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わざと町を潰す推進政治
9月上関町長選挙
             推反癒着の町売り飛ばし   2007年8月31日付

 中国電力の上関原発計画を最大の争点とする上関町長選は、来月25日の告示まで1カ月を切ったが、「反対派」幹部・議員らはいまだに候補者を出さない。出さないとなると反対派離脱を表明することになるが、それ以上に人が出ることも妨害して推進派を助けることになる。上関町では、「反対派がつぶれた」と推進派がいってきたが、推進派となれ合ってきた幹部・議員連中の馬脚があらわれただけで町民の反対派がつぶれたのではない。一方の推進派の側は町民の推進派が瓦解しており、幹部連中は「裸の王様」状態にある。現在本当の意味で瓦解しているのは推進派である。こうしたなかで、柏原町政の4年間は何であったか、そして上関町はどうなったか、町民の基本的な要求は何か、それをどう結集し、町の政治の転換に結びつけていくか、町民の鋭い関心となっている。
 前回選挙から4年、原発計画浮上から25五年たった現在、上関町全体の世論は激変している。原発は「町の繁栄」が宣伝文句で始まったが、町は農業も漁業も商工業もすっかり衰退し人はいなくなった。もうけていいことをしたのは一部のものだけで、古くから人情深く仲の良かった町民のあいだでは、推進、反対で争わされた傷跡を残すだけとなった。「中電と国策にだまされた」という世論は、町民のなかで圧倒しており、町内推進派は瓦解状況になっている。
 柏原町政が始まって、4年になる。4年前に「国にパイプのある私が4年で原発に決着をつける」といって登場したが、決着はつかず「もういっぺんやる」といっている。
 柏原町長の登場は、推進派の大混乱の末の出来事であった。原発計画浮上のあと原発推進町長としてやってきた片山町長が中電や国の都合で切り捨てられ、「我も我も」で浅海、右田氏と片山氏の推進派同士の町長候補バトルが勃発。片山斡旋で加納みすか氏が登場したが、神崎議員が選挙違反で御用となってすぐに失脚。山口県警が上関で選挙違反を摘発するという珍事を演じることとなったが、要するに背後勢力の意向として、古い型の推進派はダメで、町長は柏原氏、議員は西氏のようなタイプが望ましく何もかもいいなり型の推進派に変えるものであった。ブッシュのいいなりをやっていまや破綻した小泉・安倍首相と同じ型にするものであった。
 柏原町長は「反対派」幹部の山戸、岩木氏とは親類関係で、原発を持ってきた故加納町長のファミリー関係をなす。戦後シベリア帰りの共産党として、漁協組合長でならし、自民党に転向して町長になった。賛成派と反対派の二足のわらじを履き、両刀遣いで町に君臨し、さまざまな利権や不正を重ねつつ、町を極端に寂れさせ、「廃村になるから原発を」と持ち込んだ。上関町の政治は現在も、この政治が続いているのである。
 柏原町政は、国が上関に「合併・解散せよ」と迫って、交付金を削減し、中電も歩調をあわせて「協力金は出さない」と突っぱねるなか、中電、国に文句はいわないことを誓って登場した。迷惑な原発をつくるので、地域の振興のために金を出してとりこむという方式はやめて「力まかせで町をつぶせば原発でも何でも簡単」方式に転換した国と中電に対応したものであった。

