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町民主導の上関立直しに意欲
原発依存の投機主義が崩壊
            町民パワー炸裂が不可欠    2011年10月3日付

 本紙は1日から2日にかけて、上関町内に『原発推進町政終結させた選挙 山戸氏に推進派の審判』(第7180号)を配布し、選挙後の町民世論を聞いて回った。どこでも快く新聞が受けとられ、原発が終わったのちの上関町の再建方向について熱い論議が交わされた。29年続いた原発売町政治によって、原発の金にぶら下がった投機主義が培養され、競りあったり、利権を奪いあってもめ事が絶えなかったことが振り返られ、今度は町民同士が助けあいのできる町にすること、同時に町民が主体となった上関の地に着いた発展方向を模索しながら、町を立て直すことの大切さが各所で語られていた。
 
 漁業振興軸に再建の可能性

 室津地区に住んでいる男性は、「原発に決着がついた以上、この30年を立ち戻って反省する必要がある。上関の自然条件にあった町作りは、他から教えられるものではない。町民自身が一番よく知っている。豊かな漁場を中心に、荒れ地を耕して畑を作り、自分たちの手で町を切り開いてきた歴史があるし、30年忘れていたものを取り戻す契機にしなければいけない。自然の恵みは放置して待っていて与えられるものではない。苦労して手をかけるからこそ豊かな富を得られる。苦労するからこそ郷土愛も培われるものだ。町作りを東京のコンサルタントに頼むより前に、町は町民に頭を下げてこの30年を振り返ったアンケートくらいとったらどうかと思う。町民の知恵を集めればとても豊富なものがある」といった。
 そして、漁業も個個バラバラの個人経営ではなく、共同化していく必要があること、その過程で利害でバラバラにされた人間関係を克服していく必要があることを強調した。「自分のもうけだけでなく、みんなで分けあい、助けあう精神がいる。みんなが協力することでみんなに利益をもたらすような精神をとり戻さなければいけないと思う。経験者の考え方が生かされるような町政をやらなければいけないし、地元の力で想像力をもちよって将来を引き出さなければ進歩はないのではないか。自力がいる」と思いを語っていた。
 別の婦人も柏原町政が「原発のない場合の町作りも考える」といって、東京のコンサルタント会社に130万円で委託していることへの疑問を語る。「町民の声を無視する町作りのやり方に問題がある。つぶされた室津小学校も、地区民も知らなければ、同窓生も知らなかった。あの校舎は、戦前にハワイや朝鮮に移民として渡った人たちが浄財を集めて建てたもので歴史的にはとても価値のあるものだったし、卒業生や町民にとって思い入れのある校舎だった。それがいつの間にか壊されて、代わりに温浴施設が建てられた。町外にいる同窓生からも“なぜ教えてくれなかったのか!”と抗議が来ている」と声を荒げた。
 そして「町内には魚を買う場所もなく、私たちは柳井にまで買いに行く。昔は、生きのいい魚や手に巻き付いてくるような新鮮なタコをさばいて食べていたが、今ではそんなものを見ることがない。中電も柏原も自分から“原発をやめる”とはいわない。豊北町では電源候補地が解除されるのに20年というが、このまま20年放置されたら上関町は廃屋だらけの町になる。町民の力を集めて、町政を改めさせなければいけない」と話した。
 60代の男性住民は、「新聞に“いくら金があっても欲タレが使い果たす”と書いてあったが、その通りだ。金が降ってくるのを突っ立って待っているような姿勢がいけない。だからこれほど町が寂れた。人の金は身につかない。漁業補償でも結局使い果たしてしまったではないか。もらうことばかり考えないで、自分たちでどうやって稼ぐか考えないとどっちみち芽がない」といい、原発に群がる投機的な思考への拒否反応を口にした。
 「国が電源交付金をおろすといっても、原発関連は使い道が限定されて箱物で首を絞めるだけ。来年度は12億円がおりてくるというが、そんなものは突き返した方がよい。巨大風呂に続いて赤字施設だけ背負わされたのではたまらない。それよりも自由に使える金を賠償金として請求して、町のためになることから手がけるべきだ。町作りはなにか劇的なものを想像しても意味がない。自分たちが生活できる環境を充実させて、あとは少しずつ考えていけばよい」と話していた。

 年寄りが多いのも強み 経験や技術が豊富

 町退職者の男性は「3500人の半分が65歳以上という町でこれ以上ハコモノをつくっても使う人がいなくなるし、維持費もかかる。温浴施設も、近くに周南の三丘温泉、下松の笠戸島温泉、柳井の温泉プール、大島の竜ヶ崎温泉など温泉だらけのなかで上関に1日200人も来るわけがない。たちまち維持費で倒れることになる。こんなことを繰り返すよりも、交付金を一般財源に使えるように国と交渉するべきだ」といった。
 そして、「東京の“二一世紀”というコンサルタント会社は、原発建設の話がある以前から町政に絡んできた。こちらからオファーを出したというよりも、向こうから乗り込んできた印象がある。私たち“田舎もの職員”は、口出しはできず、知らされることもなく、町の基本的なことは上の方の話しあいですべて決まっていくやり方だった。原発計画以前から原発建設を中心とした町作りにかかわってきた会社だ。推・反町議が団子になって高知の風力発電の視察に行くというが、風力発電で電気を売るといっても中電は電力が余っているし、プロペラが回っているぐらいで観光資源にもならない。なにを考えているのかさっぱりわからない」
 「今回の町長選は、町民にとって選択肢のない実質無投票に近い選挙だった。これからの町政を考えたとき、高齢化による漁業の衰退、鉄鋼や造船なども同じような状態にあるが、年寄りが多いということは経験や技術を豊富にもっているという強みでもある。これを若い世代にしっかり伝承して、足場を固めていかなければいけない」と語った。

