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中電かいらいの柏原町政へ審判
9月に迫る上関町長選挙
             全国縮図の廃町・戦争標的    2007年6月8日付

 計画公表から25年目を迎えた中国電力の上関原発計画を抱える上関町では、7度目となる町長選が9月25日告示、30日投票の予定で迫っている。町内では、選挙違反による町長の辞職とそれにともなうやり直し町長選など大混乱を極めた4年前であったが、今度の町長選はまたも奇奇怪怪な様相となっている。反対派幹部の推進派移行が進み、かれらからの立候補のめどがない。といって柏原推進派町長の側も町民を動員する力はない。この中で、町民の声なき声がどんな形をとってあらわれるか大注目となっている。柏原町政の4年とは、どんなものだったのか、町民の意見を聞きながら振り返ってみた。
 町長選挙は告示まで3カ月と少しとなったが、目立った動きもほとんどみられない。柏原町長が6月議会(19日開会)で進退表明をするとされる。町民のなかでは「誰がなっても今のままでは同じ」「ろくな候補はいないじゃないか」と顔を曇らせる人がおり、「もう4年もたったのか」と驚く人もいる。
 前回選挙から4年、原発計画公表から4半世紀がたって、町民世論は様変わりしてきた。原発は「町の繁栄」が宣伝文句で始まったが、町は農業も漁業も商工業もすっかり衰退し人はいなくなった。もうけていいことをしたのは一部のものだけで、古くから人情深く仲の良かった町民のあいだでは、推進、反対で争わされた傷跡を残すだけとなった。「中電と国策にだまされた」という世論は、町民のなかで圧倒している。
 そのなかで、推進派も「反対派」も組織としてすっかり瓦解状況にある。推進派で動くのは補償金がほしい漁民の一部であり、その他の町民が踊る様相はもはやない。しかしそれ以上に人材枯渇なのが「反対派」幹部連中だ。反対派の看板を掛けた推進派の仲間なのだとおおかたの町民から評価されることとなった。連中による「推進・反対」の選挙構図は、町民にとって虚構の対立でありシラケタものとなっている。
 町民のなかでの柏原町政に対する評価は、「なにをしたのかわからない」「人当たりが悪いことはないが目立った仕事もなかった」「町をどうするつもりなのかさっぱり分からない」というものだ。総じて「存在感が希薄な町長」といわれる。そして、無慈悲な国の地方切り捨てと中電の上関無人化計画とが連動して、「柏原体制のあいだで急速に町が寂れた」というのは強い世論となっている。

