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戦争を阻止し平和で豊かな社会
実現する新しい歴史の出発点に

           
              創刊50周年に当り戦後総括運動の訴え 2004年11月27日付
 
 読者・支持者のみなさん。長周新聞は来年4月、創刊50周年を迎えます。
 長周新聞は、敗戦後10年目の1955年に、いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関として創刊され、1号も欠かすことなく発行をつづけ、ついに半世紀を迎えます。50年といえばきわめて重みのある歴史です。第2次世界大戦後の国際的国内的な変転きわまりない大激動の時代において、あらゆる中傷、妨害、脅迫、攪乱などの攻撃を乗りこえ、平和で豊かな社会の実現をめざす人民の言論事業が堅持されてきました。それは、長周新聞を創刊した福田正義主幹の指導路線の正しさを証明するものであり、編集綱領の正しさとともに、多くの読者・支持者の方方のご支持、ご協力のたまものであり、また歴代の勤務員の奮斗努力と、そのご家族のみなさんのご支持のたまものです。この資本主義のどまんなかで長周新聞が50年をたたかいぬいたという事実は、人民大衆がいかなる権威にたいしても勝利し、新しい歴史を創造できる証であると考えます。
 長周新聞は2000年の創刊45周年以後、福田正義主幹の逝去という大きな試練を迎えました。しかし、読者・支持者のみなさんの強い熱意により、一連の福田正義著作集の発行と全国1000図書館への寄贈が成功し、今年5月には堂堂とした福田正義記念館を開館して福田正義顕彰の恒久的な砦をつくることができました。福田主幹の戦前からひきつづく活動は、さまざまな勢力によってふりまかれた多くの欺瞞をとり払い、人人に新鮮な目を開かせ、すすむべき道について励ますものとなりました。長周新聞創刊50周年は、戦後60年がたって社会の荒廃は極まり、貧困と失業が広がり、戦争をはじめるという激烈な情勢のなかで、福田主幹が亡くなったもとで、その事業をしっかり受けついで、今度こそ戦争を阻止して平和で豊かな社会を切り開くために、長周新聞の活動と日本の人民運動を飛躍させる出発点としなければなりません。
 長周新聞の創刊50周年運動は、読者・支持者のみなさんとともに人民言論50年の歴史を総括して、幾千万大衆とともにいまからすすむべき方向を見出すことが重要な任務となります。
 長周新聞の50年を総括することは、戦後60年の日本社会、人民の生活と斗争を総括することを意味します。すなわち、あの戦争はいかなるものであったか、敗戦後60年たった日本社会はどうしてこのようにデタラメなものになったのか、また60年「安保」斗争のように高まった日本人民の運動の伝統はいかなるものであったか、それはどうしていまのように無惨に瓦解してしまったのか、これらのテーマについて、福田主幹と長周新聞がいかなる立場と路線でどういう道をすすんできたかを中心にして大論議し、日本人民の進路を明らかにすることであると考えます。
 新聞の編集・発行を担当する側は、以上のようなテーマでの読者・支持者のみなさんの意見に学んで、正しい面は伸ばし、誤りや不十分性を正して、いっそう自分たちをきたえ、新聞活動を大飛躍させなければなりません。