 魚の加工場や朝市等も 産業振興巡り話題

 産業振興の策についても、さまざまな視点から意見が交わされ始めた。室津の男性住民の一人は「上関には魚の加工場がないし、町民が魚を買う場所もない。分校跡地に加工場をつくるなりして、水産業を盛り上げなければ上関町は維持しようがない。室津では白浜が朝市をしているが、広島からも買い付けに来る人たちがいる。上関でも始めたが、利益の配分をめぐってもめて消えてしまった。今は、平生町から週に2回魚屋が売りに来るなど、町外業者をあてにしなければいけないというバカげた状態になっている」と様子を話した。
 「魚の出荷にしても、鮮度を保つためにいけすを載せた船を町が購入して共同で使うとか、バラバラの流通経路を一本化するなどやり方はある。軽油免税が4月で切れることになれば、個人個人でやっていたのでは間尺に合わない。上関の港には30年前には4、50杯も船があり、カレイなどをトロ箱に詰めて賑やかなものだったが今は高齢化して動けるものが少なくなった。だが、魚が捕れないわけではなく、若い後継者がやっていける基盤を作れば漁業にはまだ可能性がある。町長、町議、町職員だけが潤うような町作りではいけない。町営住宅でも、町職員なら半額を町が補助するので、一戸建てからハイツまで町職員ばかりが入居している。しかも10年たったら自分のものになる。そうやって町の産業を育てるのではなく、推進の利権の分けあいのような形でやられていることに問題がある」といった。
 上関地区の漁師は、「このままでは上関はギリシャのようになる。今からでも漁業発展のやり方はたくさんある。広島に上関の魚を持って行くととても喜ばれる。その味を残してくれたのが先代たちだ。かつては海上交通の要衝で、港も賑わっていた。室津のお稲荷さんを見れば、当時の街の繁栄が一目でわかる。田舎が背伸びして人の金で飯を食ってもだめ。地場の産業を大事にして、田舎にあったことをしていかないといけない。漁業は後継者を育てることを考えないといけない。一本釣りと網では味は全然違う。今からは一本釣りでなければやっていけない。上関の底引きもまともに動くのが2、3隻になっている。油代ばかりかかってもうけにならないのだ」と語った。

 祝島でも確信が広がる 本紙報道に共感

 祝島では、島民の多くが町長選挙の結果を受けて改めて「上関原発は終わった。上関原発を建てさせないために30年間頑張ってきたかいがあった」と明るい表情で勝利の確信を語り、長周新聞本紙を喜んで受けとった。
 80代の婦人は「原発をつくらせたら上関町で漁業はできないと、30年間毎日毎日頑張ってきた。山口や広島にも行った。最近は体がいうことをきかなくなったが、気持ちは同じだ。頑張ってきたかいがあった」と長年のたたかいを振り返り喜びをあらわしていた。
 とりわけ島内では『山戸氏に推進派の審判』の見出しを見て強い反応があった。「山戸票が少なかったのは反対派が負けたのではなく山戸がどういう人物かをみんなが知っているからだ。原発反対ということで自分だけ金もうけをしてきた。なぜあれだけの票しかとれなかったのか、今度の選挙で原発反対にもインチキがあることが日本中に知れ渡っただろう」と話されていた。
 原発建設予定地の四代地区でも、選挙結果を受けて「上関原発計画は終わった。今からは町作りが最大の問題だ」という声が圧倒的であった。60代の男性は「柏原町長が原発推進、推進といってきたのだから、責任をとらせないといけない」と厳しい口調で話した。80代の婦人は「原発が建たなくて本当によかった。もし福島のようなことになれば、四代が一番逃げ場がない。年寄りばかりだし、どうすることもできない。もし原発ができたら、死ぬまで心配し続けないといけない。原発推進、反対とケンカせずに、町民が仲良くして力を出せば町作りはできる」とニコニコしながら話していた。