 人頼みの推進力は消滅 混乱の中誕生したが
 現在の柏原町政は4年前、上関推進派が出来て以来の大混乱のうちに誕生した。03年春の町長選では、前年から片山、右田、浅海の推進派3者が乱立抗争。国からの合併をせまられるなか、中電に、「協力金をだせ」とごねた片山町長に対して中電側からの切り捨てがあってもめた。1本化調整は直前までまとまらず、片山裁定で最後にとびついたのが3人の枠外の加納みすか氏だった。選挙では、反対派の山戸陣営が露骨な選挙サボをやり、加納陣営を助けたが推進票は大幅に崩れることとなった。
 ところが選挙後、20年来上関の買収選挙を黙認してきた山口県警が、突如として後援会長の神崎氏を逮捕。「片山裁定の加納町長体制は失格」のお上の裁定であった。当選の喜びもつかの間、加納氏が初登庁をすませた日の深夜のことだった。「買収金」をもらった数多くの町民が、警察に呼ばれてしぼられた。
 その後のやり直し町長選では推・反両陣営とも告示3週間前になっても候補者が現れない。推進派のなかには、色気むんむんの各氏がいたものの出馬は出来なかった。結局、「議員で決めよ」しかも「役場の職員から」という「天の声」によって、想像外の柏原氏が役場の職員から登用される運びとなった。出馬表明は、「反対を叫び続けることに意義がある」といって再び立候補した柏原氏とは親戚関係にあたる山戸氏と2人仲良く並んでおこなわれた。
 柏原氏は、「裏の町長」とまでささやかれた中電の小池副所長(現在は奥村組)と結んで、役場で反片山騒動をおこした中心として片山派から憎まれていた人物。「中電の金はいらない」と宣言して中電に見込まれた関係で、近年中電がおこなってきた、文句をいわせず、黙っていうことを聞く体制への移行に適合した人選であった。それと同時進行で、古手の推進派が切り捨てられ、議会は中電チルドレンといわれる顔ぶれにかわっていった。
 選挙中の柏原氏の公約は、「4年で原発を着工する」というもので「国と県に太いパイプがあるから金はもらえる」という話であった。それが、初登庁日には「4年で決着をつける」とニュアンスが変わり、しばらくたってからの議会では「実は非常に厳しい」「原電立地が目的ではない」「みんな仲良く」とトーンが落ちていった。
 4年たった現実をみれば「任期中の原発着工」とはほど遠い状態にある。着工にいたる原子炉設置許可申請をおこなうための詳細調査は、今年4月で終わる予定が延び延びになる一方だ。当たったことがない中電の調査終了予測も、6月になり9月になり、今では11月とされている。それ以外の手続きをみても、反対派の所有地を虫食い状態にしている土地買収や漁業権消滅など、条件をそろえるためにはまだ気が遠くなるほど残っている。仮に調査が終わったとしても「原発ができる」という状況にはない。
 柏原町長の「4年で着工」の根拠には、「反対派」の裏切り期待があったとみられる。事実、この数年で「反対派」幹部の寝返りは誰の目にも明らかとなった。しかしかれらはつぶれたが、町民の反対はつぶれなかった。昨年4月には、県と山戸貞夫元組合長らの画策で、県一漁協合併によって祝島漁協は解体された。合併騒ぎに関連して、漁業権裁判の取り下げや94年の立地環境調査時の「迷惑料」を受け取るかどうかの騒ぎもあった。室津では「反対」で票をもらってきた外村勉氏の寝返りがあった。しかし、町民の反対の力は崩れることはなく、祝島島内でも婦人を中心にたたかう力は強まった。
 外村氏や山戸氏ら「反対派」幹部はしっかり裏切りをやったが、原発推進は進まなかった。今から先の裏切りのカードがなくなっただけであった。20年来町民をだましてきた「妖怪変化」の姿が暴露されたことによって、柏原町政の人頼みの推進力も消えることとなった。

 中電や国県のいいなり 衰退にまかせた4年
 柏原町政の方といえば、中電や国、県にはなにも要求することなく、町を衰退にまかせるグータラで敗北的な政治が続いてきた。「2年後に原発ができれば大丈夫」「それまでやりくりする」とノー天気に構える一方で、大部分の事業や農漁業振興、商業振興などの施策は「金がない」「国が交付税を削るのはどこでも一緒」と停滞かストップがかけられた。
 詳細調査も始まって2年がたつが、土掘りや造成など簡単な仕事以外「専門業だから」と町内業者はほとんどお呼びでない。田ノ浦の遺跡発掘調査がすめば終わりとなった。土建業者のなかでは、仕事量の減少にともなって、抜け駆けの奪い合いでキューキューという状態が続いている。
 先月22日に、今年度に予定される事業の大部分をしめる入札がおこなわれたが、主要事業5件中4件を1社が独占。「なにかあるのではないか」とほされっ放しの町内業者の間でケンカも始まっている。そのなか、洋林建設とか八島工業、明伸建設など、町外業者が町内に支店を出す動きもある。
 町の人口をみると、3年半で600人近い減少。減ることはあっても増えることは考えられないため、「3000人を切るのはすぐ」と危惧(ぐ)されている。
 ようするに、ワザとでも町がつぶれるようなことをやっている状態となっている。町政にとどまらず、中電チルドレンばかりとなった町議会も町民や町がどっちを向こうがどこ吹く風。昨年の町議選後、四代の山谷良数議長体制となってから、余計になにをしているのかわからなくなった。推進、「反対」ともに、一緒になって月給をとっているだけなのだ。9月に町長選挙が迫っているが、柏原町長と山戸組合長の推進派、反対派という虚構の対立構図はいい加減にしろというのが大多数の世論となっている。
 上関町民のなかでは、上関町をさんざん混乱させた挙げ句に廃町に導くこと、なによりも戦争をやろうかという情勢でわざわざミサイルの標的をつくることへの強い憤激が渦巻いている。その方向に反対して、町の発展をめざして町民主導で原発推進政治に終止符を打ち、町民の団結・協力の関係を回復して、中電、国、県にたいして失われた4半世紀の責任をとらせ、地方の生活を守ることが強い要求である。

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