の良識を形にすることが、もっとも重要なことである。上関原発をめぐる情勢は、「反対派」幹部を使った漁業権、土地売り飛ばしの危機であるが、同時に町民だましの最後のカードを使い切り、町民の力再結集で中電の24年の策動の最後的な破綻をもたらす分かれ道となっている。
 


    「人が住めない町」の修復切実 交通が不便で買い物や通院にも苦労
 
 上関町民のなかでは、年を追うごとに暮らしにくい町に変貌していくことが話題になっている。過疎地域のかかえる全国共通の問題であるが、人口の減少率は山口県下でもダントツで、群をぬく位置にある。そして高齢化がいちじるしい。手放しで放置しつづけたとき5〜10年後はどのような姿になっているのか、なぜそうなっているのか、切実な課題について心配している住民は多い。

  失格の烙印押された町政
 室津の中心繁華街だった西町。廃業した元商店や民家は解体されて、更地になったところがめだつ。それは近年急速に進行したもので、「歯ぬけ」といわれている。空き地になったところは良い方で、町の中にはいまにも崩れそうな廃虚もある。「県外に出ていった○○さんは、一番推進運動が盛り上がっていたきびしい時期に、河本先生(反対)の運動応援をやって追い出されたような格好ですよ……」と住民の一人は説明する。「○○さんのところは倒産」「○○さんは亡くなられて、ご近所に迷惑がかかったらいけないから家を解かれた」。
 全体としては「減少の一途」だが、新たに家を新築する人もいる。あくまでも郷土で暮らし、根づいていくことの意志のあらわれでもある。
 本町側の某商店に1枚のファクスが送信されてきた。手書きの文字を見て、「八島の人からの注文なんですよ」と店主は説明する。パンとか豆腐など頼まれた食材やちょっとした雑貨などを買いつけに行って、渡船で送っているのだという。「この町で大手スーパーやコンビニが出店しようと思ってもむり。暮らしのほとんどが、利益なしのボランティア精神で成り立っているんですよ」と笑いながら語るのだった。年寄り好みと若者好みの落差があって、考えながらの仕入れになるという。独居老人とか老老介護世帯のお客さんは、わずかの量ですでにできあがった既製品のパックづめを好んで買っていくのが特徴。
 廃屋がめだつ八島や蒲井、長島の奥まった地域になると、年寄りは買い物に難儀している人が少なくない。主として食材だ。なかには豆腐が黄色く変色していたり、パンが賞味期限を切れていたりする場合もある。蒲井地区のおばあさんが、山をこえて白井田地区まで歩いて買い出しに行ったとか、奥地から本町に出てきた老人が、「どうしてこの店の豆腐は白いのか?」というので困ったとかの話がされる。
 蒲井の老人に聞いてみると、店は一応2店あるが、1店は仕入れて余ったら困るので完全予約制。もう1店は、1週間に1度の仕入れ日に住民が殺到するので、少しでも遅れたら品物がないのだという。おばあさんの1人が冷蔵庫をあけて見せた。中には、ぎっしり食材がつまっている。肉は冷凍。「漁師が少なくなって魚が食べられないから、缶詰で食べる」といって、たくさん魚類の缶詰を買いためていた。ほんとうは刺身が食べたいのだという。週に1度の楽しみだった老人給食も予算が削られて、おかずが消えた。
 蒲井では36世帯のなかから消防団が結成されているが、半数近くが60歳をとうにこしたおばあさんたちだという。故郷への愛着から「蒲井が寂れた」といわれるのは耐え難い言葉で、「蒲井は住みいいところ」と念を押す。
 医療も暮らしに大きな影響を与える。入院体制のある病院はなく、少し大きな病気になると町外に出ていく。室津住民の一人は「いまは志熊先生(志熊医院)がいるから助かっているが、先生だっていつ地元(県外)に帰られるかわからない。それこそボランティアで、甘えてばかりもいられないんですよ……」と先行きを心配していた。子どもを持つお母さんたちの不安も大きい。年寄りが「最後に行くところ」という光輝病院(隣接の平生町)も、高齢化の影響で順番待ちといった状態だ。

 生活支える相互扶助の精神
 上関はまぎれもなく“老人の町”になった。ボランティア、つまり私利私欲をぬきにした相互扶助の精神が暮らしの根底を支えあっているのだと、多くの関係者が指摘するところだ。
 しかし例外として、交通の便が悪い地域になると、年配者の病院がよいの足として、高額料金の白タクシーをやって小遣い稼ぎする町議とか、同じ地域でも不便な位置にある家には法外な料金増しで灯油を売りつける町議だとか、悪徳商人のような人種がいるのも事実だ。この人たち、町政の舞台で困っている町民のために、交通問題解消とか暮らしをよくするために働いたためしがない。既得権益が侵される関係でもある。
 そのほか、タクシーも四代など奥地には迎えに来てくれなくなった。町営バスも2a程度雪が積もったら運休になったりして暮らしが滞る。柳井にかよう高校生たちは、行政補助予算の削減にともなう民間バス会社の本数削減が影響して、五時過ぎ発の帰りのバスに乗り遅れたら、上関に着くのは夜9時を過ぎるので困っている。
 人口の実態としては3700人余りにまで減少した。室津住民の一人は、「産業を育てなかったこと、原発のみに傾倒したことが悲劇だった。もう少しどうにかなっていたはずだ」と見ていた。「町を支えてきたのは漁業、農業と、それにともなったサービス業だった。原発の夢追いばかりに終始して、第一次産業をたいせつにしなかったことが原因ではないか。わたしもふくめて、中心産業はなにかを見まちがったんですよ。若者が住める町にするためには、安心して従事できる産業と環境を育てないといけない。“原発がくれば”はもういいです」と苦笑した。
 室津に住む別の婦人は「ライブドアの株価じゃないですが、もうけ主義は上関でも嫌われているんです。みんなが助けあって暮らせるなら、本来住みやすい町なんですよ。素朴な人情味があって、それなりの年金があれば食べられる。中電が金をまいて壊してきたものを一つ一つ修復しながら、よい町にしていけたらいい」と語った。
 県下でもトップにあたる「人が住めない町」の現状は、町政に失格の烙印が押されたことをものがたっている。それは、町民がどうなろうが自分の欲得だけで人をおとしいれたり、情報を売ったり、お宮を売ったり、疑心暗鬼がたくましくなったり、原発騒動がすべての中心に動いてきた町における「中電原理主義」の結果である。「たいせつな20年を失った」と町民は語りあっている。
 識者の一人は、「戦後すぐの時期には1万人をこえる人人を養う力がこの町にはあった。7000〜8000人くらいの人間が住むことはできる。長い歴史の一時期、3700人までへって活力を失っているということ。潜在的な力はある。小泉(首相)さんも過疎地は捨てる気らしいし、いまからどうがんばるかにかかっているんです」と話していた。

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