 創刊の訴えを原点に
 長周新聞の50年を総括するにあたっては、1955年の「長周新聞創刊にあたっての訴え」に照らして、どうであったかを見なければなりません。「創刊の訴え」は戦後10年たった情勢を分析し、生まれるべき言論機関の性格をつぎのようにのべています。
 「戦争はわれわれの生活にいいしれない痛ましい傷痕を残し、われわれの郷土に無惨な荒廃をもたらした。人人は荒廃のなかから立ち上がり、平和で豊かな美しい郷土を建設していくために、不断の努力をつづけてきたし、いまもつづけているが、しかし10年もたったいま、いぜんとして明るい展望は開けない」。
 「労働者は安い賃金と労働強化に苦しみ、不断に失業の脅威にさらされている。農民は土地が少ないうえに、生産費のつぐなわない農産物価と重税にあえぎ、中小商工業者は不況、重税、金融難で倒産の危機にさらされている。不況の波は容赦なく襲いかかり、失業者はどの町にもどの村にも氾濫している」「そのうえ、植民地的退廃がまき散らされ、民族文化の健全な伝統をむしばみつつある」「それにもかかわらず、憲法に背いて再軍備が公然とすすめられ、軍国主義の妖怪がまたしてものさばりはじめた。原子戦争の危険すらが、民族の運命と関連を持ちつつ、身近に不気味にただよいはじめている」
 そして、「このような情勢のなかで発行されている大部分の商業新聞は、いずれも資本の支配下にあり、支配勢力の忠実な代弁をつとめている」「大衆はいおうにも口に鉄をかまされた馬のように、語るべきなんらの機関も持たない。これでは、真実は泥沼の底におしこめられ、ウソがはびこり、歴史は偽造されてゆくばかりである」とのべ、「われわれは真実を泥土にゆだねてはならない。いいたいことをあからさまにいい、欺瞞のベールをひきはがし、そのことをつうじて、真に大衆的世論を力強いものにしなければならない。そのために必要なことは、いかなる権威にも屈することのない真に大衆的な言論機関をみずからがもつことである」とのべています。
 そこから、「山口県民(日本人民)の新聞として、政党、政派や宗教的信条、職業などにかかわりなく、真実の報道と正しい世論の組織につとめ、平和と独立と民主主義を守る。また労働者、農漁民、市民の生活を擁護し、郷土文化と発展のためにつとめる」(編集綱領)と新聞の性格を定めています。

 五〇年の歴史へて際立つ新聞の役割
 われわれはこの「創刊の訴え」が、その後50年の歴史をへて、ひじょうに新鮮な響きを持っているという実感を強めざるをえません。
 戦後60年、戦争の痛手のなかから立ち上がって平和で豊かな郷土を建設するために払われた人人の努力はすっかり踏みにじられ、見るも無惨な荒れはてた社会となりました。そのうえに公然と武力参戦に踏み出すところまできました。それは世界中から孤立してアメリカの下請戦争に日本の若者の命を差し出すというものです。あの戦争で320万もの人が殺されたことも戦後の荒廃のなかから立ち上がってきた幾千万の人人の苦労も、まるでなかったといわんばかりです。第2次世界大戦はいったい何であったのか、日本人民が体験した事実にもとづいて徹底的に論議されなければなりません。
 さらに、今日の日本社会をもたらした「戦後改革」といわれたものは何であったのか、「資本主義の永遠の繁栄」が叫ばれた高度経済成長とは何だったのか。「戦後は平和で自由で民主主義の豊かな社会になった」といわれてきましたが、あらゆる欺瞞のベールは引きはがされなければなりません。
 戦後、財閥が解体されましたが、ひとにぎりの独占資本はたちまちにして戦前とは比較にならないほど巨大なものとなり、中小業者は倒産の連続でありました。労働政策の民主化ともいわれましたが、いまや労働者の大多数は学校を卒業するときから失業か半失業状態におかれ、労働現場は巨大労災事故がひん発する殺人労働となり、人間的な生活ができないような奴隷状態となりました。戦後農地改革がされ農民は地主から解放されたわけですが、高い工業製品を買わされ、それにひき合わない安い農産物価を押しつけられ、そのうえに外国農畜産物の輸入によって、農業は有史以来経験したことのない破壊状況にたちいたりました。「自由競争」原理は巨大外資と独占大企業が略奪をほしいままにする自由であり、大多数の勤労人民にとってはしめ殺される「自由」となりました。こうして労働者、農漁民、中小商工業者、勤労市民は生活の困難を増すばかりで、日本人民の労働によって生み出された富はひとにぎりの大資本とアメリカに流れる結果となりました。
 天皇制国家機構は解体され、議会制民主主義になったのだとされました。いまでは、議会や政治家が国民を代表していると思う人はほとんどいなくなりました。この「民主主義」は、政治家が悪いのは選挙民が悪いといった調子で、国民に責任転嫁するための道具になったかのようです。
 教育や文化の荒廃は度はずれたものとなりました。親が子を殺し子が親を殺すなど、胸を痛める事件がふえました。テレビや雑誌、ネットなどは、ふざけたバカ騒ぎやサカリのついた雄ネコと雌ネコの真似をあおるような俗悪なものがはびこり、まさに意図的・政策的に人人の健全な人民的思想を破壊する植民地的な退廃が流されています。
 そしていまや、憲法改定を公然と日程にのせ、いよいよ戦争をやる国家態勢づくりに奔走するにいたりました。しかもこれはアメリカの国益のための戦争に無条件で動員するというものであり、そのために日本の若者の命を差し出し、日本の国土を戦場として提供し、かつて侵略した朝鮮、中国、アジアの国国と対立し、世界から孤立するというものです。それは日本とアジアをふたたび原水爆戦争の火の海に投げこむという危険を持ったものとなっています。
 さらに、新聞、ラジオからテレビ、インターネットと、メディアはますます大仕かけなものとなりました。人民が死活の問題に突きあたるたびに経験することは、これらのメディアがいずれも「大本営発表」のごとく、支配勢力の道具となって、人民の抵抗をふくろだたきにしてつぶすために奔走するという事実です。大衆は口に鉄をかまされた馬のようにされているという現実はますますひどいものになっています。このようななかで、いいたいことをあからさまにいい、あらゆる欺瞞のベールを引きはがし、大衆の世論を力強いものにするため、いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関として、長周新聞の役割はきわめて大きなものとなっています。