 町に住めなくなる 柏原町政の4年間・町民は強い危惧
 柏原町政の4年間、町民の誰もが強い危惧(ぐ)を持っているのは、このままでは町に住めなくなるというものだ。人口は県内のどこの町より激減してしまった。町内各地区とも「歯抜け」と呼ばれる家を解体した更地が目立つ。家を解いたところはまだいい方で、空家となって崩壊寸前の家も点在している。町内には、仕事も小児科をみれる病院も学校も満足になく、若者も子どもも住めなくなったが、買い物をする商店すら減ってきて、年寄りも住めない町になってしまった。商店主の1人は、「昼寝の時間が多すぎて困る」(お客がこない)と苦い顔で語る。
 25年前には7000人近くいた町の人口が、3700人を切るまでとなった。上関の廃村化、無人島化は、原発推進の政治が意図的にもたらしたものである。国政では構造改革を叫ぶ小泉・安倍政府があらわれるなか、柏原町長と現在の議会体制に移行したこの4年、きわだって衰退に拍車がかかった。
 柏原町長に近い推進派のある人物が、今後の上関について「学校も病院もスーパーもあって便利がいい平生や田布施町に町民は住んで、漁業や農業をやりに上関へ通えばいい」といったと話題になっている。他にも、新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発が大損害を受け全国的にも「原発はやめろ」の声が強まる中で、中電や国に注文をつけるどころか「いろんな問題が起きたから、上関には1番いい原発が出来る」と宣伝する状態である。自分の金もうけがすべてであり、町民のため町のためとか、義理や人情とか、郷土愛とかくそ食らえというもので、町の幹部みながそんな調子なのだ。
 推進派・柏原町長の選挙パンフレットには、今後温泉施設の建設や、公民館、福祉センター、庁舎、医療体制の整備、個性のある町作りなど、山ほどの施策が盛り込まれている。原発の交付金で全部実現するのだとされている。この公約が意味することは何もしないということであり、町をつぶれるに任せるということである。
 この20数年の間、国から下りた公共投資の予算と中電が使った金を合わせたら1000億円をゆうに超える。しかしその金はどこに消えたのか、町は寂れたし町民の所にはこなかった。金を使う側が町民のためとか町を振興させるためという気がないのである。町長や議員などが家を建てたのだけが目立っている。
 原発は、町がすばらしく繁栄するといって持ち込まれたが、現実は原発がくる前に人はいなくなってしまいかねない。「上関町は漁業が1番重要な産業だ。漁業がつぶれたら商業も工業もやっていけなくなる。漁業がつぶれて原発ができても町は成り立たない。中電が町民みんなを養うわけではない」とさめざめと語られている。

 漁業の衰退に要因 規制緩和・構造改革の中で・意図的な破壊
 農漁業がつぶされ、市町村は合併でなくなり、地方生活が成り立たないというのは、全国の農漁村に共通したものである。小泉、安倍政府がアメリカにいわれるまま規制緩和、構造改革をすすめたからである。自分の国で食糧を自給できず、外国に物乞いしなければ食っていけない国にするというのである。食糧の自給もできなくして日本本土を戦場にした戦争をやる国にするというバカげたことがアメリカの要求であり、小泉、安倍政府である。
 上関ではそれだけではなく、中電の原発計画があり、国策で縛られ、中電支配の町になったおかげで、輪をかけて人が住めないようにしている。
 町が衰退した最大の要因は、上関の基幹産業である漁業の衰退である。上関町は漁業が最大の現金収入の産業で、農業と連携した半農半漁が基本の形態となり、主に漁業に依拠して商工業が発展してきた。国、県と中電は漁業を困難にし、やっていけないようにすることを意識的に推進してきた。
 元元中電が上関に目をつけたのは、豊北で漁民にやられた経験をふまえ、上関の漁協が故加納町長一派の不正などで瓦解状況にあったことである。
 柏原町政4年間の大きな出来事は、県が推進した漁協合併であった。自民党林派がマリンピアなどで信漁連の貯金を200億円も使い込み、その付けを漁民にすべてかぶせ、県漁協に合併吸収し、各漁協を解体した。上関町では、上関、室津、四代に加えて、反対派の拠点である祝島漁協も解体して県漁協に乗っ取られた。
 上関町の漁協では以前から、よその漁協と比べて魚価は安く、燃油は高くとられてきた。県漁協に合併したらなおさらひどくなっている。現在もっとも注目されるのが祝島漁協である。合併にともなって山戸組合長が解任され、県漁協の職員が乗り込み、推進派になった運営委員のなかには統括支店となった上関支店の大西運営委員長に指示を求めるような関係ができている。
 祝島漁協は、山戸氏が赤字を解決するために合併しかないといい、赤字補填をし原発反対を貫くためといってカンパまで集めた。ところが漁協の赤字は輪をかけて追いかけている。現在懸案になっているのが、今月31日までが期限とされている合併にともなう増資や協力金の負担9万5000円を払えない人が20数人いる問題と、今年4月から6月末までの三3カ月間で約257万円の赤字が出ている問題だ。21日に開かれた組合員集会で事情が報告され、9月初めに再び集会が開かれる予定となっている。このなかで魚の運搬に従事する職員を解雇する提案がされたが、魚の出荷をできなくするというもので、漁協をつぶすという運営なのだ。
 魚価は山戸組合長の時期によその半値以下しかないというので深刻な疑惑を呼んだ。ところが合併後も魚価はまったく改善されない。県漁協が金に飢えているのは全県漁民の共通体験である。祝島漁協が県漁協管理になって、山戸氏への疑惑にふたをするのと同時に、その疑惑を輪をかけて引き継いでいるのではないかと疑惑を呼ぶところとなっている。
 県漁協なり、国、県などの権力を持った推進勢力からは、町内推進派を使って漁民を苦しめ、漁業から離脱させ、漁協をつぶすというのが意図的な計画として進んでいるとの疑惑を抱かせている。