 病院や介護施設が不足 高齢化対策も切実

 町内では、高齢化率が50%を超え、人口3300人のうち1600人以上が65歳以上になった実情が各所で語られる。だからこそ個個バラバラではなく、地域コミュニティーが以前以上に求められていること、その対応を求める声が高まっている。
 室津に住んでいる70代の婦人は、「年寄りが多いのだから突飛な町作りよりも助けあい、みんなの力がつながることが大切」と語り始めた。室津地区では婦人有志ら15人が毎月1回、80歳以上の高齢者に配食サービスをしてきた。1食100円の安さに加えて、地元産の魚を調理したりバラエティーに富んだメニューが好評で、高齢者にも喜ばれている。ただ気がかりなのは70代の自分たちが80代の世話をみていることで、10年先、20年先を考えると限界があるのだといった。
 「一人暮らしの年寄りはご飯くらいは自分で炊くけど、おかずに困っている。近所でも日頃は平生町からやってくる配食サービスに頼っている人が多い。1食400円でご飯をつけると500円。農協も配食サービスをやり始めたようで、町外から運んでくる。みんな町外から上関に商売しにくる。年寄りは多いのだから、こうした配食事業を地元のみんなでやったら違うのではないか。動ける若手とも力をあわせれば心強い。町にとって若者の就労場所が大切なのと同時に、高齢者への対応が必要だと思う。原発30年の悪夢に、いつまでも付きあっている場合ではない。巨大な温泉よりもそっちの方が大切」と語った。
 別の住民は室津地区の診療所が大繁盛していることを語る。それほど年寄りにとって地域医療が欠かせない存在であることを指摘した。「柏原町長は年寄りが柳井に行くためのバス代を片道300円になるよう原発の金で補助をつけているが、それよりもみんなが柳井の病院に行かずにすむように医者を配置するべきだと思う。原発のない大島には町立病院がある。祝島にも医者を常駐させている。そのようなことはできるはずだ。“病院と買い物は柳井市へ”というのは町を捨てた者が考えることだ。みずからの町をどうするか、他力本願ではない努力がいる」といった。
 病院だけでなく、介護施設もない。町内には蒲井地区に30人収容の老人ホームが一つあるだけで、要介護度の高い年寄りの受け入れ先がないことも問題になっている。平生町や柳井市では各所にグループホーム施設ができているのに比べて、あまりに対応施設が少なすぎると語られている。
 室津地区の婦人は「蒲井は順番待ちで“一生入れない”場所といわれている。30人以外は町外に行くしかない。室津の温浴施設はどうせ一年くらいで赤字経営になるのだから、老人ホームや療養所に転換した方が助かるとみんなが話題にしている。原発労働者のためにつくったのだから、中電に買いとらせてしまえ! という人もいる。上関は贅沢さえしなければ、月6万円もあれば孫に小遣いをあげてもお釣りがくる場所。原発の騒ぎさえなければ、みんなが気配りして住みやすい町だった。30年前の人間関係を取り戻して、そこから再出発して町を立て直さないと」といった。

 責任とらぬ中電・国・県 弱小企業に犠牲転嫁

 一方で、原発工事を見込んで投資してきた企業などは、深刻な経営状態に追い込まれていることが危惧されている。業者の一人は、「原発は3月11日に終わった。家一軒建つくらいの投資をしてすべてがパーになった。上関ではもうやっていけないから、東北の被災地の仕事を頼りにして行くしかない。鹿島建設に促されて設備投資して、いざパーになれば鹿島は見てくれない。私たちに残るのは借金だけ。町外には首をつった業者もいると聞いている。そういう弱小企業もいることを書いてほしい」と話していた。
 別の企業では5000万円もの投資をしたことが話され、JVを組むために人員を増やし、ISOなどの資格をとり、船も造ってきたことが語られていた。「工事が中止になれば廃業するしかないところまできている。これまで中電、県、町が“できる、できる”の旗を振って準備させてきたが、その責任はどうとってくれるのかと思う」といった。
 そして原発の金に飼われて自分だけいいことをしたボス連中を懲罰すべきだの世論が沸騰している。元町連協(推進派組織)会長で元議員が自分の家と家族の家をよその町に四軒も建てたという話などが怒りを込めて語られている。そして国や中電の金にまぶりついて自分だけ良いことをしたボス連中が大きな顔ができなくなった。
 上関町内では、この選挙をへて「原発は終わった」が圧倒的な世論となった。原発の29年、「金がないのでなにもできないから原発」といって国や大企業の金を当てにして、確かに町財政には何十億円もの膨大な金が入ったが、町はさんざんにつぶれてきた。町の再建は考え方の再建からといって、金が空から降ってくるのを口を開けて待つ投機主義の考え方を一掃して、町民自らの手と足を体と頭を動かして、上関の地に着いた、また上関の歴史に根ざした地道な発展の道を切り開かなければならないという大きな転換が起きている。
 そして金もうけ一辺倒で町民がバラバラになって争うのではなく、町民みんなが依存しあい、助けあう人情豊かな町にするという町民の下からの世論が沸騰するところとなっている。まさに町の復興は町民パワーの炸裂が必要であり、町民のなかから町をどうつくるかを明らかにし、そのため国、県、中電に謝罪の意味をもって必要な資金を出させなければならないとの世論が圧倒している。
 上関町民のこの動きは、上関町を復興させる確かな力となるが、それは津波の大災害から復興する東北の人人、さらに農漁業破壊、地方生活破壊に立ち向かう全国の人人の思いと深く共鳴するものとなっている。まさに原発29年の負の経験が、貴重な教訓となって、全国の農漁村復興の先進地になる可能性を強めている。


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