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長谷川氏(前自民県連幹事長)が惨敗
            柳井市長選・県議補選でも自民候補落選  2009年3月2日付

 柳井市長選挙は1日に投開票がおこなわれ、無所属の井原健太郎氏が前自民党県連幹事長・前県議の長谷川忠男氏を大差で破り当選した。長谷川氏は東部での自民党大物県議として、中国電力の上関原発計画を推進する上でも支柱とされてきた。今回も原発利権を狙って市長選に打って出たが、利権がらみの保守系汚れ政治に対し市民の鉄槌が下された結果となった。
 当日有権者数は2万9974人で、投票率は73・71%。07年の県議選柳井市区(65・64%)を8・07Q、全国から注目を浴びた昨年の衆院山口2区補欠選(72・79%)をも0・92Q上回る盛り上がりぶりとなった。開票結果は井原健太郎氏が1万2491票、長谷川忠男氏が9281票で、3210票の差となった。同じ顔ぶれでおこなわれた07年の県議選では、2134票差で長谷川氏が制していた。
 今回の市長選は現職・河内山哲朗市長の任期満了にともなうものだったが、様相は奇妙奇天烈な展開となった。まず昨年12月、1番に名乗りを上げた河内山氏は当初、5選へ向け意欲満満の態度を見せていた。しかし、「妻の体調不良」を理由に年明けに出馬断念を表明。しかし実際には、長谷川陣営からの誹謗中傷があまりに酷すぎた為だと語り合われていた。
 そして長谷川氏の出馬表明へとつながっていった。
 長谷川氏は利権をあさる政治家として名をはせてきたが、今回の出馬は上関原発の利権に食い込むのが最大眼目と見られていた。当初は無投票気配も漂ったが、「このままでは柳井の将来がない」という市民世論が一気に高まった。その結果、一昨年の県議選柳井市区で長谷川氏と互角の選挙戦を演じ、今回県議補欠選へ向け準備を進めていた井原健太郎氏が対抗馬として担がれた。
 長谷川氏は選挙戦に突入するや、背広のまま地べたに土下座し、目から涙を流して市民に「お願い」して回った。また自民党県議も多数テコ入れに駆けつけ、終盤戦になると柳居俊学氏(大島郡区)、守田宗治氏(下松市区)、畑原基成氏(岩国市区)ら東部を地盤とする自民党県議連が企業回りをするなど引き締めをおこなった。
 しかし市民のなかでは「いつまでも(土下座に涙の)芝居が通じるものではない」「もうメッキは剥げ落ちた」「利権政治はもう充分」などと反発の声が高まり、そのまま投票行動へつながっていった。
 また、これまで長谷川氏は「河内山市長とは二人三脚」「車の両輪」などと協力体制を強調してきた。しかし、今回は一転して河内山氏を引きずり下ろして自らが出馬。しかし、河内山氏が黙って引き下がるはずもなく、その足で「勝手連」と称し井原陣営に加わった。このため県議補選では2人揃って自民候補の応援に並びながら、市長選では真向対決という「超ねじれ現象」が発生。長谷川氏が自ら「片輪」を切り捨てた結果、走行困難に陥った形にもなった。
 更に、長谷川氏の立候補表明後の柳井市内では「県庁は万歳、市役所はしょんぼり」という話題で持ちきりとなった。ある男性は「あまりに利権を要求するから県もよほど煙たがっていたのだろう。思えば、平井県政時代から“長谷川を落とせ”という指令が県から直接発信されていた。今回もそういう動きがあったのは確実。(長谷川氏は)おだてられて出た所で、梯子を外されたという面もあるのではないか」と話した。一方市の職員も「あんな人間が市長になったら柳井が潰れる。職員の士気もがた落ち」とアレルギー反応を示すなど、どこでも長谷川氏の劣勢となった。
 結局長谷川氏は「我が、我が」と周囲を蹴散らして自分だけの利権に目を眩ませて突っ走った結果、あっちからもこっちからも嫌われて散散な結末を迎えることとなった。保守系のあまりにも汚れた政治が破産した結果ともいえる。と同時に、中電の上関原発計画にとって大きな痛手となることも確実である。
 また、同時におこなわれた県議選柳井市区補欠選挙では、民主党の河北洋子氏が自民党の松野利夫氏を753票差で破って当選した。補欠選は前県議の長谷川氏が市長選に出馬することによっておこなわれた。投票率は73・69%。開票結果は河北氏の1万1110票に対し、松野氏の1万357票と大接戦になった。麻生政権が末期症状を呈するなか、次期衆院戦の前哨戦といわれていた選挙において、自民党は大打撃を被る結果となった。

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