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世論動員できず浮き上がる国会
総選挙投開票結果
            戦後最低だった投票率   2014年12月15日付

 解散総選挙が14日に投開票を迎え、与党の自民党は前評判とは裏腹に議席を減らして終わった。選挙は投票率は52%前後で、戦後最低だった前回選挙(59・32%)よりも7Q下回るなど、有権者のおよそ半数にあたる約5000万人もの人人が棄権する異様なものとなった。選挙が始まるとメディアがこぞって「自民圧勝」「単独で300議席か」「320議席に届く勢い」と報道をくり返していたが、結果はほぼ横ばいで劇的な変化にはつながらなかった。むしろ自民党は改選前の293議席から291議席へと減らす結果になった。前代未聞の低投票率があらわしているように政党の支持基盤が細り、国会がますます国民から浮き上がっていることを示した。
 
 1万8000票減らした安倍晋三

 自民党は改選前の293議席から291議席へと減らした。公明党は31議席から35議席。民主党は62議席だったのから73議席へと増やした。他に投票したいと思う政党がないことを反映して、批判票の棚ぼたに預かったのが「日共」で、改選前の8議席から21議席へと議席を増やした。前回選挙で自民党とは違う装いで登場した橋下徹率いる維新の党は、改選前の42議席から41議席へと減らした。石原慎太郎率いる次世代の党は19議席だったのが2議席へといっきに議席を落とし、石原本人も落選した。尖閣問題で火付け役になるなど大暴れしてきたが、最後は引退するまでもなく退場となった。次世代と同レベルなのが社民党で、引き続き消滅寸前ラインをさ迷い、かつがつ2議席を得るのが精一杯となった。小沢一郎率いる国民の生活が第一は5議席だったのから2議席へと減らした。みんなの党は完全消滅で、前代表の渡辺喜美は落選した。
 議席の増減だけ見るなら、自民党の老年部みたいな存在感を放っていた次世代の党が消滅に追い込まれたのが一つの特徴となった。その減少分が自民党に上乗せになったわけでもなかった。行き場のない批判票が最後に向かった先が「日共」で、これは「日本共産党」の看板に拠る所が大きい。現在の彼らの振るまいや主張云々以前にそのような趨勢にあることを反映した。しかし同時に「日共」が全選挙区に擁立したことで、票割りの役割を果たし、自民党を助けた選挙区が相当数にのぼった。小選挙区では自民党が多くの選挙区で勝利したが、野党候補との接戦も目立っている。低投票率のなかで組織票をフル動員し、なおかつそれに勝る野党がいない状況での結果となった。劇的に「勝利した」といえる政党などないことを示した。
 選挙区ごとの特徴を見てみると、辺野古移転を巡って安倍政府の強硬な姿勢に批判が強まっていた沖縄では、全選挙区で自民党候補を叩き落とした。直前におこなわれた知事選では批判票分断の謀略的な選挙構図にもかかわらず、辺野古基地建設反対を掲げた候補が10万票差をつけて圧勝するなど、県民の底力を見せつけたばかりだった。その後も仲井真知事が退任間際に埋立工事と関わった工法変更を承認するなど、あくまで民意に背いてゴリ押しをはかろうとしてきたが、総選挙では「自民党」と名の付く者は1区から4区まで1人残らず落選させ、改めて基地撤去を望む県民の意志を示した。戦争政治との対決という点で争点が鮮明だったことが反映した。
 栃木2区では西川公也農林水産大臣が現職大臣としては唯一落選した。TPP反対を掲げて当選しながら、その後大臣に持ち上げられて賛成に寝返り、農民から猛反発を受けていた。裏切り者を叩き落とす行動が、沖縄だけでなく全国的にくすぶっていることを物語った。北海道などでも自民党は苦戦し、第一次産業を基幹産業にした地方での反発が強いことをあらわした。民主党は代表の海江田万里が選挙区でも比例でも落選し、首相経験者の菅直人も落選した。そのなかで、前原、枝野、安住、玄葉、岡田、細野といった与党時代から経団連はじめ財界に見込まれていた中枢部分は順当に当選した。選挙において、大企業とパートナーになっている連合はどのような動きをしていたのかも検証すべき点となっている。
 安倍首相本人は、前回総選挙の11万9000票から大幅に得票を減らして10万829票となった。下関市、長門市を地盤にした山口四区での過去最高得票は03年の14万票台で、その後の2005年郵政選挙では13万7701票、政権交代が起きた2009年選挙では12万1365票前回の2012年選挙では11万8696票と下り坂を転げ落ちてきた。過去最低記録は96年に古賀敬章と争った際の9万3459票で、それよりも上回る10万票台にはかつがつ乗せたが、支持率の急降下は勢いを増していることを示した。目標だった12万票には遠く及ばなかった。
 その他、自民党の役付が多い山口県内の選挙区では、山口1区では投票率が50・63%で、前回選挙から7・39Q減少。高村正彦が12万84票で、前回13万3776票から1万3692票減らした。
 山口2区は投票率が57・27%。前回64・85%からこちらも7・58Q減少した。そのなかで、岸信夫が9万6799票で前回の10万5760票から8961票減らした。民主党の平岡秀夫は5万7814票で前回5万3493票から4321票の増加にとどまった。
 山口3区の投票率は52・20%で、前回選挙よりも5・78Q減少した。河村建夫が9万3248票で前回10万7833票から1万4585票も減らした。県内選出の自民党国会議員は、高村正彦が自民党副総裁に取り立てられ、河村建夫は選対本部長に抜擢され、首相の実弟である岸信夫も外務副大臣に登用されるなど、それぞれ身内として“重鎮扱い”されてきた。こうした自民党の「大物」たちはそれぞれ1万票以上減らしており、山口県内においても決して安泰といえる立場ではないことを突きつけている。
 議席数で見ると自民党が過半数を維持したが、得票数を見ると、自民党候補は前回よりも減っている。比例では全有権者のわずか12%の支持しか得ていないという結果となった。

