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中東の歪な政治・経済構造
        東京大学東洋文化研究所教授 長澤栄治氏に聞く
                         2015年2月20日付

 前号に引き続き、中東・アラブ世界の実際はどうなっているのか、日本はアラブの人人とどんな関係を結んだらよいかについて、東京大学東洋文化研究所教授の長澤栄治氏に聞いた話を問答形式でまとめた。今回はとくに、中東・アラブの国の政治・経済構造が具体的にどうなっているのか、その下で人人はどんな生活を送っているかについてくわしく聞いた。
  
 イスラム的な秩序求める流れ

  「イスラム国」の問題を含めた中東情勢を考えるうえで、アラブ世界全体の矛盾関係はどうなっているのか? 中心問題は何か?
 一番大きな直接の要因は、やはりアメリカ軍とイギリス軍のイラク攻撃、およびその後の戦後処理の失敗だ。近代において中東域外の欧米列強の軍事的な介入がくり返されてきたことが、この地域の第一の問題としてある。もう一つの問題として、これも域外勢力との関係抜きには語れないが、中東のなかで近代的な国づくりに失敗してきた結果、近代的な国家秩序ではない自前のイスラム的な秩序をつくりたいという願いがずっと伏流水のように流れている。それはジハードという武装斗争をとる勢力にも、そうではなくて議会制度を通じて政権をとってイスラム的な秩序をつくろうとするエジプトのムスリム同胞団のような穏健派にも共通しており、それが近代的な国づくりの失敗と裏腹の関係として出ている。この内外両方の要因を見ないといけない。
 エジプトではムバラク大統領の最後の五年間、新自由主義的な方向を急進化して、IMFや世銀に認められていた。しかしそれが貧富の格差を拡大し、失業者は増え、民営化に抵抗する人たちの運動が起こった。そこで2011年、「まともな国にしよう」と民衆が立ち上がり、長期独裁政権が崩壊した。チュニジアでもそうだ。
 エジプトではムスリム同胞団の政権が1年間支配した。彼らは中小企業の経営者ら企業家層が多く、民間の知恵を働かせて合理的な国家運営をしてくれるのではないか、前よりはいい暮らしができるのではないかと国民は期待した。しかし彼らはあまりに理想主義的であった。イスラム国家を性急につくろうとしたことは彼らの失敗だった。それに対する反発が出るなかで、軍が権力をのっとってしまって、結局四年前のアラブ革命の理想は棚上げとなった。
 国内における旧体制を倒して新しい国をつくろうとする勢力、それも議会を通じて民主的にやろうとする試みがつぶされて、どういう勢力が出てきたか。「イスラム国」のようにもっともラジカルで残虐な、実力でイスラム的な政治秩序をつくる勢力が台頭してきた。
 一方、エジプトなどの政権が崩壊したのを見ていたリビアとかシリアが、同じことになるのを恐れて国民を抑圧し始め、それに対して外部勢力が軍事介入して内戦となり、リビアではカダフィは殺されてしまった。そうするとここでもイスラム主義的な勢力がワッと出てきた。アメリカが期待した「穏健な勢力」ではなく、これまでの近代的な国づくりが失敗したことを見ていた人たちがイスラム主義的な運動に走った。
 私は欧米的な民主化が唯一正しい方向だとは思わない。どういう政治システムがいいかを選ぶのは、アラブ人自身だ。
 リビアでエジプトのキリスト教徒の人たちが殺されたが、「イスラム国」では純粋なイスラムの国をつくるといって、キリスト教徒を迫害する動きが見られる。しかしイスラム教徒だけの純粋なイスラム国というものは歴史上に存在しない。本来のイスラムはそうではなく、マイノリティ(少数派)の権利も認めている。かつてオスマン帝国では、イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も共存して暮らしていた。
 つまりイスラム教徒以外は国民ではなく、「首を切ってもいいんだ」「焼き殺してもいいんだ」というのは、たんなる復古というものではなく、ナチスドイツがユダヤ人を迫害したのと同じ近代的な国民国家が持っている一つの側面だ。また、フランスは130年にわたってアルジェリアを植民地支配し、強制的な同化政策をとってきた。こうした近代国家の醜悪な側面が、「イスラム国」のなかではイスラム教徒以外は暮らしていけないというような形であらわれている。そこに映っている姿は、「自由で平等」といわれる近代国家の醜い姿ではないか。
  
