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野党の解体表す選挙結果
参院選総括座談会
             運動潰す欺瞞の支柱崩壊   2013年7月24日付

 21日に投開票を迎えた参議院選挙は、昨年末の衆院選に続いて、かつてない低投票率のもとで自民党が国会の大半の議席を占める結果となった。アベノミクスを持ち上げてきた商業マスメディアは選挙期間中から「自民圧勝」を叫び、選挙後は「ねじれ解消」と沸いている。野党解体ともいえる今回の選挙結果をどう見るか、本紙は記者座談会をもって論議した。
 
 約半数が選挙自体そっぽ

  商業マスコミは「自民圧勝」「一強体制」「ねじれ解消」でワイワイ騒いでいるが、この選挙結果からなにがいえるのか、現在の政治状況もふくめて描いてみたい。まず、選挙が終わって大衆的な受け止めはどうなっているだろうか。
  選挙の度に投票率が低下していく。今回でも約半数の有権者が選挙そのものにそっぽを向いた。これまで必ず選挙に行っていたような人でも、「今回は棄権した」という人が相当数いる。どこに投票しても政党があてにならないし、糠に釘というか気持ちを代弁してくれる政党がおらず、本気で国を変えようという勢力が見当たらない。それなら選挙に行っても意味がないではないかと話題になっていた。
 C 「民主党が体を為していないなかで、くたばった屍状態の野党を相手に自民党が議席を押さえただけだ」という反応もあった。「なにが選挙か」「これは選挙といえる代物ではない」という声も多い。山口県ではとくに選挙区で自民党候補の林芳正に対して、4月の補欠選挙で2万5000票余りだった「日共」候補と、わずか1万票だった宗教団体候補が使い古された当て馬のような顔をして出てきて「対抗馬」などといっていた。はなから有権者を愚弄していると話題にされていた。当確が八時に出て万歳をしていたが、公示段階で当確が出たような選挙だった。「これでなにが国政選挙か」という冷めた思いが有権者のなかでは語られていた。まともな野党がいないのだ。入れたいと思う候補がいない。だから山口県は戦後最低の投票率になった。
  開票がはじまる前の八時には選挙特番がはじまり、テレビではいきなり約4分の3の議席に当確が出ていた。これに腹を立てている人も多い。ある商店主の婦人は、「あんな調子で発表されて良いものなのか。マスコミがあたりまえみたいに“わかりきった結果”として開票前から断定していく。いかに競い合いのない選挙だったかを示している」と憤慨していた。
  自民党にかかわっていたこともある自治会長の男性は「選挙なんてしない方がいいんじゃないか」と冷めた表情で語っていた。なにか意味があるのか? と。元国鉄マンの男性も、今回は棄権したこととあわせて、「アベノミクスというが年金は下がり物価は上がる。消費税は上がるし、税金はとられるし、すべて決まっているのに選挙してなにかが変わるのか? 行っても行かなくても同じだ」と冷めていた。企業関係でも「期待できない」と話されていた。全体として選挙には冷めきっているし、吹っ切れた感じだ。政治にいっさい期待できないという思いが強く、直接的な行動によってしか変わらないと論議になる。
  石油会社の労働者たちは、「アベノミクスで浮かれているけど、下関の寂れ方を見てみろ」といっていた。実体経済は縮小して、消費購買力も落ちている。それで好景気に沸いているのはごく一部の大企業や金融機関で、下関でも中尾市政がJR西日本や中電のような企業には湯水の如く税金を垂れ流してもうけさせ、地元の経済はあがったりだ。なんのための政治なのか、なんのために政府があるのかをみなが考えている。国民に飯を食わせることができないなら、その政府は終わりだ。目前だけ見たら自民党が好き勝手できる議席数だが、事あればひっくり返すくらいの気持ちが各所で充満している。
 B 下関の自民党員でも冷ややかに見ている人が多い。「安倍さんが暴走して転けるだけ」と先を案じている人もいる。自民党支持者といっても戦争政治への危惧は強く、とくに年配者のなかでは安倍代議士が田母神や櫻井よしこを連れてきて、右翼団体かと思うような政治活動に力を入れていたり、改憲を叫んだり、アジアの近隣諸国と武力衝突しかねないような好戦的な姿勢について疑問を抱いている人がもともと多い。後援会幹部の企業経営者が「一見すると自由のような雰囲気ではあるが、かつての大政翼賛会のように権力者が認めない政党は政党にあらず、というような統制があらわれかねない。民主主義でなくなることが心配だ」と選挙結果を見て話していた。下関の政治構造がまさに安倍独裁で「安倍派にあらずは人にあらず」というような強権政治を特徴としているが、日本中が同じようになったらどうなるのかと心配している。
 
