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中電主導で上関町消滅か
町民主導の上関町再建か

                                         2003年9月13日付
                上関町長選挙めぐる対立点
 選挙違反による加納町長辞職にともなうやり直しの上関町長選は、告示まで2週間余りとなるのにいまだ候補者が出る様子がない。原発計画が持ちこまれてから22年、上関町をめぐる力関係は大きく変化した。国は全国的に国策として市町村合併を強行しているが、原発を国策として推進させてきた上関町を切り捨て、合併に誘導して上関町を消滅させ責任を雲散霧消させようとしている。これは国策として持ちこまれた原発計画にたいする、長期にわたる上関町民のたたかいが、全県、全国人民の力と結びあってついにうち負かしたことを示している。さまざまな欺まんをとりのけてみた現実の争点は、中電、国主導による上関町の解散・原発の収拾か、町民主導による原発計画の撤回・町の再建かとなっている。このようななかで、いまや亡霊のようになった原発推進の売町政治構図を一掃し、占領軍となっている中電を撤退させて、町民の主権を回復し、町民主導の町政をうち立てるため、局面を大転換させるエネルギーに満ちた全町的な世論と運動を起こすことが最大の課題となっている。

  撤退急ぐ中電・国・県 最大の変化は合併要求
 候補者不在ですすむ選挙を控えた上関町では、町の進路をめぐって論議が強まっている。上関で起きている問題は町内だけで説明することはできず、個人の欲や願望だけで見ることもできない。大きな国や県との関係で、また20年をふり返ってどうなっているのか客観的に冷静に見極めることなしに、町の進路を考えることはできない。
 中国電力の上関原発計画は町内の誘致運動などというものではなく、国策として推進してきたものである。上関原発計画は、中電だけでなく原子力メーカーをはじめ独占大企業集団、それに従属する商工団体などが総がかりとなり、国は国策に位置づけ、吹田氏を先頭に自民党の代議士、県議が乗りこみ、県が画策し、商業マスコミ、警察、右翼暴力団まで動員し、さらには反対派幹部のなかに培養した手下を使うなど、あらゆる金力、権力を動員し、まるで戦争時の特務機関のような陰謀、術策までも弄(ろう)して推進してきた。
 町内の推進派の親分も、田中商工会長が県の連合会会長、国の連合会理事の役をもらい、通産省、県商工労働部の権力をバックにすることで最大ボスの役割を与えられた。片山町政の買収政治を支えたのは国、県の財源であった。こうして、町民をがんじがらめに縛りつけて推進してきたが、全県、全国の力と結びあった町民の力のまえに、にっちもさっちもいかないようになったのである。
 国の姿勢の変化で最大のものは、原発をかかえる上関町に合併を要求したことである。片山町長の「上関だけに金が使えるよう特区に」という要求は、国に拒否され、周辺市町からもあいそをつかされた。国は合併を要求し、上関原発を切り捨てることを要求したのである。

   裁判所や山口県警にも異変
 また裁判所が変化した。山口地裁岩国支部の能勢裁判官は、林宮司裁判では中電の下請のようなふるまいで裁判官忌避の訴えまで起こされていたが、共有地問題では立木伐採の禁止、整地禁止の判決を出した。この共有地は、神社地より海側にあって炉心部にかかるところであり、神社地問題いかんにかかわらずボーリング調査や埋め立てなどできなくなった。
 さらに国策の番人である山口県警が20年来、「推進派は逮捕しない」との定説を破って、神崎氏を逮捕し、当選したばかりの加納氏を切ったのも、国策の変化をあらわす異変であった。
 上関の選挙となると自民党の代議士が乗りこんでいたが、今度は地元にゲタ預けの様子である。というより、吹田氏は早く失脚、残った佐藤信二氏は2000年の選挙で、原発推進をとなえたばかりに落選となり、いまでは自民党の公認ももらえないという落ちぶれぶりで、だれもいなくなったのである。県内の選挙で原発推進などとはいえなくなった。

