トップページへ戻る

町民の共同・連帯回復を切望
上関・中電が奪いとった23年
                売町政治と投機主義が障害    2005年10月20日付

 中国電力の上関原発計画をかかえてきた上関町では、来年2月の町議選挙をまえにしているが、町民のなかでは「失われた23年」をふりかえって、さめざめとした論議が強まっている。人口は6000人いたのがいまでは4000人を切り、年寄りも住みにくいが若者はもっと寄りつかず、子どもはいなくなってきた。農協はつぶれ、漁協も解体、町も倒産の憂き目にあおうとしている。町はすっかり中電に乗っとられてしまい、なにごともカネしだいの町となり、町民は推進派と反対派、また推進派の内部も争いばかりでバラバラに切り裂かれ、地域の共同体としての連帯と人情はズタズタに破壊されてきた。その損害ははかりしれないほど大きい。原発による金に投機していい目に会おうという流れが、生産労働によって地道な発展を図るという方向を破壊し、大多数の町民ははかりしれない打撃を受けてきた。中電を町から追い出して、この投機主義と売町政治を転換し、町民団結の回復と生産による地道な発展の道を回復しようという思いがほとばしるように語られている。
   
 漁業の困難が町衰退の最大要因
 上関町は元来半農半漁の町であり、なかでも漁業が現金収入の中心となって、農業と依存しあい、商工業が成り立つという関係である。海運も伝統的な産業であるが、石炭から石油への産業構造転換の流れのなかで衰退してきた。
 漁業の困難が原発23年の上関町衰退の最大の要因である。中電が原発計画を推進するうえで最大に破壊したのが漁協である。中電は、漁協が強力であった豊北で失敗、その教訓から目をつけたのが上関であった。上関漁協は加納町長時代の不正事件などで解体に近い状態、室津漁協も内紛で分解状況という状態であった。
 上関は瀬戸内海工業地帯の圧迫が強く、また町内ではかつて栄えてきた海運などと比較して漁業の地位は低く、当時はまだ「都会はよい」という空気もあり、漁業には展望がないという空気もあって、売り飛ばしがあおられた。
しかしこのなかから、上関は漁業が中心であり、漁業を発展させることで地域を振興させることができるという世論が勝利していくなかで、80年代の当初の原発計画はとん挫した。
 90年代に入るなかで前面に出てきたのが当時の平井龍知事であった。最大に力を入れたのが漁協対策であった。漁協幹部にテコ入れをして、漁協の再編に力を入れた。祝島は山戸、上関は大西、平生は山根氏らが県のテコ入れ組合長として登場した。県が漁港改修をやったり、漁業振興策の格好をとったが、この漁協再編は原発推進のための漁民統制を強めるものであった。そのために、油などの資材購入、魚の共同販売などの漁業として必要な漁協の共同事業はないがしろにされた。漁協はあるが、漁民生活のバラバラ状態は同じで、むしろひどくすらなるものであった。
 「上関町の基盤産業は漁業だ」と多くの住民があらためて口にしている。老人たちは歴史をふり返り、「漁業が盛んになれば、商店がもうかり、造船や鉄工所もいっしょに栄えた」「漁業が盛んなころには、酔いつぶれた漁師が町中にたくさんいるほどだった。町の衰退は漁業の衰退だ」という。
  