 ★ 18世紀から続く欧米介入

  欧米の外部からの介入によって、アラブ世界はどのような政治的・経済的な状態におかれるようになったか?
 出発点としては18世紀、アラビア半島にサウジアラビア王朝の基礎が築かれる。ワッハーブ派という「純粋なイスラムに戻れ」という考え方を持っていた人たちが、オスマン帝国があの地域を圧倒的に支配していた頃、砂漠の辺境地域で王国をつくる。最終的にサウジアラビアの建国に至るが、サウジの国旗は剣だ。王様がイギリスとアメリカに支えられながら、武力で全国統一をして建国した。このころから列強、とくにイギリスとアメリカがイスラムを利用してこの地域をコントロールする歴史が始まる。第1次大戦でイギリスがオスマン帝国とたたかったときも、イギリスはイスラムの権威を利用しようとした。オスマン帝国が「すべてのイスラム教徒よ、決起せよ」といったことに弱りはてたイギリスは、アラブ人で預言者ムハンマドの血筋をひく人間(カリフ)を担ぎ出してオスマン帝国に対抗させた。たんに軍事的に介入するだけでなく、人人の頭の中に手をつっこんで操作するようなことをやってきた。
 そして第1次大戦に勝利したイギリスとフランスが「サイクス・ピコ協定」によってオスマン帝国のアラブ地域を分割し、それにともなってパレスチナ問題をはじめとする問題が生まれた。人工的な国境線が引かれて、「さあ、あんたたちこれで国をつくりなさい」と無理矢理につくったという経緯がある。第2次大戦が終わり、この地域で油田が見つかってからは、アメリカが本格的に介入する。
 その後、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、これとたたかえといってアメリカが武器や資金を与えて、イスラム勢力であるムジャヒディーンを訓練した。これが失敗で、そのなかからアルカイダが生まれ、ニューヨークテロ事件にいくわけだ。湾岸戦争が起きて、何十万人という異教徒の軍隊が聖地のあるアラビア半島に駐留したということで、アメリカに育てられたビンラディンがキバをむいたのが9・11事件だ。
 また、2003年に開始したイラク戦争でフセイン政権を打倒したとき、米軍はすべての武器を接収しなければいけなかった。しかしそうせず、イラク国軍がなくなったとたん、イラクの兵士たちは武器をもって地下に潜伏して反政府勢力になってしまった。砂漠の中に武器を埋めておいて、その後売ったりした。砂漠は雨が降らないので錆びたりしないからだ。その武器や爆弾が内戦が激しくなると武装勢力に渡り、爆弾テロが続いた。
 リビアの内戦でも、カダフィ政権が打倒されるとリビア国軍が持っていた武器が流出して、エジプト・シナイ半島経由でシリアの反政府勢力や「イスラム国」に渡り、シリアの内戦を激化させている。シナイ半島にはすごい武器庫があるという。武器商人が暗躍し、最終的にはアメリカなど生産国の軍需産業がもうかる構造だ。
 しかしイラクやシリアが独裁政権だといって、主権国家を倒壊させていいのか。また、倒壊させるとき、それが国内や周辺地域にどういう影響を与えるのか、将来を考えてやっているのかどうかは疑問だ。
  
 ★ 王族支配と金融資本主義

   たとえばサウジアラビアなどの湾岸の産油国では、国のあり方や人人の生活の様子は具体的にどうなっているのか?
 湾岸の国は、一部の王族や支配部族が政権や石油の富を独占している。あとは出稼ぎ労働者で、サウジ以外は定住している人は少ない。何によってそれを正当化しているかというと、それはイスラムだ。イスラムによってその国をまとめあげている。イスラム以外に王様の正当性はない。それは建国当時、イギリスと当時の有力部族の長が盟約を結んで、その王様がたまたま権力をにぎって、イギリスの植民地になったからだ。だからサウジなど湾岸諸国の大半は議会制民主主義ではなく、国会も憲法もない。
 サウジアラビア王国は人口2900万人で、特権階級であるサウド家の王族が数千人、それに群がるエリートがいて、王族以外の一般国民が千数百万人、移民労働者が900万人いる。中東のなかでは豊かではあるが希望がなく、コネがないと就職できない。石油産業が中心産業だが、一般の労働者から企業や官庁の幹部クラスまでインドネシア人やフィリピン人やエジプト人、レバノン人、パキスタン人、シリア人などの外国人。彼らが肉体労働者から技術者、経営幹部までいて、国を支えている。
 一方、サウジの国民で就職できない人には、若くして国から年金のような給付金が出て、住宅ももらう。飢えたりはしない。サウジの失業青年は、チュニジアやエジプトのような毎日食うや食わずの失業青年とは違う。湾岸の国はみなそうで、石油でもうかるから額に汗して働く必要がない。しかし将来に不満を持っている若者は多く、彼らが武装勢力に入る場合も多い。それは国の教科書で教えるワッハーブ派の教義が、キリスト教徒やユダヤ教徒に対して敵対心を表明することを義務としていることも関係している。9・11テロの実行犯の多くがサウジアラビア人だった。
 このように湾岸産油国の国家体制は大きな矛盾を抱えており、それをアメリカが支えるという構造がつくられている。歴史的に根が深い。
 そして、湾岸産油国は金融資本主義の一角をなしている。オイルショックの後で、大量のオイルマネーが中東の産油国に入り、それをオイルダラーの環流といって欧米の証券市場に再投資させて、それで欧米資本主義の経済成長を維持することがやられたのが1970年代。その後「ドバイの奇跡」というのがあって、湾岸諸国というのがかなりの実力を持った金融資本主義になっている。湾岸諸国に金融資本家として成長している人たちがいて、彼らがアメリカを中心とする世界の金融資本主義システムの重要な一部を占めている。そして湾岸産油国が地域の経済的ヘゲモニーを握るとともに、NATOがリビアを空爆するとGCC(湾岸協力会議)も軍を送るなど、政治的なヘゲモニーも握ろうとしている。
  