  解体した推進態勢
 この間、町内外で推進のおもな顔ぶれが切られたり逃げたりして、推進態勢は崩壊してきた。
 町内では、98年に推進の最大ボスであった田中正己商工会長がクーデターの形で解任された。それとあわせて推進派のなかで片山批判潮流が中電にあおられて登場した。昨年の町議選では、地元の反乱の形で原発問題のはじめから議長をしてきた西元氏が引き下ろされた。そして今年の町長選挙で、国から切られた片山氏がやめた。上関原発の20年推進の中枢が総瓦(が)解したのである。
 ところが片山批判潮流もつぎつぎに切られる羽目となった。右田氏は昨年町議選挙で議員辞職し町長選スタンバイのとたんに議員集団すなわち中電から捨てられた。片山、右田、浅海氏を押さえて登場した加納氏は当選した瞬間に切られた。片山批判勢力に移った神崎氏も逮捕で議員辞職。さらに補欠選挙では、若手2人の「自主的推進派」である将来の推進派幹部候補も切り捨てられ、中電は下請の「尾熊毛(中電事務所)派」を2日まえの出馬で押しこんだ。こうして町議会は中電の子会社である町連協出身者が主流となり、中電町議会になった。
 漁協の組合長も、この春四代の内藤氏がやめ、その後神社問題騒動の立て役者であった室津漁協の外村氏がやめた。中電からお役ご免にされたと同時に、足もとが明るいうちに逃げてせいせいした様子と観察されている。漁協も合併・解散を県から要求されており、理事責任などが問題になってくることは必至である。
 原発人事の変動は町の外側でも進行した。2001年の二井知事合意、基本計画組みこみを前後して、中電の高須社長が辞任、中電上関事務所発足以来いた林紘太郎所長がやめ、人員もベテランの用地担当などがいなくなり、事情がわからない新卒のような職員にかえた。神社地売却で中電の手先となった黒神県神社庁庁長は、神社本庁に林宮司解任要求の上申書を上げてやめ、長門の上田氏に交代した。
 県では前田商工労働部長がやめた。通産省でも経済産業省に改変されるにあたって上関担当者が交代したといわれている。今年には、県の推進担当である商工労働部の原発担当者が総入れかえになった。上関から以前の約束を持って文句をいいにいっても「知らぬ存ぜぬ」の態勢となってしまったのである。

  上関消滅企む中電
 99年の東海村事故以後の基本計画組み入れへの動きは、中電や県、国の方からの上滑りの勝手なものであった。漁協への補償金ばらまき、知事の公聴会開催、公開ヒアリング、知事合意とつづいた。結果が示すことはそれがゴールになったことである。20年も騒いで基本計画までもいかずにとん挫したというのでは、国も県もなにをしてきたのかということになり、責任をとるものが多くなる。各部門の責任者がいっせいにやめたのは、上関原発推進態勢の解体であると同時に、責任のがれとみるほかない。逃げ出そうとするものは、最後に「やるぞ、やるぞ」と大騒ぎをして人をだましながら逃げていくのが常である。
 こうして推進で踊るものは、全国的にも全県的にも町内でもほとんどいなくなった。町内では推進派も二分し、補償金の半分の夢が捨てられない漁協と町連協出身者をはじめとする中電利害関係の尾熊毛派(中電立地事務所)が騒ぐだけとなった。
 国のプログラムは、上関町を町政の人材の面からも財政の面からも成り立たないようにし、万策尽きはてた状態にして、合併に追いこみ、上関町を解散・消滅させ、原発の責任を雲散霧消して逃げるというものである。
 上関の尾熊毛派主導の推進運動は、本人たちの欲望や願望はどうであれ、上関町の立ち腐れを推進し、国の合併誘導による原発消滅・上関町解消に導くものとなった。それを最後には「町の自主判断・自己責任」で決めて、国や中電が「ここまでやってきたのに、残念ながら地元自治体の政策選択は尊重せざるをえません」などといって責任回避することを保証する運動となった。上関の推進派はいまや上関町解散派になった。
 中電は町民をいつもだましてきた。何度も「すぐできる」といって20年も振り回してきた。祝島の反対派ボスへの憎しみをあおりながら、裏でしっかり結びついていることも大きな欺まんであった。逃げるのもいかにだますかに必死なのである。

