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若い世代参加した1年の発展
原爆展成功させる広島の会総会
               広島から平和発信の力増す    2008年12月10日付

 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)は7日、広島市東区の二葉公民館で2008年度総会を開催した。発足から7年を数える同会は、峠三吉の時期の私心のない運動の原点にたち、全広島の被爆市民の本当の声を代表するという立場で全会員が団結し、「2度と再び原水爆戦争を繰り返させぬ」という使命で精力的な活動を進めてきた。学生や社会人など若い世代が学内や地域で献身的に活動をはじめるなど一段と発展してきた今年度の活動の成果を確認しあい、来年への展望について論議を深めた。
 はじめに重力敬三会長があいさつ。「2001年に旧日銀広島支店でおこなった広島原爆展を起点として福屋本店、メルパルク、市民交流プラザで毎年連続的に開催した原爆と戦争展により、広島市民はもちろん周辺各地にも平和運動が浸透し全国へと広まりつつある。それによって戦争反対の声が高まってきた」と活動の発展を振り返った。「おりしも明日、12月8日は真珠湾攻撃の日。あの戦争はなんであったのかという論議を深め、日本の独立と平和のために私たちの平和運動はますます重要となっている。ふたたび戦争をはじめようとする動きを排除し、世界平和のためにみんなでがんばりましょう」と力強く呼びかけた。
 つづいて来賓として、下関原爆展事務局の竹下一氏(長周新聞社)があいさつし、広島の会がこの1年間全身全霊を傾けておこなってきた活動は、「いま広島の被爆市民の歴史的な怒りが爆発的に発展する原動力になっている」と敬服の思いを伝えた。さらに、被爆地における原爆展運動の出発点となった7年前、「じいちゃんばあちゃんが悪いことをしたから原爆が落とされた」「広島は軍都だったから原爆が落とされても仕方がなかった」など市民に真実を語らせぬ抑圧が覆うなかで、「原爆投下者の側からではなく、原子雲の下で被爆市民が体験した真実を誰はばかることなく伝える」という観点で下関で作成された峠三吉の原爆パネルが、「広島の被爆者たちによって“広島の面目を一新する”という迫力で広げられ、広範な広島市民の世論の転換を促し、原爆資料館が被爆者の視点から内容を全面改定するというような動きにもなった」と今日の到達までともに歩んできた道のりを振り返った。
 「先日の劇団はぐるま座の『動けば雷電の如く』公演の反響に見られるように広島をはじめ全国で独立と世直しの世論が渦巻いており、私たちはこのような多くの人人と思いを通い合わせながら、みなさんとともに真の独立と平和、核兵器廃絶のために奮斗したい」と決意をのべた。
 下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長、「原爆展を成功させる長崎の会」の永田良幸会長からのメッセージも紹介された。
 犬塚善五事務局長から今年度の活動報告と来年への方針が提起され、参加者からも、それぞれの所在地で進めてきた実践報告や気迫のこもった意見が出され、来年への展望が深められた。
 今年度は、年初から廿日市、広島大学医学部、広島修道大学、呉、広島大学(東広島市)で原爆と戦争展を取り組み、修学旅行で訪れた春・秋あわせて11校(山口県、大阪府、京都府、滋賀県、長野県)の生徒にのべ77人の被爆者が体験を語った。
 地元では、鈴峯高校、広島大学医学部大学院、広島大学合唱団など10校の学生、生徒にのべ88人の被爆者が証言に出向き、日本社会の現状についての問題意識を高め、行動を求める若い世代と結びついて大きく基盤が広がった。さらに、社会人有志、自治体労組の学習会などでも体験を語り、2000人が訪れた第7回広島「原爆と戦争展」は、全国・世界に向けて広島の心を発信するものとなった。
 現役世代と若い世代による交流会も25回を数え、大学生、高校生、30、40代の現役世代が参加し、被爆体験を学び、現代の問題や戦争を阻止するためにいかに行動するかという論議が深められた。
 また、米軍岩国基地増強に反対する声明を発し、岩国現地にも被爆者が直接宣伝に出向いて被爆市民の怒りを伝えたことが大きな共感を呼んだこと、この1年間を通じて21人の新規会員が入会したことも報告された。