 総括運動通じ力大結集へ
 また人民大衆のなかで、この社会をなんとかしなければいけないという世論が充満したものとなっているのに、表にあらわれた運動の衰退は無惨なものとなっています。戦後さまざまにあらわれた政治勢力が腐敗、堕落しています。それは世界的にも、ソ連をはじめとする社会主義陣営が崩壊したこととつながっています。
 日本人民のなかでは戦後、世界をリードする力を持った運動の伝統があります。1950年にはじまる原水爆禁止運動から60年「安保」斗争はその代表的なものだといえます。ところが60年「安保」斗争以後、「高度経済成長」とともに、労働運動などが衰退をはじめ、今日では見る影もないようになりました。
 戦後の人民運動のなかでは、人民大衆の根本的な利益を代表して、アメリカの犯罪を正面から暴露してたたかうとき、大多数の人民が結集して巨大な運動となりました。ところが、人民の共通の利益を犠牲にして個人や小集団の利益だけを求め、アメリカの植民地的支配の枠のなかに満足する潮流がはびこるなかでは、運動は崩壊していったということができます。
 戦後、共産党の指導中枢から、アメリカ占領軍を解放軍とみなす評価があらわれました。それは第二次大戦に突入していく過程で、ソ連共産党の指導部からファシズムとたたかう平和勢力という評価が生まれたことと結びついていました。それが戦後世界中にはびこり、いまではソ連をはじめ、一連の社会主義国がアメリカに屈服して崩壊し、世界的に共産党が変質していきました。
 長周新聞の50年の歴史は、そのような修正主義裏切り者潮流とたたかうことで、人民の利益を守ってきたものです。福田主幹と長周新聞の歴史は、それらとはあるときから対立したというものではなく、はじめからまったく異なったものでありました。福田主幹は、かつての戦争を押しとどめることができなかったのはなぜかという問題意識に立って、全中国を解放した中国革命の教訓のなかから、人民に奉仕する思想に徹して、人民の苦難を調べ、その手助けをするならかならず勝利する、という教訓を得て、戦後の活動を出発しました。そして戦後その教訓を生かして、原爆を受けた広島市民の要求を代表し、アメリカ占領軍の犯罪を正面からあばいて、原爆反対の大運動の火蓋(ぶた)を切り、またたくまに世界的な運動となりました。それが長周新聞創刊の源流となりました。
 長周新聞の創刊以後、その方向が全面的に展開されることとなります。勤労人民の新聞として独立、民主、平和、繁栄、人民的民族的文化の発展という課題をかかげて、50年のたたかいが展開されてきました。それは50年間の日本社会の発展とかかわって、政治、経済、軍事から文化、教育など、人民の利益がかかわるすべての分野で、きわめて豊富でいきいきとした生命力を持った活動が展開されてきました。そのような豊富な活動の歴史について、50周年運動のなかで、活発な論議がされなければなりません。そのなかから、今度こそ戦争を押しとどめて平和で豊かな新しい社会を実現する、全国的な人民の力を結集する展望を見出さなければなりません。
 長周新聞創刊50周年は、読者・支持者による総括運動のうえに5月には、”戦争を阻止して新しい人民の歴史を創造する出発点”として創刊50周年記念祝賀集会を開催する計画です。読者・支持者のみなさんの、創刊50年を記念する総括運動への積極的なご参加、ご協力を訴えるものです。
                           2004年11月27日        長周新聞社

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