 議会への幻想瓦解 自民は18%得票 民主は再起不能

  マスコミが「自民圧勝」と騒いでいるが半数が選挙に行っていないのになにが圧勝かだ。実際の選挙結果はなにを示しているかを見ないわけにはいかない。選挙結果を見てみると、野党がボロなのが特徴で、とくに民主党が哀れなまでに崩壊している。比例区の得票では3年前の参院選からいっきに6割も減らしている。そして自民党はというと、選挙区で2268万票、比例区で1846万票だった。公明党が選挙区では協力して500万票を回したと見て、選挙区の2200万票は計算上の説明がつく。ただ1800万票の基礎票といっても、ここには大企業の連合票など、民主党(比例区では1131万票減らした)から流れた票もある。諸諸の宗教団体からの票も差し引くと、自民党そのものの支持基盤は極めて脆弱であることがわかる。全有権者に占める得票の割合は17・7%で、これが国会の議席を独占する結果になった。得票率なら、棄権党が第一党でおよそ5000万人、47%にもなる。
  山口県では民主党県連が候補擁立を断念して、林芳正に協力した。敵なしの選挙でありながら、期間中は連合の組織が自民党応援を公然とやっている始末だった。それで、戦後最低の投票率なのに林芳正は45万票を獲得した。民主・連合・自民・公明のオール与党体制による選挙だ。全国よりも翼賛体制は先んじている。
  結果からいえることは、自民圧勝ではなくて、民主党その他野党の解体が実際の姿だ。「日共」にしても欺瞞力がこれくらいしか残っていない。「自民党と違う政党といえば共産党だ」と思うような人もいる。しかし百数十万票しか増えていない。とても躍進といえるものではない。
  昨年の衆院選と構図は似ている。09年の衆院選で民主党が政府与党になり、いかにも自民党と民主党が対立しているかのように扱われてきたが公約を覆して実行した政策は同じ。有権者をたぶらかした。これへの怒りが強かった。一連の裏切りで有権者は頭にきている。自民党の補完役に過ぎないし、第二自民党そのものだった。それを改める姿勢すらなく、人人は相手にしていないのに、なおかつ「政権政党へ」などといって自爆した。民主党は再起不能だ。
 C 「鳩山がメッキを剥いで、菅直人が錆びさせて、野田がポキッと折った」と話す人がいた。なるほどと思った。
  どう見ても民主党の独り相撲による自爆だ。あと、社民党も解体的状況だ。「託すところがない」という意見が共通して話題になっていたが、自民党に対抗する政党がなく、みんなオール与党になっていることをあらわしている。議会制民主主義が崩壊している。議会に託すという間接民主主義の崩壊が重要な特徴。人人を欺瞞していたのが通用しなくなった。野党というものがいて、それなりに文句をいって期待を寄せておいて、「なんとかなるのではないか?」「議会を動かせば世の中が変わるのではないか?」と思わせていたが、どうにもならない。だから選挙に行くのがバカバカしくなる。
 C 以前なら、そうはいっても選挙には行って、国民の一人として思いを託さないといけないし、それもせずに文句をいってはいけないというのがあった。「選挙に行かないのは非国民だ」といわんばかりの人もいた。しかしそういう人が行ってなかったり、棄権するか悩んでいたりした。議会制民主主義への幻想がとり払われて吹っ切れている。
 A 民主党が自民党と同じことをやり始めて自爆しただけのことだ。「政権交代」と大騒ぎしていたが、自民党政府がやっていたことを丸ごと引き継いで、米軍再編にせよ、消費税増税、原発再稼働、TPPなど推進して、野田が負けるとわかっている解散総選挙に挑んで、案の定民主党を解体した。どの政党が与党になろうが米国追随で突っ走るし、ひどく違いがない。今度はねじれ解消で「大変なことになる」といっても、もともとがねじれていない。オール与党なのだ。
  「ねじれ」というが、有権者が怒っているのは民主党なり野党がどうでもよい些末なことでゴネたりするからで、消費税増税にしても三党合意で推進していくし、主要な政策は軒並み一致して遂行していく姿を見せつけられてきた。米国に怒られたら原発ゼロも覆して再稼働を強行するし、TPP参加を求められれば安倍晋三が勝手に米国詣でして参加表明してくる。
  今回の選挙結果だけで特別に安倍が有利になったわけではない。政策がすべてすんなり進むわけでもない。選挙のなかでは沖縄は少し様相が違っている。基地斗争が大衆主導で盛り上がっている。尖閣問題もあって前線にさらされるという危機感は相当なものだ。民主も自民も手も足も出ず、糸数慶子が批判票を集めて当選した。東京でも地盤や力などない山本太郎が反原発を叫んで、そこにボランティアがどっと押し寄せて当選までいった。大衆主導だ。こういう大衆の行動は抑えられないし、一つの特徴になっている。東日本大震災後ににわかに出てきたみどりの風にしても、それなりに票をとっていった。
  