 若い世代の結集へ意気込み 戦争阻止めざし
 会に参加して6年目になる男性被爆者は、「体験を語ることに加えて、これからは私たちの思いを語り継いでもらう若い世代を増やさねばならないと意識的に働きかけてきた。今年は、学生たちが自分たちの手で何かをやらねばならないと勉強会や平和の旅へ参加し、学校でも原爆と戦争展を開き、実際にスタッフとして力になってくれるなど最大の手応えを感じる年だった。これからもこの輪を広げて行きたい」と高揚した思いをのべた。
 今年から入会した80代の被爆婦人は、「話すのは下手だが、家庭、家族から原爆や戦争のことが話題になるように、パネル冊子3冊を町内の老人会で回し読みしてもらっている」と地域での活動を報告。
 戦地体験者の男性は、軍曹として被爆後の広島で武装解除に立ち会ったことを語り、「米軍は日本軍の武器には見向きもせず、防毒マスクを集めさせて燃やした。そして、原爆の結果については“調べてはいけない”といい、私たちもそのまま除隊になり、一切の調査が打ち切られた。毒ガスを国際法違反といいながらその数百倍もの原爆被害を放置したアメリカにすべて補償させるくらいの腹で運動しなければいけない」と胸底の思いを訴えた。
 40代の社会人男性は、地元の小学校での被爆体験を学ぶ会、職場で原爆と戦争パネル展と、3人の被爆者を招いて平和学習会を開いたことを報告し、「被爆者たちの話を食い入るように聞き入り、小さい子どもでも体験者のメッセージを受け取る力があると感じた。職場でも被爆体験は同僚から感動をもって受け止められ、今後とも続けて欲しいという要望が出されている」と継続する意欲をのべた。
 市内の3大学から参加した学生たちからは、「大学の平和に関する授業の公募に被爆体験を聞くという提案を出している」(大学院生)、「大学内で平和サークルを立ち上げ、被爆体験を聞いたり、来年四月に学内で大規模な原爆と戦争展を開く準備をしている」(女子大学生)など独自に活動を進めている様子が報告された。体験者の思いを受け継いで行動する若い世代の積極的な発言に被爆者たちからは温かい拍手が送られた。

 世代超え団結深める交流に 新入会員まじえ
 その後の懇親会では、新しく入会した被爆者、学生たちが抱負をのべ、来年に向けて団結を深めあう活気に満ちた交流となった。
 今年はじめて被爆体験を語った婦人は、「被爆体験を語ることにはじめは足がガクガクしていたが、学生さんたちから感想をもらい涙が出るほどうれしいこともある。辛い体験を語るのは苦しいが、原爆で亡くなった母や弟の供養のためにと思い、生きている限りみなさんと一緒に語り続けていきたい」と涙で声をつまらせながら厳粛な決意をのべた。
 江波在住の被爆婦人は、「もう79歳になるが、直爆した事実なら話すことができると思って参加した。今年、小中高・大学生にお話ししてきたが、子どもたちは何度も会いたくなるようないい子ばかりで励まされている。これからもがんばりたい」と意気ごみを語った。
 沖縄出身の女子大学院生は、「沖縄戦の真実」のパネルを見て、これまでの認識との違いに衝撃を受けたことをのべ、「自分の中で結論が出ていなかったことが、いろんな人と話す中でどんどん深まってきた。これまでは沖縄の苦しみは県外の人にわかるものかという気持ちがあったが、沖縄の人も広島の人も平和を求める思いは同じで、お互いの体験や思いを共有し、力を合わせる大切さに気づいた。これからもみなさんと協力して、広島、沖縄の真実を全国の人に伝えていきたい」と溌剌と抱負をのべた。
 また、「活動に参加する中ではじめて祖父の戦争体験を聞くことができた。自分の意見をもつ大切さ、言葉の大切さも社会勉強として教えてもらった。来年の課題として、私たちが被爆体験をどのように次に伝えていくか具体的に考えていきたい」(大学院生)、「広島で生まれたものとして全国や海外でも原爆のことを伝えていきたい。去年から考えると活動に参加して自分の認識も大きく変わってきた。来年は今年よりももっとたくさんのことを学びたい」(人文学部・女子学生)など、学生たちの意欲的な発言がつづいた。
 その後は、被爆者たちから体験や戦後社会についての意見が次次に語られた。
 現役世代の男性は、「原爆の状況を聞けば聞くほど、アメリカの悪辣な意図、計画性に怒りを感じる。アメリカについて批判をしてはいけないという風潮がかさぶたのように覆っていたが、アメリカとの関係を覆さなければ、子どもたちの将来に明るい展望がもてない。学習の場をもっていきたい」と提起。
 高校講師の男性は、「アメリカによって日本の食糧自給率は28%に抑えられ、いいなりを強要されている。そして、核家族にしてアメリカの思想である自己中心主義を煽った。教育制度もアメリカ方式の6・3・3制を押しつけられ、日本の教育破綻も文科省の官僚がアメリカへ行き、アメリカの思想を日本に取り入れているからだ。アメリカは“命がけで日本を守る”という日本人の精神の強さを恐れ、戦後そのように骨抜きにしてきた。教育者として、子どもたちには目覚めてもらいたい。原爆、戦争の真実を平和教育のなかでたくさんの人に知ってもらうよう努力したい」と力強くのべた。

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