 機能の回復が切実 漁協めぐり論議に
 漁業者のなかでは、販路の拡大や集荷や出荷、よそより高い油代、漁場の整備や管理など漁業振興策としてやるべき課題は山積みなのに、漁協が機能をはたしてこなかったことが大きな問題となっている。
 上関の底引き漁師の1人は、「上関は出荷がみなバラバラ。県漁連や仲買におまかせでやるから、ばかをみてきた」という。個人で出荷してみても、仲買や県漁連では六〇〇円にしかならないタチが、いいときで1800円にもなった。冬の底引きでは、レンチョウ、デベラ、イカなど、「損もある」が3倍近い値になるという。個人出荷では、箱代から氷代、運送賃もかかるが、なんといっても沖から疲れはてて帰ってからの出荷作業は重労働だ。「個人的に大阪や広島に出荷するグループがあるが、個人の努力ではかぎりがあった。漁協が結束していれば違う。上関の漁師はほんとうに損をしてきた」といった。
 室津の若手漁師は、「20年まえは平均で7、800万はあった水揚げが、魚価の低迷やピンハネで600万円いけばいい方だ。そのうえに、絶対必要な油代が上がれば沖にも出られない。上関では漁師は食えない状態になっている」と話す。
 漁業者は、朝から晩まで重い苦労をして魚をとってくるが、「漁連と仲買がいっしょになって安く買いたたく。油も高いが、漁師個人ではなんの交渉もできない。漁協がやるべきことだ」と語られる。
 11月から春先にかけては、漁業者の稼ぎ時となる底引き漁やフグの延縄などの本格的な時期を迎える。1度の出漁で、200g近く軽油を使う上関の底引き漁業者なら、一番安い漁協と比較して、ドラム缶1本につき2100円もの差が出ることになる。上関の底引き漁師が1年間に使う油代は、多い人で100万円近く、量でいえばドラム缶75本分(1万5000g)になる。1gで10円違えば年間で15万円の差がつく。全盛期の10〜15年まえには、年間150万円近く使う人もいたというから、23年の間に、油代だけで400万円ほどはピンハネをされた計算になる。
 さらにひどいのは安い魚価である。上関の底引き漁師の近年の水揚げ高は、約500万円ほどで、よく稼ぐ人が1000万円をこえたといわれる。5、6年まえまでは、800万〜900万をこえる漁師も多くいた。15年ほどまえには1000万をこえる水揚げがあった。上関の魚の浜値はよそと比べたら、少なくとも2割は安いと見ると、500万平均の水揚げで100万は損をしている計算になる。23年間となると、2300万をピンハネされたことになる。3〜4割は安いという見方もあり、1000万をあげる人もあり、軽く4000万〜5000万を失った人もいることになる。補償金の比ではなかったのである。
 中電の補償金にふり回され、漁協が中電の道具となり、漁協としてやるべき共同事業がないがしろにされた結果、上関の漁民はとんでもない打撃を受けたのである。補償金は、パチンコやボートや宝くじ、はては株などと同じバクチであり、ちょっと当たったらやみつきになって、気づいたらさんざんな目にあっていたというのと同じであったわけである。
 中電もはじめはタダ酒も飲ませたが、いったんその気にさせると、釣り上げた魚にエサは与えないというのはみなが痛感するところとなっている。

 何十倍の困難強いられた上関漁民 祝島が突出
 現在全県の漁協に異様な印象を与えているのが、山戸組合長のいる祝島漁協である。漁業を守り、島民生活を守るために原発に反対してきたと思いきや、油代は県下ダントツの高値で、魚価は安い上関よりもさらに安い。一本釣りの平アジが、市場では400円以上もすると上関の漁師がいうのに、`160円、チダイも安くなって500円というのに`160円にしかならない。共同出荷の手数料も2割6分が漁協にぬかれている。
 全国の原発計画地で、電力会社側は漁協経営を借金漬けにして推進に転換させるというのが常とう手段であった。祝島でもそれと同じ状態がつくられて、漁業者をことのほか困難にしている。県下で、知事と会い、水産部長と酒を酌み交わす関係を持った組合長は山戸氏をおいてほかにはない。事実1994年の漁業権書きかえでは、原発立地点の田ノ浦にあった共同漁業権を放棄する漁協総会決議をしたことで、環境調査から今日の漁業補償まで道を開いた経過があり、知事が感謝感激する関係であることは明らかである。
 輸入魚の増加による魚価の暴落や油代の高騰、県漁連によるピンハネなど、全国的に漁業がきびしい状況におかれているが、上関の漁師は漁協が飲ませ食わせの原発推進組織になって、本来の仕事をはたさないためによその何十倍もの困難を強いられてきたのであった。県や中電などが、意図的に漁業をさびれさせてきたのである。
 しかし、漁協破壊という上からつくられた困難ななかでも、多くの漁民が漁業をつづけてきた。そこには上関の漁民のよそ以上の努力があるが、そこに漁協が協同組合としての機能をとりもどすならば、発展の余力はじゅうぶんにあると漁業者のなかでは話されている。老漁師のひとりは、「苦しい中でもここまできたのだから、ほんとうの漁業振興をやればまだやれる」と語っていた。この障害は中電の金に幻想を持つ投機主義であり、上関の漁場と漁業の力へのべっ視を一掃することである。
  
