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若い力と結び高い意気込み
広島「原爆と戦争展」主催者会議
                気迫に満ちた被爆市民     2008年6月16日付

 広島市東区の二葉公民館で15日、第7回広島「原爆と戦争展」の主催者会議がおこなわれた。原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会の3者が主催する今年の広島「原爆と戦争展」は、「被爆市民と戦地体験者の思いを結び、若い世代、全国・世界に語り継ごう」をスローガンに、7月31日(木)から8月7日(木)まで広島市中区の広島市まちづくり市民交流プラザ四階ギャラリーで開催される。

 平和の力結集する大交流へ
 主催者会議には、広島の会の被爆者、戦争体験者、主婦、現役労働者、大学院生、大学生など約20人に、下関原爆被害者の会の被爆者、下関原爆展事務局のメンバーもかけつけ、今年の「原爆と戦争展」の内容を討議。壮絶な被爆体験と現代の戦争政治への新鮮な怒りが語り合われ、被爆地・広島から原水爆戦争を阻止する新鮮で力強い平和運動を全国、世界に発信する決意を固めあった。
 はじめに、主催者を代表して重力敬三・原爆展を成功させる広島の会会長が、「今年も思い出したくない8月6日がやってくる。そのときの広島の地獄、火の海は私たちのまぶたから一生消えることはない。被爆63年目を迎える本年も意義ある原爆展が開催されるよう十分にご検討いただきたい」と訴えた。
 つづいて、下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長があいさつにたち、ともに列席した同会の大松妙子事務局長、升本勝子副会長が紹介された。
 伊東氏は、旧日銀原爆展からの7年間、広島市内や周辺地域で原爆展を広げ、近年では学生、青年労働者と結びついて精力的に活動してきた広島の会に対する敬意をのべ、下関原爆被害者の会でも規約を改正し、若い賛助会員を迎えて会が活性化していると報告。
 「全国では近年のアメリカ一辺倒の政治に対して“まるで植民地のようだ”と国民の怒りが爆発している。毎年の広島での原爆展は、広島市民をはじめ全国、海外にも大きな影響を与えている。今年の原爆と戦争展を大成功させ、全国の人人に勇気と確信を与えましょう」と、主催者としての決意を力強くのべた。
 広島の会事務局の犬塚善五氏から、今年のとりくみの経過と、第7回「原爆と戦争展」の概要が報告された。
 犬塚氏は、旧日銀原爆展から7年来、連続的におこなってきた市民原爆展のなかで、「広島市民が峠三吉を取り戻し、被爆体験を若い世代に語り継ぐ運動がはじまったことが大きな喜び」であったこと、昨年からは「原爆と戦争展」に発展し、対米防衛のためのミサイル配備や在日米軍再編をめぐる岩国基地増強の圧力、憲法改正問題、また、久間元防衛大臣の「原爆投下はしょうがなかった」発言をめぐって原爆投下への新鮮な怒りが呼び起こされるなか、被爆市民、戦争体験者をはじめ全国、世界から行動意欲をもって訪れた若い世代との深い交流がすすんだことを報告。
 昨年10月以来、県立大学、廿日市、広島大学医学部、広島修道大学での展示会の中で、若い世代を中心に新たな賛同者が120人をこえ、山口、大阪、滋賀などの修学旅行生に語る活動、また市内外の中学、高校、大学をはじめ公務員や看護士など若い世代に語り継ぐ運動が年ごとに広がっているとのべた。
 今年の広島「原爆と戦争展」は、「広島、長崎の絆を強めて全国的規模の平和の力を結集する交流の場」とすること、すでに主催する三者で呼びかけ文を作成し、昨年の賛同者約400人に送付。返信された賛同者はすでに70人をこえていることも報告された。