 矢面に立つ自民党 欺瞞役失い支配弱体化 大衆と直接対峙

 A 歴史的に見たとき、革新勢力の存在は敵の支配の支柱だった。大衆をだまくらかして議会内に縛り付け、実際に世の中を変える力や運動にはしない防波堤だった。しかし万事、政治は大衆的な政治行動でしか動かない。それを欺瞞して潰す役目がいなくなったことを選挙結果はあらわしている。安倍が好き勝手するといっても、今度は権力者と大衆が直接に対峙するほかない。大衆を相手に味方のような素振りをして運動をねじ曲げたり、だます役割を果たすような存在がいない。ならば安倍が直接説得したり、納得させるようなことができるかというと、逆立ちしてもできない。支配が弱体化している。やはり修正主義なり、社民なり大衆をだましてくれる勢力が支配側にとって不可欠だった。その点は自民党リベラル派の方が心得ている。欺瞞する者がいないと、権力がまっしぐらに強権だけで突っ走るばかりでは、世の中はおさまらない。
 E 独裁者は独裁するだけでは通用しない。批判勢力のなかに欺瞞する者を必要とする。マスコミが嘘ばかりいって欺瞞するのも、いまや底が見えている。下関市議会、市政でも安倍派がヤーヤー騒いだところで市民はだまされない。泉田グループのように労働組合を利用しながら与党にとり込んだり、サンデン分裂組合の委員長で市議会ボスに出世した小浜にせよ、上手にだます者が不可欠なのと同じだ。
 A 戦後はそれである種の政治的な安定期を作っていた。革新といっても、彼らは必ず敵との斗争は避けて大衆運動を潰す。社民党であれ、「日共」であれ、大衆斗争の能力はない。早くから完璧な議会主義政党になってしまっている。資本主義の相対的な安定期に改良主義をやってきたが、資本主義がこれほど危機に陥ったら、今度は敵の協力者としてムキツケの姿を見せつけている。だから沖縄で社民党が相手にされないし、「日共」にしてもそうだ。
  「日共」は安保斗争にしても、大衆運動が高揚したらブルジョア議会主義へ欺瞞的にねじ曲げる役割を果たしてきた。なんの運動にしてもそうだ。その影響が「どこかの政党に投票すれば世の中が変わるのではないか」という幻想にもつながっていた。支配の重要な道具で、政治勢力による議会内のやりとりに委ねるものだった。60年安保に懲りた敵は念入りに労働運動破壊をやってきたし、そこで培養されたのが組合主義、経済主義、議会主義、改良主義だ。労働者は企業の発展に依存してパイをもらうのだといって目先の改良だけを求めたり、もっぱら組合主義で自分たちの権利ばかり主張してみんなの利益を犠牲にしたり、欺瞞してきたがパンクした。それならどうするのか、路線上の転換が迫られている。
  議会主義の影響もあって、70年代には革新自治体が流行っていった。これは要するに労働者が権利を得るために斗争しなくても、選挙に勝てば要求が通るではないかという風潮を煽って、結果、足腰が立たないようになった。大衆運動を否定して選挙に傾倒し、いまや労働組合といっても連合は経団連の飼い犬に成り下がって、労働者の味方でもなんでもない。議会主義で無力にしていった。議会で多数をとれば世の中がかわる、というのが「日共」だ。議会内だけで物事を考えていたらとり込まれる。「大衆と共に」で市民運動といっしょに議会活動をやっていけば市政を揺り動かせるというのは、下関市民の会の本池妙子市議の活動においても重要な経験だ。
 C ある知識人が話していたが、仲間たちと「もうテロしか世の中を変える方法はないのではないか」と論議になったという。しかし最終的に、独りよがりをやっても弾圧されて終わるだけで、それよりも「戦艦ポチョムキン」のようにみんなが銃を同じ方向に向ければ、それはテロではなくて正義になる、という結論になったようだ。政治への幻想がとり払われ、大衆的な連帯と団結こそ力なのだという確信は広がっている。