 植民地にされた上関 中電が乗り込み議会も町政も散々な状態
 この間、町には相当の予算が入った。原発計画のはじめは、「自主財源がないからなにもできない」といって放置するのが特徴であった。ところが平井知事が乗り出した90年代には、国も県も優遇予算を組んだ。国は上関にあわせて、環境調査にあわせて特別交付金を出すという法律の改定もやって優遇した。
 片山町政は、はじめ観光事業といって、皇座山の道路や上盛山の展望台、中の浦海浜公園など、ほとんど利用価値のないものをつぎつぎにつくった。さらに大がかりであったのが漁港改修や魚礁投入、栽培漁業センターなど漁協買収事業であった。とりわけ祝島の事業は突出したものであった。そして、室津の使うあてのない埋め立て、その埋め立て土をとるための村上水軍史跡・城山の掘り崩し、小学生をふやすことはせずに30億円をかけた超豪華な小学校建設などであった。
 いずれも町民のためになるものはほとんどなく、つくることが目的で、すなわち原発のための買収、選挙の買収が目的というものであった。そして残ったのは借金で、上関町は来年度の予算編成のメドがなく、合併をしようにもよそには相手にされないというありさまとなった。
 一貫しているのは、中電に町が支配されていることであり、町政としては売町政治がつづいて、町がすっかり売り飛ばされたことである。
 近年風当たりがひじょうに強くなったのが町会議員である。それは推進派、反対派を問わず、町民のために働く議員は1人もいないという怒りはうっ積している。推進と反対を叫ぶだけの「ワンフレーズ」議員で23年、年に300万円をもらい、タダ旅行、タダ酒を飲んで、いばって遊んでいる。中電にかかえられ、金力と権力にバックアップされているだけで、大きな顔をしているが、上関町民のなかのもっとも劣等部分が集まるところが議会という評価が定着している。
 体を使うわけではなく、頭を使うわけでもなく、年に何日か議会に行って300万以上をもらっていることに町民は怒っている。町財政危機のおりでもあり、議会に出てきた時間分だけ払う日当制にすればよいし、最低賃金でよい、その方が町民の気持ちもわかるし、損得ぬきでみんなのために働くものが議員になれると真顔で語られている。「働かざるもの食うべからず」の道理をとおすことは社会のためにはよいことである。
 23年中電は、原発を建設するために土地と海を買いたいはずだが、そればかりか町中を奪いとってしまった。町民のすべての個人情報が中電立地事務所のコンピューターにうちこまれ、選挙となるとフル回転し、勤め先や恩人、友人、親類、それが大阪とか全国から手が回ってがんじがらめで縛りつける。中電というのは全国的な電力会社のなかでは田舎会社だが上関のような小さな町から見たら大企業が、何十人ものスタッフをおく事務所をかまえ、GHQかCIAのようなことをやって、町のなにもかにもを奪いとってしまった。
 選挙も中電支配なら、役場も漁協も商工会も区や婦人会やお宮までも中電の道具のようにされた。議会傍聴も日当配布、区の集まりも日当、会議や集会も日当、選挙も日当、婦人の花植え作業も日当。祭りも予算、視察旅行も予算。町中が中電に買い上げられた格好となった。
 こうして町長や町議会と中電の交渉とか、漁協と中電の交渉といったって、町民や漁民の代表と交渉するというのは格好だけで、中電と中電の雇われ人が交渉するようなものとなってきた。ひどいのが神社地の買収問題で、中電は神社本庁と手を組んで、四代住民のお宮をまるごと中電神社にしてしまって、土地取引の判を押させた。世の中には公正取引委員会というものもあるが、どこが公正取引であろうか。

 全国の先端に立つ上関 全県全国も同じ状態
 以上のような上関町の状況は、中電が乗りこんでさんざんな状態にしたものである。いま全県では、上関のことを笑っている場合ではないという世論が起きている。自分のところとも同じようになってきたのである。全県の漁民も、県一漁協合併の漁協解体で、上関のバラバラ状態が押し寄せてきた。いわば上関の中電原理主義は、いま小泉が叫ぶ「市場原理主義」「新自由主義」という、「稼ぐが勝ち」の大資本や外資の「金もうけ原理主義」を20年も先行してやったことになる。これが攻撃するのは生産原理であり、生産を担うものの協力と団結であり、義理や人情などというのはクソ食らえのそろばん勘定第一主義である。
 いかなる金もうけも、生産するものがいなければ成り立たない。ホリエモンとか村上なにがしとかいう新手の株屋も、人人が生産労働して上がった利潤を横取りしているにすぎない。中電が金をばらまいてきたというがそれは電気料金である。
 中電による植民地のような支配と、町政の売町政治、町民のなかに振りまかれた中電の金をあてにした投機主義を一掃すること、そして漁協をはじめ全町民の共同体としての協力と連帯の関係を復活させ、生産による地道な振興の道に転換することが、町民全体の強い要求となっている。
 上関町民が、23年の中電支配をうち破ることは、同じような目にあいはじめている全国の人人をおおいに励ますことになる。その意味で、裏を返せば上関町民は全国の先端に立っているのである。

トップページへ戻る