  上関町民の力が勝利
 国と中電の上関原発からの撤退は、いまや力関係において覆すことのできないものであり、解体した推進態勢を立て直すことは不可能である。これは上関町民が全県、全国の力と結びついて、国の原子力政策をとん挫させ、権力、金力を総動員した上関原発計画をうち負かしたということである。中電という大きな企業や国、県という大きな権力を持ってして、上関という小さな町で大立ち回りをしてきたが、とうとうかれらの思いどおりにはできなかったのである。
 そしていまや国、県、中電は、正直に撤退するといって町に残した傷跡を回復するのでなく、表ではやるような顔をして、ズルいやり方で逃げようとしている。そのために中電が前面に出て選挙を管理し、町民をしめあげ文句をいわせないようにしている。それはとくに、負けたことを認めて人人が勝利感を持たないように、文句をいわせないように、できれば人人が敗北感や挫折感を持つように仕組みながら、逃げようとしている。もっとも毅然とした林宮司を屈服させようとする攻撃はその意味が大きい。
 上関の町民の力が、いまや中電、国、県をうち負かした。上関町は推進派ばかりではない。四代や祝島のばあちゃんたちをはじめ20年、あらゆる妨害や脅迫、買収の誘惑などをはねつけて、自分のためでなく町のため国の平和と繁栄のために無私の精神で反対を堅持してきた人人。林宮司のような真実を真実として貫いてきた人。複雑な矛盾関係のなかで、表ではいえないが、確固として反対を堅持してきた「隠れ反対派」といわれる多数の町民。推進派のなかでも、山戸氏などのインチキに強烈な批判を持ったり、町の発展を願った多数のまじめな人人。これらの力が結集し、町の売り飛ばしをはかった売町推進派、メシのために反対を利用したインチキ反対派議員などの腐った推進構造を暴露し瓦解させてきた。
 このような町内の力が、全県、全国の力と結びあって、国の原子力政策をとん挫させ、上関原発計画を破たんさせたのである。
 かつて「お国のため」「国策」といって、戦争にかり出され、300万人もが戦死し、日本中が焼き払われた。人人は戦争の荒廃のなかから立ち上がって平和で豊かな郷土を建設するために努力してきた。戦後は、工業優先で農漁業を破壊することが国策とされ、それでさびれたところに原発を国策といって持ちこみ、町をさんざんに振り回し、上関町をメチャクチャに崩壊させ、最後は市町村合併という国策で放り出そうとしている。
 この「国策」は国も郷土も破壊し売り飛ばすものであったし、平和を守ること、農漁業を守り、地方生活を守ることが国を守る真の国策である。上関町は疑いもなく上関の町民が建設してきた町であり、町の主人公は町民である。いま上関町をもてあそび破壊しつくす中電を撤退させ、町民自身の力で町を再建するエネルギーを爆発させることが求められている。
 上関町の衰退は、経済面で深刻だが、なによりも人心が乱れたことである。とくに議員など幹部が、自分のため、金と地位のため、中電や国、県のシナリオにぶら下がって推進か反対を騒ぐだけでメシを食ってきた結果、この政治変動のなかで、まったく無力さが暴露されている。町民にとって、町政にとって役に立たないのである。結局のところ本当に力を持っていたのは町民であったという確かな教訓である。
 今日の結果は、どこからかカネが落ちてくるのを待ちわびるという投機的な精神は破たんするということであり、町民の手と足を使って、自分たちの力で町を再建するというのでなければ成功することはできないという教訓を教えている。そのような町民主導の町再建をめざす全町民的な運動の結集がもっとも求められている。原発推進で引き回してきた力が、うち負かされたのちには、なおもメンツをはかり、上関を放り出そうという力を加えるなかで、それをはねのけて町の再建をめざす全町民的な大衆的運動を起こすことが課題である。
 そのような全町民的な力の結集がなければ、中電をして上関からひきあげさせることはできず、国、県をして、町民をだましてもてあそぶずるいやり方を改めさせ、20年の破壊からの町の建て直しに責任をとらせることもできない。中電や国や県は強いものには金を出すが、弱いものには金も出すわけがないのである。