 大衆運動が国動かす力 剥落した戦後の欺瞞

  戦後の欺瞞のベールがとり払われた。支配の共犯者、社会的な支柱の欺瞞がはげ落ちたということだ。自民党だけで世の中がおさまるわけがない。間接民主主義の崩壊になると、国民主権で直接行動するしかないとなる。勇ましく改憲を叫んでいるが、消費税増税、TPPなど大きなテーマは山積している。このなかで、国民を動員できなければ独裁者も裸の王様にしかならない。ヒットラーは独裁者といっても戦争まで国民を動員した。それと比較して安倍晋三を見たときに、ちょっと見劣りするにもほどがある。
 B 世界経済がこれほど混沌としているなかで、ブロック経済化のあらわれとしてTPPがあり、さらに国家財政は米国に散散巻き上げられて食い物にされたあげく、消費税増税で国民にツケを転嫁しようとしている。この重要局面で「安倍が3年持つわけがない」という意見も多い。現実に首相就任から7カ月経ったが、中国や韓国と揉めていまだに首脳会談すら持てないし、収拾がつかない。各国からの格下扱いもひどい。
  資本主義の景気変動は最高の好景気を経て、その次は恐慌に転落する。恐慌からジワジワと景気が上向いてバブルのような絶頂を味わって、再び奈落の底に落ちていく。安倍晋三は今が頂点だが、資本主義である以上、頂点は奈落の底の直前ということだ。
 半数の有権者が相手にせず、18%の得票で国会の議席を総なめにする。国会内独裁ができあがっている。しかし独裁でも、まず外国には通用しない。韓国であろうと、中国や北朝鮮であろうと、外国には権力が及ばないからだ。国内は権力に保護されて力を振るうことができる。官僚機構から財界、メディア、警察、司法などあらゆる権力に保護されて“坊ちゃん政治”ができる。たたき上げでのし上がった政治家が、みずから国を引っ張っていくという話ではない。そのような統治の見識も何もないから、外交になったら歯が立たない。外国に歯が立たない者は国民に対しても歯が立たないのは明らかだ。
  「戦艦ポチョムキン」ではないが、本物の政治勢力の台頭が求められている。下関市民の会が市議会に送り込んだ本池市議の経験でもそうだが、大衆斗争が主だ。敵と味方の争点を鮮明にして大衆運動をやる。それで選挙もたたかう。経済主義、改良主義ではなくて、大衆的な政治的力量を高めることによってのみ敵を突き動かすことができる。目先の改良という副産物はそれに付属する。大衆斗争が決定的で、議会のやりとりでなにかが決まるわけではない。
  山口県では原発計画をはねのけた豊北斗争がそうだったし、上関でも大衆運動こそ力を持っていることが証明されている。上関斗争では初期の頃、偉いさんに依存していた。偉い幹部頼みの運動だったが、30年たってみて反対派幹部はみな敵にとり込まれて壊滅状態になってしまった。しかし運動は崩れない。下から婦人たちが実質的な指導部を形成して、みんなの力を束ねてたたかっている。大衆主導の運動だ。国や県を友といっていたのが、30年の斗争をくぐって敵となってきた。国策として持ち込まれる原発に対して、たたかう相手が鮮明になっている。大衆斗争としてたたかうし、全国と団結してたたかうという意識も強まっている。そうなったら止めてしまう。この方式で日本中が動いていけば展望はある。