 大学生も積極的に発言
 参加者の討議に移り、この間大学でおこなわれた原爆と戦争展のなかで参加してきた学生たちから口火が切られた。
 市内の女子大学院生は、「英文学を専攻しているが、仲間と一緒にガイドボランティアをするために勉強をはじめ、そのなかでいろんな疑問が湧いてきた。真実を伝えることが1番大切だと思うので、この会で勉強していきたい」と抱負を語った。
 同じく学内展示会に参加した女子大学生は、「大学では世界の情勢や、第2次大戦、国際紛争などの勉強をしている。一緒に暮らす祖母も被爆者で、横川で働いていて被爆した実際の体験を涙ながらに伝えてくれた。この会の活動を知り、私もなにか力になりたいと思う」と新鮮な思いをのべた。
 別の女子大学院生は、「沖縄出身で子どものころから戦争体験を聞いてきたが、原爆展を見て、真実を知らずに過ごすことは恐いことだと思った。私も含めて若い人に知ってほしいことがたくさんある」とのべた。また、四月に大学内で取り組んだ原爆と戦争展では同級生の真剣な思いに触れることができた喜びを語り、「このような展示会を定期的にやって意見を交換していくことはとても大切だ」と意欲を語った。
 若い世代からの真剣な思いに応えるように、被爆者、戦争体験者からもみずからの壮絶な体験と戦争政治へのはげしい怒り、命のつづく限り広島の真実の声を伝えていくみなぎる決意が口口に語られた。
 初めて参加した70代の被爆婦人は「母が現在の平和公園の地域に疎開作業にかり出され、整列したところで被爆し、私が大八車を引いて捜しに行くと地獄絵図のような状況で、真っ黒な人がウジ虫のように転がり、どの顔も腫れ上がって面影は1つもない。“お母さん! おったら教えてちょうだい!”と泣きながら叫ぶと、私の足をギュッとつかんだ母が“家に帰りたい”と一言いった。連れて帰り、全身のヤケドにジャガイモをすった汁を塗ってあげたが、あの気丈な母がのたうちまわって苦しんで死んでいった」と涙でむせながら体験を語った。
 「父は呉工廠に徴用で取られ、14歳の私が長女で4人兄弟。一緒に死ぬ覚悟もしたが、飲ます乳もない2歳の妹は米汁を飲ませて育てた。戦争を起こすほど憎いものはない。14歳の女の子まで工場に駆り立てて人間魚雷をつくらせていた。私は医者からガンを宣告されたが、命のあるうちに訴えなければいけないと思う」とはげしい思いを伝えた。
 はじめて参加した西区在住の被爆婦人は、「私も被爆者で母と弟を原爆で亡くした。平和の大切さは身をもって体に染みついているし、アメリカに対する怒りの心もいまだに消えていない。戦争は2度とさせてはいけない。みなさんの仲間入りをして、ともに勉強していきたい」と決意をのべた。
 これまで精力的に活動に参加してきた男性被爆者は、「この会に参加して6年になるが、私自身が一生懸命語り続けることとあわせて、それを受け継いでこの先も語り続けてくれる人を増やさなければという思いで働きかけてきた。広島大学では20人の学生、修道大学では21人が呼びかけに応えて賛同してくれた。昨年に比べ、若い人の問題意識が変わり、真剣に受け止め、共鳴してくれる人が増えているのが特徴だ。これまでの活動と、これからやることに確信を持ってのぞみたい」と力強く語った。
 活動を支えてきた80代の男性被爆者も、「被爆者は10年後に同じように語れることは保証できない。この10年でどれだけ若い世代に継承できるかが勝負だと思う」と切迫した思いをのべた。
 他の被爆者、戦争体験者からも、家族や同級生を原爆や空襲で失った無念さや、戦後の生活の苦しさが語り合われ、「敗戦がわかりきっているなかでなぜ一般市民を無差別爆撃で虫けらのように殺す必要があったのか」「いまも“原爆はしょうがない”という大臣がいたり、路上で6人も7人も刺し殺して平気という若者が育っている。わたしたちが生きているうちに声を大にして伝えないといけない」と、共通の使命感にたった論議が盛り上がった。
 現役労働者の男性や被爆者から、職場での原爆と戦争展の開催や、学校PTAで若い親を対象にして体験を語り継ぐ計画がすすんでいることもあきらかにされた。
 最後に事務局から、市内の学校、保育園をはじめ、全国の学生グループからも「今年も参加したい」との連絡が相次いでいること、被爆者、戦争体験者、若い世代まで力をあわせ、全国の人人に広島の心を伝える大交流の場にすることが確認され、全員で成功に向けて奮斗を誓い合った。

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