 「海山は守れ」の声 戦争体験重ね論議に
 町から都会に出て行ったものも、食っていけなくなっている。孫たちはフリーターとか派遣とかで子どもも産むことができない。「このご時世でもうけ話はないが、海と山は守り抜かなければならない」の思いは、戦争をくぐり、戦後ふるさとの海と山に頼って立ち上がっていった経験から年寄りたちは強く訴えている。
 町民のなかで語られているのは戦争の問題である。とくに米軍再編を力任せに進めようとする国の強権に抗して、岩国市民が「米軍が日本を守るわけがない」と確信をもって何度も自民党・国をうち負かしていることで、強い喜びをもって共感が広がっている。
 かつての戦争も、みんなが貧乏になって、「王道楽土」などといわれて満州へ行ったりし、国内ではものもいえないようにされて戦争になっていった。上関町は戦前移民が多い町である。そして戦死者は、小さい町で600を超えるという比率の高い町である。残された人人のなかでも、広島原爆の体験者、多数の犠牲者を出した終戦前日の光海軍工廠への空襲体験者も多い。
 いまがまた同じになっていることが町中で語られている。原発は原爆の材料であるプルトニウムを生産する工場である。国際政治の基準で見たら電気はその付録みたいなものである。上関に原発をつくるというのは、岩国で増強する核攻撃基地をマヒさせるのに格好の標的となる。国土の壊滅である。忘れようにも忘れることのできない体験をした年寄りのなかでは、「戦争も原発もやめよ」の声が共通した世論となっている。
 そして最近の中越沖地震によって柏崎原発がぶっこわれた。日本中の原発がいま起きている地震の震度以下の基準でつくっており、使い物にならない。そしてもっとも強い地震が起きるところの原発は、浜岡原発と伊方原発といわれている。マグニチュード9レベルの大地震が起こりうるともいわれている。伊方沖には建設後に大きな活断層が見つかっているが、伊方沖は上関沖のことである。中電と推進派は、選挙が近づくなかで、調査の進んだ良いところだけを乗せた広報誌「かけはし」を配って回り、「2009年原発着工は間違いなし」「問題は共有地裁判のみ」といっている。しかし上関原発は、抜本的な計画の見直しをせざるを得なくなっている。
 上関原発が持ち出されたころは、田舎はダメだが都会に行けば楽になれるとかいわれ、日本は平和がつづくというのが前提であった。ところが情勢は全然違ってしまった。そして上関町民の世論も激変するところとなっている。
 片山町政につづく柏原町政は、国策を利用し中電にとりいって、町を売り飛ばし廃虚にする売町政治である。

 崩れたのは推進派 町の政治再編の好機
 反対派で議員になった外村氏が推進派に寝返り中電の票で臆面もなく議員になった。岩木氏は反対派の代表ポストにいるが、反対を貫くために議員を辞して町長に出るという姿勢は見られない。それより、今度の選挙が推進派に衣替えする機会にするのではないかと語られる有様。山戸氏は漁協をつぶしたところまできて祝島のなかでも孤立状態となった。
 上関の推進派はインチキな「反対派」幹部によって支えられてきた関係にある。94年の田ノ浦地先にあった共同漁業権を祝島漁協が放棄したのは県と結んだ山戸氏のペテンだった。終わっていた原発を復活させたのである。98年の町議選挙では無投票の談合選挙をやり、何度かの町長選挙もわざと負けるような選挙をやり推進派を助ける。推進派、反対派議員は、選挙になったら町民を推進派と反対派でけんかをけしかけながら議会では「○○チャン」で呼び合って仲良しクラブを形成。
 このインチキな政治構造が崩れたのは、情勢の大きな発展である。祝島は「反対派」幹部は崩れても、婦人や農民など住民は崩れていない。漁民も1部が推進になっているだけである。全町的にも町民の反対は崩れていない。一方で推進派は、補償金がかかる1部のものを動員できるだけで、町民を動員できなくなっている。反対派は町民の基盤の方は崩れないどころか大きくなり、推進派は1部のいいことをする幹部だけで町民の基盤が崩壊している。「反対派が崩れた」というのは表面だけの話で、実態の所は推進派が崩れているのである。
 「反対派」の指導勢力が候補を出さなければ、反対派でなくなったということになる。出したとしても何の運動もしないアリバイ選挙をやろうというものにしかならない。このような状況は、町の政治再編のチャンスになっているということである。
 原発を推進しているのは国であり、国策に対決しなければ的はずれである。幹部任せではなく、町民大衆が主導して町長や議員を使う力をつくること、そのような町民の力を結集することが、選挙の最大の注目点となっている。

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