 全国的政治斗争組織へ 直接行動の機運充満

 E 原水禁運動でも禁や協が市民から毛嫌いされ、広島では蛇蝎(だかつ)の如く嫌われている。こうした連中が加害者論を振りまいて市民世論を押さえ込んだり、反米に向かわないように運動をねじ曲げたりして、歴史的に権力から飼われている。峠三吉の原爆展運動がこの10年来で発展してきたが、禁や協とは違う被爆地の願いに応える運動、50年8・6斗争の路線で大衆そのものの中に入って運動を広げていくなかで、抑圧の構図がとり払われ、市民が主人公になって登場してきた。「日共」や社民の凋落は、禁や協が広島市民から相手にされないのと同じで、敵の支配の構図が崩れたことを意味している。世間的には禁や協がまるで広島を代表しているような顔をしてきた。マスコミも禁や協しか扱わず、権力が支えてきた。しかし米国支配の共犯者、支柱を正面から批判すると、広島でも市民の共感は強く運動は発展していった。
  沖縄でもインチキ革新勢力が県外移設といっているが、「痛みを分かち合え」といった元祖が社民の大田昌秀だ。いまや県民世論は「県外どころか、日本国内から出ていけ」となっている。欺瞞的なものが通用しない。敵と友を鮮明にしたら運動は発展する。
 安倍独裁というなら、世界中を見ても独裁打倒のデモ流行りだ。ムバラクか、安倍晋三か、となりかねない。エジプトなど見ていたら選挙もなにも必要なくて、国民的な大運動で政権をぶっ倒してしまう。トルコでもブラジルでもすごいものがある。世界の流れだ。選挙があてにならなくなったら独裁打倒のデモになる。
 安倍自民党はTPP、原発再稼働、消費税増税、改憲などさまざま課題を掲げているが、要するに米国追随で市場原理主義を徹底し、個別企業天下の世の中にする方向に進んでいる。しかしそれは社会を食いつぶして、どんどん崩壊させていく。これとの対決が迫られ、全国的な政治斗争を構えないといけない局面にきている。政治構造としては野党がリーダーシップがとれないし、国民を欺瞞できないから、自民党独裁が一手に批判の矢面に立たされていく。
 C TPP反対や再稼働反対で斗争が起きているが、野党は乗っかかることすらできずに、むしろ大衆運動の側からは距離を置かれているのも特徴だ。党利党略に辟易しているから、政党を排斥する動きが強い。「日共」にしても、選挙結果を見て志位がうれしさを堪えきれないような表情をしていた。あの程度のことで喜ぶからアホと思われるのだ。「それで世の中が変わるのか?」とみなは思っているのに、本人は議席が増えたといって大喜びしている。世の中を変えることはどうでもよくて、議席が増えさえすれば良いという性根をあらわしている。そこにこの連中の本質がある。あれだけ与党も野党も廃れたら、「共産党にでも入れようか」という人人は世の中にいる。しかしたったあれだけしか票が伸びない。よほど嫌われているからだ。敵失頼みで、自分の力ではない。民主党が崩れたから棚ぼたで議席が増えたに過ぎない。
  
 改良主義終焉示す 真の政治勢力結集へ

  戦後の人民運動の路線にもかかわっている。60年代からはびこった改良主義の終焉を物語っている。米国は60年安保以後、知識人の買収に力を入れたり、対日工作を徹底して、意識的に抑圧構図を作ってきた。社民にカネをばらまいて培養したし、「日共」にしてもGHQ占領軍を解放軍と規定するなど、戦後の出発点から親米だ。それらの欺瞞的な革新勢力が支柱になって、安定支配の構図ができた。そういった意味では、大衆的にたたかって民族の独立、民主、平和、繁栄の運動を切り開いたのは、占領下の広島でたたかわれた50年8・6斗争だけだ。この路線しかないことを証明している。
 資本主義の相対的安定期が終わって危機になっていく。戦争と反動の波があらわれていく過程で、先進的といわれる部分が自然消滅していく。戦前の共産党も弾圧もあったが自然消滅していった。その繰り返しだ。半端な改良主義勢力は日和見主義から排外主義に転嫁して、敵の助手になっていく。そのなかで全人民が団結して敵とたたかい、世の中を変えていく運動が求められている。
 大衆とともに、大衆を団結させていく、人民に奉仕して敵と非妥協的にたたかう本物の政治勢力が求められている。大衆の中では沸騰しているし、重要な課題だ。対米従属で突っ走る独占資本とその代理人である安倍を筆頭にした政府、売国政治との対決が迫られている。強欲な金融資本主義が破綻してなお世界で市場原理主義を徹底しようとしている。
 グローバル企業や資本が社会的な利益や国益を食い潰して、犠牲はみな国家に転嫁したり人人の生活をなぎ倒す。これに対して世界的に人民の反撃機運が高まっている。こんな政府が続くわけがないし、叩きつぶさなければやられる関係だ。
 安倍晋三の爺さん(岸信介)は選挙で打倒されたのではなくて、安保斗争で打倒された。佐藤栄作も沖縄斗争で失脚した。議会で多数を獲ったくらいで孫が大喜びしていてどうなるか。政治を一つもわかっていない証拠だ。
 大衆が主人公になっえ政治を直接に動かす、それを代表して組織していく政治勢力がかつてなく切望されている。歴史的にもおもしろいところへきている。

 

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