 ★ 誰もが知る広島・長崎

   そうしたなかで、日本としてどういう方向をとることが国益を守ることにつながるか? 日本はイスラムの人たちとどのようにつきあっていけばよいか?
 外交というのは派手にやればいいのではなく、見えないところできちんとやっていくべきだ。日本は欧米やロシアと違って、どの政治勢力とも多面的につきあい、文化交流を深め、情報を集めることが必要だ。日本は軍事的な介入はせず、戦争が終わったときには復興に協力したり、難民支援などをおこなうべきだ。日本は独立国なのだから、全方位外交、平和外交をやっていけばよい。
 最近は、日本の戦後の遺産を食いつぶしているように思う。アラブの人は日本にいいイメージを持っている。これからは積極的に日本は平和国家であることをのべ、日本に米軍基地はあるが、日本は今後とも軍事力を使うつもりはないし、原爆に対する意識は痛切に持っていると訴えていく必要がある。
 アラブ地域では、家族のためなら、子どもや娘の名誉のためなら、いつでも命を捧げる、それが人間の誇りという考えも一般的だ。その一方でエジプトでもイスラエルとの戦争で何万人と亡くなってきたし、戦争なんてもうこりごりという意識はある。パレスチナ人が日本に来て「花火を見ると戦争を思い出す」といった。日本の年輩の方と同じだ。とくにイラク人は戦争なんかしたくないという強烈な意識がある。
 アラブ世界では、テレビのコンテンツ(ドラマとか歌、ニュースなどの番組内容)が少ない。だから逆に、日本みたいに総白痴化させるくだらないお笑い番組を一日中流すこともない。そのなかでアラブ人はニュース映像が大好き。そして必ず第2次大戦と広島・長崎が出てくる。だからアラブ人は誰でも広島・長崎を知っている。アラブ人は日本に来ると必ず広島に行きたいという。
 私は移動原爆博物館をやって、写真や遺品を見てもらい、原爆とは一体どういうものかを語り部が語ったらいいと思う。中東は広いが、人間の住むところはナイル川河畔、チグリス・ユーフラテス川河畔など限られており、あとは砂漠だ。イスラエルは核兵器を持っており、都市部へ核兵器を撃ち込まれたら全滅となる。あの地域に平和主義を根づかせるのは日本の義務だと思う。まず日本人自身が学び、アラブ地域で訴えることを民間からでもやってはどうか。各国の日本大使館に原爆の記念施設ぐらいあってもいいと思う。
 今、東京大学にムスリム留学生の会がある。八年ぐらい前、デンマークで預言者ムハンマドを侮辱した風刺画が出てテロ事件があったことを契機に、日本人にイスラム教を正しく理解してもらうセミナーなどを開いてきた。
 今回の人質事件を契機にイスラム教に対する偏見が広がり、ムスリムの人たちは事実と違うと思っているが、多くは口を閉ざしている。しかし世界的に見てもイスラム教徒は増えており、現在16億人(世界人口の4分の1)だが、今後3分の1になるといわれている。訪日したり、日本で働く人も増えると思う。一般市民にもっと関心をもってもらいたいし、日本政府は日本で暮らすあらゆる国籍の市民の人権を守ることに努力してほしい。
 東日本大震災のときには、日本に住むムスリムの人たちが鍋を担いで何回も現地に行き、大量のカレーをつくって振る舞った。そのために全世界のムスリムが寄付をした。イスラムは行動の宗教であり、貧しい人たちに路上で食事を振る舞うというのは日常的にやっていることだ。今回のことを契機に、もっと日本人とイスラムの人たちとの交流が深まればいいと思う。

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