   生産の振興で再建へ 全国的な共感必至
 原発20年で、「上関」の名前はすっかり全国に知られるところとなった。よく知られた「原発の上関」から、「原発を返上した上関」ということになれば、また泣き寝入りをやめ、合併を拒否して町民主導の再建の道をすすむ上関ということになれば、この地方切り捨ての時勢に全県、全国が拍手喝采の共感と支持を寄せることは明らかである。悪い印象はよい印象に劇的に転化する。とりわけ上関に近い広島は、原子爆弾とかさねて原子力発電所を撤回させた上関の再建への支持と共感が大きなものとなることは疑いない。上関は日本でもっとも遅れた町から、もっともすすんだ町になる。
 商売のうえから見ても、上関の海、上関の魚、上関の魚釣り、上関の山、上関のミカン、上関のらっきょう、上関での遊び、上関の歴史などなど、「上関」ブランドは、実際の自然条件の有利さと住民の人情の厚さを基本にして相当に上昇することは疑いない。これだけでも、原発の重しをとり除いて、町内のやる気さえ回復すれば、相当な経済活性化の条件を持つことになる。都会に出て職を失っている若者が帰ってきて生活する相当の力となる。
 漁業や農業、商工業など地域活性化の問題、また町政運営の問題などは、上関の若手がどんどん先進地を訪れて知識を得る努力をし、そこから上関にとっていいことをとり入れていくようにするなら、展望は見えてくるものである。
 上関は漁業が中心である。漁民は魚価が下がったことをみんな悩んでいる。浜値と小売値は昔は3倍といわれていたが、いまでは4倍になったといわれる。上関はもっとひどい。出荷の工夫、町内での小売りの開拓、広島などの大消費地での有利な販売の工夫、鮮度管理の工夫など、共同でしかできない努力がある。そのような努力がこの間あって、浜値が3割高かったら、年間500万の水揚げをしたものはあと150万の増収になっていた。原発20年で、そのような努力が停滞した結果、3000万円を損したといえる。
 その分上関の漁民は、よそよりむりをして働かなければならなかったし、よそよりたくさん魚をとって資源をへらすという悪循環をしてきた。補償金が入るといって騒いできた結果、上関の漁民はひどい目にあっているのである。みんながいっしょによくなるようにすることで、個人個人もよくなるのだ。上関の漁業の振興は、あれやこれやの条件が悪いことに悲観ばかりするのでなく、人間の頭のなかを入れかえて、自分たちのやる気で共同の力を結集するならば、飛躍的に発展する要素を持っている。
 上関の海岸線は総延長50`ほどの自然海岸である。磯の海草、貝類の開発や、対応する漁場管理、一本釣りなどの単価の高い漁業の工夫。水産加工により付加価値をつけるなど、共同事業として努力する余地は多い。

  全町民の意欲と力が決定的
 国と県には原発の20年でたち遅れた整備を、せめて大島なみには回復させなければならない。それをやらせる力は、中電と国、県にたいするひ弱な被害者意識ではなく、そこから町民の力で再建するというパワーの大きさである。県道の未整備は県のサボタージュである。原発計画を撤回し町を再建するということになれば、県が金を出すことで簡単にできることである。国道に昇格させていっきにやることもできる。
 中電が買収した田ノ浦の原発用地を寄付させて、見晴らしのよい山の上に県や中電に、罪滅ぼしの一つとして老人の療養型病院やリハビリ病院などを建設させるなら、町内だけでなく、県内、県外からも患者がくるだろう。また広島などの疲れた都会人が、縄文人が暮らした田ノ浦の自然と田舎の人情を生かした、都会風でない癒(いや)し系の保養地などを開発するなら、発展の可能性は大きい。病院や保養施設など、国や県につくらせてもおかしくはない。これも町民の側の意欲と力がなければできない。
 上関は広島、松山、大分などと1時間前後で結ぶ瀬戸内海海上交通の有利なところである。上関の鉄工、造船、海運などの歴史的に蓄積された力を活用して発展をはかる可能性も研究する価値は大きい。
 町民自身の手と足を使った地道な生産による振興をはかることを基本に、年寄りが住みやすく、若者が意欲を持って生活できるような整備をしていくことである。
 原発を撤回し、合併を拒否した町民主導による町の再建をめぐって、全町の大論議が求められている。町内の各集落、知り合い同士、親類同士、若い者たち同士、老人のあいだ、漁民、商工業者のなかなど、各地域で論議をすすめ、それを全町に結びつけて力にする。そのなかから町の再建を担う新しいリーダーをつくり出していくことである。町長選までにそのような大衆的な世論と運動を強めること、それがあらゆる妨害をはねのけて候補を立てる力であり、町政を抜本的に転換する力である。

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