 選挙最大の破廉恥 大本営だったマスコミ

 「終盤にかけて変化する可能性がある」の言葉通り、「自民党300議席越え」「320議席もあり得る」は大嘘だった。今回の選挙でもっとも破廉恥だったのがメディアで、いったい何をしたかったのか検証しないわけにはいかない。公示後2日目の4日に商業メディアはいっせいに「自民圧勝 300議席越え」と報道し、選挙中盤には「自民単独で320議席越えか」などと報道する社も出てきた。ところが結果は300議席どころか290議席で、自民党はむしろ改選前よりも減らした。
 このメディアの扇動たるや見出しや数字までほぼ共通で、統一司令部でもいるのかと思わせるほど徹底されていた。「有権者が関心を持っていません」「自民党は公示前よりも圧勝します」として自民党の圧勝を確定的に扱うことによって、自民党批判で沸き上がる世論を幻滅させ、あるいは投票に行ってもムダだと思わせる効果を狙ったものだった。
 低投票率にして有権者がそっぽを向かなければ、組織票依存の自民・公明は「圧勝」などできない。そのなかで、如何に「寝た子を起こさない」選挙にするか、野党のボロさ加減に辟易した人人が投票所に向かわないようにするかが、為政者にとって頼みの綱になっていることを示した。今や郵政劇場のような騙しやフィーバーがつくり出せず、人人を選挙から排除することによって、かつがつ「一強他弱」がつくり上げられている。ジャーナリズムが権力の監視という任務を放棄して、もっぱら権力を支えるために大本営発表で世論を扇動していく事も暴露した。
 「一強他弱」といい、国会の見かけは三分の二以上を与党が独占する形が保たれた。しかし有権者の半数が参加しないという異様なる選挙で、国民世論を動員できない政治の姿をあらわしている。ボロの野党によって与党が支えられ、小選挙区のトリックで国会の議席は独占できるが、世論を組織することができない。その「強い」といわれる支持基盤はますます細っているのが現実である。自民党が強いから勝ったのではなくて、野党が弱すぎるだけにほかならない。みんなで揃って弱体化し、有権者の半数という枠内で一番を競っているのである。
 安倍政府の再登板から二年、TPP交渉参加を表明し、原発再稼働にも踏み込み、集団的自衛権の行使を閣議決定だけで解釈変更し、特定秘密保護法や日本版NSCなど一連の戦争体制を進め、この選挙が終わればいっきに集団的自衛権行使の関連法制審議や、日米ガイドラインの改定を進めるなど政治日程が目白押しである。
 選挙は聞く耳のない安倍政府が、「今なら勝てる」という状況のもとで唐突に実施し、メディアが嫌気を誘うような謀略に終始したもとでおこなわれた。
 沖縄が示すように政治を突き動かすのはいつも下からつながった大衆の世論と運動であり、まともな野党がいないという現実のなかで、いかに世論と運動を強め、暴走政治と対峙するかが重要な課題として迫られている。

 

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